第35話 舞台裏の根回し
○○○
昨日の雨も影を潜め、空は綺麗な青色に染まっていました。
昼過ぎの通りを歩く人々の顔には柔らかな笑顔が伺えており、皆が忙しなく行き交っています。
雨の痕跡である水たまりをぽちゃんと踏み鳴らせば小さな虹を作りながら水の波紋を広げるのでしょう。
「じいさんは今頃ロンドの野郎のところか。まさか本当に一人で行くとはなぁ」
「無事に帰って来れるか心配ですね…………、ですが今は私達のやれることをやりましょう。ヴォリス様に任された大事なことを」
「だな。俺達だけでもやれることをじいさんに知らしめてやろう!」
ラギアン様の気合いは充分、もちろん私も決意を込めて頑張りますよ。
そうして私とラギアン様は最初の目的地…………ストラー新聞社の扉を開いて入るのでした。
「ダニィ! 放火犯が捕まったところを目の前で見ていたのになんでそれを記事にしなかったんだ!? 理由を聞かせてくれよ!」
「確かに私は放火犯と思き彼が捕まる光景を目にしました。しかし彼の立ち振る舞いや堂々とした態度から果たして彼が犯人であるのかが疑わしく思ったのです。
ベイリは言っていましたね『人伝から聞いたものより実際に見たもので判断しろ』と。私はこの言葉に従い、彼は放火事件の犯人では無いと感じたのです。以上の理由からこの件に関しては記事にさるべきでないと判断しました」
「は? …………それはお前が自分で考えて判断したってことか?」
「はい。私が判断して考えた結論です」
ベイリ様が険しい表情で詰め寄り、ダニィ様が整然として答える。その光景はまさしく修羅場と言ったところでしょうか。
その内容はおそらく先日に騎士フゥ様から聞いたことと同じことでしょう。
しかし今回新聞社に赴いた目的は情報を得るためではなく与えるため。熱中しているお二人には申し訳ありませんが少々割り込ませていただきましょう。
「すみません、ベイリ様」
「…………うん? 君はヴォリスと一緒にいた子か?」
「はい、ヴォリス様から伝言と共に預かっている物をお渡しするために訪れました」
「ヴォリスが俺に…………?」
何のことかと疑問符を脳裏に浮かべているベイリ様に懐から取り出した数枚の紙束を差し出しました。
「ヴォリス様曰く『借りを返してもらおう』とのことです。そしてこちらの原稿を明日の記事に載せろと」
「じいさんの『新作』だってよ。昨日一心不乱に書いてたぞ」
「ヴォリスの新作だと! ちょっと見せてくれ!」
ベイリ様は私から奪うようにして原稿を受け取り、瞳を見開きながらその内容を眺めています。
そうして読み終えた彼は乾いた笑みを浮かべながら原稿をダニィ様に手渡して一言。
「ダニィ、今すぐにこれを記事にしろ、そして告発の準備だ! ダリアンの歴史が変わる瞬間はストラー新聞社が独占する!」
「わかりました」
今まで真冬の湖ように冷たかった新聞社内の空気が、ベイリ様の号令によりまるで真夏の海ように一変しました。
「嬢ちゃん、ヴォリスの届け物を届けてくれて感謝するぞ。アイツにも感謝を伝えておいてくれ」
「ええ、もちろんです。ベイリ様もお気を付けて」
そうして私達は別れの挨拶を送り、新聞社を後にするのでした。
「まず最初の目的は達成だな」
「はい、次はラギアン様の番ですね」
「あーそうだったかぁ。うえ〜、一度やった事とはいえやっぱり緊張するなぁ…………」
○○○
「目障りな葬儀屋、よくも俺の邪魔をしてくれた! 報復として貴様の屋敷を業火に纏わせてやろう!!」
「ああ…………ああ!! なんと悪辣な権力者よ!! 己の罪を認めず、気に食わないというだけで民達の大切なものを奪い取った横暴、到底許されるものではありません!!」
「そんなもの、俺には関係ない!! さあ活目しろ!」
悲しきかな、悲しきかな。
また一つ、傲慢な権力者の手によって宝物が奪われてしまった。
宝物の中にある数多の思い出が燃えようとも女性はただ呆然と眺める事しかできない。逆らえば権力者に命を奪われてしまうから。故に彼女は口から血が滲み出ようとも、舞い上がる灰色の煙によって
命が奪われては為せない目的………………大いなる復讐のために。
「悪辣な権力者よ。貴方は道理に反することをしたのです。神聖な舞台を我が物とし、素晴らしき芸術を汚した。その罪は十八枚の金貨よりも重く、暗闇に滴る影よりも濃いもの!! 貴方の罰はこの国の民の怒りにより支払われ、命を以って清算されるでしょう!!」
「フハハハハ!! 清算、清算か!! これは愉快な話だ!! フハハハハ!!」
轟々と燃える屋敷の門前にて、権力者は高らかに笑い続けるのでした。
○○○
ところ変わりロンド家の統治する街である『エリア・キャン・ディーズ』。演劇の街は真昼を過ぎても大変な盛り上がりを見せています。
「フハハハハ!! 清算、清算か!! これは愉快な話だ!! フハハハハ!!」
「許さない…………絶対に許さない! 我が一族の業火にてその身を浄化してやる!!」
古き良きの異国情緒の風景を思い出させる狭い通りには数多の人々がお酒やソーセージを片手に辻演劇を楽しんでおります。
それにしても演劇祭以降のお二人の演技は真に迫ったものがありますね。ラギアン様の演じる悪辣な『権力者』の高笑いは見ているものの怒りをひしひしと増長させ、ベルリン様の演じる『葬儀屋』もその儚くも決意に満ちた姿に勇気を貰えます。
これぞまさしく復讐譚の序章に相応しい一幕です。家々の屋根に留まっている小鳥達も見入ってしまうこと間違いないでしょう。
まああくまで舞台の中でのお話しですけどね。
「…………これにて俺たちの演目は終わりです!」
「見てくれてありがとうね〜!」
さてさて、そろそろお二人の辻演劇も終わりを迎え、ささやかな拍手と共に慎ましいカーテンコールが行われました。
次は私の番。ヴォリス様の計画において一番大切な場面へと移ります。
「いやー、今まで復讐譚は敬遠していたけど意外と見応えがあったな」
「だな、どこかで見たことある設定だったけど何かの作品を参考にしたのかな?」
演劇を観覧した後、必ず行われるであろうものにお客様同士による感想の交わし合いがあります。
皆が舞台で感じたものを言い合い、作品の理解を深めるある意味では演劇の本編に次ぐ演劇の楽しみです。
その楽しみの中に、私は今から火種を灯します。
「なんか、『権力者』と『葬儀屋』の設定、『ロンド家』と『アルアンビー家』の関係に似ていましたよねー!!」
わざとらしいほどに大きな声。一見すれば私が道化のように映るでしょう。が、それが真に迫ったものだとすればその評価も一変します。
「そうそう! 確かに今日の新聞に書いてあったロンド家とアルアンビー家の関係に似ていた!」
「話の展開もアルアンビー家の
「………………いやいや、流石にね」
きっかけは些細なものです、もちろん最初はこのような荒唐無稽な話など信じるに値しないでしょう。何せ私自身この計画がかなり尖ったものであると思っているのですから。
しかしその中にひとつまみの刺激を与えればそれも騙せてしまうものです。
「い、いや違うぞ!! ロンドの野郎がアルアンビーのアレを燃やしたんだ!!」
「ア、ア、アニキの言う通りだぁ! オデもそう思うぞぉ!!」
感想を交わし合う観客達の中で埃まみれの燕尾服を身に纏う二人組の男性が大きな声を上げました。
はい、貧民街に居を構える元追い剥ぎのお二人です。今回の計画のために協力をお願いしたのです。ちなみに報酬としてマリアンの作ったクッキーの余りを渡しました。
「ロンドは悪い奴なんだよ! 俺たちに隠れて裏とかで闇市とかやってるんだ!」
「そうだ、そうだ! アニキの言う通りだぁ!!」
ヴォリス様曰く、『噂を広めるのなら三人以上の男女を使うのが賢明』とのこと。
一人が噂のきっかけを作り、もう一人が同調、最後の一人が声を荒げることで、花の種子が風に飛んでいくように噂が人々へ伝播するらしいです。
とはいえ流石に初めての演技にお二人は少し緊張している様子。果たしてその効果はいかほどでしょうか。
「…………確かにロンド卿ってあまり姿を見せないよな」
「それに昔、ある貴族との一件でかなり揉めたとかあったよな?」
「それ知ってる。その時の当主が国家反逆の罪で処刑されたから問題が終わったんだよ」
どうやら効果覿面のようで。観客の皆様の心の内にロンド家に対する疑いの一雫が垂らされました。
そうして成果の実感を感じていたところに、先程まで辻演劇をしていたお二人が戻って来ました。
「いや〜、踊ったすぐ後に演劇はやっぱり疲れるね〜。早く酒場に行って飲みたいよ〜」
「レイちゃん、久しぶりだったけど俺って結構上手くやれてたよな?」
「はい、思わず『悪辣なラギアン様!』と叫びたくなる演技でしたよ」
「ははは、なんだよそれ! でも上手くやれたみたいでよかった」
とりあえずは、ヴォリス様に頼まれたことはこれにて完了です。果たしてこれがどのような実を結ぶのかは今の私にはわかりませんが、明日が楽しみになってきましたね。
「そ、そうだそうだー! …………アニキィ、オデはいつまで言い続けるんだぁ?」
「ハァ、ハァ…………、クッキーの分はまだ叫べるぞぉ! ロンドの野郎は…………ゴホッ!!」
「あ、お二人とももう大丈夫ですよ! 手伝っていただきありがとうございます。また美味しいお菓子をご馳走しますね」
今回は忘れていませんよ。
そうしてお二人を介抱して、私たちは貧民街へと戻るのでした。
○○○
次の日。
本日はダリアンの歴史において一つの変遷が迎えられました。
そのきっかけは三つ、『エアルト家』と『新聞』そして『ワルツ家』です。
エアルト家当主のフィロソフィ・ドゥ・エアルトが『ロンド家が違法組織との癒着』を告発したのを皮切りに。
ストラー新聞社の発行するクラブハウス紙が『ロンド家がアルアンビー家の保有する
そして最後の追い討ちとしてワルツ家が『アルアンビー家と交わしていた取引をロンド家が違法に妨害した』とロンド家を批判したのです。
そこからはまったく呆気ないもので、三つのきっかけと先日私たちが広めた噂によって街一つを巻き込む騒動へと発展しました。
『エリア・キャン・ディーズ』は罵詈雑言の嵐が飛び交い、至る所からロンド家を批判する声が聞こえて来ます。
先日のアルアンビー家によるソルちゃんの誘拐については一切言われてないことからも、一時の流言の恐ろしさが垣間見えることでしょう。
そうしてこれほどの大きな騒動をこの街の法の秩序を担うダリアン十二貴族・序列第二位であるスカース家が看過できる状況でも無くなってしまったのか。事態の収束を図るために、当事者達を集めて緊急の裁判を開くことににったのです。
「ここまでの騒動になるって、じいさんは何がやりたいんだ?」
「ソルちゃんの救出…………しかしこれはまた別の思惑が絡んでいそうですね」
騒動の中心にいるのは間違い無くヴォリス様でしょう。私たちはそれの手助けをしたに過ぎません。
「ま〜ま〜、こうして話していても仕方ないよ〜。今はヴォリス君の成功を祈ろうよ〜」
「………………そうですね」
さて、こうして話している内に騒動を抜けた三台の馬車が大劇場の前に止まり、そこから三人のダリアン十二貴族が配下の侍女や騎士を連れて出て来ました。
そして裁判官であるスカース家の当主と合流した後、大劇場の扉の奥へと消えて行きます。
「………………やることはやりましたね」
「まったく、じいさんの計画は無茶苦茶だったぞ」
「でもなんやかんやで楽しかったね〜。久しぶりにのびのびと踊れたよ〜」
放火事件に誘拐事件。
今回の件に巻き込まれ、様々な寄り道をしてしまいましたがようやく終着へと辿り着くことになりそうです。
果たしてその結末は一体どうなることやら、それは今の私達にはわかりません。
そして改めてこの文言を添えさせていただきます。
思うことは沢山あるでしょう。言いたいことも沢山あるでしょう。ですが私はこの怪物の奥に鎮座する天才作家に向けて一言だけ言葉を贈ります。
「準備は整いました。あとは頑張って下さい、ヴォリス様」
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