第4話 追走劇の始まり
帝都軍の
着物の袖を振り上げると、嵐花は鬼火を放ち、その炎が彰人たちのもとへと迫ってくる。
彰人は座り込んでいた部下の後ろ襟を掴み、無理やり立たせて突き飛ばした。
「退避命令! 今すぐここから離れろ!」
そうして自身も後方に飛び退った。直後、鬼火は舗装路に停まっていた軍用車に直撃した。大砲の一撃のような爆発が巻き起こり、炎と煙が舞い上がる。
日頃の訓練の賜物か、部下は突き飛ばされたところからさらに地面を蹴り、どうにか難を逃れていた。本部の正面玄関では、事態を見ていた
「無茶苦茶だ……っ。指先一つであんな爆発が起こせるなんて、帝都軍の中隊規模で立ち向かっても返り討ちにされちまうぞ……!」
一方で鬼は「たーまやー!」と楽しげに手を叩いていた。
「どうだ? この俺からの大盤振る舞い、鬼火の花火ってとこだ。滅多に見られるもんじゃないぞ? 良かったなあ。今日はお前たちにとって最高の吉日だ」
着物の腰に手を当て、鬼は大声で笑っている。
誰もが成す術のないなか、鬼だけが天に近い場所に立ち、高笑いをしていた。
しかしまだ一人、戦意を喪失していない者がいる。ふざけた鬼め、と胸中で毒づき、彰人は鋭く呪符を放つ。
「ん?」
気配を察したらしく、鬼の笑いが止まった。
次の瞬間、彰人の呪符によって足元の屋根が斬り裂かれた。
「おお!?」
「いつまで見下ろしているつもりだ。地に落ちろ、鬼め」
彰人が冷たく言い放ち、嵐花は瓦礫と共に落下してくる。長い髪をなびかせ、鬼は呵々大笑した。
「ははっ、やるじゃないか、彰人! こいつは一本取られたなあ!」
トンッ、苦も無く着地。嵐花は着物の袖を振って砂埃を払うと、悠然と歩いてくる。
「鬼火の花火は気に入らなかったか?」
「生憎、子供の遊びに付き合うほど暇ではない」
「そうかそうか、それは失敬した」
鬼が目の前にやってきた。長い髪を優雅にかき上げると、嵐花は息も掛かりそうな距離でこちらの目を見据えてくる。
「意外や意外、よく見れば悪くない顔立ちをしているな。彰人よ、お前は俺の次ぐらいには美しいかもしれんぞ?」
「御託はいい。私に斬られる覚悟は出来ているのだろうな?」
「おうおう、言うじゃないか。お前こそ、構わないのか? その刀は命を吸うぞ? 二百年前、俺を斬った術者はそのままあっさりとくたばった」
「それを聞いて安心した。文献の記述通り、この神刀が生み出す浄炎はお前の力を削ぐことができるらしい」
ふむ、と嵐花は眉を上げる。
「確かにな。今でも覚えている。蒼い炎が憎たらしいほどに輝き、俺や他の鬼を焼き焦がしていったんだ。だがな、その末に術者は死んだ。もう一度、問う」
嵐花の指先が軍服の胸を押す。
「神宮寺彰人。命を賭してまで、お前はその神刀を使うのか?」
彼我の距離はほぼないに等しい。今、指先から鬼火が放たれれば怪我では済まないだろう。しかし彰人は眉一つ動かすことなく告げる。
「私は軍人だ」
空気が凍りつくような緊張感のなか、彰人は言う。
「この神刀を以って、お前を討てと命じられた。ならば私はその命令を遂行するだけだ。そこに些かの迷いもない」
「……なるほど」
どこか小馬鹿にするように嵐花は苦笑した。
「軍人とは確かこの時代の侍衆のことだったな。なるほどなるほど、主君の下知は絶対というわけか。……はあ、実に下らん」
チリッ、と指先で火花が散った。刹那、嵐花は指先から鬼火を放ち、彰人はサーベルを鋭く薙ぐ。霊威を込めた刃が鬼火を真っ二つに斬り裂いた。
大きな爆発が巻き起こった。地面が激しく揺れ、粉塵が周囲を覆い尽くす。後方から不破の動揺した声が響く。
「おい、砂埃で何も見えないぞ!? 大丈夫か、神宮寺……!?」
問題ない。だが返事をするわけにはいかなかった。この砂埃に紛れて、嵐花が仕掛けてくる可能性があるためだ。
彰人は油断なくサーベルを構える。しかしいつまで経っても敵がくる様子はない。やがて砂煙が晴れると、嵐花は噴水の突端に立っていた。先程の軍用車の爆発のあおりで噴水も破損しており、水は出ていない。
高い位置からこちらを見下ろし、嵐花は長い髪をなびかせていた。しかしその口元に笑みはなく、どこか興を削がれたような冷めた表情をしている。
「二百年前の術者もそうだったが、人間はどうしてこう易々と命を捨てようとするのだろうなあ……」
独り言のように言い、青い空を見上げる。
「たとえば俺は楽しく生きたい。美味い酒を呑んで、飯を腹いっぱい食い、人間たちをからかって日々を謳歌したい。それは当たり前のことだろう? だが人間のなかにはそんな当たり前の理屈すら通じん奴がいる。どうやら神刀の担い手というのは毎度、そういう奴がなるらしいな。わかった。もういい。もう十分だ」
そのまま嵐花は無造作に背を向ける。
「さらばだ。もうお前のことなど、どうでもいい」
「なに?」
「愉快な答えが聞けたなら、もう少し遊んでやっても良かったんだがな。ただただ、つまらん。彰人、お前とはここまでだ。俺は今から帝都に繰り出す。久方ぶりの人間たちの街だ。心ゆくまで楽しませてもらおう」
「いかせると思うのか?」
「止められると思うのか?」
直後、無作為に鬼火が放たれた。まだ立ち上がれない部下や不破、本部第一棟などへ炎が向かう。
さすがに見過ごすことはできず、彰人は呪符を放ち、その間に嵐花は軽やかに跳躍。帝都軍の建物の上を飛び移り、瞬く間にこの場から去ってしまった――。
◇ ◇ ◇
本部の正面は無残な有様になっていた。
最後に嵐花が放った鬼火は防いだが、噴水は崩れ落ち、軍用車は燃えて黒煙が上がり、あちこちに爆発の焦げ跡が残っている。嵐花の姿が完全に建物の向こうに消えると、不破が駆け寄ってきた。
「鬼はいっちまったのか?」
「ああ」
頷きながら彰人はわずかに眉間にシワを寄せる。
まさか逃走を許すことになろうとは。あの状況では致し方ないとはいえ、忸怩たる思いだ。しかし消沈してはいられない。このままでは帝都に被害が及んでしまう。
サーベルを鞘に納め、彰人は部下に新しい車を出してくるように指示を飛ばす。
周囲の建物から他の兵も次々に出てきていた。火災の対処は彼らがどうとでもするだろう。問題なのは鬼の方だ。彰人はそばの不破へと口を開く。
「もはや問答をしている猶予はない。この惨状を見れば理解できるはずだ」
視線で示した先、炎上した車を中心として、辺りは酷い有様になっている。
「奴が帝都で暴れれば、多くの死人が出る。『
「……わかった。さすがにもう口は挟めないな」
軍帽のつばで目元を隠し、不破は苦渋の表情で頷いた。
「情報部から各屯所に捜索要請を出そう。どの部署の兵が『千鬼の頭目』を発見してもすぐに陰陽特務部へ情報が渡るようにしておく」
「ああ、頼む」
「しかし奴は鉄鼠なんかと違って、かなり知恵のまわる様子だったぞ。潜伏されたら簡単には見つからないかもしれん」
「問題ない」
端的に言い、指先をかざしてみせた。霊威のない不破には視認できないかもしれないが、そこには淡い光が瞬いている。
「今の攻防の際、呪符の切れ端を鬼の着物に忍ばせておいた。これをたどれば居場所は掴める。奴に気づかれぬよう、反応を最小限にしているため、多少の時間は掛かるがな」
「……っ、さすがだな」
呪符の反応と帝都軍の捜索網。この両面で攻めれば、嵐花を追うことは難しくない。
程なくして部下が車庫から車を出してきた。『千鬼の頭目』の出現を上層部へ報告するために不破はこの場に残り、彰人だけが軍用車へ乗り込む。すぐさま車は発進し、黒煙の上がる帝都軍の敷地から出ていく。
腰のサーベルに触れ、彰人は運転席の部下には聞こえない小声でつぶやく。
「楽しく生きたい……か」
嵐花の残した言葉を反芻すると、静かな怒りが込み上げてきた。かつてこの地を襲った怪異がどの口でそんな世迷言を言っているのか。考えれば考えるほど、許し難い話だ。
……この命に代えて、必ず討つ。
桜が舞うなかを軍用車は進み、彰人は人知れず決意を固めて神刀を握り締めた。
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