プロローグ:ワルツの幕開けは慎ましやかに

プロローグ① 紫の国・ダリアン

   ○○○


 紫の国ダリアン。

 大きな城壁に守られたこの国には神が与えし二つの祝福があります。


 一つは芸術。

 『全ての芸術を愛する者達に祝福を』という神の言葉の通りありとあらゆる芸術を受け入れられているのです。

 そしてこの国の民も芸術を愛しており、絵に音楽、小説、ダンス、劇など、街の至る所で神の祝福の一端を眼にすることができます。


 もう一つはダリアンを守る騎士達。

 菖蒲アヤメの騎士団とも呼ばれる神の守護者として祝福を受けた42名の騎士達は日々その剣を鍛え上げ、悪鬼羅刹からこのダリアンの国を守護してくれています。

 彼らが一度力を振るえば、魔物は恐れ慄き、民は歓喜の歌声を奏で騎士達を讃えるのです。


 神から賜わったこの二つの祝福は、ダリアンの栄光の証明であると同時に、神が私達へ与えてくれた尊き愛の証。


 そんな麗しのダリアンの都の東の先。

 レンガで作られた家がある通りを進んだところに大きなお屋敷が建っていました。

 屋敷の中から漏れ出る音色を追っていくとその先にはピアノが置かれたとても広い講堂があり、そこには二人の人間の姿がありました。

 

 一人は豪華な服を身に纏い、銀色の髪と頭の上に猫の耳を付けた私のお父様。


 もう一人は白いドレスに銀のカチューシャ、桃色の髪に頭に猫の耳を付けた幼さが目立つ少女、つまりは私。


 一見、ただ私が家族に音楽を聴かせているだけに見えるこの光景ですが、私の奏でる拙いピアノの音色をお父様は不機嫌そうに聴いているだけ。とても家族団欒の光景には見えません。


 そうしてこの広い講堂には納まらないほどの緊張が包み込む中で演奏を終えると、お父様は耳を逆立てながら大きなため息を吐いて、ゆっくりと一言。


「なぜわからないのだ」

 

 失望の感情を声に乗せて話すのです。

 そんな声に私は思わず頭の耳をしゅんと垂らしてしまいました。


「…………ごめんなさい、お父様」

「確かにお前はまだ若く未熟だ。しかし仮にもお前はワルツ家の娘なのだ。ピアノの一つも満足に弾けないのは看過できない」

「…………はい」

「もしワルツ家の娘がピアノを弾けないと知られてみろ。私はともかく、お前や今は亡き母が恥を受けることになるのだぞ」

「…………はい。申し訳ありません」

「…………とはいえこのまま説教していても時間の無駄だ。次に私と会う時までに侍女長と共にしっかりと弾けるようにしておきなさい」


 そう言うとお父様は足音を大きく響かせながら講堂から去って行きました。


 残った私は惨めになりそうな気持ちをぶつけるように、目の前にあるピアノの弦へ指を押し込めます。


「もう、うんざり…………!」


 ジャーン、と。大きく音のずれた終礼を告げる音色が私の垂れた耳を刺激した。


「なんでわかってくれないのよ、お父様…………」


 引いていくピアノの音と共に、私の瞼にはわからずやのお父様と本音も言えない惨めな私に対して怒りが込められた小さな水滴が浮かび上がるのでした。


   ○○○


 生まれた時、まだ赤子だった私の周りにはいつもお世話をしてくれる侍女達しかいなかったのです。

 母親は私が生まれた直後に亡くなり、お父様は仕事で忙しく私とは滅多に会ってはくれず、たまに会う時でさえろくに会話をすることはありません。


 そんな私、『ムーンレイ・ドゥ・ワルツ』には生まれた時から自由は存在しなかったのです。


『ダリアン十二貴族・序列十一位ワルツ家』


 それが私の自由を縛る鎖の名前。

 この国は神であるダリアン神を頂点とし、その下にある12の貴族がダリアンを統治しています。

 そしてお父様である『プラノード・ドゥ・ワルツ』はこの国を統治する貴族の立場にあります。


 故に私は『ワルツ家に相応しい存在』というのを異常なまでに求められました。

 マナーに、勉学、立ち振る舞い、そして芸術。

 まだ物心のついていなかった私にお父様は厳しい教育を施しました。いずれ政略結婚の武器として利用するために私の全てを鎖で縛り上げたのです。


 そんなお父様の理想に、私は自分の心を殺して受け入れて来ました。だけどただ一つだけ受け入れられないことがあったのです。


 それは芸術。もっと言うと音楽について。


 このダリアンでは良妻の条件としてピアノが上手に弾けるというのがあります。当然お父様や侍女の下、私は厳しい指導を受けていたが、何年経っても上達はしませんでした。


 …………その理由を私はよくわかっていました。


 私はピアノより、バイオリンが弾きたかったのです。

 音楽だけは自由が欲しかった。

 このダリアンの国で芸術だけは自由でいたかった。


 初めてその音を聴いた時、幼い私の心を奪われました。

 あの弦が奏でる美しい旋律。ピアノでは到底再現できない至高で美しいメロディこそ私が求めていた芸術の姿だったのです。


 しかしお父様は『ワルツ家の娘として』と言って、私の芸術すらも硬い鎖で縛り付けようとしました。

 手も、足も、頭も、心すらも。

 私は鎖で縛られ、お父様の用意した道を歩み続ける人形に成り果てようとしていたのです。


 そんな全てを諦めようとした時。私の下にダリアン神からの祝福が舞い降りて来ました。

 とても泥臭く、だけど心が温かくなる祝福が━━

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