第26話 情報の切れ味
○○○
ぽつり、ぽつり、ぽつり、ぽつり。
小さな雫の滴る音色は私たちの心を冷たく濡らし、いつのまにか青色の暗い気持ちへとさせてしまいます。
雨の力というのは誰も抗えないのでしょう。たとえ稀代の天才作家すらも。
「………………」
「ヴォリス様…………」
水気を吸ったテーブルで、酒場の名のようにヴォリス様は一人黄昏ていました。その表情は焦燥を帯びており、その心は己の無力感にうちひしがれています。
「…………はあ」
時折気を紛らわすように酒を飲めば大きなため息を吐いた思えば。特に何かをやるでもなく、ただただ無意味な言葉をボロ紙に走らせている。
その無惨な姿はまるで翼を失った鳥のようで、思考の迷路という名の乾いた地面を這いずっているように見えてしまいます。
その理由はもちろん昨日の夜のことです。今のヴォリス様はソルちゃんのじいや様が怪しい男達に拐われるのを指を咥えて眺めることしかできなかった己の無力さを恥じていたのです。
「わしはどうすれば…………」
元を正せば今回の始まりはロンド様による依頼からでした。
しかし調査をしてわかったことと言えば、『現場には放火された跡が無いこと』と『ソルちゃんを拐った集団は手練れの者』ということぐらい。
結局放火事件の調査が手詰まりとなり、誘拐事件の唯一手掛かりとも言えるじいや様が拐われてしまった今、私たちがやれることが無くなってしまったのです。
「せめて誘拐犯の特徴がわかれば………………! ソリア………………!」
大切な孫娘を拐われ、それを助けに行くこともできない。その計り知れない屈辱と後悔を帯びた顔に私は声を掛けることすらできません。
下手な同情で語られる慰めの言葉は、返ってその人物の心を蝕む毒となるのです。
「じいさん、レイちゃん!!」
「…………ラギアン様?」
そうしてうちひしがれていた時でした。ラギアン様が新聞片手に現れたのです。
「どうしたんだ若造。びしょ濡れじゃないか」
「俺のことは良い! そんなことよりこれを見てくれ!」
息も絶え絶えで服を雨に濡らした様子からかなり慌てていたのが伺えます。
それほどまでに見せたいものとは一体なんでしょうか。そんな疑問と共に広げられた新聞の一面を私とヴォリス様は拝見しました。
「えーと『アルアンビー家の秘密組織、ロンド家の長女を誘拐!』………………え?」
「………………なんだと!?」
そこには目をひん剥くような衝撃的な文言が並んでいました。
しかし衝撃はまだ終わりません。記事の続きには『昨夜の未明、貧民街の一角にてロンド家の執事も拐われたのを記者が目撃。その動きはまるで祖母が卵を割るかのような慣れた手付きだった』と書かれています。
「…………これって」
「そうなんだ、俺たちしかいなかったはずのあの場の詳細が書かれているんだよ。それもあの黒ずくめの野郎共がアルアンビー家の奴らだって断言してやがる」
「………………」
ラギアン様の言う通り、あの時の光景を見ていたのは私とラギアン様とヴォリス様とベルリン様だけでした。
しかしその光景が新聞記事に赤裸々と、まるでその場にいたかのように書かれていたのです。
ここで疑問が浮かび上がります『何故
その疑問を解消し得る答えは一つしかありません。
「もしや、私達は何者かに付けられていた?」
そしてそんなことを行える人物を私は知っています。
「………………ッ!!」
「おい、じいさん!?」
その時でした、ヴォリス様が脱兎の如く足早に外へと飛び出したのです。
理由は明白。この新聞を書いた人物こそが私たちが求めていた情報へと繋がるのを示しているから。そしてその人物の行先も一つしかありません。
「大通りの新聞社です! 私たちも急ぎましょう!」
「ああもう、ここまで走って疲れたのにまた走るのか!」
そうして私とラギアン様はヴォリス様の後を追うために、雨で濡れている地面を急ぎ足で駆けて行くのでした。
○○○
以前にも向かったストラー新聞社のある建物。そこの雨の差し込んでいる路地裏にヴォリス様と新聞記者であるベイリ様の姿がありました。
しかしその様相は和やかとは言い難く、今にも一触即発を予感させる緊張が漂っており、その緊張を証明するようにヴォリス様がベイリ様の胸元を強く掴んでいました。
「わしも衰えたものだ。まさか背後を付けているお前に気付かなんだ」
「ぐっ…………なあ落ち着けよ。順序を守って話してくれないと会話は成り立たないぞ。それにその手も離してくれ。こうも息苦しいと碌に喋れもしない」
「ほお、そんなことを言えるとは贅沢な身分だ。今日の新聞は何部売れた? わしらが苦労して集めた情報を掻っ攫った後に食べたトーストは美味しかったか?」
普段のヴォリス様からは考えられない言葉の端々から伝わる侮蔑と怒りの感情。
間違いありません、今のヴォリス様は怒りの炎を激しく燃え滾らせていました。それもあわよくばベイリ様を絞め落とそうとする勢いで。
「ヴォリス様、落ち着いて下さい! そんなにしてはベイリ様が気絶してしまいます!」
「じいさん、レイちゃんの言う通りだ。絞めるにしてもまずはコイツから話を聞かないとな」
「………………ふん。おい、此奴らに感謝しておけ」
そうしてヴォリス様は投げるようにしてベイリ様を解放しました。
苦しそうにして咳を吐くベイリ様に少々の同情を覚えます、が、ラギアン様の言う通り今は彼の状態よりも優先すべき事があるのも事実です。
「それでは話していただけますか? 何故貴方がロンド家のお嬢様と執事が誘拐されたのを知っているのか。そして何故拐った賊の正体がアルアンビー家の者であると断言したのか」
「ゴホッ…………ゴホッ…………。そりゃあ簡単だ、昨日ここで別れた後にお前らを付けていたというだけだ。人相書きを見た時の反応を見てまさかとは思ったが本当に放火事件についての手掛かりを掴めるとはな」
私達は小首を傾けました。
それはベイリ様の語った『放火事件』という言葉に対しての違和感の現れです。
「放火事件? 記事に書いてあるのは誘拐事件だろうが」
「? …………あぁ、そうか。お前らには教えてなかったな。ダリアン十二貴族のアルアンビー家とロンド家は利権争いをしてるんだ」
「…………利権争いだと?」
「そうだ。それもワルツ家が所有している銀山というとびきりデカい利権をな」
「え?」
ワルツ家。
唐突に告げられたその家名は紛れもなく私の姓名でした。
まさかここでその名を聞くことになるとは、激しい動揺が雨の中に溶け込んでいきます。
しかし幸いなことにヴォリス様もラギアン様も私が取り乱したことに気付くことはありません。
ただただ怪訝な表情でベイリ様を見つめていました。
「それで、何故貴様は銀山利権の乗っ取りを知っているんだ?」
「今の社交界ではその話題で持ちきりだからだ。噂によれば近々他国で大量の銀の取引があるらしいからな。どうにかして銀を確保しようと皆躍起になってるさ。それこそギリギリの手段を使ってでもな」
確かにワルツ家はダリアンの鉱山の30%を保有しています。そしてワルツ家が所有する銀山はこの国で一番の採掘量を誇るのです。
確かにその利権は計り知れないでしょう。それを他の貴族たちが狙うのも無理ありません。莫大な利益が得られるのなら尚更です。
ですがそんな貴族達の動きを。あのお父様が察知できない筈がありません。
「あの、そのことをおと…………ワルツ家の当主は知らないのですか?」
「知らないだろうな。ワルツ家は社交界にはろくに顔を出さないからな、ダリアン十二貴族の中にじゃあ異端として扱われている。まあそれがあるから堂々と利権の乗っ取りの話ができるんだろうが」
まさかこんなところでワルツ家という家系の危うい部分をまざまざと見せつけられるとは思ってもいませんでした。
果たしてこの事実をお父様はどうするのでしょう。
(…………………………)
今にして思えば私はお父様について何もわかっていません。
ダリアン十二貴族に名を連ねる家系の当主それだけが私の知るお父様の姿だったのです。
(…………わからない。お父様が、わからない)
お父様は一体何者なのか。
黒い、黒い、淀みの感情。
この時私は初めてお父様に対して疑問を覚えたのです。まるで疑いという名のカラスが私の肩に留まったかのように。
しかし肩に留まった疑問はヴォリス様の声によって追い払われてしまいます。
「ロンド家とアルアンビー家の対立はわかった。貴様がわしらの後を付けていたから誘拐について知ったこともわかった。だが何故貴様はあの黒ずくめ賊どもがアルアンビーの手の者だとわかったのだ」
そう、今の私達が一番知りたい事はそのこと。
あの時は周囲も暗く、彼らはフードを羽織っており身分を証明する物など一切ありませんでした。
しかし新聞では『アルアンビー家の秘密組織』と断言されていました。
その自信の真意とは一体何なのか。それを知るために私達はここに来たと言っても過言ではないでしょう。
「さあ、言え!」
「………………チラッと見えたんだよ。黒マントの中からアルアンビー家に所属する奴等が付けてる紋章が」
「紋章?」
「ほら、貴族やその仕えている家が服の胸元に自分達の家系の紋章を付けたりするだろう。あのキラキラ光ってるようなあれ。その紋章の模様がアルアンビー家のものだったんだ」
その時、昨日の夜の時の光景が思い出されました。
じいや様が拐われる直前。私が賊の一人に掴みかかるも呆気なく弾き飛ばされてしまった。
(あれは………………紋章?)
そしてその時にキラリと見えた紋章の姿。夜だからこそ目立って見えたその輝きを私は覚えていました。
その時は急なことで思考が回っていませんでした、今ならわかります。
「ベイリ様の言う通りです。私もその紋章が見えました」
「レイちゃんも見たのか。なら信用できそうか」
「だがソリアと執事を拐ったのがアルアンビー家なら面倒だ」
そう、敵はダリアン十二貴族。言うなればあらゆる物を踏み潰せる力を持つ権力の巨人が相手なのです。
その強大な力に対抗する手段を私達は持っていません。一体どうやってソルちゃんとじいや様を救えば良いのか。
「ああー、悩んでいるところ悪いが話す事は話したからな。俺はもう戻るぞ」
「…………チッ、仕方がない、だが忘れるなよ。貴様はわしらに借りがあるのだからな」
「はいはい、俺にやれることなら何でも協力する。これで良いだろ? じゃあな」
そう言ってベイリ様は降りしきる雨の奥へと消えたのでした。
雨ば未だに止む気配はありません。ぽつぽつと落ちる雫はゆっくりと、しかし確実に私達の熱を奪っているのです。
「くしゅん!」
「ああ、そうだ! 傘も刺さずに飛び出したんだった! このままじゃあ風邪引いちまうな」
「…………とにかく酒場に戻るぞ。後のことは座って話そう」
そうして私達は駆け足気味に黄昏の家へ戻るのでした。
じいや様を拐った者達の正体。二家の十二貴族の争い。知らずに巻き込まれたワルツ家…………お父様。
そして何より………………
「新聞見たか? アルアンビー家がロンド家の娘を誘拐したって」
「ああ、貴族様の考えることはよくわからんが。まさか小さな子供を巻き込むとはとんでもないな」
「だよな、アルアンビー家って葬式が主な仕事らしいけど、こんなことする家に亡くなった人を預けたくないよ」
………………市井に投げ込まれた一つ情報。
複雑に絡み合った物語の行末は、一体どのような結末になるのでしょうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます