第17話 薄明の館①

   ○○○

 貧民街はダリアンの都の東側から南側にかけて続いている寂れた街だ。

 生活がままならなくなった者、謀略により生活を奪われてしまった者、夢に破れてしまった者、自ら進んでここに訪れた物好き。様々な人間が様々な理由でこの街の住民になっていく。


 貧民街の区分は大きく分けて三つ存在しており、まずダリアン東部の大通りから道なりに進んでいくといつの間にか辿り着く場所。

 迷い込んだ不幸な市民を目当てに追い剥ぎが蔓延る貧民街の玄関口。黄昏の家はここにある。


 次に比較的治安が良く住民同士が寄り添って生きている中間区。アコギの奏者であるポールさんの家があるのもこの場所だ。


 ………………そして最後、三つ目の区画。


「あぁああ〜ん! いい、いいわ! もっと、もっと奥まで来て!!」

「やあ兄さん、銀貨一枚であの娘と最高の夜を過ごさないか?」

「ああ、これが本物の芸術だ………………」


 まるで太陽のように輝いている蝋燭灯の光が人々を包み込み、通りの至る所から歓声と嬌声が響き渡る刺激と享楽の街。

 『内側にある外側』『芸術の成れの果て』『魔性の美術館』など、様々な言葉で揶揄され、それら全てを飲み込んだダリアンの怪物。


「そこの緑髪の兄さん、ウチで楽しまないかい?」

「……………………」

「チッ、無視かよ」


 ここはダリアンという芸術を愛する国の。貧民街の奥地にある退廃を極めた小さな小さな名も無き芸術の歓楽街。


「あっ、あっ、あぁあ〜〜!!」

「……………………」


 そんな快楽に狂った街の通りを俺は無言で歩いていた。

 時折呼び込みの男から声を掛けられても無視を決め込み、建物から聞こえる艶めかしい嬌声を聞き流しながらひたすらに目的地へ向けて歩き続ける。


 そうして騒がしい声が聞こえて来なくなった頃。蝋燭灯の淡い光に照らされている煌びやかな酒場がその姿を現した。


「お待ちしておりました」

「今夜も楽しませてもらうわ」


 物陰に隠れながら様子を伺う。

 酒場の看板には『薄明の館』と書かれており、扉の前には目元を覆う仮面を付けた二人の男が客であろうドレスを纏った女性を出迎えていた。


「ここが情報屋の言っていた奴がいる場所か」


 情報屋から放火事件の真犯人へ繋がる手掛かりについて聞いた俺はその三人の候補について動ける範囲で調べた。それでわかったことは一つ。全てが『わからない』というどうしようもない結果。

 そもそも俺が放火犯として顔が割れている都合であまり動けず調べようとしても無駄に終わったのだ。


「まあやれることからやるしかない、か」


 このような経緯があって、今のところで所在が判明している『ダリアン十二貴族に恨みを持つ貧民街にある会員制バーのオーナー』が居るであろう酒場にこうして足を運んだのである。

 

「と、来てみたもののどうしたものか………………」


 先にも言ったが目の前にあるのは会員制のバー。つまるところ一見さんはお断りの店なのだ。


 正面突破は論外。騒ぎを起こしては本末転倒だ。

 会員を見つけて一緒に入ろうにも俺みたいな輩を同伴しようとする酔狂な奴なんていないだろう。


「どうやって入ろうか」と頭を悩ませても妙案は一向に浮ばず、ただじいっと明るい光に照らされた看板を眺めることしかできなかった。


「はははっ…………」


 行き当たりばったりもここまで来るともはや笑えてしまう。しかしいくら乾いた笑いを上げたところでマスターの故郷の格言にある『福』とやらが訪れることは決して無い。


「もうどうしようもないか」


 もうこのまま回れ右して帰ろうか。もしくは玉砕覚悟で正面突破を仕掛けようか。

 そう諦めかけたその時、俺の下に『福』が訪れた。


「申し訳ありませんが当店の前をうろつかれるのはお辞めください」

「…………え?」


 店の扉の前で控えていた二人の仮面の男の内の一人がこちらへ近づいて声を掛けて来たのだ。

 どうやら蝋燭灯の光によって生まれた影が俺の隠れていた場所を教えてしまったようだ。


 側から見れば無様な失態だろう。しかしこれはある意味好気でもあった。


「あー、すみませんね。ついつい綺麗な建物に見入って眺めていましたぁ。もしよろしければ中へ入れてもらったりぃ…………?」


 わざとらしいぐらいに怪しい口調で仮面の男へ語りかける。

 産まれてから貧民街で暮らしている彼らは生きていたその環境から他者を警戒する気質となっている。そして一度でも怪しいと感じた者を徹底的に排除しなければ気が済まないという『悪癖』を患っている。


 つまりどういうことかというと。


「………………怪しい奴だな。少し痛い目に遭ってもらってから帰ってもらいましょう」


 このようにして簡単に釣られる訳である。


「そんな理不尽な! やめてください!!」

「不用意に近づいた貴方自身を呪いなさい。心配いりません、持ち金と見ぐるみが無くなるだけで命は残しておきますよ」


 そして不用意に釣られた者は手痛い反撃に遭って倒れるまでがワンセットだ。


「…………………それじゃあそうさせて貰おうか」

「は?」


 振り上げた拳よりも早く金的を思いっきり蹴り上げる。

 男性の尊厳に大きな傷を負って悶絶する男の背後に回り込んで首を両腕で絞め上げる。

 そうしてしばらく拘束すれば愉快な現代芸術の出来上がりだ。


「ぐっ、くえ、ぐぐっ………………!」

「少しだけ眠っててくださいね」


 その後店から見えない場所へ仮面の男を移動させると、彼が着ている服を丁寧に脱がしていった。

 スーツ一式、そして仮面。幸いにも俺と男の体格は似ているのでこれを身に付ければ余程の事がない限りバレる事はなさそうだ。


「借りていきます。不用意に近づいた自分自身を呪ってください」


 せめてもの慰めとして近くに落ちていた新聞紙を被せてあげる。冬のダリアンは身も凍る寒さだ。

 そうして警備の男に変装した俺は何事も無かったかのように酒場の前へと近づいて行った。

 

「戻りました」

「ああ。それでお前が見たのはなんだったんだ?」

「ただの野良犬でした。少し追い払ったらすぐに逃げましたよ」

「………………なんかお前声変わったか?」

「いえ、別に?」

「そうか………………」


 堂々としてれば細かい変化は意外と見過ごされるもの。騎士団で学んだ教訓の一つだ。


 さて、ここまで近づけたは良いが次はどうやって中へ侵入しようか。いきなり中へ入りたいと言っても聞き入れられないだろう。


(もうこのままコイツを倒すか? ダメだな、確実に騒ぎになる)


 故人資料館ライブラリの時にも言ったが俺は穏便に事を進めるのを好んでいる。暴力による解決はいつだって最終手段であるべきなのだ。

 とはいえ停滞したこの状況を続けていてもただ危険が増すだけ。

 一体どうするべきか………………。


「そこの君」


 その時だ、酒場の奥から声が聞こえて来た。

 振り返るとそこにはバーコートに身を包み仮面を付けた猫族ニングスの男性の姿。その視線は真っ直ぐと俺に向けられていた。


「少し荷物運びを手伝ってくれ」

「わかりました」

 

 不幸続きの俺にまたもや『福』が訪れた。

 ありがたいその命令に二つ返事で返すと仮面の奥でニヤリとほくそ笑みながらバーテンダーの後に付いて行った。


 入口の扉を潜り抜け、人の気配を一切感じない長い廊下を歩き、その途中にある扉の前で立ち止まる。

 扉に立て掛けてあるプレートには『ゴミ保管室』と書かれており、その奥からつんとする異臭が漂って来ている。


「ここだ。この部屋にあるゴミを全部持って行って欲しい」

「わかりました」


 バーテンダーに促されて扉を開いて中へ入る。


 そこにはが広がっていた。


「すみません、ゴミがな………………」

「死ね」


 その瞬間、鋭い銀色の光が俺に向けて迫って来るのだった。

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