第34話 優しいマリアン

   ○○○

 ここ数日の私は世間で言うところの『いけない子』でした。

 家の言いつけ破って屋敷から飛び出し、夜が更けた頃に戻る毎日。

 ヴォリス様の調査のお手伝いをしているという仕方のない事情があったとしても、それはあくまで言い訳。言いつけを破っていい理由にはなりません。

 私はダリアン十二貴族に名を連ねる家系の娘であり、それに相応しい振る舞いを求められています。

 

 そしてそれを破られたのならそれ相応の罰が与えられるというのもでしょう。


「お嬢様、あと二十回です。旋律を乱す事なく弾いてください。

 森を流れる川のように、夜が開け空に太陽が昇るように。旋律という自然を奏でて下さい。…………それは不協和音です」


 朝食が終わればすぐさまピアノの稽古です。

 数多の奏法を弾きこなしながら、社交界にて振る舞われる音楽をまるで小鳥に言葉を覚えさせるように奏で続けます。

 もし奏法を間違ってしまった時はマリアンの素晴らしい一曲を聴いた後、改めて弾かされることになるでしょう。


「お嬢様、ワルツ家の提唱した管理制度が適用されていない二十年前までは鉱山で働く者達への待遇は酷く杜撰なもので効率も最悪てした。

 と称しその証として腕にを刻み込み、過酷な労働を強いていたのです。その影響により現在でも元鉱山労働者にはある種の精神的損傷が問題となって………………お嬢様、聞いていますか?」


 ピアノの稽古が終われば次は座学です。

 ワルツ家の家業であるダリアンの鉱山の歴史と運営についての知識を焼き上がったマフィンのようにぎゅうぎゅうと詰め込みます。

 もし眠気の船を揺らした日にはマリアンの大砲の如き大きな手拍子によって船が沈没することになるでしょう。


「お嬢様、十二貴族の貴族の娘たるもの優雅な振る舞いが求められます。

 決してジャガイモを切らずに大口で食べることの無いようにしてください。…………ムニエルもそのまま食べずに切り分けて食べてください。スープを食べる時は音を立てないで!」


 お昼の昼食はテーブルマナーの時間。

 ジャガイモのスープにトマトとパセリサラダ、ブリのムニエルを順序よくそして美しく食して行きます。

 もし何かの間違いでスープを溢した日にはスープすら蒸発するほどに眩しいマリアンの笑顔が私の心を溶かすことでしょう。

 

 悪辣なマリアン!

 確かにここ数日の件に関しては私が悪いです。しかしこれほどまでに厳しい仕打ちはいくらなんでもあんまりです。

 こうなったら抗議をしてやりましょう。それこそ強大な魔物を撃ち倒す騎士みたいにマリアンを………………


「マリアン………………!」

「お嬢様、長時間お疲れ様でした。食後のティータイムを用意しています。本日のお菓子はミルククッキーになります」

「………………それは美味しそうね。すぐにテラスへ行きましょう」


 まあ、抗議はいつでもできますし。別に今日じゃ無くても良いですよね。


 そうしてテラスへと席を移し、私とマリアンは午後の入口の中で紅茶とミルククッキーを存分に堪能します。

 本日の一杯は甘いクッキーに合わせて苦味のある一杯。カップのふちに作り上げられた金色の輪を口元で傾ければ甘みに満たされた舌を丁寧に洗い流してくれています。


「ああ、本当に美味しいわ」

「ありがとうございます。今日を頑張ったお嬢様へのご褒美として思う存分腕を振るった甲斐があります」


 優雅な午後とはまさにこの事でしょう。

 疲れた身体を癒すのにこれ以上のものはありません。まさしく最高のひとときです。


「マリアン、一つ良いかしら?」

「なんでしょうか?」


 …………しかし、今から私はこのひとときを壊すような行動をしなければなりません。

 それが私の役割。引いては大切な飲み仲間友人を救うために必要なことだから。


「風の噂で聴いたのだけど、ロンド家とアルアンビー家がお父様の持っている銀山の所有権を巡って争っているらしいの。それの関係でアルアンビー家は大切な故人資料館ライブラリを放火され、ロンド家の長女が何者かに誘拐されて………………」

「お嬢様」


 マリアンの冬の風のように冷たい一言が私の言葉を遮る。

 その瞳からは私の親しき隣人では無く、ワルツ家の侍女長という存在が垣間見えて来ました。


「それらをどこで知ったのかは問いません、しかし私は旦那様に仕える身。そのような話を聴いてしまっては旦那様にこのことを報告しなければなりません。

 当然旦那様は疑問に思うでしょう、『どこからその情報を知ったのだ?』と。仕える身である私は真実しか話せません。そしてその先に待ち受ける展開がどうなるか、聡明なお嬢様はわかるはずです」

「………………ええ、そうね。私が『いけない子』というのがお父様にばれてしまうわ」

「今ならまだ聴かなかったことにできます。どうか今一度懸命に考えて言葉を申して下さい」


 マリアンは私の心を案じているのだ。

 数ヶ月前までダリアン十二貴族の娘という鎖に縛られて自由のない人形となっていた私が、『いけない子』になってから元気になったのを知っているから。

 もしお父様にこのことがばれてしまったらおそらく私は再び人形のような無機質な生活へと戻ってしまうでしょう。

 

 だからマリアンは止めてくれた。私が再び鎖に縛られた人形にならないように。


 優しいマリアン。

 でも私にはそれ以上にやらなければならない約束があるの。とても、とても大切な約束が。


「いいよ、お父様に伝えて。お父様の銀山がお父様の知らないところで争いの種になっているって」

「………………………………わかりました」


 噛み締めるように発せられた一言はとても苦しそうに、そして悲しみを背負っているのでした。


 優しいマリアン。本当に優しいマリアン。

 そんな貴女が私は好きなんです。


「さ、ティータイムの続きをしましょう。あ、でも午後からはまた出かけるからね」

「ええ、お付き合いします」

 

 今日の一杯は、本当に苦いです。

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