第3話 美貌の鬼は蒼天に笑う
第一作戦室を後にし、本部の長い廊下を進む。
すると曲がり角で
「
こちらに気づき、不破が背中を壁から離す。
「ああ、済んだ」
「いや済んだじゃないだろ、済んだじゃ。
「そうだな。『
返事をしながら不破の前を素通りする。すると強く肩を掴まれた。
「待てよ。なんでそう澄ました顔をしていられる? 神宮寺、まさかお前……」
言葉の途中で不破は言葉を止めた。その視線は彰人の腰元へ注がれている。普段はやる気の感じられない不破の目が大きく見開かれた。
「青の宝玉!? それは……神刀のサーベルか!?」
相違ない。今まで使っていたサーベルはすでに内務兵に返却し、今腰に下げているのは黒峰中将から受け取ったものだ。
拵えは既存の軍式サーベルと変わらないが、柄の部分にひどく美しい宝玉が付き、刀身自体も
このサーベルに命を吹き込むことで浄炎が生み出され、その一刀は『千鬼の頭目』にも届くという。事実、サーベルからは霊的な強い力を感じた。
「お前……まさか『千鬼の頭目』討伐の任務を受けたのか!?」
「私は軍人だ。任務を与えられれば遂行する」
「馬鹿を言うな! 拒否しろと忠告してやったろうが!? 今からでも考え直せ。弓浦ヶ山の神刀は持ち手の命を奪う。それを使って『千鬼の頭目』を討伐するってことは……」
怒りさえ含んだ声が響く。
「贄になって死ぬってことなんだぞ!?」
「承知している」
肩の手を振り払い、また歩きだす。一瞬、不破は呆気に取られた顔をした。そして苛立たしそうに頭をかく。
「正気じゃねえよ……。俺だって別に義理立てしてやるほど、お前さんと仲がいいわけじゃない。それでもこれはおかしい。命を捨てろだなんて平然と命じるお偉いさんたちもそうだし、平然と受け止めるお前さんに至っては極めつけだ。なあ、神宮寺」
やりきれない、と言いたげな声が背中越しに問いかけてくる。
「そんなに
「……」
「お前さんの境遇には正直同情する。神宮寺家のことは本当に残念だった。ウチの不破家とは親父や爺様の時代に散々やり合ったが、それでも神宮寺家は帝都には必要な家だったと思う。だからこそ、生き残ったお前が――」
「私が」
切って捨てるように言葉を被せた。
後方の不破へ振り向くことなく、淡々と告げる。
「私がやらねば悲劇は繰り返される。敵はあの伝説の『千鬼の頭目』だ。ここで討たねば、帝都にどれだけの被害が及ぶかわからない。違うか?」
「それはそうだが、しかし……おい、待てって!」
背後から不破が追ってくる。しかし足を止めるつもりはない。二百年前、この地は『千鬼の頭目』によって壊滅寸前にまで追い詰められた。それが繰り返されるとしたら放っておくことなど出来るわけがない。
無論、彰人とて人の子だ。
死を望んでいるわけではない。
葛藤はあった。
拒みたい気持ちもあった。
それでも命じられれば否とは言わない。
あるいはそれは不破の言う通り、自身の境遇に由来しているのかもしれない。
怪異が憎いかと聞かれれば、首を横に振ることはできなかった。その衝動は確かにこの胸のなかに息づいている。命令というほんの一押しがあれば、己が命すら顧みなくなるほどに。
「……」
正面玄関から外へと出た。本部の建物前には大きな噴水があり、その周囲は軍用車が行き来できるように円形に舗装されている。彰人たちが乗ってきた車も停まっており、運転席にいた部下は車の外で上官の戻りを待っていた。
彰人は訓練された規則正しい足取りでそちらの方へ歩いていく。軍用車の止まっている場所までくると、部下が敬礼した。
「お疲れ様です。どちらへ向かいますか」
「まずは御堂河原だ。これより怪異の捜索を開始する。巡回中の部隊に召集を掛け、すぐに――」
その時だった。
突然、強い風が吹いた。
木々の枝がざわめき、背筋に氷柱が触れるような鋭い悪寒が駆け抜ける。
怪異の気配だ。
それもこの場を席巻するほどの強大な気配が突如として現れた。気配の元は頭上、本部の屋根の上。
「……っ」
「え!? え……っ!?」
まずは彰人が無言で頭上を睨み、つられて見上げた部下が動揺する。そのまま未曽有の圧力を感じ、部下は崩れ落ちるように座り込んでしまった。
そして声が響く。
自信と威圧感に満ちた、天上の調べのように美しい声だった。
「いい風だ。桜の香りがする。俺の髪を遊ばせるには相応しい」
本部の屋根の上、世にも美しい怪異が立っていた。
言葉通りに長い髪を風になびかせ、怪異は艶やかに笑う。
身にまとっているのは上質で派手な着物。襟元は大きく開かれ、白い鎖骨が覗くほどに着崩している。
風に流れる髪の間からは――角が生えているのが見えた。
鬼だ。
怪異の鬼は地上の彰人を見下ろして言う。
「ここの奴らは帝都軍といったか? 見たところ、帝都軍で最も腕の立つ術者はお前だな。そうだろう?」
彰人は腰のサーベルに手を掛ける。
陰陽特務部の指揮官たる彰人でさえ、感じたことのないような強大な妖威だった。
このような鬼はそうそういるものではない。第一作戦室で読んだ資料とも外見的特徴が一致する。間違いない。こいつは――『千鬼の頭目』だ。
「私に何の用だ? 自ら斬られにきたというのならば褒めてやる」
彰人がそう言うと、鬼は腰に手を当て、さらに笑みを深めた。
「なるほどなるほど、佇まいは悪くない。しかし覚悟の方はどうだろうな?」
すっと手のひらが掲げられた。次の瞬間、白い指先に突如、真っ赤な炎が巻き起こる。
鬼が駆使する怪異の炎、鬼火である。
「俺はこの世で最も美しく、そして最も強大な怪異だ。人間風情が立ち向かうのならば、命を賭した術の一つや二つは必要だろう。人間よ、お前はその身を賭して俺に挑む覚悟はあるか?」
鬼の視線は彰人のサーベルに向けられていた。どうやら神刀に気づいているらしい。二百年前に『千鬼の頭目』を封じるきっかけとなった刀なので、当然と言えば当然だろう。
どうやらこの鬼は神刀の担い手の様子を見に来たようだ。
おそらく命を代償とすることも知っているのだろう。
ゆえにこちらに対し、覚悟を問うている。わざわざ言葉にするまでもなかった。腰のサーベルを抜き放つことによって彰人は答えとする。胸に去来するのは先程、黒峰中将から告げられた言葉。
神宮寺少尉、伝説の鬼を討ってくれ。
帝都の平穏のため、君には贄になってほしい。
望むところだ。こうして『千鬼の頭目』を目の前にし、改めて思った。この帝都に蔓延る怪異を残らず掃討することは、彰人にとっても悲願である。その礎となれるのならば、己が命など惜しくはない。
「ほう?」
鬼がすっと目を細める。
「どうやら腹は決まっているらしいな」
ふいに風が強さを増した。
春先の突風が吹き荒れ、帝都軍の敷地の桜が花びらを散らす。
青空の下、花吹雪のように桜が舞うなかで、孤高の軍人と伝説の鬼は対峙した。
「名を聞いておこうか、人間よ」
それはある種の挑発だった。陰陽術には名を使って相手を呪うという術があり、高位の怪異もそうした呪いを使うことがある。だが無論のこと、熟練した術者は呪いを返す方法も心得ている。鬼は正面から名を尋ねることで、こう言っているのだ。
呪い返し程度はできるのだろうな、と。
「いいだろう」
彰人は無表情で口を開く。
「帝都軍・陰陽特務部の神宮寺彰人だ」
「彰人か。よし、覚えたぞ。その度胸に免じて俺の名も教えてやろう」
鬼の口の端がつり上がる。
「
これ以上ないほどに胸を張る鬼――嵐花を彰人は見上げる。
文献によって伝えられている『千鬼の頭目』というのはいわば通り名だ。
本人の言う、嵐花というのが本来の名なのだろう。
嵐花はこちらを見下ろし、大げさに肩を竦めてみせた。
「まったく、酷い話だとは思わないか? ちょいと油断して封印されたと思ったら、あっという間に二百年だぞ、二百年。辛気臭い神木の下で酒も呑めず、飯も食えず、人間もからかえず、心底無駄な時間を過ごしてしまった」
やれやれ、と嵐花は頭を振った。
「ま、ようやく神木も折れて自由になったしな。それは良しとしよう。しかしお前たち人間はどうせまた俺を封じようとするのだろう? だからこっちから挨拶にきてやったというわけだ」
手のひらの鬼火が猛りを増した。
「まずはこんなところでどうだ? ――踊れ、人間共」
右手が振り下ろされ、真っ赤な鬼火が地へと放たれた。
恐るべき炎が彰人たちへのもとへと迫ってくる――。
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