第45話 即興が物語を紡いで
○○○
最初は視界の端に捉えた違和感からでした。
大劇場の前にて、ロンド家が行ったとされるアルアンビー家の
「あれ?」
まるで雲のようなふわりとした緑髪。それはまさしく私の知っている容姿であり、人目を
「ブルース様?」
そして一度見据えれば違和感の答えが出るのは本当に早いもので、その人物が私達の飲み仲間であり、お父様に仕える騎士である事に気付くのに十秒も掛かりませんでした。
しかし私が思わず漏らした声は喧騒の中に溶け消えてしまい、その代わりに私の中に新たな疑問が生まれました。
「あんなに慌てて一体どちらへ…………?」
ヴォリス様から予め聞いていた『新作』の内容には放火事件の容疑者として捕まっていたブルース様について言及はされていませんでした。ですが、今私の目の前でブルース様が何らかの目的を持って行動をしている。
「………………気になりますね」
持ってしまった疑問はすぐに解消したい。ここ最近の事件の調査で培った小さくて大きな好奇心が止まっていた身体を突き動かしたのです。
「ベルリン様、ラギアン様、彼方へブルース様の姿が見えましたので少し追って来ますね!」
「…………は? ちょっとレイちゃん!?」
「うわ〜、バイオリン持ってるのに早いな〜」
私は人の波で揺れ行く通りの中へと飛び込んで行くのでした。
そうしてブルース様を追って辿り着いたのは先日あの壁面画家と再会した迷路の倉庫街。
本日の倉庫街は雨一滴降っていないというのに、いつになく冷たい空気を漂わせていました。そしてブルース様の姿は追っている途中で見失ってしまったのです。
「………………どちらへ向かったのでしょうか?」
見失った探し人を見つけるために明るい通りを当てもなく歩きます。幸いにも以前訪れた事によりある程度の土地勘が身に付いたのかロンド家のお屋敷の近くまでは迷う事無く辿り着くことができました。
が、当然のようにそこにブルース様の姿は無く、北から吹いてくるただただ冷たい風が茶色いコートを靡かせていました。
ふと目に映った珍しい青い家がどうにも気怠げな心に響いて来ます。
気分はまさしく冬のような冷たい恋愛小説を読んだ時のような感覚。ドライでアンニュイないたたまれない恋の幕引きが目の前に広がっていたのです。
「………………戻りましょうか」
あのブルース様は見間違いだったのだろうと無理矢理納得させ、元来た道を引き返そうと歩き始めた………………その時でした。
「キャア!」
一歩踏み出そうと足を前に出したと思ったら目の前に鋭いナイフが甲高い音色と共に私の目の前へ降り立ったと思えば、続くようにして近くの建物の上の方から激しい打音が鳴り響きます。
それはまるで様々な展開が巡り巡る舞台のよう。
その唐突な展開に戸惑いながらもその後の行末が気になってしまうのが観覧者の性というものでしょう。つまり私が見上げるのも仕方のない事でした。
「あれは…………ブルース様!?」
一軒の倉庫の屋上、そこには騎士団の制服に身を包んだ男性に押し倒されているブルース様の姿がありました。
組み伏せられているブルース様の肩からは大量の血が流れており、その喉元には鋭いナイフが突き付けられたいました。
「すう………………」
その光景を見た瞬間、料理を前にして「いただきます」と手を合わせて言うように。私はお腹の底から息を吸っていました。
そして眼を閉じながら、お腹の中に溜め込んだ息を思いっきり吐き出したのです。
「そこのお二方! ちょっと待ってくださぁーい!!!」
その瞬間、騎士が紡ぐ
まあ騎士の物語に相応しい
○○○
滅多に人が通る事の無い倉庫街にて、突如として聴き慣れた声が大きく木霊した。
「そこのお二方! ちょっと待ってくださぁーい!!!」
「………………ッ!?」
その大きな声は緊張に包まれたこの場をかき乱すのに、充分な力を持っていた。
先程までまるで冷たいナイフのような冷徹を徹していた狙撃手が思わず声の方向を見てしまうと言う失態を犯すほどには。
「おりゃっ!」
「なっ…………!」
その隙は見逃さない。
俺は目の前で追い詰めていた狙撃手を突き飛ばすと、脇目も振らずにレイさんの声がした方へ向けて屋上から飛び降りた。
「ッーー!」
「ブルース様! 大丈夫…………おわっ!」
飛び降りた衝撃で肩の痛みが走るが今はそんなことは気にしていられない。俺は現状に困惑しているレイさんの手を引いて狙撃手から逃げるために思いっきり走り始めた。
「……………………逃すか」
しかし結構な力で突き飛ばしたというのに狙撃手の男はすぐ様落とした弓を拾って俺達に向けて矢を放つ。
「ジグザグに動いて!」
「は、はい!」
放たれた矢を道を曲折に走って避ける。
不意を突いた一撃ならともかく、来るとわかっているならその対処はできる。
「はあ…………はあ…………」
「もう、大丈夫ですかね」
ある程度走ったところで足を止めると、肩で息をしながら膝に手を当てた。
狙撃手は追って来ないところを見ると、どうやら俺達は命からがらに逃げ延びれたようだ。
だがこれで終わりではない。拐われたロンド家のご令嬢の救出もしなければならないし、レイさんに聞きたいことも沢山ある。
そして何より………………
「グッ………………痛い…………」
「まずは肩の傷を治療しましょう! 付近で身を隠せる場所を知っていますので!」
「あ、ああ。ごめんね」
「謝らないで下さい。さ、肩をお貸しします、行きましょう」
情け無いことだが身体に鞭を打ち過ぎた結果、限界が訪れてしまったようで、俺はレイさんの肩を借りながら身を隠せる場所とやらへと向かった。
そうして辿り着いたのは倉庫街へと向かう時にも通った『ギリー・ブッチャー精肉店』と書かれた看板の店だった。
レイさんは「少し待っていて下さい」と言って俺を店の前にある椅子へ丁寧に座らせるとその店の中へと入って行った。
「………………はあ」
ふと訪れた退屈な時間に息を漏らす。
大通りの方から微かに聞こえてくるロンド卿の批判の声がどうにも虚しく感じてしまった
そんな風にして流れて来る
「お待たせしました! ブッチャー様からの了承を得られました!」
そうして俺はレイさんと共に精肉店の扉を抜けて店内へと転がり込んだ。
そこには茶色バンダナを巻いた
「…………………………んな」
「? ブッチャー様、どうかされましたか?」
「あ、ああ、すまへんな! こないな血まみれのもんを見たのは初めてで仰天こいてしまったわ。ほな、騎士のにいちゃんを店の奥に寝かせてくれや、そこで手当てしてやるからな」
ブッチャーと呼ばれた青年は慌てた様子で俺の手当てを始めた。
精肉店の店主を務める彼の治療の手際はかなり良く、膿みかけていた俺の肩の傷が見てわかるほどに綺麗になっていく。
「よっしゃ、これで最後やな!」
そして血まみれだった俺の肩に真っ白で綺麗な布が巻かれると、終わりを告げるようにしてブッチャーさんは気風の良い笑顔と共に俺の背中を叩くのだった。
叩かれた背中が少し痛むが肩の方の痛みはまるで砂糖を入れた水のように消えて無くなっていた。
「ありがとうございます。…………すごい、さっきまで響いていた痛みが引いてる」
「そりゃそうやで、こんな
「ブルース様、よかったですね」
「ええ、レイさんもありがとうございました」
治療が無事に終わったことにレイさんも喜んでくれた。まったく、レイさんには返し切れない借りができてしまったな。
だが、そんなことよりも俺はやるべきことをしなくてはならない。
「それでレイさん。何故貴女があんな倉庫街にいたのですか?」
「あ、やっぱり気になりますよね。実は…………」
そうして語られたのは飲み仲間達によるここ数日の波乱の日常だった。
ロンド卿から依頼された放火事件の調査から始まり、ロンド家のご令嬢と執事の誘拐、ヴォリスさんの計画。そして大劇場前で俺を見つけて追って来たこと。
レイさんは苦笑いを浮かべながらも事の経緯を全て話してくれた。
その話を聞いた俺は事の壮大さに少し辟易していた。
「まさか俺が逃げている間にそんなことがあったなんてね…………」
「はい、ですがヴォリス様は大切なお孫さんを救うためにその身を犠牲にして奮闘しているのです。…………そしてその奮闘の中には先程のブルース様も関係があるみたいですね」
「みたいだね。たぶんヴォリスさんはそのお孫さんの救出を俺に任せたみたいだ」
これであの新聞に掲載されていた小説について合点がいった。まったく、ヴォリスさんもずる賢い人だ。
と、売れない小説家に呆れているとレイさんが俺の手の中にあるものをジッと見つめながら質問を投げかけた。
「その金貨はどうしたんです?」
「ああ、ある人から借りたんだよ。ヴォリスさんの小説に同じような描写があったからね」
「そうだったんですか」
しかし、よくよく考えればあればあくまであれは物語の描写であって実際にニコロから金貨を借りる必要はなかったのでは?
………………まあそこを今考えても仕方ないか。
「…………よし!」
さて、ヴォリスさんは孫娘の救出という重大な役割を俺に賭けてくれたんだ。騎士としてその期待に応えなければならない。ロンド卿に放火事件の黒幕の罪を着てもらうためにも。
そのためにやるべきことは一つ。
「…………それじゃあ俺はこれで失礼します」
そう言って席を立ち出口へ向かって歩き出す。と、したところでレイさんが服の袖を掴んで引き留めた。
「待って下さい、どこに行くんですか?」
「あの男を倒しに行く、そしてヴォリスさんのお孫さんを救出する」
「無茶です。あれほどの手練れを今のブルース様一人で倒せないのは私でもわかります」
「せや、いくらにいちゃんが手練れでも一人であの反貴族の狩人に突っ込むんは危険すぎるで」
耳が痛いほどに的確な指摘だ。
二人の言う通り確かに悲しいことだが回復したての俺じゃああの狩人は倒せないだろう。これは歴然として覆しようも無い事実だ。
だが無謀な玉砕になろうともやらなければならない。それが俺の持つ騎士としての信念なのだから。
「止めないで下さい。少なくともレイさんよりは倒せる可能性はあります」
「ええそうですね。私では近づくことすらできないでしょう。………………ですが」
その時だ、服の袖を掴むレイさんの方から言葉にできない熱さが漂って来ていた。
それはまるで静かに揺蕩いながらも何物よりも力を持つ炎のようで、その声で全てを燃やし尽くしかねない程の底冷えする
「私とブルース様、そしてブルース様が握り締めている金貨があればあの襲撃者を倒せるかもしれません」
そして
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