第18話 薄明の館②

   ○○○

 迫り来る銀色の光を無理矢理身体を倒すことで間一髪回避した。が、掠ったナイフの一閃は頬を傷付けながら仮面を明後日の方向へ弾き飛ばしてしまった。


「ぐっ、危なかった…………」

「チッ、仕留め損なったか」


 バーテンダーは唾を吐き捨てながらナイフを構え直す。

 明確に研ぎ澄まされた殺意の眼。そして吐き捨てた一言の重み。わかってはいたがどうやら標的は俺のようだ。


「ちなみに理由は聞かせてもらえるんですかね?」

父上ヴァーロンの領地に土足で入り込んだ。これ以上の理由があるか?」

「それはそれは、大変立派な理由なことで…………」


 そして悲しいことに早くも最終手段暴力を使うことになってしまった。とはいえ自分の命は守らなければならない。


 構えを取りバーテンダーの男と睨み合う。

 向こうはナイフを持っている。油断した瞬間にその銀色の殺意が俺の心臓目掛けて襲って来るだろう。


 お互いに見合う。微かに聞こえて来る雑踏の音が耳を煩わせて来る。


「死ね」


 最初に仕掛けたのはバーテンダーの男から。

 姿勢を落としながらナイフを持っていない左手で俺の顔を隠してきた。


「ハッ!」


 顔を覆う掌を払い落とす。が、第二手ナイフが下から上へと綺麗な曲線と共に無防備な腹に目掛けて襲って来る。 

「殺った!」と、バーテンダーの心の声が聞こえてきそうだ。しかしそれこそが大きな間違い。


「なッ………………!」


 バーテンダーの男の視線の先、俺の腹に鋭利な銀色が突き刺さっている光景……………………ではなく、自分の右手がナイフに突き刺されて赤く染まっている光景だった。


「残念。ナイフを持っているのが自分だけとは思わない方が良い。最終手段は最後の最後まで取っておくものだ」

「………………ッ!? ガァアアッ!!」


 瞬間、彼は激痛に膝を突いて倒れてしまった。

 しかし最後まで油断はしない。地面に落ちたナイフを蹴飛ばしながらバーテンダーの男をうつ伏せにさせる。

 そして右手に刺さったナイフをゆっくりと、丁寧に引き抜く。


「グッ…………グギッ…………」

「痛くしてすみません、ですがこれはまだ使うのでね。慎重に扱わないと」


 引き抜いたナイフに付着した血をバーテンダーの服で拭うと、そのまま彼の首元に置く。これで一安心だ。


「さて、いくつか質問をさせてください。なに、『はい』か『いいえ』で答えられる簡単な質問ですから。まず一つ目、貴方はアルアンビー家の領地で発生した事件を知っていますか?」

「………………はい」

「二つ目、このバーのオーナーはダリアン十二貴族を恨んでいるというのは本当ですか?」

「………………はい」


 生殺与奪を握ったからか、バーテンダーの男は先程までとは打って変わり大人しく俺の質問に答えてくれていた。

 これなら最後の質問も安心して聞けそうだ。


「最後、このバーのオーナーはアルアンビー家の放火事件を計画しましたか?」

「…………………………」

「このバーのオーナーはアルアンビー家の放火事件を計画しましたか?」

「…………………………」


 黙ってしまった。どうやら彼に取って答え辛い質問だったようだ。

 仕方がないので少しだけ話しやすくさせてあげよう。まあ騎士団が執り行う尋問の流れを通すだけだが。


「ひっ…………」


 そうして彼の首元に置いてあるナイフをゆっくりと引く。すると首の皮が綺麗に開いて、そこからツーっと赤い血が垂れてくる。


「死にはしませんよ、それではもう一度聞きますね。このバーのオーナーはアルアンビー家の放火事件を…………」

「そこまでです、おやめください」


 と、その時だ。

 扉の方から凛々しい女性の声が聞こえて来た。

 見てみるとそこにはバーコートを身に纏い、ウェーブが掛かった長髪を伸ばし、そしてお約束の仮面を付けた長身の犬族ワングスの女性が扉の前で立っていた。

 

「そこの彼が無礼を働いたようで、誠に申し訳ありません。しかしながら彼の拘束を解いていただけませんか?」

「………………いいでしょう」


 そう言って俺は呆気なく彼を解放した。

 首元の傷は問題無し。右手の刺し傷は重傷だが、まあ綺麗な水で洗ってしばらく安静にすれば勝手に治るだろう。

 なのでそんな親の仇を見るような眼はやめてくれ。少々高めの授業料だと思って欲しい。


 しかしその視線を彼女も感じたのか、バーテンダーの男を見下ろしながら冷酷に語り掛けた。


「わたくしは『客人を丁重に出迎えろ』と命令したぞ。誰が襲えと言った?」

「う、それは………………」

「『わたくしの言葉は父上ヴァーロンの言葉と思え』とも言った。貴様の行動は父上ヴァーロンに対する叛逆と捉えるべきか?」

「そ、それだけは! 何卒お慈悲を!」


 可哀想に、右手の傷の処置もできずにああして見下ろされながら叱責を浴びせられている。

 まあ話の内容を聞く限り彼の独断の結果だ。深く反省してもらおう。


「その程度の怪我で済んだことを幸運に思え。わたくしが彼なら迷い無くその首を刎ねている。今すぐにここから去れ、後に貴様には厳しい罰を与える」

「は、はいィッ!!」


 こうしてバーテンダーの男は逃げるようにこの部屋から去って行った。

 そしてウェーブ髪の女性はこちらへと顔を向けて深く頭を下げた。


「誠に申し訳ありませんでした。こちらの者が貴方の手を煩わせてしまったようですね」

「顔を上げて下さい、顔に掠った程度なので問題ありませんよ。それより貴女は何者ですか?」

「これは失礼しました。わたくしはこの薄明の館のマスターを任されております『ミミ』といいます。本日はご足労大変ありがとうございました、

「………………どうやら自己紹介の必要は無さそうですね」


 乾いた言葉にミミさんの口元か綻んだ。

 仮面のせいで詳しい表情はわからないが、少なくとも敵意は抱いてないようだ。


「はい。ですが念のためお聞きかせください。こちらへはどのような理由で訪れたのでしょうか?」

「ダリアン十二貴族の一家、アルアンビー家で発生した放火事件についてこのバーのオーナーと話をさせて欲しい」

「かしこまりました、付いてきて下さい」


 そうしてミミさんは踵を返して歩き始め、俺が彼女の後を付いて行く。長い廊下を歩いて行き、華美な色で塗られた扉が見えてくる。

 開いて中へ入ると薄暗い蝋燭の光と共に酒と煙草の匂いが俺を出迎えるのだった。


「いやはや、先日の演劇祭ではかなり儲けさせてもらいましたな。小さなトラブルがあったそうだがそれにも勝る売り上げだ」

「ロンド卿様々ですわね。ところで先日の火事騒ぎの影響で防火用の設備の需要が………………」

「なるほど、確かロクスの鍛冶場が使っている耐火性の建材が………………」


 そこはバーのホールだった。こじんまりとした店内には七、八人の仮面を付けた男女が酒を片手に何やら奇妙な会話を繰り広げている。

 その服装を見るに彼らはダリアンの中流の貴族や他国の豪商・貴族であろうと察せられる。

 

「社交場…………いや取引所か?」

「半分正解です。ブルース様の言う通りここは高貴な皆様の社交場でございます。ただ普通の社交場とは違い少々刺激的な娯楽も提供しています」


 そうして俺達はホールの中心にある一席のテーブルの前で止まる。


 そしてミミさんは「さて、ちょうど良い時間ですね」と言いながら耳元に両手を置きパン、パンと心地良い打音を響かせた。


「お前ら! 開店だよ!」

「「へい!!」」


 そこから先は目を見張るような光景だった。

 ホール内にある全てのテーブルの上に緑色のクロスが敷かれ、トランプが並べられ、チップが積まれていき、店の奥から楽器を持った数人が登場すると大通りで耳にするような乱雑な即興音楽ジャムセッションが奏でられ始めた。

 先程まで綺麗な会話を交わしていた客達もこの光景を見て興奮を抑えきれないようで、仮面の奥で歓喜の笑みを零している。


「紳士淑女の皆様、大変長らくお待たせしました。我々薄明の館の一同が皆様の快楽が満たせることをお約束します! 今宵も大いに楽しみましょう!」

 

 ミミさんの号令により先程までは静かな雰囲気だったバーが一瞬にして変貌した。

 そうして客達は各々のテーブルへと赴き、快楽を満たすための娯楽を興じ始めた。


「なんなんだ…………これは?」


 一連の光景を俺は目を点にして眺めることしかできなかった。

 言葉にすれば簡単だ。この薄明の館は社交の舞台であると同時に賭けの舞台でもあったというだけだ。それでもこのような唐突な変貌には頭の理解が追い付けなかった。


「驚かせてしまったようですね」

「いえ、問題無いですよ。それで、わざわざ俺をここに連れて来た理由はなんでしょうか?」

「ブルース様には少し間だけわたくしと付き合っていただきたいのです」


 そう言いながらミミさんは目の前にあったテーブルのイスへと腰を下ろした。

 緑色のクロスが敷かれたテーブルの上には一組のトランプと二つのシルクハット、山盛りになったチップが置かれている。


「このまま何もせずに父上ヴァーロンの下まで案内するのもおもむきがありません。ここは一つゲームのお相手をしていただけませんか?」

「………………念のため聞くけど断った場合は?」

「残念ですがそのままお帰りいただくしかありませんね」


 つまり最初から俺には選択肢は無いということだ。


「いいだろう、ゲームをしようか」

「有難う御座います。ブルース様ならそう言ってくれると確信しておりました」


 仮面の奥で犬、いや猟犬が静かに牙を覗かせた。まったく、貧民街の人間はこういうのが上手くて嫌になる。


「紳士淑女の皆様、ホールの中央をご注目ください」


 そうしてミミさんは席から立ち上がると、再び手を叩いて客達の注意を集めさせた。


「ただ今より『ダリアン・ポーカー』を始めさせていただきます。本日訪れた皆様は大変幸運でございます、今宵はこのわたくしめとこちらの見目麗しき犬族ワングスの青年による世紀の一戦を目撃することになるのですから。わたくし、そして彼の勇姿をその眼に焼き付け、心を焦がし、最高の夜を作り上げましょう!」


 長身のマスターによる高説はホール内の熱気を最高潮に引き上げるのに充分な効果を持っていた。


「ほお、ダリアン・ポーカーか。見るのは久しぶりだな」

「さて、どちらが勝つかな?」

「俺はマスターに二十だ」

「それじゃあ私は青年に三十にしますわね」


 そして俺が座るテーブルは一斉に注目を集め、今から行われる対戦が賭けの対象になった。

 まあこれも貧民街の特色だろう。あまり良い気分では無いがね。


「それでは始めていきましょう、ダリアン・ポーカーを!」

「………………お手柔らかに」


 とはいえせっかくの機会だ。大いに楽しませてもらうとしようか。

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