第22話 あなたと再び〈リリー〉

「ちょっと、そこのあなた!! 待ちなさいッ!!」


 私は誰に阻止されようと、止まらない。


 今、まさに救急車に運び入れられようとしている担架に向かう。



「待って! チャイミなんでしょう?  私よ! リリーよ!」


 乗せられるのを見送るべく横に立っていた毛布の男が、びっくりして私を見てる。


 黒く煤で汚れた顔。火事の漁船から逃れて来た1人。チャイミの仲間だった人。チャイミや私と同年代のように見える。


「ええっ! リリー!? まさかあんたがリリーかよっ!? なんか違くない?」


 私の名前がどうかしたの? もしかして、私のことチャイミから聞いていたの? 違うって、何!? ムカつく男!! 


「何言ってるの? 私が正真正銘リリーよ! 文句あるのッ!!」


「待てよ、だってさ、チャイミが寝言で『リリー』って名前叫ぶの、聞いたこと数回かあってさ。聞いたら飼ってた猫の名前だっていうからさ‥‥‥ちっ、チャイミのやつ、やっぱ女かよ! ゲホゲホッ こんな非常時にまでしゃらくさいなんて‥‥‥チャイミらしいな。おい、チャイミ、しっかりしろよ! 愛しの君が現れたらしいぜ!!」


 これまで軽い口調だったその男の人は、急に顔をくしゃっとゆがめた。

 

「‥‥‥マジ嘘みたいだな、こんな時に‥‥‥うっ‥‥ううう‥‥‥おい、チャイミ! こんなとこでくたばってる場合じゃねーぞッ!! クッソー!!」


 

 私は、彼がチャイミと呼ぶその人の顔に視線を移す。


「うっ‥‥‥なんてひどい怪我!‥‥‥‥これは‥‥チャイミ‥‥な‥‥の?」


 刹那、戸惑ってしまった。


 血と煤で汚れ、酷く傷ついた顔。日に焼けた精悍な肌は、私が知っているチャイミとは全く違う。


 だけど、すぐにわかったわ。彼は私が探していたチャイミだって。

 

 どんな目にあったの? 可哀想に‥‥鼻が歪んでる。折れてるのね。鼻の穴の周辺は血が固まってこびりついてる。腫れたくちびるの脇から漏れている赤い唾液。青くアザの浮いた右目‥‥ひどい怪我だわ‥‥‥



「チャイミ‥‥‥私よ。リリーよ」


 私、遂にたどり着いたんだ‥‥


 この人は、私の恋人チャイミに間違いはないの。



 その見覚えある理知的な眉と耳の形。左首筋にある2つ並んだ小さなほくろ。


 ここに横たわるのは、1年前に目の前から忽然と消えてしまった私の大切な人。


 だけど、その目を閉じた顔は苦し気に息が切れて、体は血と煤で汚れていて‥‥‥


「嫌よ‥‥‥チャイミ、しっかりして! お願い、死んじゃ駄目!」



「あなたがた、もう離れて!」


 救急隊員がキリキリしたオーラを放ちながら、私をチャイミから引き離そうとしている。



 嫌! 私を邪魔にしないで!、チャイミの傍にいさせて!



「ハァ、ハァ‥‥リリー‥‥‥? ハァ、ハァ‥‥ゆ‥‥め‥か‥‥」



 半開きの目にうっすら灯った生気。チャイミは、短い呼吸の合間に私の名前を呼んだ。


「そうよ! リリーよ! しっかり気を持って、チャイミ!」



 彼と意志疎通したことで、救急隊員の態度が変わった。


「あなた、もしかしてこの人をご存知? 関係者ですか? どのような?」


「私、彼の婚約者です! 明日入港の知らせを受けていて到着を待っていたんです。まさかと思って駆けつけたら、こんなことに‥‥‥ううううっ‥‥‥」


 出任せがすんなり出てしまった。嘘と本当が半々。だけど、今は仕方がないわ。



「なら、一緒に乗って下さい」


「勿論です!」




 ***





 救急車の中、虚ろな目のチャイミ‥‥‥


 お願い、神よ! チャイミを助けて! その分、私の命を削っても構わないから!


「‥‥‥チャイミ、お願いよ‥‥‥私を置いてどこにも行かないで‥‥‥また‥‥私を一人にしたら、許さないからね」



 私は、祈ることしか出来ない無力。



「‥‥‥リ‥‥リー‥‥‥」


「チャイミ! 喋っちゃダメよ。傷に障るわ。私はここにいる」


 虚ろに開いた目を向けて、酸素マスクの下から、微かな声で私を呼んだ。



 私のこと、ちゃんとわかってくれてる。まさかこんな再会になるなんて。


 生と死の境目。


 これが本当の二人のお別れになってしまうのではと、私は先ほどから恐怖の波に幾度と無く襲われてるの。



 私の涙が彼の頬にポタポタ落ちた。


 私は、指でチャイミの黒く汚れた頬を拭いながら、そっと撫でる。なんて冷たい頬‥‥‥



 浅くなって行く苦し気な呼吸の中、彼のくちびるが声も無く、何か言っているように動いた。



「‥‥‥? 大丈夫よ。私がついているわ‥‥‥」



 固く握りしめられたチャイミの右手が、震えながら私に向かって少し浮いた。


 そう言えば、ずっと右手は握ったままだわ。怪我で動かなくなっているのかも。痛むのかしら?



 私は、そのこぶしをそっと両手で包む。


「‥‥チャイミ、痛むのね‥‥私と‥‥痛みを半分こ出来たらいいのに‥‥‥」


 励ましてるのに、震えた涙声になってしまう。



 チャイミが、また何か言っている。何? 無理して喋らなくていいのよ。


 でも今、私に何かとても伝えたいことがあるんだわ。



「なあに?」


 私は、チャイミの口許に耳を寄せた。



 切れ切れの息のような声で、確かに聞こえたわ。


「‥‥‥メリー‥‥クリス‥マ‥‥リリー‥‥ずいぶ‥遅れ‥‥ゴメ‥‥ん‥‥ね‥‥」 



 チャイミの握っていた右手が、ぎこちなくゆっくりと開いた。



 私の手に、硬い小さなものが触れた。


「‥‥えっ!?」



 ───これは‥‥‥?



 私の手には、小さなゴールドのアオウミガメモチーフのネックレスが。



 水滴にオーロラが閉じ込められたような、虹色の綺麗な石がついてる。ウォーターオパールだわ。私の誕生石ね‥‥‥



「‥‥これを‥‥これを私に‥‥‥?」


 これをずっと握っていたの? どうして?



 困惑が走る。


 私が港で待機していることなんて、チャイミが知るよしも無いのに。



 これが意味することとは────



 私は彼を理解し、涙が溢れる。


 チャイミもずっと私を思ってくれていたんだ! 離ればなれになったあの日から何一つ変わらずに。


 私も、おんなじよ?



 涙を拭いて、頑張って笑顔を作った。上手くは出来てないのはわかってるけど。



「ありがとう! チャイミ。とても嬉しいわ‥‥本当に素敵! 私、凄く気に入ってしまったわ。一生首につけていたいくらいに‥‥‥」



 私はすぐに身につけてみせた。


「どう? 似合う?」



 あなたの想いは受け取りました。



 これは去年、私がチャイミから受けとるはずだったクリスマスプレゼントね。


 あなたがプラヤーマーケットで、私のために買ったプレゼントなのだわ‥‥‥


 きっとこれを持ったまま、チャイミは拉致されて───


 そうなんでしょう?



 一瞬チャイミが微笑んだような気がした、その瞬間。



 ビー、ビー、ビー、ビー、ビー‥‥‥



 その、緊迫を放つ音は────



「バイタル全ての数値落ちてます! あなた、離れてッ!!」



 チャイミの意識が完全に途切れた。



 車内に緊迫が走る。



 私は隅っこでうずくまりながら、首にかけた海ガメのネックレスを握りしめてる。無力なまま。



 お願い! 神様、私の命を半分チャイミに分け与えて!


 彼がいない人生なんて、考えられないの。


 これが初めてだった。人を本気で好きになるのは。



 あなたと生と死で別ったなら、私は修道院に入るしかないわ。私はあなたに一生祈りを捧げて生きる。


 チャイミがもしも本当に亡くなったとなれば、私の親は、私の今のこの状態は許さない。高等学校を卒業してからというもの、親を通してお見合いの申し込みが何件も来ている。


 お願いチャイミ‥‥‥私のために生きて! 


 あなたを必要としているたくさんの人たちのためにも死んではいけないのよ! 私は私の人生を、あなたと生きたい。あなたの隣で、二人で支え合って。



 ────この想い、天に届け!




 ***




 私は今、神の前にひざまづく。



 運命の神様は私の願いを聞き入れて下さったから。



 私は、あなたに命を分けてあげることが出来た。


 生と死の境界線に落ちたあなただったけれど───



 今、チャイミの体の中には、あの緊急時において、ギリギリまで採取した私の血が流れてる。それは私の愛の証。



 暗闇の中、手探りで歩いて来た1年間の苦悶の日々は終わり、あなたと私は、ここから再び始まる。



 私はあなたを愛したまま、あなたは私の幸せを願ったままで経過した、試練の時間。



 私の胸元には、ゴールドの小さなアオウミガメとウォーターオパールの虹色のしずくが揺れてる。


 あなたと船上の苦難を共に過ごした、このネックレス。




 ───きっとチャイミは、私にこれを買った時は知らなかったと思うの。



 古代神話の中でアオウミガメ《ホヌ》は、"永遠の絆" をもたらしてくれる神様だってことを。



 そして奇遇にも、私の運命を象徴するようなオパールの宝石言葉は、


 

 "悲哀を克服して幸福を得る" だなんてこと────



 





                 第3章 私を独りにしないで! 《終》


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