第30話 うろんな雨

   ○○○

 時は遡る。

 午前十一時。アルアンビー家の領地『エリア・シュウ・クリーム』中央広場にて。


「新聞は見たか…………」

「…………の一人娘が………」


 冷たい雨の降る広場。人通りの少ない広場には傘を差した数人の男女がコソコソと身を潜めながら何かを話していた。

 内容を耳にしようとも雨の音が遮ってよく聞こえない。だが俺にそんなことを気にする余裕は無い。今はただやるべき事をやらなくては。


「ハンブルグから聞いた話だと放火事件には反貴族組織が関与しているとの話だけど…………、流石に故人資料館ライブラリに近づくのは無謀だよな」


 とはいえ何かしら有益な情報は手に入れたいと、背反するもどかしい感情が渦巻く。

 通りに置いてある鉢植えの葉に滴る雨粒が地面に落ちるのを眺めながら俺は今までのことを振り返った。


(放火事件の直接の被害者であるアルアンビー家の動向を探ろうと戻ってみたは良いもの、街の様子を見るにまるで動じていないな。もっと本腰を入れて調査していると思ったのに)


 今日の天気が雨ということを差し引いても、この静けさは少々異常だ。まるで放火されたことなど気にしてないようにすら見えて来る。古いとはいえ故人資料館ライブラリはアルアンビー家の権力の象徴だろうに。


 相変わらずまばらに人が行き交う雨降る広場にて、俺は『キツネにつままれた』かのような感覚に陥っていくのだった。ちなみにこの言葉も黄昏の家のマスターの故郷の言葉、キツネというのはその国で生きる神聖な生き物らしい。

 だが今はそんなことはどうでもいい。


「どうすればいいか、わからないな…………」

「何がわからないのでしょう、よろしければ相談に乗りましょうか?」

「!?!!!??!??」

 

 背後から掛けられた声に心臓が大きく跳ね上がる。そして咄嗟に距離取り声の主の姿を見た。

 しっかりと纏められた茶髪、襟の先まで規則正しく着用された背広、雨の中おいても一切揺れることのない立ち姿。そこには生真面目という言葉を欲しいままにした人間族ヒューマンの男が傘を差して立っていた。


「だ、アンタは何者だ? 俺に何の用だ?」

「初めまして、私は『ダニィル』。東部の大通りにあるストラー新聞社の新聞記者リポーターです。現在は上司であるベイリの命令を受けて、放火事件の調査をしています」

「リ、リポーター…………?」


 目の前の男はダリアン十二貴族が所有する施設の放火事件の調査と答えた

 なるほど確かに記者の一人や二人うろついていても不思議ではない。そしてそんな男が暫定放火犯である俺に話しかけるというのも雨が降ったら外に出した洗濯物を急いで仕舞うことのように当たり前の話だ。

 だが流石にそれを表に出すほど俺も間抜けではない。


「へえ、こんな雨の中で調査するのは大変そうで。放火事件の現場はあの坂を登った先ですよ。雨も強くなったので私はこれで失礼し…………」

「ああ、言い忘れていましたね。新聞に載っている犯人の人相書きは私が描いたものです。ですので貴方が放火犯だということを私は理解していますよ」


 男は逃げようとする俺の肩を掴みながら呆気なく答えた。

 二度目のなるほどだ。どうやらダニィルは強い確信を持って俺に接触したらしい。悲しいことにな。

 

「………………」

「そう怪訝な表情をしないでください」

「…………通報して俺を付き出すつもりか?」

「? 何故そんなことをする必要があるのですか?」

「は?」

 

 漏れ出る言葉が雨に溶ける。その意味は混乱。

 生真面目そのものとも言える男がそんな素っ頓狂な発言をしたのだ。俺が思考を停止するのも無理はない。


「いやそんなの俺が放火事件の犯人だから…………」

「私はベイリに『放火事件の調査をしろ』と命令されたのです。そしてその命令を遂行するために貴方に声を掛けた。それで何故通報する必要があるのですか?」

「え? はぁ??」


 そんな『貴方は何を言っているのでしょうか?』みたいな顔をされても困る。むしろ君が何を言っているんだと声を大にして言いたくなるぐらいだ。


 こんなにも話が噛み合わない相手と出会ったのは初めてだ。

 まさかとは思うがこの男は本当に上司からの命令の遂行するためだけに俺に声を掛けたということか?

 そんなの主体性が無さすぎる。まるで鉱山で鉱石の採掘を命じられ黙々と石を打ち付ける奴らのよう………………。


「いやもしかして…………、か?」

「違います。正確には私は十五年前までアシッド家の所有する鉱山のでした。その後にベイリが私を買い取り記者リポーターとしてお世話になっています」

「………………なるほどな」


 かつての貴族の下で働く者は単純な作業を貴族から命令され、その他の思考というのは軒並み放棄させられた歴史がある。それこそ過激な手段を用いてでも。

 おかげさまでそこで生きた者は自主性や判断能力を失い、感情の無い者へと成り果ててしまったのだ。


 今ではワルツ家が提唱した鉱夫の管理制度を導入し、その辺りはかなり改善されたが、かつての過酷な環境を経験してしまった者はこのような状態になってしまうのだ。


「事情は理解した、通報しないのならそれはありがたい。それで改めて聞くが何で俺に話しかけたんだ?」

「放火事件の犯人である貴方がうわ言で『わからない』と呟いたのを聞き、何が『わからない』のかを知りたいと思い話しかけたのです」

「そういうことね…………」

「それで、何がわからなかったのでしょうか?」

「アルアンビー家の動向だよ。家の重要施設が燃えたのにここまで落ち着いているのがおかしいって思ったんだ」

「…………?」


 俺の言葉にダニィルは目を細めながら何もしていない鳥のようにこくりと首を傾げた。

 まあダニィルからすれば放火事件の犯人である俺が何でそんなことを気にしてるんだと思っても仕方ないだろう。

 

「アルアンビー家の動向、つまりは何を考えているのか知りたいということですか?」

「そういうこと、だから相談に乗る必要は無いよ。それじゃあ俺はこれで…………」


 そうして再び去ろうとした俺の肩をダニィルは先程よりも強い力で止めた。

 二度も急に止められたおかげで服に雨水がたっぷりと付いてしまった。肩に付着する服の感触がとても気持ち悪い。


「あのね、何度も急に止めないで…………」

「今からアルアンビー家の当主に取材をするのですが、貴方も付いて来ますか?」

「…………え?」


 小さな怒りの言葉を遮るようにして発せられた一言。

 その言葉に俺の首は、まるで木を打ちつける鳥のような速さで縦に傾いたのだった。

 

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