第31話 放火犯確保
○○○
騒々しい雨降る街の雑踏を抜けて、緩やかに流れる小高い丘を登った先に、深い木々に囲まれた一つの屋敷が姿を見せる。
そこは手放しに立派とは言えないが、それでも厳格としながらもどこか懐かしさを感じさせるレンガ造りはまさしく貴族の屋敷と呼ぶのに相応しい。
ふと振り返れば青々としたこの街の壮観が一望できる。もし雨が降っていなければ満面の青空の下に広がる緑景色をひとりじめできただろう。
ここはアルアンビー家の屋敷。死者の魂が最初に通る入口であり、その肉体の最後を迎える出口でもある場所だ。
屋敷の門の前には傘を差した門番が立っており、害をなす侵入者が入ってこないように警戒していた。
「ストラー新聞社のダニィルです。先日の放火事件についてこの屋敷の主人であるヴィートブル・ドゥ・アルアンビー様へ取材をさせていただくという約束で訪れました」
「ああ、話は聞いている。その男は?」
「私の助手です」
「………………」
ダニィルから借りたキャスケット帽を深く被りながら門番へと会釈をする。
「………………まあいい。放火事件の件もあって屋敷の中は緊張状態にある、くれぐれも静かにしてくれよ」
「もちろん」
多少の疑いの視線を向けられたが何とか乗り切れたようだ。
そうして門が開くと、俺達はアルアンビー家の屋敷へと足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ。主人の下まで案内させていただきます」
屋敷の中へ入ると侍女と思しき女性が出て来てアルアンビー卿の下まで案内してくれるようだ。
赤茶けた落ち着いた色合いの邸内を歩いて行く。
その道中では「葬儀の準備を…………」などと呟きながら忙しなく働いている使用人達と時折すれ違っていた。
「葬儀を延期して欲しい? 何故だ?」
「実は今朝こんなものが………………」
「な、なんだこれは…………!!」
しかしその成果も芳しくないようで。何かの報告を聞いた使用人の顔がまるで背後から水を掛けられたかのように濃い青色へと染まっていた。
そんな風にして歩いて行くと目的地である場所へと辿り着く。
侍女がノックして入室の許しを得ると、扉はギィっと音を立てながら開かれた。
「お初にお目にかかります。私はストラー新聞社のダニィル、こちらは私の助手のアシスターです。
「ああ、紹介ご苦労」
扉に背を向けた男が、後ろに纏めた長い髪を靡かせながらゆっくりとこちらへと振り返った。
気怠げな瞳に気怠げな服装、気怠げに生やした無精髭、そして気怠げにしんなりと垂れた頭の猫耳。
まるで酒場帰りの父親を思わせるその揺らめく炎のような佇まいは大凡ダリアン十二貴族に名を連ねる家系の当主とは思えなかった。
「私が『ヴィートブル・ドゥ・アルアンビー』だ。よろしく」
しかし彼は高貴なるその名をはっきりと口にした。
そして確信する。彼こそが間違い無く目の前の男がこの国の葬送儀礼を一手に担うダリアンの納棺師、アルアンビー卿その人だということに。
「ゴホッ…………」
そう思ったのも束の間。鼻についた強烈な香りに咳き込んでしまった。
この部屋の中はアルアンビー卿の口に咥えた香木から出た濃密な匂いが漂っていた。とてもじゃないが長時間は居たいとは思えない。
「ああ、悪いな、ここ数日ロクに寝てないんだ。おかげで眠気覚ましの
「私は問題ありません。ですが忙しいのは確かなようですね、早速取材をさせてもらってもよろしいですか?」
「ああ、いいよ。そこのソファに座ってくれ。悪いがお茶は出せないがな」
そうして俺達は扉側に面している年季の入ったソファへ、アルアンビー卿はその向かいのソファへと腰を下ろした。
「まず放火事件についてどのように思われているかをお教えいただけますか?」
「ああ、どのようにも何もやるせないよ。
「古いものだと六百年前のお方の情報も保管されていると聞きましたね」
「ああ、ダリアンの歴史においても大きな損失を被った。過去数百年分、ダリアンの歴史に大きな闇ができてしまった…………」
頭を抱えながら自責と後悔の念を紡ぐアルアンビー卿。
その姿を側から見れば、寝不足の身体と合わさり儚さが漂う哀愁を誘うだろう。まさしく『先人達に己の失を嘆く哀れな賢者』そのものだ。
(……………………)
しかしその姿を見ても俺の中にはどうにも拭きれない違和感がこびり付いている。
彼の言葉は正しく本音から出ていると思えるのにそれが飲み込めない。まるで小さな埃が喉の奥で漂っているような感覚だ。
だがその疑問を口にすることはできない。今の俺はあくまでダニィルの助手だ。やるべきはただただ無言でメモを取り続けることのみ。
「その無念、推し量って余りあるものでしょう。そして失礼を承知でお聞きまします。放火犯の心当たりはありますか?」
「ああ、人相書きの男のことか。知らない、見たことも無い。それでその問いの何が失礼なんだ?」
「これは社交界では暗中の公言ですがアルアンビー家はロンド家とワルツ家の銀山のついて少々お忙しいとされていますね」
「ああ、人相描きの男がロンドの手の者と言いたいのか。確かに失礼な問いだ」
ダニィルの踏み込んだ問いに思わず固唾を飲み込んだ。
アルアンビー家がロンド家と敵対している、そしてその原因がワルツ家にあると。
知らない情報だ。まさかダリアン十二貴族に名を連ねる二家がそんなことをしていたとは。
そして失礼という言葉の通り、アルアンビー卿の表情が熱が籠っている。吸い終わった香木を乱雑に折っているのを見れば誰でも一様に同じ感想を持つだろう。苛ついていると。
「確かに社交界ではそのような噂を撒く不届き者もいる。だが少なくとも当家とロンド家の関係は極めて良好であるとだけ言っておこう」
「ロンド家との関係は根も葉もない噂と?」
「ああ、その通りだ。そもそもの話ワルツ家の保有する未稼働の銀山に関しては既に穏便に譲渡の手続きが進んでいるんだ。わざわざロンド家の当主が十二貴族内での関係悪化のリスクを取ってまでするような行動ではない」
アルアンビー卿の言うこともごもっともだ。
一見すれば貴族という存在は自由気ままに振る舞えるような存在に映る。しかし貴族と言えど一つの組織、組織の秩序を乱す不穏分子は排除されるのが定めだ。
故に現在のダリアンで大々的な政争なんてものをすれば貴族の評判、引いては家の未来を棒に振ることになる。
本来ならそうなるのが当たり前。そう本来なら。
「ああ、そうだ。私からも一つ聞かせてもらえないか?」
「なんでしょうか?」
「これを見てくれよ、今朝私の下に届いた新聞だ。新聞名はクラブハウス。君のところのやつだろう?」
『ロンド家の執事の誘拐、賊はアルアンビー家の手の者か!?』
差し出された新聞の一面にはどうにも先進的で人の感情を煽るような見出しと共に当時の光景を写したであろう絵が描かれていた。
その内容について読んでみると、執事が賊に誘拐されるまでの状況が事細かく説明されていた。まるでその場に居たかのような臨場感だ。
(昨日ハンブルグが言っていたのはこれのことか…………)
読み進めると、ロンド卿のご息女も同じ賊に誘拐されたこと。賊がアルアンビー家の紋章を身に付けていたこと。そしてその裏にあるアルアンビー家との対立について捲し立てるように書かれていた。
アルアンビー卿の話を聞いた後ではとても真実とは思えない。それどころか銅貨一枚の価値すら無い怪文書とも言える内容だった。
当然だがそんな
「先にも言ったが当家とロンド家は良好な関係を築いている。何故こんなありもしない戯言を新聞に載せた?」
肌にひり付く熱気はこの部屋に充満する香木の香りや外から感じる雨の湿気のせいではないだろう。
舌の根が渇きそうな熱さ…………いや緊張か。この感覚は昨日の夜にハンブルグが一瞬だけ覗かせたもの以上のやつだ。
ともかくアルアンビー卿は明確な
並の者なら恐怖で口を噤むだろう、しかしかつて鉱山の
「アルアンビー様、『ありもしない』とは一体誰の中の
仮にアルアンビー様の言うようにこの新聞がストラー新聞社の売り上げを増やすための虚飾だとした場合は我々の首を切り落としても構いません。ダリアン十二貴族の醜聞を晒すのです、それだけの覚悟が私とベイリにはあります。
しかしアルアンビー様が何と言おうと先にも申し上げた通り、社交界において貴家とロンド家の関係の悪化は暗中の公然となっているのです。その事実はゆめゆめお忘れなきよう願います」
その口から語られた言葉もまったくの恐れ知らずであり、畏れ知らずの代物だ。
要は『我々に怒りを向けるのはお門違いだ、疑われる原因は
無礼や不敬を通り越してもはや勇気だ。いっそ賞賛すら覚えてしまいそうになる。まったく悲しいことに。
「……………………」
「……………………」
どことなく既視感を感じる。沈黙が生まれて何秒経つか。
感じるのはむせ返る香木の匂いと外で降っている雨の足音だけ。
しばらくの時間を浪費した後、アルアンビー卿は呆れたように口を開いた。
「ああ、お前達の考えはわかった。もはや戯言はどうでもいい、だが先の言葉はしっかりと憶えた。………………今日はこれまでとする。せっかくだ、私自ら見送りをしてやろう」
吸い終わった香木をへし折りながらアルアンビー卿は立ち上がり扉まで移動した。
「ありがとうございます。アシスター、行きますよ」
「………………」
そうして俺達はアルアンビー卿の付き添いで屋敷の玄関に向けて廊下を歩き始めた。
それにしてもまさかアルアンビー卿が見送りを買って出るとは思わなかった。本来なら使用人に任せる仕事を当主自らが行なっているのだ。意外にも程がある。
しかしその意外はすぐに当然へと変わった。
「ああ、そういえば、
「何かお心当たりが?」
「ああ、そうだ。心当たり…………いや、
そうして玄関に辿り着いた俺達は…………厚いな装備が施された十数人の兵士達に出迎えられた。
その矛先は間違い無く俺達に向いており、一人一人の眼差しは明確な敵意が宿っていた。
「アシスター…………それか名も無き放火犯、その帽子を取れ。そしてその声を私に聞かせてくれないか?」
「………………危険は承知していましたがやはり悲しいですね。この目立つ髪の色が初めて恨めしく思いました」
帽子を取りそれをダニィルへと返し、凹んだ髪を手櫛でかき上げながら改めて目の前の状況を確認した。
兵士の数は十二人、槍を持ち鎧を見に纏い、何より強い敵意で俺を見つめている。
どうやら夢ではないようだ。もしこれが夢なら槍の代わりに丸い焼き菓子が握られているさぞおかしな光景が広がっていただろうさ。
「ちなみにどこで気付きましたか? 帽子を深く被っていたので顔は見られていないと思うんですが」
「ああ、初めて会った時から気付いていたよ。何せ君から燃えた灰と嗅ぎ慣れた
「それはそれは、訪れる前に香水を振り掛けておくべきでした」
最後に身体を洗ったのは放火事件の後に騎士団に戻って休んだ時のみ。どうやら洗い足りずに匂いが残っていたようだ。
さすがはアルアンビー卿、普段から香木の匂いを嗅ぎ分けているだけある。
「ああ、無駄な抵抗はやめておけ。余計な罪を背負うのはお互い損だろう? …………ダニィル記者、喜べ。明日の一面が決まったな。我が兵が放火犯を捕まえる様子を大々的に書いてくれ」
その言葉が合図だったのだろう。
兵士達は槍を前に出しながら足を地を這う蛇のように摺らせながらゆっくりと近づいて来た。
流石の俺も
「分が悪い………………でも、ただで捕まるのは締まりが悪い」
おそらくこのまま抵抗をしなければ彼らに捕まり、その後アルアンビー家の牢に押し込められる事になるだろう。
そして
窃盗や不法侵入で裁かれるのなら仕方ないが、やっても無い罪を裁かられるのは御免だ。
「なので最大限の防衛行為はさせてもらいますよ。よろしいですか、アルアンビー卿?」
「ああ、なるほど。無駄な抵抗をすると言う事だな。相分かった、では思う存分抵抗してくれ」
当主からの許可は頂いた。思いっきり暴れさせてもらおう。
そうして俺は懐に隠していたナイフを取り出した。
キラリと一瞬だけ瞬く閃光。まるでこの時を今か今かと待ち侘びていたじゃじゃ馬娘のような輝きだ。
そんな
「ほお、武器は使わないのかね?」
「俺は誇りある
アルアンビー卿とダニィルは騒動の火の粉が当たらない場所へと移動し、兵士達は俺を取り囲むように円形に広がった。
これで準備万端、あとは始まりのベルを鳴らすだけだ。
さて、どのような音色で鳴らそうか、………………決めた。
「ダニィルさん」
「なんでしょうか?」
「俺が捕まるまでの光景を大々的に書いてくださいよ。そうすれば明日の売り上げ一位はストラー新聞社のクラブハウス紙になるでしょう」
「………………ええ、わかりました」
そうして俺はアルアンビー家の兵達に拘束され、捕まった。
ちなみに俺が捕まった次の日のクラブハウス紙の三面記事の見出しにはこのような内容が書かれていたらしい。
『
その日のストラー新聞社の売り上げはぶっちぎりの最下位だった。悲しいことにな。
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