第14話 誘拐事件

   ○○○

「改めて伺わせていただきます。少々お時間をいただけますか?」


 確かな言葉と共にじいや様の足音が貧民街に刻まれていきます。

 その気迫はいつかの己を見ているようであります。が、気迫の中で燃える深い熱情は今までに感じたことがありません。


「じいや様、何故こんな所に…………、それにソルちゃんはどうしたのですか?」

「ソルちゃん…………ええそうです、レイ様。貴女様を慕う『ソル』と名を騙った少女。私が話したいのは彼女についてなのですよ」

「名を騙った…………?」


 その言葉はまるで打ち付けた金槌のように、私の心を大いに揺らしました。

 そして続く言葉はこの場にいる全員に強い衝撃を走らせるのです。


「ソリア・ドゥ・ロンド。それが彼女の本当の名前なのですよ」

「ソリアって…………、じいさんの孫か!!」

「………………」


 一際強い南風と共に貧民街の空にカラスが舞い上がります。

 ソリア。それはヴォリス様の息子の忘れ形見の名前であり、彼を縛り付ける鎖の名前でもありました。


 まさかここでソルちゃんの本当の名前を知ることなど思ってもいません。私は立ち眩むようにしてふらりと足を後退させたしまうのでした。


「唐突なことで少々混乱しているようですね、申し訳ありません。しかしこれは揺るぎない事実なのですよ」

「それで、ソリアの付き人がわしらに一体何の用だ。しかもこんな夜更けに来るとはな」

「それほどまでに重大なお話ということなのです」


 そう言いながらじいや様は髪に付いた埃を払いながら燕尾服の裾を正します。


「ソリアお嬢様が何者かに誘拐されました」


 そしてまるでオペラのような響く声色でその事実を告げるのでした。

 揺れる私達。当然のように最初に反応を示したのは彼女の祖父であるヴォリス様。じいや様の襟を掴み取り必死の形相で詰め寄ります。


「貴様、何と言った! 孫が………………ソリアが誘拐されたと言ったか!!」

「ええ、その認識で相違ありません」

「よくも飄々と言ってくれるな………………、何のための付き人だ!!」

「返す言葉もありません。私はお嬢様を守ることができなかったのです」


 じいや様の無表情の中にある無念と悲痛さ、それは察するに余りある悲しみを纏わせていました。

 その感情をヴォリス様も察したのでしょう。「クソっ!」と絞り出すと掴んだ襟を放り投げるように手離すのでした。


「………………言え。何があった」

「もちろんです。あれは一昨日の宵が少し過ぎた頃、レイ様と別れた後のことでした」


 じいや様はゆっくりとその時の出来事を語り始めます。



   ○○○

 とてもとても静かな夜。

 私は疲れて眠っているお嬢様と共に屋敷へと向かう馬車の中で揺られていたのです。

 エアルト中央広場を通り過ぎ屋敷まで残り僅かとなった時です、走っていた場所が急に止まったのです。


 何事かと御者に声を掛ける暇も無く瞬く間に黒いマントを羽織った五人程の賊の集団が車の中へと押し入って来たました。

 奴らの狙いがお嬢様だとすぐにわかりました。私は寝ているお嬢様を抱いて素早く馬車から脱出しようとしました。

 その後は私は賊から逃げようとしましたが、賊にとって子供を持った老体を捕まえることなど食事をすることと同じぐらい簡単なことでした。


 追い付かれてしまった私はそれでも抵抗しました。しかし結局私はお嬢様を奪われ、私はお嬢様を見捨てて無様に逃げ出したのです。

 



   ○○○

「そして現在、賊共の追跡の目を掻い潜りながら貴方達の前に現れた。ということです」


 そうして語り終えたと言わんばかりに、じいや様は瞼を落としながら一息つくのでした。


「まさかあの後にそんなことがあったなんて……………」

「まだ幼い少女を誘拐って、とんでもねえ奴らだ!」

「賊………か」


 話を聞いた私達の反応は三者三様です。

 私はその出来事に驚きを隠せず。

 ラギアン様は顔を知らない賊に怒りを露わにし。

 ヴォリス様は額に指を置きながら何かを考えていました。


 そしてベルリン様はじいや様の話にある疑問を覚えたようで、小首を傾けながら眉を顰めたのです。


「ロンド家のお嬢様が拐われたのなら何で貴方はヴォリス君達のところに来たの? ロンド家の当主に言う方が良いんじゃないかな?」

「それは最もな意見です。しかしそれができない事情があります」

「………………賊に心当たりがあるのか?」

「………………はい」


 賊の心当たり。その存在に私にも思い当たるものがありました。それは本日の調査にて訪れた新聞社にて、その中にあったやり取りに起因します。

 あの時の会話でベイリ様は『危険を犯してまで貴族の情報を欲しがるのは貴族のみ』と語りました。

 即ち『貴族の敵は貴族』ということです。


 そしてロンド家はダリアン十二貴族序列第四位に名を連ねる名家中の名家。それを相手に弓を引く存在は決まっています。


「まさか、ダリアン十二貴族の中の何者かがロンド家に敵対しようとしているのですか」

「そうです。しかし状況は皆様が思うより深刻に、そして複雑になっています。何故なら………………ッ!!」

「……………………」


 その言葉が最後まで語られることはありません。

 それはあっという間の出来事でした。暗闇に紛れ流ように黒いマントを羽織った五人の集団が私達を囲むようにして現れたのです。


「ッ!? 何者だ貴様ら!」

「……………………」

「奴らがお嬢様を拐った者達です!」


 唐突な出来事に戸惑っている私達に彼らが待つ事はありません。

 集団の一人が慣れた身のこなしで私達が気付く間も無く瞬時にじいや様の背後へ詰め寄ると、片方の手で腕を掴み取り、もう片方の手で首を締め上げ、残りの四人は私達の間に割り行り、じいや様へと近づけないよう妨害しています。


「そこを退け!」

「クソっ、コイツら…………」

 

 ラギアン様とヴォリス様がじいや様を取り返そうと男達へと突撃しますが荒事に手慣れているであろう彼らが相手では成す術がありません。

 締め上げられたじいや様は苦しそうにうめきながら最後の言葉を伝えようと喉を張り上げました。


「グッ…………皆様、この事は誰にも話さないで下さい! お嬢様をお願いします!」

「……………………」


 その言葉を残してじいや様は意識を失い、黒マントの集団がそのまま連れ拐おうとしています。


「逃しません!!」


 そのような非道、貴族として見逃せません。

 振り向いた彼らの隙を突いて一人の黒のマントの裾を引っ張ります。

 「ぐっ」と聞こえる男のうめき声。しかし成人した男性と私では力の差が大きすぎました。


「このガキ、離せッ!!」


 男は怒り任せに腕を振り回して、マントを掴んだ私の頬を殴り弾き飛ばしたその瞬間でした、黒いマントに隠れた男の胸元がキラリと光って見えたのです。


(あれは………………紋章?)


 しかし心の内に芽生えた疑問は衝撃によって遮られてしまいました。


「いたっ…………」

「レイちゃん!!」


 貧民街の汚れた地面に転がり倒れ、殴られた頬の痛みがじんと冬の寒さによって広がっていきます。

 …………………とっても痛いです!


「チッ!」


 私の健闘虚しく賊達はマントを翻して去って行きました。

 慌しかった夜の貧民街に再びの静寂が訪れます。


「レイちゃん! 大丈夫か!!」

「うっ、はい。少し腫れてしまいましたが問題ありません」

「………………どちらにしてもこの時間に奴らを追うのは危険だ。明日にまた酒場で集まってどうするか考えるぞ」


 ヴォリス様の言葉に私達は異論を返すことができません。

 こうして放火事件調査の初日は私達に新たな謎を投げかけたまま終わりを迎えました。


「………………」


 そして私達に忍び寄っていた暗い影もゆっくりと闇に消えていくのでした。

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