第28話 五枚の銅貨

   ○○○

 それはかつてラギアン様を思う存分に差別の鎖で縛り、その果てに捕まった忌まわしきけだもの。その名前はナブラル。

 燃える花畑に囲まれて、私達は再び相対したのです。


 の被った顔に燃えかすのようになった装いボロ切れを纏った姿はまるで火葬場の亡者を思わせ、その瞳は虚ろを影らせてこちらを据えていました。

 傷に塗れた手には赤色の尖った鉱石チョークが握られており、そこからぽろぽろと小さな赤粉が様々な多種多様の色に染まった床へとこぼれ落ちています。おそらくその鉱石が彼の筆なのでしょう。


 そして彼の背後にはまだ未完成であろう花畑の姿。書きかけ故に未だに燃え広がっていない花々はどこか儚くありながら、これから消えゆく命に執着しているような恐ろしさがありました。


 傷付きながらも壁に向かって己の『自分勝手』をぶつける。その美しくも切ない姿に私は思わず見惚れてしまっていました。

 しかしこの文言の冒頭に一つ言葉を添えさせてもらいましょう。


 『皮肉なことに』。そう本当に、皮肉なことに、です。


「………………なんでテメェがここにいやがる」


 震えた声。

 私の自嘲の心を知ってか、それとも彼自身も私達との再開に昂ってしまったのか、その形相は困惑と怒りが入り混じっています。


「まだ俺に用があるのか? また俺が救いようの無いくそだと笑いに来やがったのか!!?」

「………………なんのことでしょうか?」

「とぼけんな! 忘れたとは言わせねぇ…………あの路地でテメェはかしやがったよな、俺が芸術を愛してると!! 俺を一番見下してるのは俺自身だと!!」

「………………??」

「くそったれ!! ああそうだよ! 俺はまだ絵を描くのが忘れられないんだよ! 諦めれなかったんだよ! だからテメェの言う通りに俺のやりたいくそったれな芸術をやってるんだ!!」


 吐き捨てられる言葉。

 その言葉は真に迫っていながらも何かがおかしかった………まるで私とは違う別の人の話をしているように滅裂だったのです。


「見ろ、これがテメェが見たかったものだろうが! 最高だよな、これがダリアンの芸術の未来ってやつだ! ハハハハハハ!!」

 

 自身の後ろにある花畑を見せながら高らかに笑う。

 その姿はまるで自棄を起こして暴走する者。違う、暗き未来を唄う狂った預言者に見えたのです。

 これほどまでに純粋で苛烈な芸術は見たことがありません。が、悲しい事実が一つ。


「申し訳ありませんが…………私は貴方の思う人物ではありません」

「ハハハハハ。あぁ? …………なっ、テメェはあの時のクソガキ!」

「ええそうです、ようやく思い出しましたか。あの焼き菓子の芳醇な香りが広がる噴水広場で貴方とお話ししましたね。ナブラル様?」

「その節はどうも、お前に殴られた感触は今でも覚えているぜ」


 私に続くようにしてラギアン様も見下すような口調で話しかけます。

 そこでナブラルもようやく思い出したのでしょう。歯軋りと舌打ちで私達を出迎えます。


「チッ、あのクソ女よりも面倒くさい奴らが来やがった」

「私達もまさか貴方と再会するとは思ってもいませんでしたよ。捕まって罰を受けたとばかり」

「いや、おそらくもう罰を受けた後なのだろう。ふん、その鞭の跡を見るに相当に痛めつけられたようだな」

「うるせえ! テメェらには関係………………ゴホッ、ゴホッ!!」


 と、ナブラルは咳き込みながら様々色の石粉によって彩られた床へと膝をついたのでした。


「さっからやかましく叫び過ぎなんだよ。そんな調子じゃあこの絵もろくに描けないだろうに」

「うるせえよ。俺が何を描こうがテメェらには関係ねぇ…………」

「壁一面の花畑か。巷で噂になっていた路地裏の壁面画家はお前だったんだな。それで、この絵はどのくらいで描いた?」

「…………昨日から寝ずに描いてる。一昨日にくそったれ貴族のお墓が盛大に燃えたのを見てな。それを見てこの景色がピンと来たんだよ」

「一昨日に、貴族のお墓が燃えた?」


 脳裏に過る凄惨な焼け跡。舞い散る焦げた資料の数々。

 そして黒く染まったかの建物が『第二の墓場』と呼ばれていると気付くのに五秒も掛かりませんでした。


「もしやアルアンビー家の放火事件ですか? 貴方はまさかあの現場にいたということですか?」

「チッ…………うるせえな、そうだよ! 俺は一昨日にあのよく燃えそうな街にいたんだよ! ゴホッ! ゴホッ!」


 壁に石を打ち付けるような衝撃が頭に響き渡りました。

 昨日の放火事件の調査において、私達は目覚ましい成果を挙げられず、息を吐く暇もなくじいや様が賊に拐われてしまい、それどころでは無くなっていました。


 しかしまさかソルちゃんの誘拐事件を追っている最中に放火事件の手掛かりを得るきっかけが現れるとは。

 それも過去の因縁がを持っているとは。


「一つ聞いてもよろしいですか?」

「ゴホッ…………ああ?」

「一昨日の放火事件について、見た事や疑問に思ったことを教えていただけますか?」

「あ? なんでテメェの質問を親切に答えなきゃいけねぇんだ?」

「その言い方をすると言うことは何か見たんですね? そして貴方はその対価が欲しいと」

「チッ…………」


 なるほど確かにそうです。

 欲しい物があれば金もしくはそれに見合う物品を払う。そして欲しい物を受け取る。

 そこには貴族とか浮浪者などの身分は一切関係ない、至極平等な取引。ナブラルはそれを所望しているようです。


「仕方がありませんね。何が欲しいのですか? お金ですか?」

「金はいらねえ、食いもんと水だ。テメェみてえなクソガキは持ってねえだろうさ」

「………………ああ、そうでした。貴方のような者は大通りのお店には入れないでしょうね」


 至る所が擦り切れたボロ切れに、ぼさぼさに伸ばした髪、仕舞いには烙印の如く肌に染み付いた鞭の跡。そんな姿を見かければ瞬く間に嫌悪感を示すのは間違いないでしょう。

 まったく哀れなものです。つい先日までは猛獣のように大手を奮って蛮行の限りを尽くした者が今では縮こまったカエルのように血を這いながら私を仰ぎ見上げ、ただ睨む事しかできなくなったですから。


 とはいえこれはあくまでも正当な取引。ならばそれに応えるのが私のやるべき事でしょう。

 私は懐から五枚の銅貨を取り出し、それをナブラルに差し出しました。


「この通りから大劇場方面へ歩くとギリー・ブッチャー精肉店というお店に辿り着きます。

 そこの店主様にこの銅貨を差し出しながら『おねえちゃんと呼ばれた小さなお嬢さん』の紹介で来たと伝えて下さい。そうすれば美味しいソーセージと綺麗なお水をいただけるはずです」

「………………本当だろうな?」

「もちろん。ブッチャー様は店で余ったお肉を貧民街の皆様に振る舞うような素晴らしいお方です、でも決して無碍にはしないでしょう。しかしくれぐれも粗相の無いように」


 そう言って私は蹲っているナブラルの手を取り、差し出した五枚の銅貨を握らせるのでした。


「銅貨五枚…………『せめてもの施し』か。確かに今の状況にはお似合いの言葉だろうて」

「…………? 何の事ですか?」

「チッ…………、とりあえずはこれで納得してやる」


 ナブラルは観念したかのように舌打ちと共に立ち上がります。どうやらこれで取引は成立したようです。


「二日前の放火騒ぎだったな。あれば確か…………」


 握った銅貨を手の中でしばらく遊ばせると、ゆっくりとその顔を上げて私達を見つめました。


「あれはクソ寒い夜だったな。俺はいつものようにを握ってに絵を描いていた」


 そこから語られたのは私達の知らない故人資料館ライブラリの末路でした。

 花も眠る静かな青色の夜が唐突に燃える業火によって赤く染め上げられ、一瞬にして全てを黒く染めた一幕。

 評論家が見れば歴史的建造物の崩れ去る姿に驚愕の悲鳴を上げ。芸術家が見ればその苛烈で幻想的な光景に歓喜の悲鳴を上げたでしょう。

 

 そして崩れ去る最中、第二の墓場から飛び出した一人の影。


「忘れもしねぇ、あのくそったれな緑騎士の野郎だ。アイツが何故かあの建物から出て来だと思えば、門番を押し除けてどっかに逃げやがったんだよ」

「ブルース様…………、確かにあの場に居たのですね」

「そんで俺はあの光景に頭が冴えたから、を描いてたんだよ」


 背後の花畑を指差しながらナブラルはそう話を締めたのでした。


「…………確かに状況は理解できましたが、何か他の情報は無いのですか? 現場を見て気になった事とか」

「はあ? これ以上何を言えってんだよ! チッ…………」


 不服そうな首を傾けながら思考しています。

 そうしてしばらくの後、ぽつりと一言だけ。


「なんか早かったな」

「早かった? 一体何が?」

「騎士の野郎が逃げたすぐ後にアルアンビーの従者共が集まってたんだよ。そんで燃える建物をじっと眺めてやがったんだ」

「……………確かにアルアンビー家の屋敷から故人資料館まではそれなりの距離がある。燃える建物が見えてから向かったとしてすぐに辿り着ける筈が無い」

「それに自分達の大切な建物が燃えるのをただ眺めてただけって、普通は鎮火するよな?」


 まるでぷくりと大きく膨らむ風船のような違和感に私達はただ疑問を覚える事しかできません。

 しかしこれも大切な情報です。違和感があろうとも胸の内に留めておくのが賢明でしょう。

 

「銅貨五枚分ぐらいの価値はありましたかね。ありがとうございました」

「チッ、相変わらず偉そうなクソガキだ。まあ反貴族組織の偉そうな野郎共よりはまだマシか」


 ぽつりと呟かれた聞き慣れないその言葉。

 反貴族組織。貴族の娘である私はなんとも不快な響きのするその名前に興味を惹かれたのでした。

 

「? 反貴族組織とは?」

「ああ? お前知らねえのか。くそったれな連中が徒党を組んで貴族共をぶっ潰すのを誓ってる連中だよ」


 なるほど。確かに現時点のダリアン十二貴族による政治体制を好まない者が居るのも仕方ないことでしょう。

 しかしながらナブラルのような輩がいる組織とは。いやはやまったく、つい心の内で笑みが溢れてしまいそうになります。


「そういえば以前のお前もそんなことをやっていたな。その様を見るにどうやらお払い箱にされたようだけど」

「チッ、うるせえ! もう話すことは話したんだ、さっさと失せろ!!」

「ふふっ、ええ言われずともそうします。それでは」


 こうして私達は燃える花畑から去って行きました。

 時刻は午後四時。マスター様の言っていたヴォリス様に紹介したい人と会うのに丁度いい時間でしょう。


「少し時間を食ったが色々な情報を手に入れられたな。酒場に戻るぞ」

「はい」


 雨は未だに降り続けています。放火事件や誘拐事件の謎も雨雲が覆い尽くしてまだ先が見えません。

 しかし雲の先から一筋の光が少し、ほんの少しだけ見えたような気がします。


「ところでレイちゃん、アイツに対してやけに当たり強かったな」

「『痛みを与えた過ちを注ぐには、同じ痛みを受けること』、いくら零落しようとも過去の行いが償えたわけではありません。その罪を償うまで私は彼を見下し続けます」


 そうして途切れていた打音が再びこの通りに響き渡りました。

 路地裏に落ちぶれた画家は果たしてどのような作品を描くのか。皮肉にも私は彼が描く『自分勝手芸術』に少しの期待を抱いていました。

 そう皮肉にも、です。


「路地裏の壁面画家ナブラル………………ですか」


 彼と話して感じたのはまるで冷めた紅茶を飲んだ時のような不快感。

 なのに私の心には燃える花畑を見た時と同じ情熱が渦巻いていました。

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