第16話 現実の闇を知って〈リリー〉
悪魔のポケットに落ちてしまったチャイミを、ただの一学生である私だけの力で助けられるわけが無いわ。
弱者はいつだって強者によって踏みにじられるのね。いつの時代も。今、この現代も。
権力者に都合の悪い情報は、脅しと圧力と、金脈への忖度で表には出ないだけ。
不都合な真実は、日常では上手く隠されているだけだった。
世の中にはそんな一面があることは知っていたような気はするけど、チャイミの身の上に起こるまで具体的には考えたこともなかった。
私はどこにでもいる平凡な女の子だった。
朝起きて学校に行って決められたシラバスを履修し、合間には友だちと下らなくて楽しいおしゃべり。家に帰れば家族と温かい食事が待っている。そんな日々が続くことを疑うこともなく過ごしていた。
世の中の負について、考えることは無いまま───
『エマンシペーター』は、行方不明者の中の、特に漁業関連で不法に労働させられている人々を解放するべく活動をしていた。
スタッフは皆、心ならずも理不尽な立場に追い込まれてしまった人々を助けるために真剣だった。
彼らは突然消えてしまった大切な人を探していたり、実際に拉致されて逃れて来た当事者たちと直接接点を持ち、情報を集め、私営で運営されていた。
お魚関連は権益は大きいものの、漁船での仕事はキツくて人手が慢性に不足している。それを補うために、借金のカタに無理矢理乗せられたり、若者を拉致して働かせている。
しかも、その権益は今の政権の一部に流れている為に、不法な漁船の行為の取り締まりも有名無実化しているとか。
末端でいくら取り締まった所で、巨万の利益が得られる以上、悪の根源は消えない。ただ被害者が入れ替わって行くだけ。
その1人がチャイミなのね‥‥‥
私たちはそんなに強大な権力に逆らうことは到底出来ないけれど、今、被害に遭っている人々を法に則り救出し、更なる被害を食い止めるべく、世間に啓発活動をするのが仕事なのよ。たくさんの人に意識してもらうことが大切なの。権力者が恐れているのは数の力。
私がエマンシペーターに協力することが、チャイミに近づく一つの方法かもと考えた。
私は、チャイミの事情は隠し、『大学の勉強の実践を学びたい』という名目で、時間さえあればここに押しかけてボランティアするようになった。
私は慎重にことを運ぶ。
ここの内情をもっと知ってから所長にだけチャイミのことは打ち明けようと思う。チャイミはパラヤイ区長の息子だし、彼が拉致だと世間に知れたら話題性もあるわ。厄介だとされて、どこかに潜む敵から妨害される恐れもあるもの。
発覚を恐れて証拠を消すために、チャイミの身に危険が及ぶ可能性だってあるかもしれない。ヘタに動いてチャイミの実家にも迷惑をかけるわけには行かない。とにかく私は慎重に。
私は学生ボランティアとして活動を重ねて行き、次第にエマンシペーターの常在スタッフたちと打ち解けて行った。
そろそろタイミングを見て、チャイミのことをルトーナ所長に打ち明けたいと思っていた矢先。
夏の盛りも過ぎた頃ある日、所長のルトーナさんが一人の男の子を連れて来た。
この子は遠い親戚だと、私には言った。
その子は、私より、3つ下の16才の男の子。小柄だし、はにかんだ笑顔が可愛らしい。
彼には何か事情があるらしく、エマンシペーターが所有するこのビルに住み込みで働きながら夜間学校に通うらしい。
私で良かったら勉強を手伝ってあげたいな。働きながら夜間に通う頑張りやさんなんだもの。仲良くなれたらいいけど。
彼にはどんな事情が? ちょっと気になる。ルトーナ所長の親戚なのよね?
親戚ね‥‥‥。何か臭うのよねぇ‥‥‥ちょっと、ピンと来るものがあるのだけど‥‥‥
このビルの最上階の一室にはルトーナさんが住んでいて、他の一室には、2名のスタッフが部屋をシェアして住んでいる。そこに彼も入るそうよ。
この5階建てのビルは、元々は所長のルトーナさんが親から引き継いで相続した不動産だったけれど、今では最上階だけ、個人所有で、下の4階までは組織所有となっている。
3階までは賃貸のテナントで、よその事務所などが入ってる。その家賃収入は全てこの組織の運営に当てられ、その他、所長や、拉致被害者らに依頼した講演活動での収入や、街角や篤志家からの寄付金集めなどで何とかトントンで収支されているそうだ。
完全なる私設だけれど、地元警察との信頼関係はそれなりに出来ているそうよ。けれど、だからと言ってこちらのお願い通りに動いてくれる訳じゃない。
末端の警察官は、必死で捜査しても上から潰されがちなこの問題には、歯がゆい気持ちを持っているから、彼らに出来る範囲で協力してくれる。
世の中、捨てたものじゃないみたい。
捜査妨害をかわして助けられた船員は、今までで累計千人は下らないそうよ。
そんなにたくさんいたなんて信じられないわ! そして、保護した半分以上は外国人だそうよ。国籍が証明出来ずに帰国が難しい人もいるらしい。
私は、キャンパスに通う以外の時間は、暇さえあれば事務所に通い、お掃除したり、おしゃべりしたり、書類の整頓をお手伝いして過ごしていた。
私はここで過ごす時間が、心の支えにもなっていたから。
ライムくんはシャイな男の子だったけれど、大人ばかりのスタッフの中で、年の近いその子とは仲良くなりたいわ。
私には妹がいるけれど、こんな弟もいればもっと楽しかっただろうな。
そうだ! 年上ばかりの海千山千のスタッフたちの中で、私がちょっとだけ優位に立てることといったら‥‥?
その日一緒にコピー取りをしていたライムくんに提案してみた。
「ライムくん、学校の宿題はあるの? 私で良かったら見てあげられるかも。困った時は言ってね。特に数学なんて、大人の人たちは忘れちゃってるものよ」
私はフフンと得意気に胸を反らす。
「えっと‥‥ほんとですか? ありがとうございます、リリーさん。実は夕べ数学で疑問が渦巻いてしまって、ダイニングで本を読んでたバールングさんに聞いたんですけど、結局解けなくて。‥‥‥でも、いいのかな? こんな個人的なことでリリーさんにお世話をかけて。ルトーナ所長」
おどおどとルトーナ所長にお伺いを立てるライムくん。そんなこと、自分で決めればいいのに。ちょっと気弱な子なのよね。
「ライム? いいに決まってるでしょ!! 私の教えは使えるものは全て使えよ! あなたの手の内に入るものは何でも駆使しなさいよ! ライムはちょっと遠慮がち過ぎるわよ? この押しかけ女子、リリーにだって少しで申し訳ないけど、バイト代出してるし。ねっ?」
「ひっどーい! 所長ったら。押しかけ女子リリーってなんですかぁ~?」
確かに最初は押しかけだった。だって、私はチャイミのことで必死だったんだもの。
私が膨れっ面をすると、数人いたスタッフさんたちがクスクス笑った。
「ふふふ‥‥あれな、私もいたから知ってる。あの、正式にスタッフに入れてくれって食い下がりは伝説ものだよな」
読んでいた書類から目を上げて、ファーランさんがわざとらしくニヤニヤして私を見る。
私はツーンと顔を背け、斜め上を見て知らんぷり。
「‥‥そうだったんですか? 僕、申し訳ないですけど、リリーさんはお嬢様の気まぐれのボランティアかと思ってたんですけど、イメージが違って来てます‥‥」
やだ、ライムくんたら、そんなキラキラした目で私を見て。
「‥‥ライムくん? 私を見くびっていたわね。見かけだけでたまにそう言われるけれど、私はガチなのよ!」
私ったら今、この子に結構いいことを言ったわよね。
ファーランさんが分厚い手のひらで、ライムくんの肩をバシッと叩きながら言った。
「ふふ、ライムは自分の変わりゆく柔軟な感性を大切にしろよ。彼女はね、一見、清楚で優しげな美しいお嬢様だけど、たぶん芯はアイアンで出来てるぞ? なかなかいないタイプだよ」
それって、どういう意味なのッ?! 一応褒めてくれてるのかしら? それとも‥‥
「‥‥‥えっと‥‥えっと‥‥では、リリーさんは逸材ってことですね」
ライムくんたらナイスフォロー! いいこと言うじゃない?
うふふ、この子かわいーい♡
ルトーナ所長がパンパン手を叩いた。
「ほらほら、あなたたち! さっさと仕事を終わらせなさいな! ライムはそれが終わったらこっちはもういいからリリーに家庭教師してもらいなさい。学生は勉強が第一よ」
二人でコピーの資料作りを終わらせた後、ライムくんの部屋に移動した。
───そこで、まさかの展開!
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