第25話 雨は出会いと別れの空模様

   ○○○

 ポチャン、ポチャンと奏でられる雨足の音色。傘を差して歩く人によって鳴り響く足跡の静かなリズム。鼻の奥にどんよりと染み渡る水の香り。曇天の空に描かれる青黒い風景画。


 いつも賑わっている大通りの景色も今日だけはどこか虚げに映り込み。毎日のように聞こえる日常の管弦楽オーケストラは雨の音色によって途切れ途切れに遮られてしまう。

 その音色はまるでそこにあったはずのものが無くなったような、どこか遠くへ消えてしまったかのような寂しい円舞曲ワルツを奏でていました。


 本日のダリアンはどうしようもないぐらいの暗い雨模様に包まれており、そんな静かな大通りの中を私は傘を片手に歩いていました。


「ブルース様にじいや様にソルちゃん。皆様は大丈夫でしょうか…………」


 歩きながら呟くのは見知った方達のこと。

 冷たい雨に打たれて身体を震わせてないか。寂しくて心の中で泣いているんじゃないか。募りに募る不安と心配は酒場へ向かう私の足を徐々に速めていくのでした。


 一刻も早く助け出さねばなりません。

 そう改めて心に誓いながら歩いていた時でした。


「あそこにいるのは………………女の子?」

「………………」


 大通りの中心で一人の女の子が傘も差さずにじっと佇んでいたのです。

 大きな三角帽子に阻まれて表情は見えませんが、おそらくとても困っているはずです。


「………………傘を差さないと風邪を引いちゃうよ。ほら、お姉ちゃんの傘の中においで」

「………………ぅん?」


 そして貴族たるもの困っている人を見過ごす事はできません。私は女の子元まで歩み寄りその小さな身体の上に傘を被せてあげるのでした。


 そこで初めて女の子の可愛らしいお顔が見えました。長くて白い髪の無垢なお顔です。この国では見かけないような長いローブと緑色のマントの服装から見るに、おそらく行商人である親御様と逸れてしまったのでしょう。


 親と逸れて不安で不安でたまらないはずです。私は女の子を安心させるために彼女に目線を合わせながらゆっくりと問いかけます。


「あのね、私はレイって言うの。あなたの名前を教えてくれる?」

「………………………………」


 女の子は答えてくれません。

 おそらく親御様から『知らない人と話してはいけない』と教育され、それを守っているのでしょう。とてもいい子ですね。


「私は怪しい人じゃないよ。ほら、この耳を触ってみて。もふもふしてて柔らかいわよ」

「………………………………」

 

 しかしまだ返事は返って来ません。

 ですが問題ありません。マリアンによる過酷な勉強に比べればこのような空気など恐るるに足りません。


「……………………まあいいわね」

「? どうしたの?」


 そうしてじっと待っていると、女の子がぽつりと口を開いてくれました。


「あのね、私の名前はシャルって言うの。行きたいところを探していたら迷ってしまったのよね。……………………お姉ちゃんは知ってる?」

「そうだったんだね。シャルちゃんはどこに行きたいの?」

「『エリア・ホット・ケイキ』という場所ね。そこへ行きたいのよね」

 

 エリア・ホット・ケイキ。確か外来の商人や旅人の方達が寝泊まりをするための宿場町の地名です。

 やはりシャルちゃんの親御様はこの国の外から訪れた人でしょう。我ながら自身の勘の良さに惚れ惚れしてしまいそうです!


「お姉ちゃんに任せて! シャルちゃんをその場所へ行けるようにしてあげる」

「本当なのね?」

「もちろん! でもここからは少し距離があるから馬車を捕まえた方が………………」


 そんな時、まるで見計らったかのようにして一脚の辻馬車がゆったりとした足取りで私達の隣を過ぎていったのでした。


「あ、そこの馬車、待って!!」と、声を出しながら大きく手を挙げると馬車はその足を止めて御者の方がこちらへ振り返ってくれました。


「どちらまで?」

「彼女を『エリア・ホット・ケイキ』までお願いします。代金はこれで」


 そう言って懐から銅貨を三枚取り出して御者へと手渡しました。

 このお金は黄昏の家でバイオリンの演奏をする時にマスター様から貰う演奏代です。ちなみに一日銅貨一枚です。


「ねえ、お金出してもらって良いの?」

「いいのいいの! さ、早く乗ってお父様お母様を安心させてあげてね」

「え? あのねぇ…………」

「風邪を引かないようにしてね!」


 そうしてシャルちゃんの乗った馬車は降りしきる雨の中を進み始めるのでした。


「じゃあねぇ、シャルちゃん!」


 とても晴れやかな気持ちです。

 いい事をすると気分が良くなる。それは雨の日でも晴れの日でも変わらない事なのですね。心が満たされます。


「それでは私も行きましょうか」


 雨足の音色を耳にしながら、私は貧民街へと足を踏み入れるのでした。





   ○○○

 時同じ頃。ワルツ家の屋敷の執務室にて。


 ワルツ卿はいつものようにデスクに置いてある書類の山と奮闘を続けている。

 雨の日だろうと貴族がやるべき公務は変わらない。この国が円滑に進めるよう、粛々と執り行うのみ。


「……………………」


 しかし、この日だけはワルツ卿の様子はいつもとは違っていた。いつもはスラスラと流れる川のように滑らかなペンの軌跡が、視界の端にあるものに気を取られて遅くなっていたのだ。

 視線の先にあるのは誰かの顔を書き記した人相書き。その人物が知り合いともなれば気になるのも仕方ない事だろう。

 そんなワルツ卿のまごついている様子を見てか、傍らに控えていた侍女長が心配そうな声色で語りかけた。


「旦那様、どうやら集中できてないご様子ですね」

「やはり分かるか。そうだな、私は今困惑しているようだ」

「アルアンビーの重要施設への放火、その犯人とされているのがクレイング様となれば困惑するのも仕方ありません。しかし旦那様が気になっているのはでは無いのでは?」


 侍女長の指摘にワルツ卿は「そうだ」と言いながら走らせていたペンの動きを止めた。


「昨日今日とクレイング殿がこの屋敷へ来ていないのはが理由だろうが、………………些か解せないな。状況を見るに放火事件は二日前に起こったと言うのに、こんなにも早く情報が出回ることが」

「何者かの陰謀と?」

「そこまではわからない。だがこのような外堀を埋め徐々に追い詰めていくやり方を好む輩を私は知っているのでな」


 そう言って椅子に背中を預けながら侍女長の淹れた紅茶を一口傾ける。


「それに騎士団についても気がかりだ。人相書きが出回り身内がこの様な重大な事件を起こしたと知っているにも関わらずあまりにも動きが遅すぎる。『ワルツ家がクレイング殿に命令して故人資料館ライブラリを放火させたのでは』と、私に対して詰問しに来てもおかしくないだろうに」

「まさか騎士団は今回の陰謀の裏を既に把握している?」

「少なくとも私が蚊帳の外にいるという事は確かだろうな。ここまで来るともはや清々しくもある」


 悲しいかな。ワルツ卿の言う通り今回の事件はワルツ家はまったくと言っていい程に無関係なのである。

 あくまでもこれは一人の騎士が起こした不祥事であり、その責任を背負う義務をワルツ家は負っていない。


「それで、ムーンレイは今どうしている?」

「いつものように外出中です。まだ旦那様にこの事は発覚していないと思っていますよ」

「雨の日でも出ていくとはな、よほど気に入った場所を見つけたようで何よりだ」


 それでもあえてもう一度言わせてもらおう、

 陰謀の外に立つワルツ家はこれ以上の情報を一切知ることができないのである。その娘が事件の渦中へ飛び込もうとしている事も。


「だが帰りが遅くなっているのは頂けないな。厳しく躾けておくように」

「もちろんです。お嬢様には私との勉強の楽しさを思う存分に堪能していただきます」


 その事実など知るよしもなく、ワルツ卿は公務のために再び書類へと目を写す。


「『以前から進めている貴家が管理していない銀山の所有権譲について話がしたい』か。…………マリアン、蝋を持って来てくれ」

「かしこまりました」


 そうして承諾の旨を紙に認めると、それを封筒に入れ蝋で封をする。そして封筒の裏へその人物の宛名を確かに記すのだった。

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