黒いゴム

鍵月魅争

第1話

 鳴り響く着信音で目が覚めた。頭が割れるように痛い。

 偏頭痛持ちだけど今までのとは違う痛み。昨日なんか変なもんでも食ったか?

 着信音に設定した俺の歌を響かせるスマホを睨みながら電話に出る。

「もしもーし?」

『何寝起きの声出してんの!今日特別試写会でしょ!』

 いきなり女性の甲高い声が劈く。目が一気に冷めた。びっくりさせんなよ。

「げっ、そうだった…」

『げって何よ?まさか忘れてた訳ないでしょうね?』

 電話の主はデビュー当時からずっと俺のマネージャーを務めている夕奈千秋だった。俳優仲間に聞いてもここまで親密に接してくれる人は少ないらしい。まぁ高校の時同じ部活だったからな。

「忘れてないって…」

『あら?元気ない声ね?体調悪いの?』

 声色が変わる。鋭い真面目モードの声。そっか、両親が医者だっけ。

「うん、寝起きから頭が痛い」

『頭が痛いってどんな感じなの?いつもの偏頭痛?』

「偏頭痛じゃなさそう。何と言うか、頭ん中で乱闘騒ぎが起こってるみたい」

 上手く例えが出てこない。伝わってるか?電話の向こうから呆れたようなため息が聞こえる。すんません。

『何よその例え。まぁいいわ。このご時世だし、今日は休ませてもらいましょうか。今家に一人?』

「うん」

『なら今日はもう寝なさい。ただしご飯はちゃんと食べなさいね。貴方言わなきゃすぐ忘れるから』

「うん、寝る。食べる」

 夕奈さんは俺の回答を聞くとすぐに電話を切った。多分今電話したりしてんだろうな。あーあ、今日の仕事、主演の俺、多賀琉が出るのが目玉だったのに。

 まぁしょうがないか。腹減ったなゼリーあるっけ?

 立ち上がって台所へと向かう。冷蔵庫の中にはビール、枝豆、パン、シチューが入っていた。このシチューいつ作ったっけ?まあいいか。食べれるものこれしかないし、シチューでいいか。

 適当に皿にすくって電子レンジに入れる。暇つぶしのためにスマホを取りだした。

「ッ!うぅ」

 いきなり頭痛が酷くなる。バランスを崩して床に倒れる。体の痛みはなかった。

 夕奈さんに連絡しなきゃ。自由な右腕でスマホを取ろうとしたが、届きかけた時に力が抜けた。

 何が起こってんだよ?意識が薄れていく。ふと、見慣れないものが付いている自身の左腕に意識が向く。

「俺、何で…ヘアゴム……」

 意識が完全に途絶えた。


 気が付いたら1面真っ白の世界に居た。どこを見ても白、白。

 自分の体を見ると、肌も真っ白になっていた。服は黒。灰色とかが無い、白黒だけ。

 何となく気味が悪い。

「ん?何だこれ?」

 うわ、自分の声も気持ち悪。ドラマ撮影で偶に変声機越しにこんな声を出すけどどこか違うな。

 ってんな事は置いといてこれなんだ?真っ黒だし周りに沢山ある。

 ちょっと触ってみようかな。夢の中だし大丈夫だよな?

 黒い球に手を伸ばす。するとよく共演する俳優、池島裕人の顔が黒い球に映った。初めて共演した映画の衣装を着ている。

 ますます何が起こってんだ?よく分からないからそのまま手を伸ばして黒い球に触れた。

「っは?うわっ」

 触った球が破裂したように消えた。それに連鎖して他の球も同じように破裂して消えていった。


 そこで目が覚めた。台所で倒れたまま。頭痛は軽くなっていた。

 手を伸ばしてスマホを取る。気絶する前何しようとしてたんだっけ?…あー思い出した。ブログで今日のイベントの休みを報告しようとしてたんだ。

 あれ?でも今日仕事なんてあったっけ?確認する為にカレンダーアプリを開く。

 2021年12月19日:主演映画の特別試写会 主演映画?…あー思い出した。アニメの実写化だっけ。確か不良アニメだった気がする。

 ブログで今日の仕事を休んだ事の理由を報告する。ちゃんと更新出来たか確認してから、レンジを開ける。湯気が出てきたからそこまで時間が経ってないのか?

 そうだ。パン入れて食べよう。ついでに枝豆入れたら美味くなるか?ビール飲みたいけど、詩優さんに怒られるし水でいいや。

 ふと左腕の黒いゴムに目がいった。俺付けてたっけ?たまに結ぶけど赤とか青とかのやつだしな。

 気になるけどまぁいいか。そこまで重要じゃないだろ。とりあえず今は飯食おう。腹減って仕方ない。

「いただきまーす」

 ちょっと熱いな。パンを冷ましながら食べる。枝豆の塩がいい感じに味があって美味しい。

 いつの間にか頭痛が治まっていた。良かった。

 量が少なかったから直ぐに食べ終わった。もういいや、洗い物は後でしよう。ダルい。

 食器を流し台に入れてまたスマホをいじる。何となく自分のスマホが自分のものじゃない気がする。まぁさっき見た夢のせいか。

 にしても今日いつもより眠いな。別に二日酔いでもないのに。布団で寝た方がいいんだろうけど良いや。左腕のゴムを外して机に突っ伏した。


 目が覚めた。やっぱ椅子に座って寝るもんじゃねぇな。腰が痛い。ゆっくり体を起こして伸びをする。背中の方から、何かが折れるような音が聞こえた。背骨曲がってないよな?

 机の上にあるスマホを取ろうとしたら異変に気付いた。外したはずの黒いゴムが左腕にまた付いてる。自分で付けた覚えないのに。寝てる最中に付けたのか?

 外して今度はゴミ箱の中に入れた。これなら何を間違えても自分で付けることは無いだろ。

 特にしたいことも無いから布団の上で仰向けになってスマホをいじる。あー今イベントどうなってんだろうな。お客さんと一緒に楽しんでんのかな?

「いっだぁ!」

 考えてる最中に力が緩んだのかスマホが顔面に落下してきた。痛い。鼻を抑えていると視界に黒いものが映った。

「はぁ?!」

 さっき捨てたはずの黒いゴムがまた普通に付いていた。思わず飛び起きて目をこする。間違いない。これさっき捨てたやつだ。いつの間に付けたんだ?捨ててからゴミ箱に近付いてすらないぞ?

 また頭が痛くなってきた。頭が押さえつけられてるように痛い。これ絶対偏頭痛じゃない。このゴムが原因か?

「なんなんだよ本当…」

 気付かないうちに呟いていた。


 またさっきのような真っ白い場所に立っていた。違うところと言ったら俺の反応くらい。2回目だからか落ち着いていられる。

 またさっきのように黒い球がでてきた。黒い球のだいたい大きさはソフトボールくらい。今度は妹の瑠姫が映っていた。

 この流れだとこれも触ったら消えるんだろうな。触らずに居たらどうなるんだ?

 ……無理だな。触らなかったら何も起こらない。夢から覚めるとかひとりでに割れるとかも無い。

 ため息をついてから触ってみる。握りつぶすようにしてみるとスライムを潰したような感覚があった。

 他に浮かんでるやつも連鎖するように弾けて消えていく。

「…夕奈さん」

 最後に消えたのは夕奈さんの顔が映った球だった。


 目が覚めた。どこだここ?人の家っぽいけど。ここ俺の家か?

 スマホが鳴っている。名前を見ると多賀瑠姫と書かれてある。え、誰?家族?

 少し考えた後電話に出てみる。これ他人のスマホだったらどうしよう。一応ごめんなさい。

「あ…はい、もしもし」

『あ、お兄ちゃん?大丈夫?さっきから何回も電話かけてるけど全然出ないから心配になって…』

「えーと、あの」

『ん?何?どっか悪い?』

「あ、いや、どこも悪くは無いけど」

『ん?』

「あの、貴方誰ですか?」

 静かになった。電話切れてないよな?声掛けた方がいいか?

「あ」

『はぁ?!本気で言ってるの?』

 いきなり怒られた。泣いていいか?

『何?そう言う役作り?』

「役作り?」

『ストイックなのはいいけど巻き込まないでね。それじゃ』

 いきなりどうしたんだろ?てか役作りって俺何かやってたっけ?もう少しマシな言い方すれば良かったか?

 調べようとしたらまたスマホが鳴った。

 今度はメールだ。送り主は…夕奈千秋?誰?自分さえ分からないのに、新しい人増えるなよ。

 何分か迷った結果、メールを開く事にした。このスマホの持ち主さん俺かもしれないけど、2回目のごめんなさい。

[大丈夫?妹さんから来たけど、何かあったの?]

[病院一緒に行くから家で待ってて]

 え、誰?家ってここ?妹?

 気になるし聞いてみよう。この人って誰だ?

[どこまで覚えているの?]

[自分の名前は分かります]

[分かったわ]

 よく分かんないけどとりあえず夕奈さんって人待ってみるか。話聞いたら分かるかもしれないし。

 呼び鈴が鳴ったから出てみる。この家ってカメラあるんだな。画面を見ると女性が立っていた。この人が夕奈さんなんだ。

『大丈夫?』

「はい」

『病院行けそうだったら帽子とマスクつけて出て来てね』

「はい」

 そう言って画面から離れた。

 帽子は…これか。マスクもある。ちょっと怖いけど出よう。

 玄関に足を向けた途端に力が抜ける。床に顔から突っ込んでいった。

「うぁっ」

 呼び鈴が鳴り響く中、視界に入る黒いゴムだけが目に焼き付いた。


1週間後

『次のニュースです。俳優の多賀琉さんが、今月19日、心不全のため自宅で亡くなっていた事が所属事務所より発表されました』

 アナウンサーの声が聞こえてテレビの電源を消す。

 あの日もしすぐに鍵を開けていたら琉はまだ生きていたんじゃないか、最初に電話した時に家に行っていたら助かったんじゃないかとか、今更遅いのに考えてしまう。マネージャー失格ね。

 気分転換に録画してた都市伝説の番組でも見るか。特に面白そうなのがなかったから適当に飛ばすと黒いゴムという字が見えた。

 黒いゴム…確かあの日琉も腕に付けていた。玄関を開けた先に倒れていた琉の左腕に、太めの黒いゴムが付いていたのを覚えている。

 その内容は、黒いゴムが突然腕に現れ段々記憶を失くしていき最終的には死んでしまう、と言うもの。

 琉のパターンと同じだ。じゃあ琉もこの都市伝説に殺されたのか。

 テレビを見るのもキツくなった。コンビニでも行って甘いもの買おう。少しくらいはリフレッシュするでしょ。

 電源を消して荷物を持って立ち上がる。ふと、左腕を見たら腕時計の下に、普段付けていない黒いゴムが当たり前のように付いていた。

「今度は、私なのね」

 琉と同じ死因になるのも一興か。

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