蛇足 雨上がりの憩い 上
○○○
色取り取りの花が、至る所に咲き誇り冬の冷たい日差しを貪り食べている。
アルアンビー家の領地、『エリア・シュウ・クリーム』。以前に来た時は生憎の雨だったが、本日は見事な晴天が降り注いでいた。
「今日はいい天気ね、こんな日はお花のアロマを作りたいわね」
「良いですわね、白バラとミントを使って芳しいアロマを作りましょう」
「誘拐事件が冤罪でよかったよなぁ」
「十二貴族としての信用を無くすところだったからか」
道行く人達の他愛のない話を聞き流しながら通りを抜け、木々に囲まれた小高い丘を登った先にアルアンビー家の屋敷が見えて来る。
ふと振り返れば満天の青空の下に青々とした緑景色がまるで緑色の絨毯のように広がっていた。
「まさか、またここに来るとはね」
前回来た時はあまり良い思い出は無かった。まあ今回もおそらくロクな思い出にならないだろう。悲しいことにな。
とはいえ俺は騎士団から受けた『本来の任務』を果たすために再びこの場所へと訪れたのだ。使命はしっかりと果たさなければならない。
そうして俺は屋敷の前に立つ門番へと話しかけた。
「すみません、アルアンビー家の当主様とお話ししたく参りました。お取次をお願いしてもいいですか?」
「名前と要件を言え」
「これは失礼しました。私の名前は『アシスター』。当主様とは放火事件について用があります」
「……………………少し待っていろ」
門番が屋敷へ入って行き、暫しの時間が経った後に再び俺の前に現れた。
「アルアンビー様からお通しするように言われた。入れ」
「ありがとうございます」
「………………ところでお前どこかで会わなかったか?」
「……………………いえ? 私は知りませんよ」
嘘である。
放火事件が起きた夜、彼は
幸い俺のことは忘れてくれたようだが、まさかここで再開するとはね。
「それでは俺はこれで」
まあ、門番のことなど今は関係ない話だ。
そうして俺は屋敷の中へと入り、侍女さんに案内を受け、再びアルアンビー卿の執務室の扉を開いた。
「失礼します」
部屋に入ると、むせ返るような香木の香りが出迎えてくれた。この匂いは本当に変わらないようだ。
真正面にはデスクに座るアルアンビー卿の姿、そして年季の入ったソファには、以前に牢の中で対面したダリアンの騎士フゥ・ボーが座っていた。
「ああ、アシスターというのはやはり君だったか。まったく、一度牢屋に入ったというのに懲りずに来るとはね」
「ご無沙汰しておりますアルアンビー卿、…………そしてフゥ・ボーさん」
「貴殿…………、ロンド家の騒動は終わったのだろう。罪の償いはどうしたのだ?」
「俺のやるべきことはまだ終わってないんですよ。そして今からまた重ねることになります」
悲しいことにね。だからそんな罪人を睨むような眼はやめて欲しい。
だがこの場にフゥ・ボーさんがいるのは助かった。無駄な手間を掛けずに済みそうだ。
「アルアンビー卿、少々お時間を頂いてもよろしいですか?」
「ああ、もちろん。ロンドのお嬢様の救世主がわざわざ来てくれたんだ。無碍に追い返せば我が家の面目に関わっていまう」
「ありがとうございます。まあそんなにお時間は取らせませんよ」
アルアンビー卿へ礼を示し、ゆっくりと呼吸を整える。
なに問題は無い。いつも通りやるだけだ。
「まず
「ああ、この国に生きた者たちの数百年分の歴史が亡くなってしまった。本当にやるせない結果となってしまった」
「まったくです。………………話は変わりますが
「………………保管する施設が無くなったからな。故人情報の収集は取り止めている」
一瞬だけ生まれた沈黙の中で感じるのは香木の芳醇なら香りのみ。その様相はさながら互いに手袋を放り投げた瞬間のよう。
………………つまり、これで大丈夫ということだ。
「なるほど、調べたところによると先月は役八十人の方が亡くなりアルアンビー家の聖火に焚べられたらしいですね。それだけの人数の資料を作るのにも大変苦労したでしょう?」
「ああ、だが死者の記録を残すのはアルアンビー家の伝統だからな、決して怠ってはならない」
「しかし伝統は空いた腹を満たしてはくれません。金の掛かるものなら尚更です」
「アシスター殿、下名には話の行方がてんで理解できない。一体何を話したいのかハッキリとしてもらいたい」
勿体ぶるような会話の応酬に痺れを切らしたのだろう。フゥ・ボーさんが強い語気で投げ掛けた。
「確かにそうですね。アルアンビー卿も俺の言いたいことを察してくれているようですしね」
「…………………………」
確かにこのままぐだぐだと話を続けるのは性に合わない。
彼のご要望通りハッキリと言わせてもらおうか。
「単刀直入に言いましょう。
「な……………口を慎みたまえ! 君はとんでもなく失礼なことを………………」
「ああ、大丈夫だフゥ殿。そんなに捲し立てなくても問題はないよ」
アルアンビー卿に動揺の色は無し。さすがは十二貴族に名を連ねる存在だ、この程度の告発など些事にもならないのだろう。
「それで、何故そのような考えに至ったかの根拠を聞かせてくれないか?」
「もちろんです」
とはいえ俺もここで終わらせるつもりは無い。
少なくともアルアンビー卿の眉一つぐらいは動かせられなければ話にならない。
「まず前提としてアルアンビー家には死者の情報を収集し、それを故人資料として保管するという伝統がありました。しかしいつからでしょうか、その由緒ある伝統が家系を蝕む毒と鎖になり始めたのです」
祖先から受け継いだ伝統を守るというのは大変立派なことだろう。しかしその伝統を維持するには莫大な金が必要だったのだ。
それは財産を蝕む毒そのもの。しかも確実に破滅へ導くスミレの毒だ。
しかしこの伝統は葬送儀礼を担うアルアンビー家の拠り所であり自身を縛る鎖だ、手放したいと思ってもそう簡単に手放せるようなものではない。
「そのどうしようもない状況に貴方は考えた。『手放せないのならその腕ごと燃やして切り落とせば良い』と。毒と鎖もろともね」
「ああ、なるほど。荒療治だが確かに両方摘出できる。だが炎はどうする? 願うだけで火種は生み出せないが?」
アルアンビー卿の言う通り。燃やしたいと思うだけで炎が生み出せるはずがない。そして仮に自身で用意しようものなら先のロンド家の二の舞になるだろう。
しかしたった一つだけ、まるで魔術のように炎を生み出す方法がある。
「反貴族組織ですよ。卿は反貴族組織に
「………………貴殿は何を言っているのかわかっているのか?」
「もちろん。なんならこの根拠を裏付けるための伝手も俺にはあります」
これは半分真実で半分ハッタリだ。
その伝手とは貧民街の
だがアルアンビー家にそれを確かめる術は無い。故にこのハッタリは有効な策となる。
「そして
その後の対応も異質だった。
自身の大切な施設が放火されたと言うのに屋敷や領地で大々的に捜査している様子が無かった上、ダニィルさんの取材の時は放火事件のことよりも誘拐事件の濡れ衣を受けたことに感情的になっていた。
「行動の異質さが気になり調べてみたら故人情報がアルアンビー家の財産を圧迫していることが判明、卿が自作自演の放火事件を起こしたのではないかと推察したのですよ」
俺の説明を聞いたアルアンビー卿はイスにもたれながらまるで舞台劇を観覧するかのように笑みを浮かべた。
「ああ、よく調べたようで関心する。…………だが確固たる証拠は無いだろう?」
「…………残念ながら」
「なら君の話は愉快な物語で終わってしまう。つまり今までの話は意味のないことだろう?」
「ええ、まったく持ってその通りです」
悲しいが、俺の推察は全て状況証拠のみ。アルアンビー家が実際に放火事件を自作自演したという証拠は持っていない。
だが、大事なのはこの結論に達したという『
「しかし先のロンド家の没落劇を思い出して下さい。あの最悪の物語のキッカケは市井に流布された一つの『噂話』から始まったのですよ」
「………………ほう?」
アルアンビー卿が怪訝な表情でこちらを見た。
最高だ…………!
「そうなんですよ。アルアンビー家とロンド家の政争という噂がキッカケでロンド卿は『放火事件の黒幕』という烙印を押されたんです。もし似たような噂が流布されたらアルアンビー家もどうなる………………」
言葉は最後まで続かなかった。
先程までソファまで座っていた騎士フゥ・ボーが怒りを露わにして俺の胸ぐらを掴んだのだ。
「貴様!! まさか我が
「人聞きの悪いことを言わないで下さいよ。俺はただ善意の忠告をするためにここに来たに過ぎないんです」
「そのようなセリフをよくもぬけぬけと…………! 貴様は…………」
「フゥ、下がれ。君が激昂しては我が家の品位に関わる」
「………………ッ」
アルアンビー卿の命にフゥは苛立ちを隠さぬまま俺の胸ぐらを手放した。
あと一歩遅ければ誰かが怪我をする事態になっていた。それを防いだのはアルアンビー卿の妙手だろう。だがフゥ・ボーの行動はアルアンビー卿にとって手痛い結果を招くものだった。
「この者が失礼した」
「いえ、主のために怒れる彼は騎士として立派ですよ。その行動は軽率でしたが」
「ああ、彼の愚直さは私も評価している。………………話を戻そう。その
「一枚の故人資料を俺に。それを使って俺の口を塞いで下さい」
「故人資料…………あれは全て燃えたぞ?」
「いえ、一枚だけあるはずです。『レインデイ・ドゥ・ワルツ』の故人資料が」
その名を聞いてフゥ・ボーが反応する。
どうやら以前取られたものは未だに彼が持っていたようだ。
「ああ、なるほど。それが君の目的か」
「そこはご想像にお任せします。それで返答は?」
「ああ。フゥ、渡してやれ」
「………………はい」
命令を受けたフゥ・ボーは渋々ながらも資料を返してくれた。
長くなってしまったがようやく取り返せた。
「確かに、これで噂が広がることはないでしょう」
「もし流布されたら時は君にその罪を被ってもらうよ。あらゆる手を尽くしてな」
さらりと怖いことを言う、まあ別に言いふらすつもりは無いから問題はないだろう。
さて、これで俺の目的は完了だ。
「それでは俺はこれで失礼します」
そうして帰るために執務室の扉へ手を掛けようとしたその時だった。
「ああそうだ、これだけは言っておこう」
背後から厳格なテノールボイスが呼び止めたのだ。
声は俺の返答を聞くことをせずに続けた。
「私は部下に放火の痕跡を消すことを命令していない。そもそも最初から放火の痕跡が無かった。さながら何もない大地からジャガイモが生えたようにな。一体何が起こったのか、君は知っているか?」
それは今までに無かった情報だった。
最初から放火の痕跡が無かった。それはつまり火種も無しにあれだけの業火を作り上げる
『ぷぷぷぷぷぷっ………………』
そしてその
「………………いえ、俺も聞いた事がありませんよ」
だがそれをアルアンビー卿に教える義理は無い。
そうして俺は香木の匂いに塗れた部屋を出て屋敷を後にする。
「ねえ、あの人なんかすごい臭わない?」
「香木だよ、若いのにあんなに吸うとは…………」
帰りの道中、俺は服にこびり着いた匂いのせいで街の皆から要らぬ噂を掛けられそうになっていた。
まったく以て忌々しい、帰ったら早く洗濯をしないと。
「匂いの取り方をショーラさんに聞いてみようかな…………、その前にニコロに報告…………いや資料の確認か?」
そんなことをぼやきながら俺は自然に囲まれた道を辿って、帰路に着くのだった。
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