第23話 父上(ヴァーロン)

   ○○○

 薄暗い部屋の中で俺は父上ヴァーロンと呼ばれた老人の目を見やる。

 彼こそが貧民街の中に於いての頂点の存在。その気迫はまさしく老練の猛獣にすら見えた。しかしその優しげな視線からはどこか安らぎを感じられる。


「コーヒーは如何しますか?」

「二杯用意しろ。いつもと同じようにな」

「かしこまりました」


 そう言ってミミさんはこの部屋を後にし、ハンブルグは再びソファへ座る。


「座りたまえよ。お前は俺に用があってわざわざ来たのだろう?」

「…………ええ」


 促されるまま対面のソファへと腰を下ろす。


「コーヒーが来るまで暫し待とうか。やはり会話には喉を潤すものが不可欠だ」

「コーヒーとは珍しいですね。この国の貴族とかは大概紅茶を飲むのを好んでいるのですが」

「紅茶など腐らせた葉っぱを水で薄めただけの無礼で粗雑な飲み物だろう。コーヒーは違う。生産から焙煎、抽出という究極の秩序ルールを守った末にたどり着く至高の飲み物なのだよ」


 ハンブルグから漂うこの計り知れない気配。ただ座っただけなのに先のゲーム以上の緊張で頭の耳も震えてしまっている。

 しかしながら少し会話しただけでもコーヒーに対するこだわり、そして貴族に対する憎悪だけは強く感じ取れた。


 そうしてしばらく待っていると、廊下の方から芳醇な香りが入り込むと同時にミミさんがトレイを片手に現れた。

 そしてトレイに乗ったカップをそれぞれ俺とハンブルグの目の前に置いた。


「こちらはフェリアル産の豆を中細挽きし押し淹れました。フルーティな甘味と深いコクが特徴の一杯です」

「よろしい。ミミ、お前は下がれ。彼は俺との対面サシの話し合いを願っているようだからな」

「ええかしこまりました。それではブルース様、ごゆっくりとお楽しみ下さい」


 ハンブルグはミミさんが出て行くのを見ると、コーヒーの注がれたカップを手に取り漂う匂いを堪能する。


「ん〜、いい香りだ。これこそ至高の一杯よ」

「……………………」


 ひとしきりコーヒーの香りを楽しむと、カップを口元で傾けてゆっくりと飲み始めた。


「おや、飲んでないな。心配するな、ミミは客人のコーヒーにを入れるような無礼な奴ではない、遠慮なく飲みたまえよ。美味しいぞ」

「…………ええ、いただきます」


 勧められるままにコーヒーを口の中に流し込む。ちなみに言うとこれが初めて飲むコーヒーだ。

 そしてその結果は…………、良くない出会いとなってしまった。


「………………う」


 最初に感じたのは舌を焼き尽くしてしまうと違えてしまうほどの熱さだった。以前にマリアンさんに振舞ってもらったレモンティーとは比較にならない熱さだ。

 そしてやはりというべきか、ナイフで切りつけたかのような鋭い苦味が口の中いっぱいに広がっていく。

 先程ミミさんの言っていたフルーティな甘味やら深いコクなどまったくわからない。ただひたすらに黒色の苦味か浸透する。


(苦い………………)


 つまるところ、このコーヒーは俺の口には合わなかったということだ。

 そしてその気配が顔に現れたのだろう。ハンブルグが口元を綻ばせながら俺を憐れむような笑みを浮かべた。

 

「いや失礼した。このコーヒーは君の口には合わないようだ。だが出された飲み物を残すのは礼節に欠ける行為だ。悪いが最後まで飲んでくれよ?」

「………………そうさせていただきます」


 確かに出されたものを残すのはこのコーヒーを淹れてくれたミミさんに申し訳ない。時間は掛かるがゆっくり飲ませてもらおう。


「それでブルースよ。お前はなんの用があって俺を訪ねたんだ?」

 

 ハンブルグはカップを置き、口元に手をやりながら訪ねて来た。

 さて、ここまでは前置きだ。少し長くなってしまったがようやく本題へと進められる。


「アルアンビー家の領地にある故人資料館ライブラリ。そこで起こった放火事件について聞きに来たのですよ」

「放火事件についてねぇ………………。つまり用というのは『俺に質問をしに来た』ということか」


 そう言うとハンブルグはソファへと背中を預けてこちらに興味深そうな視線を向ける。


「答えても良いが…………、俺だけ答えるというのも対等ではないよな?」

「………………つまり?」

「俺もお前に質問をする。お前が一つ質問をすれば俺も一つ質問をする」


 要は俺の持っている何かしらの情報を知りたいというわけだ。

 彼がどんな質問をするかはわからない。だが相手は仮にも貧民街の重鎮、そして放火事件の容疑者の一人なのだ。並大抵の問いはしてこないはずだ。


「包み隠さずに話そうではないか。お前が質問し俺が答える。俺が質問しお前が答える。その後このコーヒーを飲んでお前はお家に帰り、今日が終わる。つまり正直になればお互いに最高の結果が得られるんだ。実に平和だろう?」

「…………そうですね。平和が一番です」


 しかし悲しいことに放火事件の主犯にされている俺に選択の余地は無い。

 だがタダでは終わらない。絶対に放火事件の有力な手掛かりを、それこそ真犯人を突き止めてやる。


「それで、何を聞きたい?」

「前提の確認ですがアルアンビー家の領地で放火事件が起こったことは知っていますよね?」

「ああ、今朝の新聞の一面だったからな。下の奴らも話題にしてる」

「そして貴方はダリアン十二貴族を憎んでいる。もう聞きたいことはわかりますよね?」

「俺、もしくは俺の手の者が放火事件を起こしたと言いたいのか」


 瞬間、コーヒーの温かい湯気に包まれた部屋の温度が一気に低下し冷たくなる。

 そして正面に目を向けるとハンブルグの父親を思わせる優しい瞳が突き刺すような鋭い目付きへと変化していた。


 これが貧民街の重鎮が向ける視線、まるで獰猛な狼を想起させる必殺の眼差し。まったく末恐ろしい。

 しかしそんな視線、俺には通用しない。


「ほお、身じろぎ一つしないか。これでも気配は出しているのだがな」

「市井の者ならそれで充分でしょうが…………、俺には通用しませんよ」

「その無礼な言動は大目に見てやろう。そして礼儀としてその質問にも答えてやろう

 そうだな、確かに俺は十二貴族という名の害獣を嫌悪している。しかしそれだけだ放火なぞ起こしてもいない。いくら俺でも憎しみだけで火を付ける事はできない」


 ハンブルグは当たり前のように自身の関与を否定した。

 当然、俺がその答えに納得できるはずががない。


「それなら本当の犯人が………………」

「待てよ。何故お前が続けて質問をしている? 言ったはずだ、お前が質問し俺が答える。俺が質問しお前が答える。……次は俺の番、だろ?」

「…………ええ、そうでしたね。失礼しました」


 言葉を遮られながらも内なる疑問を引っ込める。

 相手はここの主人で俺はあくまで客人なのだ。故に相手の定めたルールには遵守する必要がある。

 そうしなければ俺の求める答えには辿り付かない。悲しいことに。


「それじゃあ質問だ。何故お前は放火事件なぞを追っている?」

「………………」


 その質問に頭の中に更なる疑問が生じた。

 既に放火事件の犯人の顔は新聞を通して出回っている。そのことは当然彼も知っているだろう。ミミさんのゲームの時は仮面を付けていたので客達には気付かれていなかったが、今は違う。

 仮面を外し、その顔を晒している。つまり俺が事件を理由はもうわかり切っているだろう。


「何が聞きたいのですか?」

「言葉の通りだ。さあ、答えろ」


 放火事件を追う理由、そんなのはわかり切っている『俺の無実を証明するため』。そして『俺を貶めた真犯人を見つけるため』だ。

 

「言われなき罪を背負う気はありません。他が頼れないなら自分でやるしかないでしょう」

「…………それもそうか。まあ良いだろう」


 どうにも納得してもらえていないようだ。だが事実なのだから仕方ないだろう。

 さて、さっきは質問を遮られたが俺の番だ。

 まだこの夜は終わらせない。

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