第29話 冷めた紅茶は微笑みの....

   ○○○ 

 貴族というは狭くて暗い場所を好む。

 酒場の隠し扉の奥にある小部屋、劇場の二階の端にひっそりと造られた観覧席、人気の無い倉庫や、もちろん貴族の私室も含まれる。


 何かと秘密を持つというのは人と面と向かって話す時でさえ臆病な奴らなのだ。

 しかしながらこれも仕方ないこと。臆病である奴だからこそこのダリアンという国を長年守ってこれたのだろう。


 わしはその事を強く理解している。故にマスターの紹介する『彼女』と出会った時には内心かなり驚いたものだ。


「……………………」

 

 一つ、二つ、三つ、四つ………………今ので二六。

 夕暮れの零雨れいうはまるで夜へ行くのを躊躇うように残りの雫を絞り出している。

 そして通りは昼間の遅れを取り戻そうとするかのように、雨粒以上の人共が忙しなく交差し合っていた。


 その様は実に愚か………………いや、立派なものだ。自らの役割を全うできるというのは本当に立派なものだ。

 

「ここがマスターの言っていた奴がいる場所か」


 『エリア・ホット・ケイキ』の付近。ダリアンの都に属してはいるが貴族の統治が及んでいない名も無き通りにある小さなカフェ。

 外の通りに面した場所にテーブルとイスが並べられた開放的なホール席には小雨など気にも留めない者共が紅茶を啜りながら歓談に華を咲かせている。奴らの身なりを見るにどうやら外から来た商人が主な客のようだ。

 この街の特色と言えば聞こえは良いが貧民街の住民としては肩身が狭くなるだけだ。忌々しい。


「ふん、こんな上品な者共に混じる日が来るとはな」

 

 金の匂いがする会話を聞き流しながらわしはマスターに教えられたテーブルへ向かう。

 通りの景色を一望できる一等席。逆に言うのなら通りから一目に着く席が約束の場所だ。

 その席には既に一人の猫族ニングスの若い金髪女が座り、冷めた紅茶をちびちびと啜っていた。


「黄昏の家のマスターからの紹介で来た。貴様が騒動を打開できる一助になると聞いているが?」

「………………」

「名を名乗れば良いのか? わしはヴォリスだ。貴様の名を答えて貰おうか」

「………………」

 

 女は答えない。こちらへ見向きもしない。この女、無礼極まりない。

 華奢きゃしゃぶる鳥とてここまでふいにされれば熱も冷めるもの。一言説教したくなるのも無理からぬ話だ。

 そうしてずんと身を寄せながら向かいの席へ着こうとしたその時だ。


「ぷぷぷぷ…………」


 人を小馬鹿にするような笑い声が聞こえて来たのだ。

 その声は間違い無く、目の前の女から発せられたもの。しかしその声には豪雨と見違うほどのが背中に過った。


「ぷぷぷ…………、いやごめんごめん。まさかかのV・ランページに会えるとは思ってもいなかったんだよ。ワタシ、君の作品のファンだから。ぷぷぷぷ、まあ掛けなよ」

「………………改めて聞く。貴様の名は何だ?」

「ぷぷっ…………、ヘミアン・ドゥ・ラプソディ。それがワタシの名前」

「ラプソディ。あの『沈黙のラプソディ』か…………!」

「ぷぷっ…………、その渾名は嫌いだなぁ。でもV・ランページの顔を立てて怒らないであげるよ。心臓の音も震えてるみたいだしね」


 そう言ってラプソディの若き君主はカップに残った紅茶を飲み干すと、すぐさまウエイターを呼び寄せ同じ紅茶をもう一杯注文する。


「ぷぷぷ…………、ウエイター、彼にもお願いするよ。この店で一番美味しい一杯をね」


 注文を受けたウエイターは「あいよ」と慣れた返事を返しながらカウンター席の奥へと消えて行った。


「この店の紅茶はメイデン産の茶葉を使っていてね。沿岸部特有の独特の塩みが効いた深みがたまらないんだよ。ぷぷっ…………」

「それを冷まして飲むのが貴様の好みということか。…………御付きの騎士はどうした、貴騎相関の儀の最中であろう?」

「ぷぷぷぷ…………、派遣は断ったんだよ。仕事柄あまり人を屋敷に入れたくないからね」


 ラプソディ家はわしが仕えていた頃から他の貴族より多くの秘密を多く抱えていた。

 その噂には『ダリアンの影の支配者』だの『国の至る所に間者の目を光らせている』だの様々なものがある。

 が、聡明であり盲目であるかの貴族を現すのは一言で充分だろう。


「なるほど、貴様らの気難しさは変わらずという事だな」

「もう屋敷にはワタシしかいないけどね。ぷぷぷぷ…………」


 そうして互いに笑い合うのだった。

 予想外、と言えば嘘になるが、まさかダリアンのとも言うべきラプソディ家と会談できるとは思ってもいなかったことだ。

 しかしながらこれは僥倖だ。何せダリアン一の『情報通』と話しができるのだから。この女の異様さに少し気圧されてしまっていたが本来の目的を果たせる稀有な機会だ、マスターに感謝しなくてはな。


「ぷぷっ…………、それで、かのランページがワタシに何の用なのかなぁ?」

「大方察しは付いているだろうが。先の放火事件と誘拐事件についてだ」

「ぷぷぷ…………そうだね。特に放火事件はが巻き込まれてしまったんだ。早く解決して彼に借りを作っておきたいかなぁ。ぷぷっ…………」


 どうにも含みのある笑みだ。

 恐ろしい…………というよりと言った方が適切か。奴の言うとやらには気の毒だがこの好機は大いに利用させてもらおう。

 

「それで、二つの事件について貴様の知っていることを教えてもらえるのか?」

「ぷぷ…………、もちろん。と言ってもワタシが教えれるのは情報であって解決策じゃないけどね」

「それで良い、解決するのはわしらのやるべきことだ。さあ、答えろ。誰がソリアを誘拐したんだ」


 その瞬間一際強い南風が頬を撫でる。どうやらこの風も今回の件の真相が知りたくてたまらないようだ。

 それに応えるかのようにラプソディは新しく淹れられた紅茶のカップを手に取りながら悠々と答えた。


「ぷぷぷ…………、じゃあまずは誘拐事件の結論から言おうか。まあ簡単さ、君の孫娘であるソリア嬢を誘拐した人物。それは他でもない………………彼女のさ」

「………………は?」


 零雨が硬直し、風が止む。行き交う人々が灰色に染まり、瞳の光が消える。

 ━━━━そしてわしの中の時が静かに止まった。





   ○○○

 冬の夕方。秋の頃まで見えていたオレンジ色の空は見えなくなり先程まで降っていた雨のような深い青色の空が広がっています。

 そして蝋燭灯の薄明かりの照らす酒場の中で、私達は静かにヴォリス様の帰りを待っていました。


「いや〜、明日の舞台で忙しい日々がようやく終わるよ〜。ここまで長かった! しばらくはぐうたらできるぞ〜」

「お疲れ様でしたベルリン様。私もベルリン様がいなくて寂しかったです」

「嬉しいこと言ってくれるね〜! お姉さん嬉しいよ〜!」


 そんな待つ中でベルリン様との会話はとても心地の良いものでした。

 憧れの群青の舞姫とて動けば疲れ、喉が乾けば水を求める。そんな辛い中でもベルリン様は雨にも負けない温かい笑みを浮かべ、私達を優しく照らしてくれるのです。


「それにしてもじいさんは大丈夫かねぇ。なんかやばいことになってないと良いが」

「少なくとも『彼女』は心配しないで良いでござるよ。そう言ったことに関して無礼を働く者では無いでござる」

「そういうわけじゃないんだけどさ。なんか嫌な予感がするんだよ」


 ラギアン様の言う『嫌な予感』、それに関しては私も胸の内で感じていました。

 アルアンビー家の放火事件、ソルちゃんの誘拐、二つの貴族の政争、そして私達。

 始まりは唐突に訪れたのに、今の状況は湖の小波さざなみのように緩やかに流れていました。まるで誰にも止められない嵐の訪れを予感するかのように、静かに。


「どちらにしてもロンド様から頼まれた依頼の期日は明日。ひとまずはそちらを終わらせた後にソルちゃんの誘拐について調査するんでしたよね」

「それはそうなんだけどさ、どうにもそのロンド様が信用ならねえんだよなぁ。なんかアイツが全ての糸を引いて………………」

「夜分遅くに失礼!!」


 その時でした。酒場の扉が勢いよく開かれると同時に重い甲冑を身に纏った男が姿を現したのです。

 男は大きく胸を張りながら気風の良い笑顔を浮かべると、張った胸に手を置きながら丁寧な所作でお辞儀をするのでした。


「下名、アルアンビー家に派遣された騎士である、『フゥ・ボー』も言う者! ここが黄昏の家でよろしいか!!」

「確かにこちらは黄昏の家ですが、騎士…………ですか?」

「…………俺達になんか用があるのか?」

「左様! 下名は主人からの預かった言伝を伝えるためにヴォリスという殿方に会いに来た次第! して、ヴォリス殿はこちらにおられるか!?」


 フゥと名乗った騎士様はヴォリス様を探すため、この狭い酒場の中を首を大袈裟に振って見回しますが、この場にいない者をどれだけ時間を掛けて探そうと決して見つかることはありません。


「も、もしや…………ヴォリス殿はここには居らぬというのか?」

「え、ええ、ヴォリス様は現在外にお出になっています」


 大変心苦しいですが本当の事を教えるしかありません。

 そしてその軽率な行動を私はすぐさま後悔しました。


「ああっ、なんということだ! まさか主人からの大切な言伝を伝えられぬとは! ああっ、ああっ!!」


 フゥ様はがっくりと肩を落としながら両手で頭を抱えるとわざとらしい口調で嘆きます。その様はまるで舞台劇において最愛の姫を失った騎士のように儚く、そして真夏の太陽のように眩しく映っていました。


「命令一つ守れずして何が騎士だ! 何がダリアンの守護者か! このフゥ、一生の不覚ゥッ!!」

「………………」

「………………」

「………………」


 燃える炎と見間違うほどの熱量が迫真とも言える自責に繋がり、この小さな酒場の中を最高潮クライマックスの一幕へと変貌させてしまっています。

 しかし、あくまでここは劇場ではなく酒場。ここまで盛り上げられては逆に迷惑極まりありません。


「すみません、フゥ様…………でよろしいですか?」

「ああっ! 見目麗しいお嬢様! はい、下名、フゥに何か!?」

「よろしければ言伝は私達からヴォリス様にお伝えしましょうか?」

「え? いえいえいえいえいえ!! そんな! お嬢様にお手数を煩わせるなど騎士としてあってはならない! ここはヴォリス殿が戻られるまで下名がこちらに居させて…………」

「お前みたいなやかましいヤツがここに居たら耳が千切れそうになる。頼むから俺達に教えてさっさと帰ってくれ」

「う…………、確かに下名の声が少々大きいのは承知しているが…………。わかった、言伝は貴殿らに伝えておく」


 辟易もここまで来れば原動力になるもの。

 ラギアン様の容赦ない指摘にフゥ様は渋々ながらも納得してくれたのでした。


「それで〜、ヴォリス君に伝えたいことって〜?」

「ええ! 『先程故人資料館ライブラリの犯人が捕縛された』とのこと!!」

「………………」

「………………」


 放たれた言葉を上手く聞き取るのに三秒、その意味を理解するのに六秒、そして告げられた『犯人』とやらの顔を思い出すのに一秒。

 この言葉を理解するのに私とラギアン様は十秒もの時間を有してしまいました。それほどまでに衝撃的な内容なのです。


 故に私達が口を大きくあんぐりと開こうと、その後に発した言葉がどれだけ間抜けだとしても仕方がないのです。


「はえ?」

「はあ?」


 うねり渦巻く陰謀の嵐は、大きな津波となって私達を襲います。そこに大々的な前触れや伏線など一切必要ありません。

 …………ただただ無情に、粛々と。

 

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