第44話 呆気なく、おわる
○○○
転がり込んだ先は何年もの間放置されているだろう倉庫の一つだった。
埃まみれの倉庫内には何に使うかもわからない壺やら、舞台劇で使うはずだった小道具が置かれている。
幸いにも狙撃手から見て死角にある場所で、ここにいればしばらくの間だか身を潜める事ができそうだ。
「はあ…………はあ…………、くっ」
とはいえこのままここに居座り続けるという悠長な事はこの痛みが許してくれない。
まずは肩に刺さった矢をどうにかして取り除かなくてはと、俺は懐から取り出したナイフを左手で握ると、拙い手付きで矢の傷口をゆっくりと広げた。
そして矢を握ると、力任せに思いっ切り引き抜いた。
「ガァッ!!」
凄まじい激痛と共に真っ赤な液体が服を赤く染める。着替えたばかりだというにツイてないな。
俺は辺りに転がっていた演劇用の衣装を破って即席の包帯を作ると、それを肩から脇に掛けてキツく巻いて縛った。衛生的も止血もロクなものではないが、やらないよりはマシだろう。
何はともあれこれで傷の応急処置は完了だ。次はこの傷を作った襲撃者について考えようか。
(おそらく件のお嬢様を取られないようにロンド卿が用意した刺客だろう。俺に気付かれる事なく撃ち込んだことから相当な弓の使い手みたいだ)
ここを切り抜けなければ冷たい死が待っている。考えるんだ。襲撃者…………狙撃手を撃退する術を。
(まず俺が有利な点は二つある………………)
一般的に弓の有効射程はおよそ五十人ほどの人間が並ぶぐらいの距離だ。狙撃手はこの射程の中に潜んでいると考えて良いだろう。これが一つ。
そして襲撃者はおそらく俺が立っていた場所から十一時の方向に潜んでいること。
(最初の狙撃は斜め左の方から飛んで来ていた。………………あそこの方角で通り全体を見渡せるようなそう多くはない)
とはいえあれほどの手練れなら俺がその事実に気付くのも察知するだろう。そうなれば狙撃地点を変更するために移動を始めているはずだ。
(つまり次の狙撃地点に先回りすれば奴の不意を付ける!)
これが二つ目だ。
これでやるべきことは決まった。
「早々にケリを付けてお嬢様を助けないとな。グッ…………」
肩の痛みと血が止まらない。意識が朦朧として力が身体に力が入らない。
まったく悲しいことだが、状況は俺に不利に動いているようだ。だが俺は諦めるわけにはいかない。
『若き騎士よ、この
朦朧とする意識の中で過ぎるのは遥か昔に憧れた騎士の背中、そして憧れの騎士から贈られた激励の言葉だ。
「ククク…………」
ヴォリスさん、やっぱり貴方は
そうして這い上がるようにして立ち上がると自らの頬を思いっ切り叩いて己を鼓舞した。
「さあ、やるぞぉ!」
決意を新たにナイフを握りしめると、倉庫内を覆う脆い壁を崩しながら外へと出て行くのだった。
決意を燃やしたとしても、待ち伏せには警戒しないとな。
○○○
ロンド家の屋敷付近の倉庫街は迷路のような構造をしているが、迷路の大きさ自体はそこまで広くはない。
ここはあくまでロンド家の屋敷周辺の使わない土地を利用して倉庫にしているだけの場所なので、少し歩けば大通りに着いてしまうのだ。
ここで激しい戦闘を起こそうものなら直ぐに善良な市民の注目を集めてしまうことになる。それは狙撃手にとっても都合が悪いことだろう。
「だから影に乗じて不意を付くしかない………………お互いにな」
俺は通りに面している倉庫の屋根が作る影の中に身を潜めながらゆっくりと地を這うように移動していた。
その様はまさしく獲物を付け狙う蛇の如く。足音を殺し、気配を殺して無機質な石畳の上を擦るように進み続ける。
「…………見えた」
そうして狙撃を受けた場所から北西に四分。街の盛況さを横耳に影を縫って行った先にポツンと建っている一軒の家が見えて来た。
けばけばしい青色のレンガ造りの家、しかしどこか趣のあるその建物の中に助けるべきお姫様が囚われているはずだ。
「そして獲物を誘き寄せる宝石としても、これほど上等なものも無いだろうね」
もし俺が狙撃手なら獲物が確実に訪れるであろう場所の付近に潜む。
より具体的に言うならこの付近を一望することができ、それでいて見渡した程度では見つからない絶好の狩場。
………………建物の死角となる高所だ。
間違い無い、狙撃手は立ち並ぶ倉庫の屋根の上に潜んだいるはずだ。俺の
(この辺りの屋根は不揃いでデコボコとした景色になっている、身体を伏せれば容易に身を隠せるが、その分機敏な動きは制限される)
何より『地の利を得た』という安心は裏返って大きな油断へと繋がり、最終的に細かいことへの気配りが疎かになる。
だから獲物を釣るための餌を見渡せる限られた高所を注意深く観察すれば………………
(見つけた………………!)
青いレンガの家から三つ先にある倉庫の屋上。
うつ伏せになりながら舌舐めずりをし、獲物が罠に掛かる時を今か今かと待ち侘びている狙撃手がそこに居た。
それは以前ワルツ卿との商談の時に見た姿。
(あれは、ロンド家に派遣された騎士? まさか騎士が貴族の陰謀に肩入れしたのか? ………………いやそんな事は今はいい!)
と、考えたところで首を振って疑問を外へと追いやった。
少々の驚きはしたが今はそれどころでは無い。自身の命の安全とお姫様の救出が最優先だ。
そうして音を立てないように注意しながら狙撃手が伏せている倉庫の屋上に梯子を使って登って行く。
屋上へと登ると左手でナイフを構えながらゆっくりと奴へ向けて近づいて行く。
(………………………………)
少しでも注意を怠ってしまえば手負いの俺は奴に敵わないだろう。だから不意を付くしか無い。
一つにじり寄る度に心臓の音が大きくなって来る。まるでドラムロールのような何かが迫って来る感覚、この緊張だけでバレてしまいそうなほどだ。
(あと三歩で間合いに入る………………)
…………一歩、奴はまだ気付いていない。じっと青いレンガの家を見つめ続けている。
…………二歩、ナイフを握る手に力が籠り鼻先から汗がぽたりと滴り落ちる。しかし吐く息の音が漏れる事は一切ない、緊張したとて俺は至って冷静だ。
…………………そして運命の三歩目を踏み出した、その時だった。
(………………え?)
平屋の倉庫と言ってもやはり屋上という高所だったからだろう。唐突に吹いた横殴りの風が俺の頬を引っ叩いたのだ。
そして悲しいことに肩の痛みや極度の緊張で硬直し切っていた身体がこの風に逆らえる筈もなく、ほんの一瞬だけ、足のバランスを崩してしまったのだ。
「………………ッ!!」
ガタンと屋根を踏み鳴らす音と共に今まで前方を向いていた狙撃手が瞬時にこちらへ身体を翻して弓を向けた。
その間俺は、「あっ」と大きく口を開けながらその様子をただただ見つめる事しかできなかった。
そんな間抜けな獲物を狙撃手が見逃す筈もなく、振り返ると同時に弓から一本の殺意が一瞬にして放たれた。
「………………ハッ」
そこでようやく我に帰れたのだろう。放たれた矢を俺は横に転がりなんとか避けたのだ。が、無理な動きのせいで肩に激痛が走ってしまった。
「ガァッ!!」
「……………………手負いか」
俺の負傷を好奇と見たのか、狙撃手は弓を手放して胸元に仕舞っていたナイフを手に取って接近戦を仕掛けて来た。
五歩分の距離を瞬時に詰め、冷たい刃を俺に向けて振り下ろす。
「ッ…………」
キンッと鋭い金属音が重なり合う。冷たい刃を左手のナイフで弾いたのだ。
そして一つ打ち鳴らせばそれが戦闘のプロローグの合図となる。
━━━━折り重なる銀色の打音。奏で合う極限の戦律。
まるで
「はぁ…………はぁ…………!」
「……………………」
互いの実力が拮抗している事は間違いない。しかし悲しいことに、そのコンディションには雲泥の差があった。
片や傷一つ無い万全の状態。片や右肩部が血に塗れ極度の緊張で息も絶え絶えの状態。演奏の行方はもはや考えるまでも無かった。
━━━━キンッ
虚しく響いた鋭い
弾き飛ばされたナイフは屋上からこぼれ落ち、固い石畳の上に転がり、俺は狙撃手に掴み掛かられ屋上の上に寝転がらされた。
そして五線譜のような大きな傷が刻まれた太い腕が俺の頭を掴み、喉元にナイフを突き付けられるのだった。
「あ…………………」
「……………………」
こんな時でも、俺は間抜けな声しか出せなかった。
あとはそのナイフをバイオリンを演奏するみたいにゆっくりと弾くだけで俺の命は終わるというのに。
「……………………」
「……………………死ね」
呆気ない、命が終わる瞬間が本当に呆気ない。まったく悲しすぎて涙が出て来そうだ。
こんなにも呆気ないのならあの頃みたいにもう少し素直に生きてればよかっ………………
「そこのお二方! ちょっと待ってくださぁーい!!!」
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