蛇足 雨上がりの憩い 下

   ○○○

 陰謀の波乱に満ちた嵐の過ぎた演劇の街。晴れ晴れとした青空の下を私は歩いていました。


「悲しいかな、悲しいかな! 一つの過ちが全てを失うとはなんたる皮肉か! 愚かな支配者よ、その足を切り落とし暗闇の地へ這いつくばれ!」

「あはは、いいぞもっと言ってやれぇ!」


 華美な装いを身に纏った役者が路上で己の思いの丈を演技として披露し、それを囲う人々がお酒を片手に楽しそうに観覧する。

 異国情緒の溢れる街並みは騒乱の後も変わらず賑やかさに溢れていました。が、その内容は突き刺す突風みたいに風刺的なものでした。


「やっぱり風刺劇は私には合いませんね…………」


 そんな光景に苦笑いを浮かべてしまいます。とはいえ時勢の流行は揺蕩う雲のようなもの、これも一つの芸術なのでしょう。


 そうして人波に溢れた日向の通り潜り抜けて私は人通りの少ない日陰に埋まった路地へと入って行き、しばらく歩いた後に目的の場所へと辿り着くのでした。


「こんにちは」

「お、まいど。今日は嬢ちゃん一人かいな」


 ギリー・ブッチャー精肉店。

 ひんやりとした空気の漂う素朴な店内には血の毒々しい匂いに混じって以前にも嗅いだ爽やかなミントの香りが私の鼻腔を刺激してるのでした。


 今はお肉の切り分けをしていたのでしょう。ブッチャー様は鋭く大柄なナイフを握って豚肉を捌き、エプロンを赤く染めていました。


「本日は先日ブルース様の治療をしていだいたお礼をするために伺いました。こちらをどうぞ」


 そう言って私はマリアンの作ったクッキーを差し出すのでした。

 時刻はお昼過ぎ、そろそろ小腹も空くこの頃には丁度良い品物でしょう。


「おお、わざわざおおきに。せっかくやからギリーのお兄さんの特製ソーセージも食っていってな」

「はい、ご馳走になります」


 そうして私はブッチャー様の作ったソーセージをご馳走してもらうのでした。

 ちなみに本日の一品は四種のハーブを使用したソーセージ。練り込ませたパセリとローズマリーの風味が絶妙な焼き加減によって何倍にも引き立てられた絶品でした。


「そういえばこの前、ナブラルっちゅう奴が来たで。嬢ちゃんがウチを紹介したんやろ?」

「…………来たんですか、彼は何かブッチャー様に粗相を働きませんでしたか?」

「いんや、ただソーセージを食って帰ったわ。すごい嬉しそうに食ってたで」

「そうでしたか」


 どうやらあの壁面画家もまともなところはあるみたいですね、少し関心しました。

 まあ何はともあれあの時の取引はしっかりと果たされました。故にあの男について考える必要は無さそうですね。もう二度と会いたくありませんし。


「ごちそうさまでした。大変素晴らしい昼食になりました」

「嬢ちゃんの持ってきたクッキーも美味かったで。…………そんじゃあギリーのお兄さんは仕事に戻るとしよか」

 

 ソーセージを食べ終えたブッチャー様は赤く染まったエプロンを羽織って再び豚肉へ向かって小気味よくナイフを打ち鳴らすのでした

 ………………話を切り出すのならここが頃合いでしょうかね。


「ブッチャー様。不躾なのですが一つ質問をしてもよろしいですか?」

「なんや改まってけったいやな。どうかしたんか?」


 昼下がりの午後、トントンと静かに奏でられるナイフのリズムがまるで心臓の音のように部屋を響かせています。


「いえ、『ブッチャー様』って一体何者なのか気になったのです」


 その瞬間、…………トンと鳴り響いていた心臓の音が突如としてかき消されました。


「なんや嬢ちゃんの言うことがよくわからんへんわ。ギリーのお兄さんは別に怪しくはないで〜」

「はい、別にブッチャー様が怪しい悪人とは思っていないんです。ただ以前ブッチャー様にまつわる少し不思議な出来事が連続して気になったのです」

「不思議な出来事。なんやそれ?」


 ブッチャー様は振り返りません。ただ指一本動かさずに命の止まった豚肉をじっと見つめてナイフを握っていたのです。………………まるで、小説に出てくる快楽殺人者のように。

 しかし悲しいことにまだ幼い私は『恐れ』という大人なら持ち合わせている感情を知りませんでした。

 それはまるでただひたすらに気になったことを追求する無邪気な冒険者。その先が奈落だととしても進まないという選択肢は最初から存在しなかったのです。


「私が怪我をしたブルース様を連れて来た時、ブルース様を見てブッチャー様は『騎士のにいちゃん』と言ってましたよね。よくよく考えたらあの時の私はブルース様が騎士であることを教えてなかったんですよ

 あとブルース様に怪我を負わせた賊に対して顔も見ていないのに『弓使い』と的中させていました」

「………………そうやったけか。ただの偶然と違うんか?」

「最初はそう思ってました。傷の具合とかを見ればある程度判別できそうですしね。しかし………………」


 それはブルース様がソルちゃんを拐った賊を撃退した後。青いレンガの家に突入した時に感じた違和感でした。


『土臭いな…………青いレンガでもこの匂いは変わらないんだな』


 その時に感じたレンガの香りに混じった爽やかな匂い。その匂いを私は知っています。

 いえ、それどころかこの匂いは今も私の鼻腔を強く刺激していました。


「賊………………反貴族組織の隠れ家にもこのミントと同じ香りが微かに匂ったんですよ」

「…………………………」

「この香りが反貴族組織の隠れ家で匂ったということはブッチャー様は少なくともただのお肉屋さんではありませんよね。もしよろしければ何者なのか教えていただけませんか?」


 ブッチャー様は黙ったまま、その表情は背中に隠れて伺えません。

 沈黙がミントの香りに溶け込むように、ただただ静寂がこの場を包んでいました。


「………………ハハ、まったく。こうなったらもうどうしようもないわな」


 そんな沈黙を、ブッチャー様の乾いた笑みがこだまします。

 そしてコホンと咳払いを一つ置くと背を向けたままにぽつりと一言。

 

「"今日も太陽が眩しいな、こんな日は冷たいビールを飲みたいね"」

「………………?」


 突如として呟かれた謎の言葉に私は戸惑いを隠せません。

 しかし次に発せられたその声に私は驚愕してしまうのです。


「"それは素敵ね。こんな雨降る夜には暖かいりんごのエール酒をご馳走してくださる?"………………ごきげんよう、可愛い子ちゃん。今日もいい天気ね」

「…………え?」


 それは、その声は目の前に居るブッチャー様から発せられたとは思えないほどに妖艶な女性の声でした。

 その声が発せられた瞬間、昼下がりの長閑なお肉屋さんがまるで夜の酒場を想起させるほどに、場の空気を一変させるほどです。


「あら、やっぱり可愛い子ちゃんにはまだこの声は早かったかしらね。でもそんなところも可愛いわ♡」


 陽気な大人の女性の色香を漂わせるブッチャー様の声。

 その顔はまったく見えないのに…………いえ、見えないからこそ、思わず身震いするほどの恐ろしさが私の中に渦巻いていたのです。


「でもそうね、せっかくなら可愛い子ちゃんじゃなくてこう呼んだ方が良いかしらね。………………ごきげんよう、『ムーンレイ・ドゥ・ワルツ』ちゃん」

「え………………、え?」


 それは『音楽家の卵のレイちゃん』が誰にも教えたことのない私の本当の名前でした。

 なんで、どうして。脳裏に蔓延る『何故』という疑問がまるで水に集まるボウフラのように湧き上がります。


「あ、貴方…………貴女はいったい…………?」

「街のお肉屋さんのギリー・ブッチャーは世の中に溶け込むための仮の姿。私はダリアンの都の裏社会に生きる情報屋ってね。名前はそうね…………『ローランド』と呼んで♡」

「ロ、ローランド…………?」

「あらあら、そんなにもじもじしちゃって。可愛いわね♡」


 情報屋ローランド、それが目の前の彼女の本当の名称。

 このあまりにも異質な存在に私の頭は理解というのを拒否していました。


「ま、せっかく正体を明かしたし、お嬢ちゃんは彼のお友達だからね。お肉だけじゃなくて情報もご贔屓にしてね♡」

「え、は、はい?」

「……………………と、まあこんな感じや。驚かせてすまんかったわ」


 そうしてひとしきり語り尽くしこちらへと顔を向けた時には、ローランド様はブッチャー様へと戻っていました。

 一連の出来事はまるで理解できません。

 しかし彼女について一つだけ、理解できたことがあります。


「情報屋と言っていましたね。ということは………………」

「そう、あの反貴族組織のアジトにはちょっとした情報を売るために訪れたことがあるんや。そん時にミントの匂いが付いたんやろな」


 答えを聞かされれば存外あっけないものでした。というよりそれ以上の衝撃で頭が混乱して止まりません。


「ま、お嬢ちゃんも危ないことにはあまり突っ込まん方がええで。どこから何が漏れるかわかったもんやないしな」

「………………はい、そうですね」


 実際に目の前で本当の名前を教えられては説得力が違います。

 というよりこれはローランド様の忠告なのでしょう。『もし情報屋のことを喧伝したら私の正体も喧伝するぞ』という。


 恐ろしやブッチャー様、いえローランド様!

 まさしく鋭利な言葉のナイフを首元に突き付けられも同然です。


「…………それでは私はこれで失礼しますね

「おー、気をつけてーな」


 そうして私は逃げるようにしてお店を後にし、日向が差し込む大通りへと戻って行くのでした。


「ローランド様………………ですか」


 情報屋ローランド、彼女の出会いは果たしてどのような結果に繋がるのか。今の私にはまったく想像が及びません。


「……………………」


 ですがたった一つだけ、その情報屋を頼る理由が私には生まれました。


『それでは下名はこれにて失礼させていただく!』

『あの、待って下さい!』


 それは黄昏の家に騎士であるフゥ・ボー様が訪れた時の続き。去り行く彼に掛けた一つの問いから生まれた迷宮がきっかけでした。


『貴方は騎士なんですよね、でしたら何故同じ騎士であるブルース様をまるで知らないように扱っているのですか?』

『なんのことですかな?』

『こちらの人相書きを見て下さい、ここに書いてあるブルース様は騎士団に所属しています。身内の犯行に騎士団はどうするおつもりですか?』


 そう言って私は新聞に描かれた人相描きを差し出したながら問いかけたのです。

 その絵を見たフゥ・ボー様は一言だけ。


『…………そのような人物は、騎士団には居りません』


 まるでそれが当たり前のように人相書きの男を知らないと告げたのです。


 騎士でありながら騎士ではない。それはまるで陽気な哀歌ブルースを聴いたようなもどかしさ。

 ブルース様………………クライング・ラーブル様。

 貴方はいったい、何者なんですか?






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 登場人物紹介を更新しました。

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