プロローグ② 街へ繰り出す午後三時

   ○○○


 日が徐々に落ち始める午後三時。

 私は薄い桃色の華やかな自室にて、壁に掛けられたタンスの中を必死に漁っていました。


「どこにあるのかしら」


 周りには服やら下着やらが散乱しており、もしこの光景を侍女に見つかった日には明日の宿題の量が三倍になるに違いないと思ったりして内心とてもハラハラしていました。


「別にいいわよね。宿題ぐらい」


 なんて。今の私はまるで小さな子供達がかくれんぼをしている時みたいに浮ついた期待を膨らませながらタンスの奥に手を伸ばしました。


 そうしてしばらく漁っていると、お目当ての品を手に取った。


「あったわ!」


 勢いよく引っ張り、探していた物を取り出します。

 それは華やかなこの部屋には相応しくないであろう茶色の帽子。

 手に取った帽子を深く被り、立て掛けてある姿鏡の前に立ちます。

 茶色い地味な麻の布で作られた服に、先の丸まった底が低い靴。長い桃色の髪は無理矢理押し込み帽子の中に隠した。

 その姿は貴族とは程遠い平民の服装そのもの。そう、今の私はワルツ家のお嬢様ではなく、ただの平民なの。


「よし、これで準備完了」


 傍らにある自分の背丈ほどのケースを背負うと、私は自室の扉をそっと開いて廊下を注意深く見回した。


 左にも右にも人の姿はありません。

 今がチャンスと言わんばかりに私は廊下に出ると屋敷の中をゆっくりとした足取りで向かい始めます。


 抜き足、差し足、忍び足。

 まるで泥棒のように屋敷を闊歩することに少々の背徳感が生まれそうです。

 だめよ、だめ。今の私は優雅なお嬢様じゃなくてただの平民なんだからね。


 逸る気持ちに心躍らせながら、私は廊下を歩き続けていく。

 そうして目的の場所。この屋敷の裏口の扉の前まで辿り着きました。


「うふふ、こんなのちょろいものよ」


 してやったり。

 誰にも見つからずにここまで来ることができた。

 あとはこの扉を開けて、街へ繰り出すだけ。


 私は頬に笑みを描きながら扉へ手を掛けて…………


「お嬢様、何をしているのですか?」

「!?!!!?!!!」


 シンバルを打ち鳴らしたかのような大きな衝撃が心の臓を響かせます。

 恐る恐る振り返るとそこにはメイド服を身に纏った猫族ニングスの若い女性の姿が。


「マ、マリアン…………」


 彼女の名前はマリアン。

 長年この屋敷に仕えている侍女長であり、私のお世話係。

 私が生まれた時から一緒に過ごしており、勉強、礼儀作法、芸術などの私の教育も担っている優秀な女性です。

 そんな彼女が扉の前でわなわなしている私をじぃっと見下ろしていました。


「お嬢様、今は自室で自習のお時間では?」

「ちょ、ちょっとお外の空気を吸いに行きたいなぁと思ってぇ…………」

「おや、そのような格好でですか?」

「そ、そうよ。たまにはこういう格好でお外の空気を吸ってみたかったのよ!」


 冬の乾燥風のような冷たい空気がこの廊下を包み込みます。

 一秒、二秒と廊下の壁に立て掛けてある時計の針が刻むたびに静寂の息苦しさが増し続ける。

 マリアンは取り繕うような笑顔を浮かべている私を冷たく見つめていると。


「はあ…………仕方がありませんね」


 ため息と共に頭の上に耳を閉じるように曲げたのです。


「わかりました。旦那様にはこのことは黙っておきます」

「ほ、本当?」

「ですが、ご夕食の時間にはお戻りになってください。よろしいですか?」

「うんわかった! それじゃあ行ってきます!」


 慈悲深いマリアン!

 その姿はまさに神様と見間違えるほどに輝いています。


 こうして、マリアンの許しを得た私は勢いよく裏口の扉を開け放ち、鼻歌交じりのステップを響かせながらダリアンの街に繰り出すのでした。




   ○○○


 ワルツ家の周辺は住宅街であり、周辺にも私達以外の貴族のお屋敷が多く建てられています。

 その住宅街を通り抜けると、賑やかな大通りの風景が私を出迎えたのです。


 フェリアルで採れた新鮮な果物が買えるのはウチだけだよ。

 さあさあ皆様、私の描いた素晴らしい風景画を是非ご覧あれ。

 これが今の流行の音楽か。絡み合ったな音の中には一体何が隠されているのだろうか。


 大通りは大変盛況しております。

 露店では水々しい果物が陳列され、その隣にある広げられた風景画は壮大な背景としてこの露店の一体を映えさせている。

 そして店主の大きな声と街の至る所から聞こえてくるチューバやトランペットの音色が合わさり、一種の舞台音楽を奏でていました。


 この雑多ながら美しい旋律はまさに、日常の中で形成し奏でられる管弦楽オーケストラ

 そんな日常の音色の中を私は足早に歩いていました。


「えーと、確かこの辺りよね」


 十分程の時間を掛けて日常の音色から徐々に遠ざかって行きます。

 そうして辿り着いたのは盛況に溢れる大通りとは一転、薄暗くとても静かな場所でした。

 ここはダリアン神の祝福の外。この国の夢に敗れた者達が集まる端の端。


 貧民街の地に足を踏み入れた私は静かな足取りでその場所に向かって歩き続けていました。


 カラスの鳴き声と風に飛ばされる塵芥の音、そして時折聞こえてくる呻き声。

 薄暗い道は大通りとは違う音色を奏でています。


 そうして辿り着くは一軒の寂れた酒場。

 大通りのパブとは違い、賑やかさが微塵もない廃墟のような場所。

 掠れた看板には『黄昏の家』と書かれており、その看板だけがこの廃墟のような場所を酒場だと教えてくれています。

 そんな塗装が剥げ落ちボロボロになった酒場の扉を私は躊躇い無く開いて中に入った。


「こんにちはー」


 挨拶を交えながら扉を潜ると、いらっしゃい、という低い男性の声が出迎えてくれました。

 

 そして今の私とも比較にならないほどに奇妙な装いをした三人組が私の立つ扉の方へ視線を向けています。

 

「やあ、レイちゃん。今日も来たんだね」

「ゴクッ…………」

「あ〜、レイちゃ〜ん。一緒に飲も〜よ〜」


 私の姿を見た三人は三様の態度で私を迎えてくれました。

 変わらないその光景に思わず笑みを溢しながら、三人の座るテーブルへ移動し、お水を注文した。


「いやはや、レイちゃんが来るとこんな寂れた場所が一気に華やかになるね」


 ベレー帽にオーバーオールという、いかにも絵を描く生業をしている人間族ヒューマンの青年が開口の声を上げる。

 彼の名前はラギアン様。このダリアンにて活動をしている若き画家。


「フン、誰が来ようとワシの飲む酒の味は変わらん」


 隣に座る煤けた軍服を羽織った犬族ワングスの老紳士は頭にある耳をピクリと震わせながら酒を呷る。

 この方はヴォリス様。かつては文学界を席巻した偉大な小説家。


「そ〜んなことないよ〜。若い娘と飲む酒は最高よ〜」


 そして扇状的な青紫色のドレスを身に纏いながら酒の海に溺れているこの猫族ニングスの女性はベルリン様。

 ダリアンが誇る踊り子であり、彼女の名前を知らない人はいないというほどの有名な人物です。


「あはは、そうなのですね…………」


 そして私。ムーンレイ・ドゥ・ワルツ改め、悩める音楽家の卵、猫族ニングスのレイちゃん。


 ここは飲み物を片手に誰もが自分を曝け出して言いたい事を言葉に出して語り合える静かな社交場サロン


 鎖に縛られた私が唯一自由を謳歌できる泥臭くも心温まる小さな祝福が溢れる場所。


 その場所の名前は『黄昏の家』。

 悩める者達が集う憩いの酒場。

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