第36話 沈黙のラプソディ
○○○
ここに二人の役者がいる。仮としてこの役者達の名を『役者A』『役者B』と呼称しようか。
二人にはそれぞれ奪われたものが存在する。
役者Aは自身の大切なものを役者Bに奪われており、もし抵抗すれば大切なものが危険に晒されるだろう。周りの者達はそのことに同情的に見られている。
役者Bは不慮の事故によって自分が長年積み重ねた歴史の象徴を燃えてしまった。周りの者達は彼に同情しているが、役者Aの大切なものを奪った事により現在は敵対感を持たれている
そんな二人はある争いを繰り広げていた。
その争いとは即ち『二人のうちのどちらかを舞台から引き摺り下ろす』こと。
勝利条件は先に舞台から相手を引き摺り下ろしたた者。勝者には莫大なお金が舞い込むことになる。
そして舞台から下ろされた役者は二度と陽の目を浴びる事はなくなるだろう。
さて、ここで問おうか。
役者Aと役者B、この勝負の勝者となったのは一体どちらか。
答えは役者B。
理由は至極単純。『作家がその展開を望んだから』に他ならない。話の整合性や物語の伏線、真相、観客の心情など関係ない。作家がこれと決めたらそれが答えになるのだ。
後は簡単だ。答えに沿った展開となるように周りの役者を動かせば良い。
物語の根幹を担う証拠や真実など必要ない。それを論ずることができるのはこれが舞台劇の脚本と知っている者のみ。そして舞台の裏側を客席の観客達は決して察知できない。
そしてわしはこれまで数多の物語を書き上げてきた。グラスの中に注がれた酒を飲み干すように、いとも簡単に。
○○○
少し話を戻させてもらおうか。
撒いた種の名前を知らずして果実について語れない。物語の伏線を話すのならこの時が丁度いいだろう。
「ぷぷぷ…………、じゃあまずは誘拐事件の結論から言おうか。まあ簡単さ、君の孫娘であるソリア嬢を誘拐した人物。それは他でもない………………彼女の名義上の父親さ」
「………………は?」
これは言うなれば種の選別した際の場面だ。
ラプソディから衝撃とも言える内容にわしは思わず素っ頓狂な声を上げたものだ。
「ふん、まあそんなところだろうな」
「ぷぷぷ…………、あまり意外に思っていないようだね。せっかく勿体ぶって教えたのにそんな反応じゃあ楽しくないなぁ」
奴の言う通りこの時のわしは驚きはしたものの内容に関しては想定していたことだった。
「誘拐事件で得した者を絞り込めば容易なことだ。ワルツ家はそもそも蚊帳の外。アルアンビー家はベイリの奴がソリアの執事の誘拐をすっぱ抜いたおかげで貴族としての名声が下落、むしろ損をしている。
残すはロンド家、誘拐事件のおかげでアルアンビー家との政争が有利になった。つまりはアルアンビーを貶めるために誘拐事件とは名ばかりの自作自演を起こしたということだな」
「ぷぷぷぷぷ………………、正解。流石はランページだ、この程度は造作もないんだね」
「今のわしがその名で呼ばれる資格はない」
この時のわしは、ロンドの奴が血が繋がっていないとはいえ自身の娘を政治に利用する事実に、『ここまで堕ちたか』と内心呆れていた。
「誘拐事件については理解した。それで
「ぷぷ…………、放火事件はもっと簡単だよ。誰の陰謀も絡んでいない。ただの愉快犯の犯行さ」
愉快犯の犯行。
ラプソディの言葉に思わず眉を顰める。
あの建物はかなり古いとはいえダリアンの一種の象徴のような建物だ。曲がり間違っても愉快犯が痕跡を残さずに燃やせるほど甘い防犯はしていない。
「現場には放火の痕跡が一切無かった。痕跡が無いのに何故愉快犯と言い切れる?」
「ぷぷっ…………、逆だよ。『放火の痕跡が無いという事実』こそが最大の『痕跡』なのさ」
「痕跡が無いのが痕跡…………?」
「ぷぷぷぷ…………、そう。そしてこのことを知っている貴族はワタシだけ。だから放火事件には何の陰謀も無い、ただの愉快犯の犯行というわけ」
ラプソディの言葉をわしは理解できない。しかしその自信と確信を持ったこの言葉はまさしく真実を語っていると感じさせる。
「まあいい、何者かの思惑に関係無いのならそれに越したことはない」
「ぷぷぷ…………、ご理解してくれて何よりだよ」
そうして一通り話すべきことを話したわし達は既に冷めてしまった紅茶を啜る。
まるで雨水を飲んだかのような冷たさにうんざりする。目の前の女は美味しそうに飲んでいるが。
「しかし何故わしにこんなことを話した、貴様に何の得がある?」
「ぷぷっ…………、まあ強いて言うならある人物への『借り』を返すためだね」
「ほお、
かつてのラプソディ家は『ダリアンの影の支配者』と呼ばれるほどに社交界に大きな影響力を持った貴族だった。
しかしある時を境にこの貴族は社交界はおろか、ダリアンの表舞台にも滅多に現れなくなったのだ。
「だが理由があったにしてもラプソディ家の当主と実際に会えるとは思わなかった。政治には無関心だと思っていたからな」
「ぷぷぷぷっ…………、そもそもの話、政治とかのゴタゴタにワタシを頼る事自体がこの上ない『ずる』なんだよ。だってそれだけで全てが解決するんだから。そうするだけで簡単に勝者になれるんだよ」
一聞するとなんとも尊大な主張だ。だがこれは変えようの無い事実。
その証拠に先程までの話を聞いただけでソリアの誘拐と放火事件についての疑問はほぼ解決したのだ。
つまるところ、ラプソディ家というのはこの国の土台すらも容易に覆せる力を持っているということに他ならない。
「『故にラプソディは沈黙を貫く、この国の天秤を傾けないために』だったか」
「そう、それがこの国の暗黙、法文には書いていない『きまり』なんだ。
でも
そう言ってラプソディはカップに残った紅茶を飲み干して席を立った。
しかしこの後に繰り出される言葉にわしはこれまで以上に大きく感情を揺さぶれることになる。
「ぷぷ…………ちなみにこれはおまけなんだけど、ロンド卿はあわよくばその娘を傷物にするつもりらしいよ」
「……………………なんだと?」
「ぷぷぷっ…………既成事実が欲しいのさ。『アルアンビー家は生娘を傷付ける野蛮な一族だ』っていうね。ぷぷぷぷ…………、まるでいつぞやの貴族の没落の系譜を辿っているみたいだ」
「まあ私には関係ないけど」と言いながら去っていくラプソディをわしは明確な殺意を抱いて睨み付けた。
「………………………………」
視線で殺すとはこのことだろう。
ここまでの感情を露わにすることにわし自身驚いていた。しかしもはやそこは関係無い。
今重要なのはこの沸き上がる感情の行き先だ。
「おい…………」
「うん、どうしたんだい? 心臓の音色がかなり歪だけど?」
瞳に映すは、赤子を抱く息子夫婦。小さな幸せが真っ赤な血に染まった光景。
そしてそれを奪った忌まわしき権力者…………ロンドの姿。
「貴様の沈黙、わしのために破ってもらおうか」
「ぷぷぷぷぷぷっ…………、へえ、ちなみに報酬は?」
「わしの着ているこの軍服を報酬とする」
……………十年ぶりに抱いた感覚だ、復讐を願うのは。
ここまで来れば奴を徹底的に陥れなければ気が済まない。それこそわしの命を賭けてでも。
「その軍服は確か…………」
「貴様なら知っているだろう。わしの先祖がかの『蒼銀の狐狼』から直接賜った軍服だ。
半ば御伽話のような存在と化している蒼銀の狐狼が確かに居たとする証拠であり、六百年の月日が経っても決して劣化しない神秘の結晶。報酬としては充分だろう?」
まさかランページ家の家宝を担保にするとは思っていなかったのだろう。普段から微笑みを絶やさないラプソディが目を見開いて驚愕の表情を浮かべている。
まったく愉快な話だ。復讐を為すのなら………………ダリアン十二貴族の一家を潰すのならこれぐらいは当然の代償だろうに。
「わしの息子…………『ヴェルト』はかつて国家転覆の罪で首を切られた。その名誉は注がれることなく、今なおダリアンの歴史上で『最上の悪』と罵られている」
幸いこの時点でわしの頭の中で復讐譚は完成していた。
しかしこの復讐譚を実現するためには役者と舞台、そして小道具が必要となる。
「………………それで、君は何をしたいのかな?」
「息子が無実の罪を着せられたのなら、同じ報いを奴に着させることこそが真の復讐となる」
役者はいる、あの貴族共に協力してもらおう。
舞台は大劇場がおあつらえ向きだ。
そして小道具は…………。
「ロンド家がアルアンビー家の
小道具は
「ぷっ、ぷぷぷぷぷぷぷぷっ…………、なるほど、
いいよ、放火事件の解決はミスター・ロンリーナイトの為にもなる。私の沈黙、久しぶりに破ろうか」
夜の暗闇の中で落ちゆく夕暮れの丸い光が、静かにぽつんとわしらを照らしていた。
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