第5話 料亭に鬼が来たりて


 帝都軍の敷地にて彰人あきひとと邂逅した、翌日。


 嵐花らんかは意気揚々と帝都の繁華街へ繰り出していた。帝都大橋通りから区画を三つほど隔てた、銀杏座七丁目付近。この辺りも西洋建築の建物が多く、人々が大いに行き交っている。


「ほほう、たった二百年で街並みも随分と変わったもんだ」


 物見遊山であちこちを眺めつつ、嵐花はあごをさする。


 よく見れば、江戸の頃よりも建物が随分と頑丈そうだ。木造ではなく、固い石のようなもので組み上げられている。これならば、ちょっとしたボヤで大火になるようなこともないだろう。


 民衆の装いも様変わりしていた。着物姿が基本であるものの、色々と西洋の装飾品を身に着けている。思えば、彰人たち帝都軍に至っては完全に西洋風の装いだった。どうやらそれが今の時代の主流らしい。


「諸行無常というやつだな。ま、時とは移ろいゆくもの。これはこれで風情がある」


 心地いい風に吹かれながら、大通りを歩いていく。

 封印から目覚めて三日。なんとなくあちこち見ていてわかったのだが、どうやら幕府や将軍家は完全に失墜したらしい。今は帝都軍というものがこの地で幅を利かせているようだ。彰人がいたのもこの帝都軍である。


 嵐花は着物の袖に手を入れて考えを巡らせる。


「さて、まずは何をしようか」


 とりあえずは神刀の担い手を見てやろうと思っていたが、その用は昨日済ませた。今日からはこの帝都で面白おかしく過ごすつもりだ。


「とりあえず適当なものを燃やして、また花火を上げてみるか」


 そこかしこの頑丈そうな建物が鬼火にどれだけ耐えるのか、試してみるのも一興だ。


「はたまたそこらの怪異共を束ねて、徒党を組んでやろうか」


 江戸の頃ほどではないが、怪異の気配はあちこちに感じる。奴らを手下にして帝都軍に攻め入るというのも面白い。


「ふーむ」


 宙を見上げ、さらに考える。


「いや、まずは酒だな」


 せっかく二百年ぶりに蘇ったのだ。とにもかくにも祝杯を挙げるべきだろう。


「そうと決まれば!」


 長い髪をなびかせ、地を蹴った。近くのガス灯を踏み締め、さらに跳躍。付近の建物の上を飛んで移動していく。


 威脈いみゃくといって土地には強い力が流れている。人間が霊威を使い、怪異が妖威を用いるように、土地にも見えない力があるのだ。


 上手い酒を出す店、つまり繁盛している店はそうした威脈の流れの上にあることが多い。


「あっちか、こっちか、それともあの店か……んー、いやここだな。この店が最も威脈の流れを汲んでいる」


 あちこち眺め、やがて嵐花は一軒の店の前に着地した。


 突然、空から下りてきた着物姿に通行人たちがぎょっとするが、気にしない。むしろ飄々とした態度で振り向き、「なんだ? 人間共?」と角も隠さず流し目を送る。


 途端、誰も彼もが呆けたように見惚れてしまった。


 ……ふむふむ。時代が変わっても、俺の顔の良さは変わらんようだな。


 自分がどれほどの美貌を誇っているか、嵐花は理解している。面白いもので昔から流し目の一つも向けてやると、大抵の人間はこうして魅了されてしまう。


 男も女も関係なく、老いも若いも関係ない。いつだって人間は嵐花の美貌に目を奪われる。

 そうして呆けている民衆を背にし、嵐花は店を見上げた。


 看板には『霜月楼しもつきろう』と書かれている。付近の店はどこも西洋風だが、この『霜月楼』だけは昔ながらの木造建築だった。江戸情緒があると言えば聞こえはいいものの、屋根も瓦葺きで全体的に古臭い。


「まあ、これぐらいの方が赴きがあっていいだろう」


 酒の味は店の外観で変わったりはしない。機嫌よく戸を開いた。


「邪魔するぞ。この店の店主はいるか?」


 呼びかけると、奥から番頭らしき和服の男が出てきた。


「はいはい、どちら様でございましょうか? おや……?」


 番頭は民衆と同じように嵐花の美貌に見惚れて息を呑んだ。しかしすぐに角に気づいたらしく、動揺し始める。

「つ、角? まさか鬼……っ!?」

「おう、鬼だ。今からこの店で酒宴を催すことにした。俺のような美しい鬼がやってきて嬉しいだろう? 思う存分、もてなしていいぞ?」


 言うが早いか、上がり框から店のなかへと踏み込んでいく。そこらの怪異と違い、きちんと言葉が通じることは理解したらしく、番頭は腰を抜かしそうな勢いで叫んだ。


「し、しばしお待ちを……っ」


 番頭が奥に引っ込むと、入れ違いに老齢の大旦那がやってきた。白髪が目立つものの、身なりは良く、背筋も伸びている。大旦那はやはり青ざめた顔で頭を下げてきた。


「番頭が失礼を致しました。人ならざる御方とお見受け致します。失礼ですが、当料亭にどのような御用向きでございましょうか」


 どうやら番頭よりは肝が据わっているらしい。表情こそ優れないが、言葉の芯に乱れはなく、老舗の長としての矜持を感じた。嵐花は当然のような顔で言う。


「美味い酒が呑みたい。食事と歌も頼むぞ。今から酒宴を開く。手早く準備にかかれ」


「……当料亭は昔から馴染みのお客様方に足を運んで頂いております。大変恐縮ですが、どなたかのご紹介でなければお入り頂けません」

「ふむ」


 怪異だからではなく、一見の客ゆえ断るという。なるほど、筋は通っている。なかなかに気骨のある店主のようだ。


 しかしこちらはもうこの店で呑むと決めている。それを覆すつもりはない。嵐花はこれ見よがしに指先に鬼火を灯した。


「あまり俺を怒らせん方がいいぞ? この程度の店、ほんの束の間で消し炭にできる」

「……っ」


 大旦那の顔が引きつった。葛藤するように唇を引き締める。しかしどうやら観念したらしい。程なくして恭しく頭を下げてきた。


「……た、大変失礼を致しました。どうか我が『霜月楼』でおくつろぎ下さいませ。微力ながらおもてなしをさせて頂きます。ですのでどうか店を燃やすことだけは……」

「いいだろう。苦しゅうない。最初からそう素直に言えばいいのだ」


 大旦那の態度に満足し、大きく頷いてみせた。


 そうして通されたのは、この店で最も格式が高いという『霜月の間』。床の間には上等な掛け軸と生け花が飾られ、床には青芝のような畳が敷き詰められていた。


 悪くないな、と思いながら嵐花は上座に胡坐をかく。


 すると、すぐに芸妓たちがやってきて、ぎこちなく舞いを披露し始めた。三味線の音が響き、膳に乗った料理も運ばれてくる。備前風の徳利も一緒だ。


 大旦那は隣で正座し、耐え忍ぶような表情で説明する。


「東北の蔵元より直接仕入れた品です。お口に合えばいいのですが……」

「ふむ」


 芸妓が注ごうとしてきたが、嵐花はすでに手酌でお猪口のなかを満たしていた。

 酒は満月のような湖面を描き、瑞々しく澄み渡っている。


「色はいい。香りも悪くない」

「ありがとう存じます。我が店で一番の酒ですので……」


「不味ければ店を燃やすが構わんな?」

「……っ」


 ぽつりとつぶやくように言った途端、大旦那の表情に悲痛さが浮かんだ。芸妓たちの舞いも一瞬止まり、三味線の音色だけがたどたどしく続く。


 空気が張り詰めていた。そんななか、嵐花は一息で酒を呑み干す。


「……ふむ」


 空になったお猪口を無表情で見つめる。そして次の瞬間だった。


「美味い!」


 顔いっぱいに笑みを浮かべ、嵐花は大旦那の背中を叩いた。


「これだ、これ! 透き通るような味わいが五臓六腑に染み渡るぞ。二百年越しの一口目はこうでなくてはな!

 店主、これはいい酒だ。褒めてやる!」


「に、二百年とは……」

「気にするな、こっちの話だ。ほら、お前も呑め、呑め。俺の奢りだ」

「はあ、ありがとう存じます……」


 隣の大旦那にお猪口を持たせ、酒を注いでやった。

 芸妓たちも若干ほっとした様子で、改めて舞い始める。


「店主、名を聞こう。特別に覚えてやる」

「私めは霜月平八平八へいはちと申します。初代から数えて、この『霜月楼』を預かる四代目になります」


「四代目か。なるほど、人間たちにとってはやはり老舗だな。実を言えばな、霜月平八よ。俺にはお前の出す酒が不味いわけがないとわかっていた。この店は良い流れの上にある。風格も大したもんだ。俺を怒らせるような低俗な酒など出てくるはずがない」


「風格でございますか。それは……ご冗談にも程があります」


 平八はお猪口を両手で持ち、なんとも辛そうに肩を落とした。


 まるで苦い皮肉を言われたような顔だ。しかしこっちは手放しで褒めてやったつもりである。そばにあったひじ掛けで頬杖をつき、嵐花は眉をひそめる。


「誰が冗談なんぞ言うものか。もっと嬉しそうな顔をしろ。この俺が手ずから褒めてやっているんだぞ?」

「お言葉ながら……我が『霜月楼』のみすぼらしい外観は、ご覧になったことと思いますが」


「ん? ああ、確かに古臭くはあったな」

「仰る通りです。歴史こそありますが、昨今、隣近所の店はどこもかしこも西洋化の煉瓦造りに建て替えてございます。それに比べて我が店は……比べるべくもございません」

「……ふむ」


 確かに古臭くは感じたが。人間よりもずっと長寿の嵐花からすれば懐かしさを覚えるものだった。一方でまわりの西洋風の店と比べると、『霜月楼』の外観は確かに時代遅れな印象ではある。


「だが酒も料理も美味いぞ? 三味線の腕、芸妓の踊りもよく稽古されている。料亭に求められるものは揃っているはずだ。十分だろう?」

「お言葉は大変ありがたいのですが……」


 どうにも歯切れが悪い。店主がこれではせっかくの酒も不味くなるというものだ。


「よし、わかった」


 嵐花は手酌を止め、お猪口と徳利を膳に置く。


「子細を話せ、霜月平八。問題を抱えているのなら、この俺が聞いてやる」


 突然の申し出に霜月平八は驚いた顔をした。


「怪異の御方が人間の話を……?」

「そんじょそこらの怪異と一緒にするな。俺は鬼だ。怪異のなかでも最も強く、最も気品に満ち、最も美しい存在だ。お前ら人間より遥かに上等だぞ。だから話せ。話さんなら店ごと燃やすぞ?」

「そ、それは困ります……っ。かしこまりました。それでは僭越ながら……」


 戸惑いつつも平八は訥々と語り始めた。

 近年、帝都は西洋化が進み、昔ながらの料亭や旅籠も時流に乗って次々と店の建て直しを行っている。客もハイカラな西洋風の店を好むため、新たに煉瓦造りの店を構えた者たちは軒並み成功を収めていた。


 だが『霜月楼』はその波に乗ることができなかった。幕末の頃に先代が佐幕側に肩入れし、金策に協力していたため、建て直しができるような財産が四代目の平八の手元に残らなかったのだ。客足は遠のくばかりで、このままではいずれ店を畳むことになるという。


「なるほど」


 大きく頷き、嵐花はあごをさすった。一方、平八は申し訳なさそうに頭を下げた。


「どうかお許し下さいませ。お耳にいらぬ愚痴をお入れてしてしまいました」

「なんだ? 怪異に身の上話を聞かせて謝るとはおかしな奴だな」


「鬼の御方といえど、一度座敷にお上げすればお客様でございますので」

「ほう、良い心掛けだ。まあ、気にするな。構わん構わん」


 そう言い、自身は頭を巡らせる。


 ……どうも腑に落ちんなあ。


 この料亭は威脈の流れの上にある。時代時代で多少の浮き沈みはあったとしても、大局的な運勢は盤石のはずだ。ひどい悪行を働いたり、怪異が影響を与えたりすれば、威脈の流れが滞って不幸が訪れることもあるが、そうした気配も感じられない。


「真面目に生きていれば、お前の人生が傾くことなどないはずなんだが……」


 考え込みながら立ち上がる。平八が「あの……?」と声を掛け、芸妓たちもぎょっとして動きを止めるが、嵐花は気にも留めない。


「どこかに幸運が眠ってでもいるのか? はてさて……」


 平八を救う何かを探して、部屋のなかを歩き回る。嵐花が近くを通ると芸妓たちは怯えた表情で後退り、平八もただただ困惑している。


 嵐花は勢いよく障子を開いた。敷居の向こうには縁側があり、さらに先には立派な日本庭園が広がっている。中央には鯉の泳ぐ池が見え、竹筒の獅威しが涼しげな音を響かせていた。庭木もよく手入れされいて、要所々々の灯篭に味わいがある。


 そうして探し物をしていると、ふいに隣から騒々しい声が聞こえてきた。ずいぶんと盛り上がっているらしく、粗野な笑い声が響いてくる。


「なんの騒ぎだ?」

「ああ、これは……っ」


 嵐花が首をかしげると、平八が表情を曇らせて立ち上がった。


「恥ずかしながら店が傾いてからというもの、その筋の方々がお見えになることが増えまして……」

「なるほど、博徒の類か」


 立ち行かなくなった店に裏家業の者が群がってくるのはよくあることだ。『霜月楼』もそうした状況にあるのだろう。いくら一見の客を断るとしても、裏家業の者が多少ツテをたどればどうとでもなる。


「我が物顔で店に上がり込んでいるというわけか。けしからんな」


 義憤に駆られ、眉を寄せる。隣で平八が『それは貴方様もでございますが……』と言いたげだったが、嵐花は気づかない。


「どれ、軽く叱りつけてやるか」

「は!? いえ、さすがにそれは……っ」


 着物の袖に両手を入れ、嵐花は意気揚々と縁側の外廊下を歩きだした――。


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