第15話 揺蕩う騎士少年(ナイト・ボーイ)

   ○○○

 一眼見た瞬間から理解できた。

 これは夢なんだ、とね。


 相変わらずの紫色のカーテンに覆われた舞台。その幕下に広がる観客席を俺は独り占めしている。

 二回目ともなると観客がいない事などそれほど気に留めるような事ではなくなり、そんな事よりもこれから始まるであろう公演の方が俺の興味が惹かれていた。


 そうしてしばらくするとジーッという音と共にカーテンが開かれて本日の舞台が始まった。


「ハァ…………ハァ…………」

「四六三回、あと三七回残っているよ?」


 舞台は騎士団の中庭。数多の騎士達が守るべきものを守るために己を磨く場所。

 演者は二人。薄い緑色の髪をした犬族ワングスの少年と真っ赤な髪の少女。


 どうやら騎士団の訓練中なのだろう。剣を杖代わりにしながら肩で息を少年を少女は見下ろしていた。


「ハァ………もう………限界、です………!」

「いや、クレンならできる。ハートの騎士ならそう言うはずだよ。さあ、立って」

「はい…………!」


 少女の言葉に奮い立った少年は震える手で剣を構えると、勢いよく振り下ろした。フッと風を切る音が舞台の上で木霊する。


「四六四! 四六五! 四六六!」

「腰を張るのを意識しよう。体勢の乱れは剣の威力に直結するからね」


 少年の顔が真剣味を帯びて行く。

 汗だくの額を拭う事なく、ただひたすらに剣を振り続ける。そしてそんな少年を少女は微笑み混じりに指導する。

 まるで空の飛び方を教える親鳥と子鳥のようだ。どちらとも身長はまったく同じだがね。


 そうして、四八〇回、四九〇回、と剣を振り続けていき。


「四九九! 五〇〇!! ああー! 終わったぁ!!」

「うんうん、よくやり切ったね。さすがはクレンだ」


 辛い訓練を終えて地面に身体を投げ出した少年を少女はやっぱり見下ろしていた。

 その表情はどちらも晴れやかで、見た目相応の良い笑顔を浮かべている。


 本当に思わず目を覆いたくなるような眩しくて、爽やかな笑顔だ。まるでこの先の未来すらも明るくて照らしてしまいそうなほどに、眩しい笑顔。


「どうだい? 厳しい訓練をやり切った後は気持ちいいだろう?」

「うん! すごい疲れたけどとても気持ちいいです!!」

「うんうん、その胆力。やっぱりクレンは良い騎士になれるはずだ」


 少女が横になっている少年に手を伸ばす。

 少年はその手を取って勢いよく立ち上がった。


「魔物や災害、それに人。騎士は大切なものを守るために色々な辛いことを経験する。中には自分だけじゃどうしようもない物だって沢山ある。でもクレンならきっとそれらを乗り越えられるとボクは確信しているよ。だって今日の訓練を成し遂げたんだから」

「そんなの、俺にはよくわからないよ」


 少女の言葉に少年は頭を傾げる。

 まだ幼い彼にとって少女の言うというのは朧げで曖昧な、まるで霧の中を泳ぐ魚のような理解できない存在だ。悲しいことにな。


 だが少年に対して少女は笑みで返す。妖しく優しい笑みだ。


「いずれわかるよ。さあ、宿舎に戻って夕食にしよう。今日のごはんななんだろうね」

「はい、了解です! ごはん楽しみです!」


 そうして二人はオレンジ色の夕陽を背中に浴びながら舞台の奥へと消えた。

 演者の二人が居なくなると、まるで夕陽が落ちるようにして舞台の明かりが消えて徐々に暗くなり始める。それと同時に紫色のカーテンが音を立てながらゆっくりと降りていった。



 これにて少年の物語の第二幕はおしまい。またの公演を心よりお待ちしております、ということだ。

 そうして示し合わせたかのようにして強烈な眠気が襲い、誰もいない劇場の観客席で俺は再び眠りに着くのだった。


 まったく、本当にこの場所は最高の寝心地だ。




   ○○○

 時は遡る。

 午前四時、故人資料館ライブラリ放火発生から六時間後。


「まったく、嫌になる…………」


 どうやら、俺はとんでもないものに巻き込まれたらしい。

 アルアンビー家の故人資料館ライブラリが燃え、放火の容疑をかけられてなんとか逃げおおせてから約六時間。

 俺は騎士団の廊下を身を潜めながら歩いていた。


 ダリアンという国では重大な事件の情報が出回るのは本当に早い。それこそ突風が吹くようにして情報が飛んで回るぐらいには。

 まあそんな大きな事件が滅多に起こらないという、それだけこの国が平和であるという証でもあるのだが、今の俺にとってその平和が牙を剥いて襲って来そうなのだ。


 幸いまだ俺が放火犯であるという謂れのない容疑はかかっていないだろう。が、それも時間の問題だ。

 そして今の俺にはやるべきことが沢山ある。その為に煤と灰にまみれた顔を洗う暇も無く騎士団の廊下を歩き続けていた。


「…………着いた」


 見えてくる目的地の扉。騎士団長室。

 冬の空はまだ夜に包まれている。そんな時間に果たして彼女がいるかどうかわからない。


「夜明け前に申し訳ありません、クレイングです」


 それでもやるしかない。なにせこれしか解決する糸口が知らなかったから。

 そうして俺はいつものように返事の無い扉を開いて中へ入った。


「……………………」

「おはようクレン。冬の寒さはさすがのボクでも身に堪えるよ。外の暗さも相まって一段と身に沁みるね」


 そこにはいつものようにデスクに腰を下ろして微笑んでいるニコロの姿があった。


「でも君はそうでもないようだ。昨日の夜はどこかで焚き火をしていたのかい? たとえば、アルアンビーの墓場とかで」

「どうやら騎士団長にはお見通しのようですね」


 まあ俺の煤と灰まみれの顔を見れば嫌でもわかると言うことだ。それにしても騎士団長の察しの良さには脱帽するよ。

 とはいえ今はその察しの良さを求めてここに訪れたのだ。俺はことの経緯をぽつぽつと語った。

 

「…………と、燃え上がる故人資料館ライブラリから脱出しましたが、今度は放火犯として捕まりそうになり今に至ります」

「なるほど、さぞ大変な夜だったんだね。でもこれからもっと大変になりそうだね?」

「ええ、警護の者に顔を見られています。すぐに人相書きが出回り衛兵隊が動き始めるでしょう」

「事は十二貴族が保有する重要施設の放火だ。さすがのボクでも庇いきれないなぁ」


 ニコロは万事休すと言うような苦い笑みを浮かべた。

 そう、これは見方を変えればダリアン十二貴族というこの国の支配者の一角に弓を引く行為に等しい。彼らは血眼になって俺を捕まえに来るだろう。


「俺は無実です。その為に身の潔白を証明する必要があります」

「ふふっ。クレン、一応言っておくけど君はアルアンビーの施設の不法侵入とレインデイ・ドゥ・ワルツの資料を盗んだんだよ?」

「おや、今朝のニコロはとてもいじわるですね。まあ、確かにそれらは事実です。が、放火などやっていない罪で捕まるなんて御免です」

「そうだね。二つの罪は音楽と絵画ぐらい違うことだ。その重さもね」


 そう、確かに俺は騎士の任務を果たす過程で罪を犯した。それは認めるしかない。

 だがこの放火事件は違う故人資料館ライブラリで見た謎の人影、まるで狙ったように放たれた火の手、そして俺に着せられた言われなき罪。

 

 これは言うなれば何者かの謀略だ。俺かアルアンビー家かそれともまだ知らない誰かを狙った何者かの。


「ともかく罪の潔白を証明するために動き始めなければなりません」

「そうだね。そんなクレンにボクから一つ助言をあげよう」

「…………助言、とは?」

「『自分の部屋に戻ってゆっくり休め』。そんな調子で良い動きができるはずもないし、そんな格好で出歩いているとすぐに捕まってしまうよ。幸いまだ君が放火犯の容疑者である事は衛兵隊に広まられていない、休めるうちに休んでおくこと。いいね」


 そう言われてハッとした。

 今まで興奮状態で意識できてなかったのか、急に身体が重くなり、激しい眠気が襲うと共に頭がふらつき始めたのだ。

 それに煤と灰にまみれた服も着替えなければ。


「………………そうですね、確かに休んだほうが良さそうです」


 そうして覇気のない返事を返しながらニコロに背を向けて部屋の扉に手をかけた。


「もうこんな時間だけど…………おやすみ、クレン」

「ええ、ありがとうございます。そして、失礼します」


 俺は騎士団長室を後にして覚束ない足取りで騎士団の自室へと向かうのだった。




   ○○○

 午後四時三十分。黄昏の家にロンド卿が訪れた頃。

 騎士クレイング・ラーブルの自室にて。



「ん、身体が重い…………、んー!!」


 朧げな瞳を手で擦りながら起き上がる。そして背中を伸ばして疲れていた身体を無理矢理に目覚めさせた。

 あれから十時間ほど寝ていたようで、外はすっかり夕焼けに染まっていた。

 とはいえ俺の勝負は今から始まるのだ。まずはそのための準備をしなくては。


「髪の埃は落とした。服も着替えた。あと念のため顔を見られないように帽子を被るか」


 髪に付いた灰を落とし、煤にまみれた顔を洗い、汚れた服を着替えた。

 淡々と、せかせかと、出掛けるための準備を進める。それは明日のデートに心躍らせる少年のように、まるで恋愛小説に出てくる懐かしの恋する少年ラヴァ・ボーイみたいに。


 そして最後に防寒用のコートを羽織る。

 目は冴えてるし、頭も冷静、体調も絶好調、服は着替えてとても爽やかな気分。これで準備は全て…………いや、あと一つだけ残っている。


「レインデイ・ドゥ・ワルツ…………」


 それは本来の目的のもの、求めに求めた情報の宝箱。ワルツ卿の亡き奥方の故人資料。

 これを手に入れるために昨日は大変な苦労をした。しかし今の俺はこの資料を読むような気分では無かった。

 

「…………この件が終わった後、じっくり読ませてもらうよ。今はコートのポケットの中で静かにしていてくれ」


 まるで大切な宝物を隠すように、故レインデイ嬢の故人資料をコートの中へと仕舞う。これで本当に全ての準備が整った。


「さて、行こうか」


 俺はいつものように自室の扉を開けて、夜の街へと繰り出す。

 果たして今夜は一体どうなる事やら。胸がドキドキして待ちきれないよ。悲しいことにな。

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