プロローグ③ お嬢様と踊り子のらんでぶー

   ○○○


 私と黄昏の家との出会いは二週間前に遡ります。

 それはお父様にピアノについて厳しく叱られた後のこと。

 流れる涙の中に怒りを滲ませた私は、感情の赴くままに夜の街へ飛び出したことから始まったのです


「わからずやのお父様! 私がいなくなった屋敷を見て困れば良いのよ!」


 その表情はまさに烈火の如く広がる炎そのもの。

 頬を膨らませながら、歩く私を月の光が淡く照らし、身に纏うドレスの装飾を輝かせていました。


 そう、その時の私は煌びやかで目立つドレスを纏っていたのです。

 薄暗い夜道とはいえこのままでは夜空で輝く一番星のように目立つのは必至。私は人混みを避ける様に夜の街を駆け抜けて行きました。


 そうして逃げた先がダリアンの影の側面、貧民街の路地でした。

 真っ暗な通りを吹き抜ける風の音はまるで歪に音が伸びたクラリネットの音色のように恐ろしく、私の小さな心を締め付けて行きました。


「よろしいですかお嬢様。貧民街には危険な者達が集まり、暴力と強奪が絶えない場所です。ましてやお嬢様のような人物が訪れるなど襲ってくださいと自ら言っているようなもの。なので絶対に貧民街には近づかないようにしてくださいね」


 マリアンの言葉を思い出して私は思わずプルプルと身体を震えさせてしまう。その姿は捕食者に怯える獲物そのもの。

 先程まで溢れ出していたお父様に向けた怒りの感情を忘れるほどの恐怖が私の心を包み込んでいました。


 そんな震える身体を無理に動かしてしまったからでしょう。私は近くに落ちていた瓶に足を取られて転んでしまったのです。


「きゃあ!」


 狭い路地に黄色い声が響き渡る。

 その声を聞き取ったのでしょう。路地の奥から小さな人影が私の方へ向かっていたのです。


 徐々に大きくなる人影に私は目尻に涙を浮かべることしかできませんでした。

 そうして影が月明かりに照らされその姿を映し出されそこに現れたのは。


「う〜ん、女の子?」


 頬を紅潮させ、お酒のボトルを片手に品位とは程遠い歩き方をした女性。

 しかしその顔は世間知らずの私ですら知っているほどの有名な人物でした。


「ベルリン様…………?」


 群青の踊り子・ベルリン。

 一年前に突如として現れ、瞬く間にこの都市の劇場を熱狂にさせた偉大な踊り子。

 そのステップを一目見た者は木に留まる小鳥のように足を止め、一曲が終わる頃には誘惑された文鳥のようにたちまち彼女の虜にと言われるほど。


 そんな偉大な踊り子である彼女がこんな貧民街の路地を大股で闊歩していたのです。


「んん〜、キミ結構可愛いじゃ〜ん。ちょっとお姉さんと遊ぼうぜ!」

「え、あの…………」


 そうしてベルリン様は突然の出来事に困惑していた私の手を、半ば無理矢理に引いてどこかへ連れて行かれたのです。

 この破天荒な出会いが私を縛る鎖を断ち切るきっかけになったのをこの時の私は知りませんでした。

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