第一章 貴騎相関の儀
第1話 開演のベルは唐突に
○○○
ある日、私はお屋敷の廊下をまっすぐに歩いていました。
後ろにはマリアンが小鳥のように付いて来ており、その面持ちは緊張に包まれていました。
広い廊下を進んで行くと、明るい茶色の扉が見えてきました。
マリアンが扉の前に立ち、コンコンと軽く叩くと。
「入れ」
扉の奥から厳格な雰囲気の漂う声が返って来ました。
そうして部屋へ入ると、視界一杯に広がる本の壁が私を出迎えました。
見渡す限りの本、本、本。それも見ただけでわかるような貴重な資料や、太古に書き記された書物などその多種多様な本の山は見る人が見ればまさに宝の山と言えるほどの光景です。
そんな宝の山の先、マホガニーの木で作られたデスクにお父様が座っていました。
その表情はまるで崩れた目玉焼きのように歪んでおり、明らかに不機嫌そうに眉間に大きなシワを作り、頭にある耳を鋭く尖らせていました。
「ご苦労だった。お前は下がれ。ムーンレイはこちらへ来い」
「はい。失礼します」
マリアンはお父様の命を受け、執務室の外へ出て行ってしまいました。
この部屋に私とお父様だけ。この厳粛な雰囲気からは家族団欒という空気は一切感じられません。
そんな私の不安を気にもせず、お父様は目の前に立った私の眼を見て話しを始めました。
「三日後、貴騎相関の儀が執り行われる」
貴騎相関の儀。
これはダリアン十二貴族と騎士団がダリアン神への忠誠を確かめ合うために五年に一度執り行われる神聖な儀式のこと。
貴族は神のために神の使いとされる騎士へ自身の清廉さと忠誠を示し、騎士は貴族を守護し騎士として己の存在と騎士としてこのダリアンの永遠の安泰を神へと示す。これが貴騎相関の儀の役割です。
「知っている通り派遣される騎士は二年の間、この屋敷の守護を任される。騎士はその間に私たちの振る舞いやこの国がどのように運営されているかを間近で学び、ダリアン神からこの国の運営を任されているダリアン十二貴族が存在する意義を知ってもらう」
「はい」
一方貴族は騎士を自身や民を守護する者として最大の敬意を持って彼らに接する必要があります。
先にも述べましたが騎士は神の使い。彼らを侮辱することは神を侮辱するのと同義であり、もしそうなってしまったのならば、まさしく神から怒りの裁きが降り注ぐと言われております。
それほどまでにこの儀式は重要なものであり、ダリアンという国にとって必要不可欠な過程なのです。
「それではお父様。何故私は今日ここに呼ばれたのでしょう」
「まて、順を追って説明する」
そう言ってお父様はゆっくりと席を立ち、コツン、コツンと固い音を響かせながら私の目の前へ近づきました。
「ムーンレイ、お前の今の歳は?」
「13歳です」
「社交界のデビューは何歳からか知っているな?」
「はい。15歳からですね」
「そうだ。お前が成人をしたと同時に社交界へデビューすることになる」
社交界とは知っての通り、貴族達の間で交わされる交流のことです。
当然のことながらダリアン以外にも貴族というのは世界中に存在します。それこそ数えきれないほどに。
その貴族間ではたびたび大小様々な催し物が開催されており、その度に貧民街も真っ青になるほどの真っ黒な腹の探り合いが繰り広げられているそうです。
「妻であるレインデイが亡くなってから、ワルツ家は社交界の参加を断ってきた。だが仮にも我が家はダリアン十二貴族。娘の成人を祝う場の主催をする義務がある」
「はい」
「しかし何かの間違いで成人前に何かあっては面倒だ。そこでムーンレイ、お前に命ずる」
お父様はドンと、まるでティンパニを強く叩くように靴で地面を打ち鳴らしながら私の方へ振り返り言いました。
「貴騎相関の儀が行われる二年の間、騎士との一切の接触を禁ずる」
「…………はい?」
騎士との接触を禁ずる。
お父様は確かにはっきりとそう言いました。
一方の私は、唐突に告げられた言葉の意味をよく理解できずにハトのような間抜けな表情を浮かべることしかできませんでした。
「詳しく説明をしてくださいお父様。私の社交界と騎士の接触の禁止がどのような関係があるのかを」
「当然教えよう。よからぬ噂を立てぬためだ。まったく嘆かわしいことだが昨今このダリアンでは騎士小説なるものが流行っており、その中でも貴族と騎士による恋愛を描いた物が特に注目されている。そして今回の貴騎相関の儀が執り行われる中で、民達の間である噂が立った。『貴族の娘と騎士による禁断の恋が起こり得るのではないか』とな」
このダリアンにおいて芸術とはそれ自体に壮絶な力、それこそ神の力に匹敵するほどの力を私たちに生み出します。特に小説の影響力は計り知れません。
過去には一冊の小説によってこのダリアンが傾くほどの重大な出来事を引き起こした歴史があり、その出来事を間近で目撃したダリアン十二貴族の皆様は芸術の力というのを敬いながらも非常に畏れています。
「私としてはそんな三流小説の流行りなぞ無視すれば良いと思っているが、他の十二貴族は違う。現に序列第四位のロンド家の当主は自身の娘を半軟禁にしたほどだ」
「そんな、まだ儀の前なのですのに……」
「それほどまでに騎士小説の影響を懸念しているのだ。そしてワルツ家も周りの貴族達の体裁のために手を打って置かなければならない」
貴族という生き物は面子によって成り立っています。仮にワルツ家が何もしなかった場合、他の十二貴族の面子を潰すことになる可能性があり、貴族間の不和に繋がる恐れがあるのです。
お父様としてもそれは避けたいことなのでしょう。
「これが理由だ。お前としても成人する前によからぬ噂は立てられたくあるまい」
「…………はい、そうですね」
一応ですが、お父様なりに私を気を遣っているのでしょう。まあおそらく『結婚前に余計な噂を立てられてはたまったものじゃない』というのが本音でしょうが。
とはいえこれに関して私は異論を唱える理由はありません。
「よろしい。詳細は侍女長から伝えるようにする。もう下がって良い」
「はい。失礼します」
そうして私はお父様の執務室から退室し、扉の側で控えていたマリアンに連れられ、自室へ向かって歩き始めました。
「マリアンは貴騎相関の儀については知っていたの?」
「知っています。旦那様はここ数日そのことについてかなり張り詰めていました」
「そうなんだ」
まあ、私としてはバイオリンが弾ければそれで良いのです。騎士様や貴族の面子とやらには関わらないのが一番ですね。
昔の小説にも『面倒事は避けるに限る、避けられなかったときに色々な物を浪費する羽目になるから』と書いてありました。
「そういえばお嬢様、お部屋が散らかった際に課した宿題をまだやっていませんでしたね」
「…………あら、そうだったかしら?」
「儀式の日までに終わらせましょうね。お嬢様」
マリアンはまるで演劇に出て来る湖の妖精のような笑顔を浮かべながら私に恐ろしい宣告を告げました、
そういえば、その小説にはこうも書いてありました。『もし面倒事に巻き込まれたなら諦めろ。命があるだけ儲け物だと思え』と。
「お外の空気を吸う余裕はありませんからね、お嬢様」
悪辣なマリアン!
今日から三日間、マリアンによる騎士団も真っ青な血の滲む教育的指導が行われるのでしょう。
果たして三日後には一体どうなってしまうのか。私の命が残っているのか、心から心配です。
そんなことを考えながら私はこれから訪れる恐怖に桃色の毛に包まれた耳を垂れ下げながら自室へ戻って行くのでした。
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