第5話 騎士は己を嘲笑する

 時は遡る。


   ○○○

 城壁に囲まれたダリアンの都は、外から襲って来る危険というのは少ない。

 しかし何事にも万が一というのは存在する。故に東西南北に建てられた城壁の門には騎士団が駐留し、常にその眼を光らせ、そして危険が訪れ際には厳しい訓練を乗り越えた42名の騎士達が一丸となり立ち向かう。

 

 私達菖蒲アヤメの騎士団は民達の安寧と自由を守る騎士として、何よりダリアン神から与えられた祝福と責務に殉ずるため。

 ダリアンという壮大で煌びやかな都の守護者として君臨しているのだ。


「…………なんてな」


 パタリと本を閉じ、乾いた笑みをこぼす。

 煌びやかな装丁が施された本の表紙には『栄光と祝福の騎士団』となんとも御大層なタイトルが名付けられていた。


 その内容も表紙には負けないぐらい御大層なものであり、誇張、捏造された騎士団のお題目が赤裸々と並べられ見る者が見れば素晴らしいと太鼓判を押すような内容になっていた。そのほとんどが嘘だと言うのに。


 その中でも『民達の安寧と自由を守る騎士として…………』という部分にはさすがの俺でも失笑してしまった。

 騎士団が守っているのはそんな高尚な物とは程遠い、ただの面子なんだから。


 しかしこの内容にも一つだけ真実が混じっている。

『常にその眼を光らせている』という文言。確かに俺達騎士団は常にその眼を光らせ、危険をすぐさま察知できるようにしている。


「外ではなく、内にね」


 さてと約束の時間が近づいている。暇つぶしはこれで終わりだ。

 わざとらしく音を立てながら椅子から立ち上がると、薄緑色の髪をゆらゆらと遊ばせながら騎士団の資料室を後にするのだった。


   ○○○

 肌寒さを感じ始めた秋の日。

 俺は騎士団本部の廊下を外から見えてくる稽古の風景を横目に歩いていた。


 踏み込みを意識しろ、間合いは常に変わるぞ。

 四足の魔物と戦う時は低い位置で力を込めろよ。

 メイデンの騎士団の訓練はこんなものじゃないぞ。もっと気合いを入れて剣を振え。


 相変わらず活気のいい声がこちらまで響いてくる。

 彼らの眼の輝きを見ていると、昔の俺を思い出してついつい乾いて笑みが漏れてしまう。もう遅いのに。


 と、そんなこんなで目的の部屋まで辿り着く。

 周囲に人がいないのを確認すると扉を叩いて声を出す。


「クレイングです」


 返事は無い。いつものことだ。

 扉を開き中へ入り、目的の人物を探すために部屋の中を見渡した。


 茶色い壁に茶色い天井。床には無地の薄赤色のカーペットが敷き詰められ部屋の奥には二台の本棚と一つの仕事机のみ。その後ろには外を見渡せる窓が備え付けられていたシンプルな作りの部屋。


 もしこの部屋を芸術家が見れば質素でけちな部屋と評価するだろう。しかし商人が見れば機能美を追求した素晴らしい芸術と評価する。

 そんなあやふやな部屋の窓際。太陽の光が差し込んだその場所に目的の赤い髪の少女の姿が目に留まった。


 俺は彼女に向けて片膝を突くと、はっきりと聞こえるように声を上げた。


「クレイングはここに」


 彼女はまるで踊るかのようなゆっくりとした足取りで俺の方へ振り返ると。


「…………うん、知ってるよ」


 そう言って青い瞳をぱちくりとさせながら俺の姿を映し出していた。


「それで、今回はどのようなご用件でしょうか…………騎士団長」

「ここには君とボクしかいない。騎士団長なんて仰々しい呼び方はやめて」

「…………はい。ニコロ」


 騎士団長…………ニコロは微笑みながら俺の前に立つと、膝を曲げて俺の視線に合わせた。

 そしてその細い指を俺の顎を撫でるように触れると、眼を合わせるようにしながら持ち上げた。

 彼女の燃えるように青い瞳と赤い髪が間近に迫っていた。


「そんなに緊張しなくて大丈夫だよ。別に君の嫌がることをするわけじゃないんだ」

「………………」

「ただの仕事…………騎士団の任務の話をするために呼んだのさ」


 そう言って指を離すと、手を使い立ち上がるように指示をした。

 そして机に座ると、一枚の紙を取り出して俺の前へ置いた。


「これは?」

「このダリアンで五年に一度に執り行われる儀式、貴騎相関の儀の依頼書さ」


 貴騎相関の儀。

 ダリアン十二貴族の元に騎士を派遣し、貴族と騎士が神への忠誠を確かめ合うと言われている儀式だ。


「つまりこの儀式に私を使うということですか?」

「話が早いね、でも合ってるよ。クレンにはダリアン十二貴族の序列第十一位、ワルツ家へ派遣させる予定なんだ」


 ニコロはまるで空を舞う陽炎のようにその赤い髪を揺らしながらふっと笑った。そのおぼつかない雰囲気は恐ろしくも見惚れてしまう美しさを漂わせている。

 ちなみに"クレン"というのは俺の愛称だ。と言ってもその名前を呼んでるのは目の前の彼女のみだが。


「任務については理解しました。しかし何故私なんですか? もっと経験のあるベテランの騎士が派遣されても良いと思うのですが」


 あるがままの疑問を彼女にぶつける。

 俺は騎士としてはまだ若い存在だ。そんな俺が貴族と騎士の参加する大切な儀式には不向きだろう。それこそ一度この儀式を経験したことのあるベテランの騎士が適任のはず。


「あははは。クレンは自分を過小評価してるんだね」


 そんな俺の疑問に対して、ニコロは眼に涙を浮かるほどの大きな笑い声で応えた。まさに心からの笑顔で。

 その返答に思わずムッと顔を顰めると、彼女は「悪い悪い」と言いながら涙混じりに話を続けた。


「この任務に君を充てる理由は一つ。『』としての任務だからさ」

「…………!!」


 

 その言葉で今回の任務の重要性が全て理解できた。

 この言葉は百の理屈に勝る。それほどに重要な意味が込められているのだ。

 そんな言葉を出されたのなら。こちらもそれ相応の態度で挑まなければならない。


「まず君はワルツ家についてどこまで知っているかな?」

「…………ニコロが言った通りダリアン十二貴族の家系ですよね」


 ワルツ家は言ってしまえば没落した貴族だ。かろうじて十二貴族に名を連ねているが、ここ最近は社交界にも参加しないので周りからの評判も良くない。

 誇れる物とすれば、この国の鉱山の30%を保有していること。そして音楽に関する造詣が深く、たびたび賞を取っているというぐらい。


「序列第十二位のストーンズ家に比べると幾分かマシな家系。そんな印象です」

「そうだね。そんなワルツ家に関してこんな情報がボクの下に送られて来たんだ」


 ━━━━ワルツ家がこの国を裏切ろうとしている、とね。


 ニコロの言葉に思わず自分の耳を疑った。

 眼を見開き、口を震わせながら彼女の言葉を反復する。


「…………裏切る?」

「そう、裏切る。悲しいことにね」


 ダリアン十二貴族であるワルツ家が、このダリアンという国を裏切ろうとしている。

 ありえない。そう否定しようと声を上げた時、彼女の言葉が遮った。


「落ち着いて。この情報はまだ確定しているわけじゃないんだよ」

「どういうことですか」

「裏付ける証拠か一切無い。言ってしまえば言いがかりに等しい」

「…………本来なら信用に値しませんね」

「本来なら、ね。だけどこの情報が送られたのが貴族の人間からなんだよ」

「貴族……?」

「知っての通り、貴族達の社交界は陰謀奸計のだ。この情報もその陰謀の中の一つなのかもしれない。だけどこんな衝撃的な情報を流しておいて、嘘でしたなんて言ったらどうなる? そんなリスクを孕んだ嘘、僕はきたくないね」


 立て続けに出される情報の波。頭を混乱させるには充分だ。

 しかし整理しながら進めていくとその全貌が見えてくる。


「つまり、その貴族はそのリスクを承知でこの情報を送った。故に信憑性は高いということですか」

「そういうことだね。そして君の本当の任務もわかってきただろう?」

「…………はい」


 貴騎相関の儀が行われている間、ワルツ家の裏切りの証拠を見つけ出す。

 確かにこれは俺にしかできない任務だ。何せ騎士としての矜持を必要があるのだから。


「うんうん、クレンが理解してくれたようで僕も嬉しいよ」


 ニコロは嬉しそうに頭に付いた耳をぴこぴこと動かしながら朗らかに笑う。

 彼女は冷酷で恐ろしい人だ。この任務は確実に誰かの血が流れることがわかっているというのに笑っているのだから。

 しかしもう遅かった。舞台の火は既に点灯され開幕の時が着実に近づいているのだから。

 俺はただその時を待つ事しかできない憐れな道化師ピエロだ。


「詳細はここに書いてあるから。期待してるからね、クレン」

「その期待に応えられるよう尽力しますよ、ニコロ」


 書類を受け取り部屋の扉に触れたその時、背後から凍りつくような熱さが背中を伝った。


「クレイング・ラーブル。ボクのことは裏切らないよね?」


 その熱い視線。彼女の燃え盛る青い炎のような視線が僕に注がれている。


 熱いまとわり熱い縛り熱い締め付け熱い逃さない


 まるで炎の鎖で縛りつけるような欲に塗れた熱さだ。

 その身を焦がすように注がれる熱く冷たい視線を受けた俺は、乾いた口をゆっくりと開き答える。


「騎士団長ニコロ。私が貴方を裏切ることは決してありませんよ」

「…………ふふ、そうだよう。そうだよね」


 ━━━━君がボクを裏切るはずがないよね。


 顔も見えないのに、その無垢で残酷な少女のような笑顔が視界に映った気がした。


「愚問だった、疑って悪かったよ。それじゃあ任務頑張ってくれ」

「ええ、失礼します」


 こうして俺は騎士団長の執務室を後にし、自身の部屋へ向けて歩を進めながら。


「裏切るはずがない、か」


 彼女の言った言葉を意味もなく反芻した。


 裏切りは最も重い罪。

 だって誰かの心を一番傷つける行為だから。

 その対価は焦がし尽くす炎によって支払われるのだろう。

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