第2話 贄になれ、と中将は命じた
「よお、神宮寺。お疲れさん。お前さんの任務が終わるまでのんびり待つ構えだったんだが、相変わらずの腕前だな。さすがは帝都随一の術者だ」
老舗の呉服商『
その彰人を軍用車で待っていたのは、帝都軍情報部の
不破の階級章は彰人と同じ少尉の位を示している。
彰人が陰陽特務部の指揮官をしていることと同様に、不破もまた情報部の指揮を担っている男だ。
不可解さを隠すことなく眉を寄せ、彰人は尋ねる。
「情報部の人間は礼儀というものを知らないのか。こんなところで待ち構えて、私に何の用だ? 不破少尉」
にべもなく言い捨てた彰人に対し、不破はまったく意に介さず肩を竦めた。
「あのなあ、お前さん、もう少し愛想をよくしてもバチは当たらないと思うぞ? ここから見てたが、『白鶴屋』の大旦那も可哀想なくらい青ざめてたじゃないか」
「余計なお世話だ」
陰陽特務部の任務は帝都に蔓延る怪異の対処をすること。愛想など必要ない。
こちらが端的に言うと、不破は大げさにため息をついて見せた。
「まったく、そのつれない態度で世の中を渡っていけるんだから美丈夫は得だわな」
「皮肉を言いにきたのか?」
「まさか。褒めてるんだよ。顔の良さなんて軍には関係ない。お前さんが帝都軍で一目置かれているのは、一重に比類なき実力ゆえだ。まさか鉄鼠をあんな短時間で仕留めちまうとはお釈迦様でも思わねえよ。さすがは帝都始まって以来の天才、今代屈指の術者だ」
霊威を行使し、怪異に対抗できる者は術者と呼ばれる。術者は帝都軍だけでなく、民間にも存在するが、彼らを含めても今代で彰人に比肩できる者はいない。
他の追随を許さぬ、圧倒的な天才。
今代における最高峰の術者。
それが帝都の術者たちが口を揃える、神宮寺彰人への評価だ。
「もう一度問うぞ? 情報部の人間が何の用だ?」
視線を強め、詰問するように言った。
これ以上、不破の御託に付き合うつもりはなかった。
帝都軍は『帝都の守護と治安保持』という大義の下に動いているが、その内部は決して一枚岩ではない。西洋の警察機構に倣った治安部、陸軍の歩兵を委譲された歩兵部、同じく兵器運用を主眼とした砲術部など、陰陽特務部や情報部の他にも様々な部署に分かれ、帝都軍の主導権を巡って水面下で対立している。
またかつての帝都軍設立時には名のある家が様々に台頭し、その後も軍内で権力争いを繰り返している。神宮寺家と不破家もかつては鎬を削った間柄だ。不破と腰を落ち着けて話すつもりなど彰人にはなかった。
「わかった、わかった。用件だけとっとと言うよ。だからそう睨むな。圧が強いんだよ、お前さんは。まったく……」
降参だ、と言うように不破はわざとらしく両手を上げる。
「とりあえず隣に座ってくれ」
「なぜだ?」
「任務だよ。本部の命令でお前さんを呼びにきた」
「本部の?」
一瞬、訝しく思ったが、任務だと言うのなら時間を浪費するつもりはない。車に乗り込み、軍帽を脱いで不破の隣に腰を落ち着けた。途端、不破が「素直なことで」と苦笑を浮かべる。
「運転手君、岬沢に向かってくれ。本部第一棟の正面につけてくれればいい」
不破にそう言われ、運転席の部下が指示を求めるようにこちらを見た。本来は御堂河原にある陰陽特務部の屯所に戻る予定だったためだ。彰人は浅く頷いた。
「構わない。岬沢に迎え」
「了解しました」
排気音を上げてエンジンが動き、軍用車が走りだす。岬沢には帝都軍の本部施設がある。情報部の指揮官である不破がわざわざ呼びにきたということは、相当に重要な案件だと考えていいだろう。
「これから言うことは俺の独り言だ」
車に揺られ、しばらくして本部の敷地が見えてくると、ふいに不破がつぶやいた。
広大な軍の施設の周囲には桜の木が連なっており、満開の花をつけている。不破の視線は彰人の方ではなく、窓の向こうの景色を眺めている。
「神宮寺彰人は強い。間違いなく帝都随一の術者だ。それでも人間には出来ることと出来ないこと、そう……やって良いことと悪いことがある」
一拍置き、だから、と不破は続けた。
「お偉方に何を言われても、今回の任務は拒否しろ、神宮寺」
情報部はその職務ゆえ、帝都軍内部の様々な情報に精通している。どうやら不破は本部がなぜ彰人を呼び出したのか、知っているようだ。今の独り言はその内容についての不破なりの見解だろう。
だが他人の独り言を盗み聞く趣味などない。彰人は一切表情を変えず、目前に迫った本部第一棟を見据えて軍帽を被り直した。その態度を見て、不破は呆れたように文句を言う。
「……この石頭め」
やがて車は三階建ての本部第一棟の前で止まった。春の風が吹くなか、桜の木々を横目に彰人は車から降りていく。
◇ ◇ ◇
正面玄関で来訪を告げると、内務兵によって彰人だけが第一作戦室に案内された。
広い部屋の最奥には赤屏風があり、西洋式のシャンデリアの下、帝都軍上層部の重鎮たちが厳めしい表情で座っていた。
「陰陽特務部所属、神宮寺彰人少尉、参上致しました!」
彰人は敬礼し、到着の意を告げる。すると黒々としたひげを蓄えた、恰幅のいい男性が口を開いた。
陸軍派閥出身の
帝都軍では師団長を務め、陰陽特務部もその傘下にある。いわば彰人の直属の上官に当たる人物だ。
「ご苦労。よく来た、神宮寺少尉。まずはその資料に目を通したまえ」
彰人の目の前には黒塗りのテーブルがあった。そこには『持チ出シヲ禁ズ』と朱書きされた書類が置かれている。
「失礼致します」
黒峰中将の命令通り、彰人は書類を手に取った。職務上、速読には慣れている。上官たちを待たせることなく、素早く書類をめくり、内容を把握していく。
これは……。
一瞬、表情に出そうになった。寸前で自分を律すると、ほぼ同時に黒峰中将がマッチを擦って煙草に火を付ける。
「知っての通り、我が国には昔から怪異が現れる。しかし江戸の町は帝都となり、時代は変わった。我々は近代化を推し進め、一刻も早く西洋列強に追いつかねばならない。そのためにはもはや怪異などが当たり前に存在する時代は終わるべきなのだ」
それは陰陽特務部の設立理念に通じる言葉だった。帝都に蔓延る怪異を討ち、もしくは封印をして、人々の安寧を守ることが陰陽特務部には求められている。彰人個人もこの理念には心から賛同していた。
「だが新たな時代の根幹が今、揺らごうとしている」
中将は煙草の紫煙を吐き出した。
厚いカーテンに覆われた薄暗い作戦室に重々しい声が響く。
「伝説の『
彰人は無言で唇を引き締める。『千鬼の頭目』というのは帝都の前身、江戸の町に古くから伝わっていた、恐るべき鬼の名である。
今からおよそ二百年前、千匹の鬼が徒党を組み、この地に攻め入ってきた。当時の侍衆が立ち向かったが歯が立たず、町は焼かれ、多くの人々が住む場所を失った。公の資料からは抹消されたが、その被害は時の幕府が傾きかけるほどだったという。
帝都の人々からすれば、すでに昔話や御伽噺の類だろう。しかし陰陽特務部の彰人からすれば決して無視できない話だ。なにせ攻め入ってきたのは、千匹の鬼だという。
怪異のなかでも鬼は殊更に強く、狂暴である。それが千匹も現れたとしたら、今の時代の陰陽特務部でも対処することは不可能だろう。
彰人ならば鬼と渡り合うことはできるだろうが、部下たちには荷が勝ちすぎる。物量で押し切られてしまうことは想像に難くない。
そんな千匹の鬼を率いていた、最も強大な鬼が『千鬼の頭目』である。
言い伝えによれば『千鬼の頭目』は扇の一振りで無数の家屋をなぎ倒し、手のひらから放った炎は三本の通りを一瞬で焼け野原にしたという。従えていた千匹の手下よりも、たった一匹の頭目の方が強大だったという説もあるほどだ。
現在、残っている文献は陰陽特務部の書庫と帝都大学の研究室、そしていくつかの神社仏閣に保管されている。そのどれもが伝説の鬼の恐ろしさを綴っていた。
そんな『千鬼の頭目』が蘇ったという。
にわかには信じ難い話だ。しかし陰陽特務部の指揮官たる自分がこうして呼ばれた以上、現実を飲み込むしかないだろう。彰人は黙って中将の話に耳を傾ける。
「『千鬼の頭目』は帝都から北東の
確かに数日前、北東方向に暗雲が立ち込めているのを見た記憶がある。
帝都の中央付近では小雨が降る程度だったが、山間はそうはいかなかったのだろう。
「神木は焼け落ち、燃え盛る炎のなかから――鬼が蘇った。調査に向かわせた歩兵部からの確かな情報だ」
なるほど、と彰人は胸中で納得する。
当初は山火事などを危惧し、山中の得意な歩兵部を向かわせたのだろう。幸か不幸か、そこで『千鬼の頭目』の復活に遭遇してしまったというわけだ。
「歩兵部の人員がとっさに対処しようとしたが、結果は無残なものだった。死者こそ出ていないが、調査部隊は敗走。小銃の類もまったく通用しなかった、と報告を受けている」
「力のある怪異は
「儂も同意見だ、少尉。そこで君を呼んだわけだ」
黒峰中将は煙草を灰皿に押し付け、手を叩いた。すると扉から内務兵が現れ、室内へと入ってくる。その手には上等な拵えのサーベルがあった。内務兵はテーブルに恭しくそれを置く。
サーベルの柄の装飾部分には、蒼い宝玉のようなものが嵌め込まれていた。澄んだ青空のように美しい宝玉だった。
「これは神木のあった弓浦ヶ山神社に奉納されていた神刀だ。技術部に命じ、帝都軍のサーベル様式に拵えを改めておいた。少尉、『千鬼の頭目』についての文献は君も目を通したことがあるだろうな?」
「はい。もちろんです」
「『千鬼の頭目』は一筋縄ではいかん。文献によれば、この神刀こそが鬼を討つ鍵だ」
それは彰人も知っている。
陰陽特務部の書庫に保管されている文献によれば、かつてこの地を守護していた侍衆は鬼たちによって倒れた。だがそこで終わっていれば、現在の帝都も存在しない。
千匹の鬼とその頭目は討伐されたのだ。
それを成したのが目の前の神刀である。
文献によれば、当時の術者がこの神刀を持ち、鬼たちに立ち向かった。術者が神刀を一振りすると、澄み渡る空のような蒼い炎が放たれ、江戸の上空を覆い尽くしたという。古来、蒼い炎は浄炎と呼ばれ、悪しきモノを祓うとされている。
神刀から生まれた浄炎は鬼たちの力を削ぎ落し、あの『千鬼の頭目』をも弱らせた。その後、術者たちが総力を挙げて鬼たちを封じたと記録にはある。
目の前のサーベルが伝説の神刀ならば、確かに『千鬼の頭目』すら討つ倒すことができるだろう。だが一つ、大きな問題があった。
「――神刀は命を奪う。二百年前、鬼を一掃した術者も浄炎を放った直後、絶命したそうだ」
黒峰中将はそう言い、テーブルの上に肘を置いて手を組み合わせた。
彰人は中将の目論見を察し、無意識に口を開く。
「それを……私に?」
「君にしか出来ないことだ」
どこか遠くで鳥の羽ばたきが聞こえた。
第一作戦室は水底のような重圧によって静まり返っている。そのなかで何の動揺も見せずに中将は続けた。有無を言わさぬ、強い視線で。
「神宮寺少尉、伝説の鬼を討ってくれ。帝都の平穏のため、君には贄になってほしい」
彰人は瞼を閉じ、静かに吐息をはいた。カーテンの隙間からのわずかな日差しを感じて目を開ければ、そこには蒼い宝玉の嵌め込まれたサーベル。
これを手にしたが最後、自分の命運は決まってしまう。他者からすれば愚かな選択だろう。だが自分に退路はない。そんなものは――とうの昔に失ってしまった。
「了解しました」
短く言い、迷いなくサーベルを掴んだ。黒峰中将を始め、帝都軍上層部の面々へ視線を向ける。
「この身命を賭しまして、必ずや『千鬼の頭目』を討ち倒してご覧に入れます」
踵を打ち鳴らして姿勢を正し、彰人は流れるように敬礼をした――。
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