第21話 私を止めないで〈リリー〉
チャイミが乗っていると予想される漁船は、明日12月22日の午前8時ごろにタターラ港に入港予定。
今夜、ルトーナ所長とライムさんと私は、タターラ港の近くのホテルの一部屋に宿泊して待機してる。ここからなら車で10分で港まで行ける。
ファーランさんは、港に偵察に出ている。無線機でこちらと繋がっているから、何か変化あったら連絡が来る。
ルトーナ所長は今、部屋に籠って法律的な事を電話で弁護に相談してるみたい。難しい話をしてるから、邪魔してはいけないの。
今夜の天気は良好。明日も晴れの予想。
私は明日、チャイミを見つけ出すことが出来る?
期待でソワソワ落ち着かない。
私たちが救い出す目的はチャイミだけじゃない‥‥
ここは高台のホテル。
この部屋のバルコニーからは港は街に隠れて見えないけれど、その向こうには、夜空と溶け合う水平線と美しい星空が広がっている。
3階のバルコニーに出て、星空を眺めながら夜風に吹かれてるライムさんに声をかけた。
「‥‥いよいよね」
「‥‥はい。僕、今、神様にお祈りしてたんですよ。みんな無事に解放されますようにって」
どこかぎこちない微笑みを寄越す。きっと怖いのね。私もよ?
「震えているの? ライムさん」
彼の目が、ちょっと見開いたのを私は見逃してはいない。
「や、やだなぁ。リリーさんたら! 僕はそんな弱虫じゃないです! 武者震いってやつです」
「‥‥‥きっとうまくいくわ。チャイミはいる。ライムさんの助けたい人たちがきっといる。明日会える。そう信じよう?」
「‥‥‥ええ、そうですね」
「もう、明日のために部屋に入って休みましょう」
一歩部屋に入ったライムさんは、窓を閉める前に、ピクッとして外を振り返った。
「あの‥‥微かに聞こえませんか? 街の方で何かあったんでしょうか? 重なりあったサイレンの音が聞こえませんか? さっきから時折、風に乗って異臭もしてましたよね?」
ライムさんは、自然環境の良い所で育ったせいか、感覚が鋭いの。
「そう?‥‥‥ざわざわする葉擦れの音で良くわからないわ。言われるとそういうような気もす────」
ルトーナ所長が籠ってる部屋から、彼女の興奮した声が響いてる。
「どうしたんでしょうか?」
「何かのトラブルかしら? ノックしてみる?」
私がドアの前まで来て扉を叩こうとした瞬間に、ドアは向こう側にバッと開いた。
「きゃっ! びっくりした。あの‥‥‥どうかされたのですか? ルトーナ所長?」
そこには見たこと無いくらい蒼白になり、狼狽したルトーナ所長がいた。
「ちょっと、あなたたち! 大変よッ!!」
彼女の手をせかせか振るジェスチャーの方が、言葉より先を急いでる。
「ふっ、船がッ、タストロの船が沈没しかかってるって言うのッ!!」
「え?」
「沖合いで入港待ちで待機している最中に、船上火災が起きたようだって!!」
ライムさんと私は顔を見合わせた。私たちは一瞬、事態がうまく飲み込めない。
数秒遅れてハッとした。
───それって、とんでもない事態じゃない!!!
「港に行くわよッ! 早く荷物を持って用意して!!」
ルトーナ所長は、ハンドルを握りながら落ち着こうと努力していたけれど、横は崖となっている暗い夜道の下り坂の道で、ライムさんと私は何度肝を冷やしたことか。
「ファーランが異変に気づくのが遅れたのよ。近くの店で食事してたらしいのよ。しかも、地下のお店で。入港は明日だと思って油断していたようね!! 若い娘のいるバーにでも入っていたのかしら全く!!」
どうやら、ファーランさんはルトーナ所長の恋人だったようね。そんな気はしてたけど。それも重なって取り乱しているのね。
そんなことより船に乗っていた人たちはどうなっているの!!
沈没しつつある船。それは本当にチャイミが乗った船なの?
想像すると、怖くて歯がガチガチする。間違いであって欲しい。やっと助けられるかもって期待していた直前で、こんな悲劇ってある?
「二人とも落ち着いて下さい。僕たちの到着が早かろうが遅かろうが、この結果は左右されません。ファーランさんの連絡遅れも関係無いです。それに、まだ何か決定的ってわけじゃないですよ!!」
ライムさんは、力強い言葉とは裏腹に、震え声で言ったものだから、私たち女性二人は、彼に申し訳なくなってしまった。
私たちの方が年上なのに、感情が先走って情けないわ‥‥
「そうよね、ごめんなさいね、ライム。あなたの言う通りね。リリー、無線でファーランから情報をとっていて」
「はい、了解です」
**
「おーい! こっちだ!」
トランシーバー片手に漁船の乗組員に変装しているファーランさんが、私たちを見つけて手を大きく振った。
港は救急車や、警察車両で赤色灯やら青色灯でぐるぐる照らされて、人が右往左往していた。
気分が悪くなるような、オイルとゴムが焼けたような臭いが漂っている。
沖合いでは一艘の船が船尾を沈め、縦に45度に傾いていた。
何艘かの小さなモーターボートが沈み行く船の周りをぐるぐる回っている。
私たちはいつもの人道支援で使っている、組織名が背中に大きくプリントされた作業着を着ていた為か、すんなり規制線の中に入り込むことが出来た。
喧騒の中、空気が張りつめている。ここは救急現場。
「ファーラン、救出された人はいるのっ?」
「それが‥‥」
首をゆっくり横に振った。
「船上火災が起きたようなんだが、避難した救命ボートも確認されてはいないし、救命胴衣で海に浮かんでる人も確認されていない。船員は、内部に閉じ込められている可能性が高い」
辺りの騒がしさに負けぬように、ファーランさんが怒鳴るように言った。
リリーさんと僕に、絶望という文字が浮かんだその時だった。
近くに立っていた警察官のような制服を来た人の持つトランシーバーから、くぐもった声がした。
『コピー? ただいま男性3名救出! そちらに向かう。誘導指示を!』
『コピー! 救急車3、オールレディ! 』
『コピー、誘導アレンジメント完了!』
救急車にこちらに寄るように、蛍光の黄緑色を放つ誘導棒を高く振って合図を送る。
埠頭では、チカチカする点滅する誘導灯が、海に向かって大きく左右に振られてる。
再び、追加情報が入った。
『男性3名。うち1名、左背腰に刺し傷あり、出血多量、意識混濁。2名、有毒ガス吸引の模様。状態、比較的良好』
「‥‥‥今、私たちに出番はないわ。邪魔してはいけない。少し離れましょう」
ルトーナ所長の指示に従い、私たちは移動して来る救急車両と距離をとった。
大多数は火災の船に閉じ込められたまま。今はたった3人が救助されて、うち1人は意識がない‥‥‥
頭がぐらぐらする。えっと‥‥今までどうやって支えていたんだっけ?
これってどう、受け止めればいいのか、目に映る現実が虚構のように感じてる。
埠頭でゆっくり左右に振られる誘導棒に向かって、白い波を立てながらモーターボートが疾走して来る。
到着。
埠頭で待ち構えている人々の合間に、黒ずんだひとりは、ボートから自力で降り、もうひとりは、支えられながら降りたのが見えた。
間近からでは無いからはっきりとはわからないけれど、どちらもチャイミじゃないように思う。もう少し近くに寄れたら確信がとれそうなのだけれど。
「ライム、あれは誰だかわかる? 知ってる人?」
ルトーナ所長が尋ねた。
「ここの灯りでは暗いし、ほとんどシルエット状態では、よくわかりません。もう少しこちらまで来ればわかるかもしれませんが‥‥」
彼らは救急隊員から肩に毛布をかけられ、救急車に誘われているようだけれど、まだ、ボートに乗っている仲間が引き上げられるまで動かないようだった。
少し時間がかかって、誰かが担架に乗せられてボートから引き上げられた。
無事に埠頭に上げられると、担架の下からキャスター付きの腰高の脚が出て来た。埠頭の根本にて、後ろの扉が開かれ待機している救急車に向かって運ばれて行く。
毛布の男が担架の横に小走りして並びながら、オレンジ色の作業着を着た救急隊員に、向かって叫んでる。
途切れ途切れにここまで届いたその声。
「お願───ゲホゲホッ───チャイミを絶対助けて───俺の親友なん───チャイミは俺らの命の恩──────」
しゃがれた声の悲痛な叫び。
───今、あの人『チャイミ』って‥‥
私の耳から、周りの喧騒は一瞬で消え去った。
そうなの? ねぇ、そうなの?
あれは、あの担架に乗っているのは私が探していたチャイミなの? 私の恋人の。
「‥‥今の、チャイミって聞こえました‥‥‥チャイミさんの親友?‥‥なら、あれはキャドさんだ‥‥‥!」
ライムさんの呟き‥‥‥
やっぱり間違いないわ!! あれはチャイミなんだッ!!!
「‥‥‥チャイミッ、私よ!!! リリーよ!」
私の足は駆け出す。私の愛しい人を求めて。
《あっ、落ち着いて下さい、リリーさん!》
《リリー、今はいけない!! 車で後を追えばいいの!》
《待ちなさい! 救命の邪魔になってはダメだッ!!》
放して!! 私に触らないで! 私の邪魔をしたら、誰だろうと許さない!!
今、行くわ! そこにいるのはチャイミなんでしょう‥‥‥?
ずっと探していたの。ある日忽然と消えた私の恋人‥‥‥
私は、引き留めるいくつもの腕を振り払って、担架に向かって駆ける───
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