第4話 夕焼けにはブルースがお似合いね

   ○○○

 夕陽の輝きが差し込む午後五時の貧民街。その光景はどこか退廃的な美しさと儚い喪失感を漂わせていました。

 辺りの人影が一切感じられないこの場所からは、カラスの鳴き声とどこからともなく聞こえてくるアコースティックギターの音色が静かな路地を彩っています。

 そうして徐々に過ぎ去っていく情景と音楽。夕方の貧民街が奏でる音は大通りとは一風変わった色を映し出し、沈んだ心を慰めているようでした。


 そんな茜色のメロディに私は心を浸らせていました。


「レイちゃん顔色良くないけど大丈夫?」


 と、美しい光景に心を浸らせた私を見て隣に座っていたラギアン様が心配そうな表情で話しかけてきました。

 手には筆とスケッチブックを携え、何かの絵をスラスラと描いており、その隣ではヴォリス様がお酒を片手に何か考え事をしていました。


「最近用事が重なって忙しかったのですよ。ですが大切な用事は終わったのでしばらくは気楽に過ごせます」

「人は数多の経験を積んで大きくなる。その用事が何なのかは知らんがその経験は必ず報われるはずだ」

「じいさんもたまには良いこと言うじゃん。でもレイちゃん.無理しすぎないようにね。まだ女の子なんだから辛い時は大人を頼ってよ」

「はい。ラギアン様もヴォリス様もありがとうございます」


 こんな中身のない会話にこそ華のある。鎖に縛れていた頃では考えもしなかった気付きに思わず笑みがこぼれてしまいます。


「みんな〜元気かぁ!」


 そんな時、ベルリン様が元気な声と共に扉から現れ入って来ました。

 片手にボトルを握りしめ、その顔はすでにりんごの実ように赤らめていました。


「いや〜、今日は久しぶりの大仕事で来るのが遅れちゃったよ〜」

「大仕事? ベルリンさんって踊り子だったよね」

「そ〜そ〜、貴騎相関の儀っていう儀式で呼ばれてさ〜。そこで邂逅の舞を踊ったんだよね〜」

「貴騎相関の儀…………あぁ、あの貴族と騎士共の茶番か」


 ヴォリス様から気になる文言が飛び出ました。

 茶番と。

 儀式の意義を知っている私としては、この言葉を聞き逃すことはできません。

 私は語気を強めながらヴォリス様に問いました。


「茶番とは、少し乱暴な言い方ではありませんか?」

「的を射ている言葉だとわしは思っておるがな。この儀式は始まりから終わりまで、その内容はわしらのような平民には何も知られていないのだ。いつのまにか始まり、いつのまにか終わる謎の儀式。このダリアンの中では一番不透明なまつりごと、まさしく茶番じゃよ」

「え…………?」


ヴォリス様の説明に思わず言葉を喉に詰まらせてしまいます。

 私は驚き混じりに隣の席へ視線を投げかけると、視線を向けられラギアン様が筆を置き天井を見つめながら答えました。


「あー、そういえば名前は聞いたことあるけど、どんな儀式なのかは知らないなぁ。ベルリンさんはどうなの、舞をしたんだよね?」

「舞と言っても余興みたいなものよ〜。儀式の直前に場を盛り上げるために呼ばれた感じだったしね〜。あ、もちろんどんな儀式かはわからないよ」


 ラギアン様もベルリン様もこの儀式が執り行われる意味を知りませんでした。

 確かに貴族と騎士の間で執り行われる儀式の詳細を知っている方なんて極小数かも知れません。

 が、甚だ疑問です。貴騎相関の儀は別に平民に秘密にするほどの重要性は無いはずなのです。言ってしまえば貴族の屋敷にしばらくの間、騎士を派遣するだけの儀式ですから。


 今思えば、この小さな疑問がこの国に渦巻く深い闇の入り口だったのでしょう。この時の私には知る由もありませんが。


「ま〜ま〜、そんな細かいことなんて気にせずに飲もうよ〜。マスター、美味しいのよろしくぅ!」


 喉に魚の小骨が引っかかるような違和感なんてベルリン様は気にしません。彼女はただただ今日という一日を全力で満喫するかのように、大きな声を張り上げました。


「飲み過ぎて潰れるのは勘弁でござるからな」

「だぁいじょうぶだって! 私、酒には強いぜ」

「そう言って最終的に潰れた結果、俺が背負おぶって送ってたのを忘れたのか」

「あの時の光景は愉快痛快そのものだった。わしの手に紙とペンがあったら即座に作品の題材にしていたわ」

「うげ、あの時はご迷惑をおかけしました…………」


 項垂れるベルリン様を見てこの場にいた全員が笑いの鐘を鳴らしました。

 鳴り響く鐘の音色はどこまでも飛んで行き、この小さな酒場で飲み交わすお酒の味をさらに深めて行くのでした。私はミルクですけどね。








「すみません」


 と、そんな時です。酒場の扉がゆっくりと開かれ、男性の声が小さくこだましました。


「この店で一番安いお酒をください」


 茶色い麻の服を纏った薄緑色の髪の若い犬族ワングスの男性。

 その服装とは裏腹にがっしりとした体格と立ち振る舞いは貧民街のそれとはまるで違っており、そのキリッとした眼を見て彼がただ者では無いとこの場にいる全員が感じ取りました。


 しかし私はそれ以上に男性のあるが気になっていました。


『お一人のところ失礼します』


 その声。

 湖畔を流れる川の水のように発せられたその滑らか声に私は耳を疑い、そして思い出したのです。


『急な訪問をお許しください━━』


 先程お屋敷で私の極上ひとときに水を差したその美しいアルトボイス。


『━━私は本日よりワルツ家へ派遣されました、ダリアン騎士団のクレイング・ラーブルと申します』


 ダリアン騎士団のクレイング・ラーブル様の声がこの場末の酒場に響き渡っていたのです。

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