プロローグ④ お酒と筆で黄昏を彩る
○○○
黄昏の家の日常は素朴なものです。
酒を飲み、夢を語り合う。本当にこれだけの日常を謳歌しています。
なのですが…………
「はあ、今日もろくに売れなかったよ。結構自信があったんだけど見向きもされなかった…………」
「ふん、お前の奇抜な絵が売れるわけないだろうが。描くのならもっとマシな絵を描くんだな」
「ははは、さすがはダリアン文学に名を
「あぁん?」
「あぁ?」
睨み合うラギアン様とヴォリス様。
今まさに一触即発の状況がこの酒場の中で繰り広げられています。
このままではいけません。この状況を止めるために私は二人の間に割って入りました。
「お、お二人共、落ち着いてください」
「レイちゃん、悪いけど止めないでくれ。俺はこのじいさんにはうんざりしていたんだ」
「ほお、言うじゃないか若造。その威勢がどこまで続くか楽しみだな」
尽力虚しく、席を立ったお二人の喉からは今にも喧嘩の鐘を鳴らそうとしていました。
どうしたらよいのでしょう。私にはお二人を止めれる力はありません。
そうして酒場の中心で向き合った二人はお互い拳を握り締めて振り上げました。
「は〜い、お二人さん、そこまで〜。元気なのは良いけど、マスターに迷惑かけちゃだめよ〜」
喧嘩の鐘が鳴り響こうとした瞬間、二人の間に群青色の影が割り入りました。ベルリン様です。
二人を止めた彼女はカウンターの奥でこの光景を眺めているマスターを一瞥しました。
「マスターもマスターだよ〜、なんで喧嘩を止めないのさ〜」
「別に拙者は止める理由はござらんからな。それに久しく見ていない喧嘩の華が咲く瞬間も見たい思ったのもあったでござる」
「キミは相変わらずわけのわからない理由を並べるな〜。ともかく二人とも、もう喧嘩はやめよ〜ね〜」
「わかったよ。怪我はしたくないしね」
「ふん、勝負はお預けだな」
ベルリン様に注意された二人の紳士は、一抹の名残惜しさを心の中に含ませながら席へ戻って行きました。
と、こんな感じの日常が日々この小さな酒場で繰り広げられています。
老若男女。誰もが子供のように自分の言いたいことを自由に言い合い、酒を飲み合う、これが黄昏の家の日常です。私は牛乳ですけどね。
さて、そうして牛乳を少しずつ飲んでいる時です。右隣に座っているラギアン様がぽつりと言葉を漏らします。
「でも絵が売れないとここの酒代も払えなくなっちゃうんだよなぁ。ここは落ち着いて絵が描ける場所だし」
「一度拝見しましたが、ラギアン様の描く巷で見かける絵とは少々独特ですよね」
「レイちゃんはわかってるね! 俺なりのこだわりをキャンパスにぶつけてるんだけど、なかなかウケないんだよね」
確かにラギアンの描く絵は胸元や眼が大きな女性の絵が多く、現在のダリアンがで好まれている風景画や人物画とはかなり好みが違っています。
しかしダリアンの格言には『黄色のりんごを嫌う者もいれば好む者もいる』とあります。
彼の描く絵が好きと言う人は必ず現れるはずです。
そして何より。
「私はラギアン様の絵は好みですよ。いつかこんな女性になりたいなと、憧れてしまいます」
「はは、嬉しいね。僕のファン第一号だな」
そう言ってラギアン様は夕焼けに吹く風のような爽やかな笑顔を私に向けてくれました。
そんな時です。隣からドンッと大きな音が響きました。音の先にはヴォリス様が不機嫌そうに犬耳を尖らせていました。
「ふん、お前はいいだろうよ、まだ若いんだからな。わしはもう老いさらばえた。まさに下り坂を転がり落ちるのみだ!」
「あー、また始まったよ。じいさんの昔話が」
そうしてヴォリス様は煤けた軍服を靡かせながら"昔のダリアンはよかった"という語り出しと共に、まるでオペラのように声高らかに語り始めました。
「昔のダリアンは皆が芸術を通じて己の気持ちを主張し、切磋琢磨し合い、高め合ったものだ。その様子にダリアン神も大層に喜んでいたものだ。しかし今の芸術は廃れてしまった! あるのはただの金、まったく嘆かわしい!」
「でもヴォリス様はダリアンの文学界が発展に最も寄与した方ではありませんか」
そうなんです。この老紳士はかつてダリアンの文学界の栄光を欲しいままにした偉大な小説家なのです。
その作品描写はまさに"圧巻"という言葉が似合うほどに壮大で素晴らしく、文学界もこれを高く評価していました。
しかしヴォリス様は文学界という言葉を聞いてまるで唾を吐き捨てるように言い放ちました。
「文学界こそ今の芸術が廃れた象徴だ! どれもこれも、作品への情熱が感じられず、金のことばかりが見え隠れしておるわ!」
「あぁ、そうなのですね…………」
気の毒なヴォリス様!
時代が進んでしまったことで、今の文学界に彼の居場所が無くなってしまったのでしょう。
かつては栄光を手にした偉大なお方でも、時が過ぎればただのご老人になってしまう。悲しいですが非情なことです。
「はあ……」
「ははは、大分酔ってきてるね〜」
そうしてヴォリス様は大きなため息を吐くと、再びお酒を豪快に飲み、ベルリン様も張り合うように飲み始めました。
そんな時、隣に座るラギアン様が声を潜めて話しかけてきました。
「レイちゃん。あんまりじいさんと話さない方がいいよ。話が長くなるからさ」
「ですが…………」
「レイ殿。そろそろ時間でござるよ」
と、マスターの声が店内に響き渡ります。
外を見てみると、そろそろ陽が沈み始めていました。
「あっ、本当ですね!」
沈み始める夕陽を目撃した私は慌てて側に置いてあったケースを手に取り、そして、店内にある小さな舞台の上に立って、ケースを開き中にある物を取り出しました。
「うん、準備完了…………です」
それはバイオリン。私が追い求めている芸術の象徴。
元々はこの酒場の倉庫で眠っていた物をマスターから譲り頂いたものでした。
始めて触った時は思わず興奮して息が荒くなったのを覚えています。
「………………」
バイオリンを首元に置き、弓を当ててゆっくりと引いた。
キィという甲高い音が鳴りました。
もう一度引いてみると、今度は通り抜けるような優しい音が耳を刺激しました。
「…………いきます」
そうして小さな舞台の上での演奏会の幕が開かれました。
観客は四人。全員が何かしらの一流の実力を持った人達です。
「………………」
「ふむ…………」
「いいね〜」
「…………いい」
私は初めてバイオリンを弾いたのは二週間前です。
弾き始めた頃は音が飛び、メロディが乱れ、最終的には掠れたような音となってとても聴いていられる物ではありませんでした。
しかし、ほぼ毎日のように、ここで弾き続け、今ではメロディが乱れることはあっても、音が飛ぶことは少なくなっていました。
一つ克服するたびに喜び、一つ見つけるたびに心躍らせる。
黄昏の家との出会いは鎖で縛られた私の自由を解き放ってくれたのです。
そうしていると、演奏と終盤に。
ネックに当てた指を動かして、弓を引く。今の私はまるで湖に映る月を背景に踊っているようだ。
フィナーレ。
弓を思いっきり引いて弦の音色を響かせ、両手を広げながら会場を見渡します。
「ご清聴、ありがとうございました」
すると観客達から温かい拍手が贈られました。
「よかったよ。最初に比べたらすごい成長だ」
「だが後半の音が少しずれていた。まだまだ練習をしなくてはな」
「でも良い音だったよ〜。お姉さん感激だ〜」
「故郷には無い音。誠に感動したでござる」
皆の感嘆の声に浸りながら、音楽家の卵であるレイちゃんの演奏会は幕を閉じました。
「それでは私はお先に失礼します。また来ますね」
「またね〜」
そうして、マリアンとの約束の時間になり足早にお屋敷に向かって帰りました。
これが私、ムーンレイ・ドゥ・ワルツの新たな日常の一幕。
背徳感を背中に纏わせた自由の時間でした。
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