第32話 輪舞の破・謀略の半ば
○○○
今から四十年前。ダリアンの貴族社会の中に『劇作家』と呼ばれる者が存在した。
奴の産まれた家系は何の特出も無い、ただの上流貴族に仕える底辺の貴族だった。しかし劇作家が社交界で誕生してからの三十年間、奴は我々ダリアン十二貴族ですら目を離せない存在と化した。
『劇作家』と言っても奴の書く作品の劇場でやるような舞台劇ではない。社交界で巻き起こる
奴の書く脚本には逆らえない。貴族達はまるで示し合わせたかのように『劇作家』の書く筋書き通りに動かされる役者となってしまうのだ。
一つの事柄で十を見る。そして全てを勝ち取り百を得る。天才という言葉すら生温い、奴はまさしく怪物とも言うべき存在だったのだ。
しかし怪物とて老いには勝てなかった。今から十五年前に引退し、奴の息子がその後を引き継いだ。
息子も優秀ではある。しかしそれだけ。『劇作家』には遠く及ばない小物であった。
しかしそれでも私は未だに恐れていた。一線を退き、市井で物書きを興じている奴の姿に恐怖していた。
それはまるで劇場の袖で舞台を俯瞰して見ているネズミ。演劇の全てを壊しかねない『
だから私は奴を国家転覆の罪で陥れようとした。が、寸でのところで奴の息子に謀略を察知され奴が『劇作家』の身代わりとなり首を切られた。
私は『劇作家』の排除に失敗した。だがその中で奴は一つの失敗を犯した。
その失敗を私は逃さなかった。そして私は『劇作家』の喉元とも言える存在を手に入れた。そして奴は表舞台から本当に姿を消した。
これで一安心だと思った。しかし平穏は長くは続かなかった。
ダリアン十二貴族序列第六位・レゲ家当主の買った一枚の絵の解説文の筆者として、奴は作家としてそして演劇祭の役者として再び表舞台に降り立ったのだ。
その出来事がどれほどの大事なことか、代替わりした若き十二貴族の当主は理解していなかったが、私は違う。正しく奴の脅威を理解しているのだ。
故に私は驕らない。万全の準備を整えて策を弄して勝者となる。全てはロンド家、そしてダリアンの繁栄のために。
さあ、扉の開く音が聞こえてきた。
○○○
大劇場はこの国の芸術の最先端でありロンド家の権力の象徴と言っても過言ではないだろう。
数多の役者がこの舞台の上に立つことを、数多の芸術家が月に一度に開催される芸術品評会に己の作品が展示されることを夢見て日々の芸術に情熱を注いでる。
しかしわしに言わせれば大劇場にあるのは金の匂いだけ、そこに芸術と言えるほどの情熱は存在しない。
ただの虚ろな金貨生産場だ。
『金貨の入ったワインボトルには銅貨一枚の価値も無い』
かつてのわしが仕えていた貴族はこんなことを言っていたが、今のダリアンの
まあ何はともあれ、わしは今その金の匂いの漂う大劇場に足を踏み入れた。
受付に招待状を渡し、奴の性格を反映しているかのような絢爛なロビーを抜ける。そして十六段の階段を登ればその部屋の扉が姿を見せる。
「ああ、来たか。三分の遅刻だ、ランページ」
「……………………」
「ふん、まだプロローグも終わっていない。………………ああそうか、貴族様は時間に厳しかったな。なにぶん貴族の作法など忘れていたのでな。失礼した」
扉を開いた先にはわしが忌み嫌う怨敵であるサンバルク・ドゥ・ロンドが豪華なソファに背中を預けながらワインを飲んでおり、その傍らには貴騎相関の儀で派遣されたであろう騎士の男が無言で立っていた。
「その達者な口も健在のようだな。席に着きたまえよ、今日は私のお気に入りの舞台が公演される」
「貴様の隣に座るぐらいなら泥水の中に座る方がマシだ。立って見させてもらう」
「相変わらず頑固な男だ。まあそれで良い」
そうしてソファから離れた窓際へ移動すると、控えていた騎士が扉の前を陣取った。
…………ふん、どうやらもう選択肢は一つしかないようだな。
「先日会った時に着ていた上着はどうした。この風の寒い中でよくその格好で来れたものだ」
「貴様には関係ない。ただ古くなったから捨てただけだ」
貴族のくせに相変わらず細かいことが気になる奴だ。わしがどのような服装をしていようとわしの勝手ではないか。
そう心の中で反吐を吐きながら、序盤の佳境を迎えた劇へと目を映す。
舞台の上ではボロ切れを着た男が何者から逃げており、その後暗い海へ飛び込んで行く様子が描かれている。
この真に迫る演技はまさしく本物そのもの。そしてこれらの表現にわしは覚えが………………違うな、明確な懐かしさがあった。
「…………『宵闇の月と明星の君』か」
「そうだ。全てを殺された男が魔物へとその身を落とし簒奪者へと仇を返す復讐譚。十年前のダリアン文学界に作家『
「………………ふん」
ロンドはわざとらしいぐらいの尊大な言葉回しで作家であるわしのことを紹介する。
わしの作風は人の極限を描写し、その奥底にある人の
そう、わしは断じて悪意のみを表現しているつもりは無い。あくまで人の強さは無慈悲な現実には抗える希望を作品に込めているのだ。
まあ所詮『狂気の作家』などというのは奴の勝手な論評だ。聞くに耐えんものは無視するに限る。
「それで、今日は貴様が押しつけてきた依頼の報告だろう。貴様と同じ空間にいるなど一秒だって御免だ。さっさと報告してわしは帰らせてもらう」
「変わらず愛想の無い奴だ。まあいい、報告を聞こうか。貴様らの調べた放火事件の真相とは何だったのかを」
「ああ、聞かせてやる。その耳を間抜けな
わしは懐に仕舞った紙を開いてその内容を覗きその中身を読み始める。
「放火事件の真相は至極単純、不良騎士によるくだらぬ犯行だ。
現場にそれらしい証拠は無かったが周辺を聞き込みをしてみると暗闇に乗じて
「ほお、では貴族の陰謀などではないと?」
「不良騎士曰く『
「いやはや、まさかダリアンの第二の墓場とも言える故人資料館の最後が燃えた理由がこんなにも呆気ないとはな。この様じゃあ代々のアルアンビーの魂も泣いているだろうさ」
呆気ないと来たか、わざとらしさも極まると最早芸術と言ったところか。
わしの語ったものは完全な作り話だ。そしてその事をこの男は完全に見透かしているのだ。
真実と言えるのは『不良騎士』が放火現場に居て、最終的に捕まってしまった事ぐらいだろう。その事実もすぐに変化するだろうがな。
「しかしこの件に関して何の陰謀も無いことは理解した。報告感謝する、そこに報酬が置いてある。持っていけ」
満足そうな笑みを浮かべながらテーブルの上に置いてある布袋を指差す。
「ふん、貴様から受け取るものなどない。わしは帰らせてもらう」
そうして入って来た扉へと足を進め部屋から出ようとする。が、それを阻む者が一人。
「そこの騎士、どけ」
「………………」
「もう一度言う。どけ」
しかし騎士はどかない。ただただ無言に扉の前をその大きな巨体で陣取って佇むだけた。
この状況にわしは…………驚きもしないな。分かり切っている展開など最早驚くに値しない。ただその拙さに呆れるのみだ。
その後の展開も分かりやすい。背後の柔らかな
「ヴォリス・ランページ。私が貴様を素直に帰すと思っていたのかね?」
「その答えを貴様はわかっているだろう。まったく、何年経っても貴様のやることは変わらないな。おびき寄せて、閉じ込めて、終わらせる。それだけしか能が無い」
「私は『劇作家』ではないからな。誰でもやれるような事しかできないのだよ」
ため息を吐く。そして懐から香木を取り出してそれを口に咥えながら近くにあったソファへ腰を下ろした。
そしてロンドはわしとすれ違うようにしてソファから立ち上がり、部屋から出て行こうとした。
「そこで酒でも飲みながら見ていたまえ。私がダリアンの歴史に名を刻むその瞬間を」
「ふん、そうさせてもらおう」
気に食わないが身の安全には変え難い。今は奴の手の平で踊ってやるとしよう。
幸いにも目の前には展開が分かり切っている舞台が公演されている。そこまで退屈はしないだろう。
「ああそうだ。一つだけ伝言がある」
「なんだ、誰にだ?」
「あの魔に身を落とす男を演じている役者に伝えておけ。男の復讐の根幹は怒りでは無く大切な存在を失った虚しさによって作られた
「…………伝えておこう。作品が洗練されるのは利益に繋がるからな」
了承の返事を返すと、今度こそロンドは騎士と共に部屋から去って行った。そして部屋の鍵を閉められ静寂が生まれた。
さて、舞台は第二幕の中盤に差し掛かる。だがわしの描いた舞台劇はこの時より幕を開ける。
「ふん………………」
愉快な『劇団』の花形役者達よ、せいぜい上手く演じてくれよ?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます