第5話 恋とジェラシー〈ライム〉

 あれからまた更にひと月が過ぎて、ボクはついに16才になった。


 この船の大部屋にある唯一のカレンダー。


 過ぎ去った日にバツ印がつく度に、無事一日終えられたことにホッとする。




 キャドさんがキャップから、ウォッカ一瓶を手に入れてくれて、キズの消毒がマメに出来たせいか、ソムラータさんは幸いにも感染症にもかからず、ケガは快方に向かった。


 まだ傷口はジュクジュクしてて治ってはいない。歩くと痛むようで左足は引きずってる。本当ならまだ動くなんて無茶だと思うけど。



『顔色もいいじゃないか。ずっとじっとしているより動いた方がいいだろう』


 なーんて、キャップに言われたらね、休んでるわけにもいかなくて。


 それに、働けなかった期間の生活費と治療費などの名目で借金が増やされるし。


 なので、船の操縦が無い時は、ボクと同じような後方支援と雑用が主な仕事になって、一緒に作業することも多くなった。


 ボクは率先してソムラータさんの看護をしてたら、今ではソムラータさんと仲良しになった。お父さんというより、年の離れた友だち。



 なのでボクはソムラータさんの個人的なことを知った。


 ソムラータさんは知人の借金の保証人になっていたせいで、ある日数人の男たちに自宅で急襲されて、拉致られて売られたそうだ。


 もともと観光クルーズ船の副船長で、海には詳しかったそうだ。拉致されてからも知識と技術を乗組員に伝授しながら幾つかの漁船を経て、かれこれ通算27年も船に乗っていて、この船に移されて3年過ぎてるって言った。


 彼はボクたちが回ってる海域にも詳しくて、漁場の潮の流れも、この辺りで獲れる魚の習性に詳しいから、仕事しながらボクにもいろいろ教えてくれる。


 そして、いつの間にどこから来たのか、キャムボット人の新しい船員が加わっていた。ブリーム人のボクから見たら外国人。片言で挨拶したけど、細かいことは通じていない。困った時は同じキャムボット人のマイキさんが同時通訳してる。


 きっと、アーティムさんの代わりだね。こうやって船員が入れ替わって行くんだ‥‥‥次は誰の番? 考えるのも恐ろしい。




 ***



 ボクは続きの話がチャイミさんにあって、二人で夜更けにデッキに上がった。


 その夜は、時折強めの風が吹き抜けて所々白波が見えていたけど星の瞬く空模様だったし、その夜の海の見張りはヤーンさんと操舵はアーティムさんだったから、ボクたちが話すのを見られるのは他の人の時よりいいと思って。


 船はアーティムさんの操縦で、次の漁場に向かってゆったりと進んでる。


 チャイミさんとボクは、なるべく見張りの二人から見えない後方の船縁に立っていた。



 これは秘密の話だから。


 ボクは拉致された時、バッグに入れていたボクのほぼ全財産と言える、お金を入れていたお財布と仕事の紹介状は盗られてしまった。


 けれど、別にしていた現金1000マニー札10枚とパスポート、自国ブルーム王国の身分証明カードは無事だった。


 だから、ボクは陸地にさえ降りられれば、自国の大使館に助けを求めることが出来るんだ。


 追っ手に捕まる前に駆け込んで、この船の奴隷乗組員たちの存在をボクは訴える!



 それらは拉致当時、ボクが着ていたベストの背中の隠しポケットに入っていた。


 ボクは仕事中以外はこれをずっと着ていることにしている。今だって。



 ボクは一人で都会に旅立つことを決心し、心配したお母さんは、どこからか中古の防刃ベストを手に入れてボクに着せて見送ってくれた。お父さんが音信不通になってからというもの、何かと心配性になってた。


 本当はお母さんはお父さんについて何か知っていたのかも知れない。何かトラブルに巻き込まれて亡くなっているのかもって想像したけど、もし本当にそうだったら怖いから、聞かないようにした。


 お母さんは、都会は稼げるけど怖い所だから街ではこれを着ているようにって。


 マーケットの元締めから紹介された仕事がもしも国外になって、国境を越えてからパスポートと身分証明書を盗まれたり落としたら家に戻れなくなるって、それらを防水の油紙に丁寧に包んで、防刃ベストの背中の縫い目を開いて中に入れ、丁寧に元に縫い戻してくれた。



 裁縫上手なお母さんが工夫して入れてくれたから、見かけではわからないし、背中側は全体硬い作りだったから、外側からなら触っても、隠した物には気づかれない。


 これはボクだって縫い目をほどかなきゃ取り出せない。お母さんは心配し過ぎだと思ったけど、お陰で今、希望が生まれてる。



 ボクは一ヶ月ほど前のあの夜、アーティムさんを弔った後、チャイミさんとキャドさんにその事を打ち明けたんだ。



 この船も、母船から燃料や人員の補給があったとしても、流石にずっと海の上をさすらうことは無理だ。


 話によれば、年に一度は船のメンテナンスで、この船はどこかの港に入る。ハリケーンが予測されて、進路予測が難しい場合はどこかに寄港することもあるって。


 その時、ボクはここを脱出するんだ!


 船員が逃げられないように、派遣の見張りが置かれるそうだけど、チャイミさんとキャドさんに協力して貰えば、何とかなるんじゃないかって思う。


 ボクは固く決心したことを改めて伝え、ボクはここから逃げて、この船に理不尽に囚われた人たちを助けるように手当たり次第、とにかくあっちこっちに訴えるつもりだ。


 家族が突然行方不明になった人たちは、ボクの訴えに関心を持ってくれると思う。ユニオンを作るんだ。



 ボクとチャイミさんがこそこそ話していたのが気になったようで、ヤーンさんが首に双眼鏡を下げて、操舵室から出てこちらに来た。



「二人で何してんの?」


「ヤーンさん。見張り番、お疲れ様です‥‥‥えっと、何って言われても、‥‥‥」



 ボクがここから脱出する相談だよ。言えない。


 ボクが言い淀んでもじもじして、3人に気まずい沈黙が流れる。



「‥‥チャイミ、そろそろ戻ろうか。ヤーン、今夜はお疲れさま。じゃあな」



 ヤーンさんは、立ち去ろうとしたボクたちの前に腕をサッと伸ばしてを引き留めた。



 彼はチャイミさんに向かった。


「‥‥‥あの、チャイミさん。チャイミさんは、ライムみたいなのが好きなんですか?」


 ヤーンさんの横から見たその目尻が、うっすら光ってるような?


 声が微妙に震えてる。



 動揺している? ボクの秘密の話が聞こえてたはずはない。


 だったら、ボクがチャイミさんと話してたことが気に障ったのかも。なんとなくそれは普段から感じてた。ヤーンさんは、人気者のチャイミさんに時折話しかけられるボクを羨んで妬んでるって。


 ちょっと狼狽しつつチャイミさんと目が合った。


 チャイミさんは、パッとボクから目を反らしてヤーンさんに目を戻した。



「‥‥えっと? 好きって‥‥‥?」


「ライムと話してるの何回か見かけてるんだけど。彼とはいつもどんな話を?」



 ヤーンさんは嫌悪を浮かべて、無言でボクを睨む。まさかっ‥‥‥ボクの脱出の相談がバレてるなんてこと? だったらどうしよう‥‥‥


 アワアワ焦って二人を見比べてるボク。


 ボクの横に並んでるチャイミさんは、向かい合ったヤーンさんから視線を外さないまま、右腕でボクの背中をポンポン二回叩いて引いた。ボクに落ち着けっていう合図だろう。


 気づいてヤーンさんの視線が動き、その唇をかんだ。


 チャイミさんはそれを見て、ふぅって息を小さく吐いた。



「あん‥‥‥ここでの閉じられた環境が、ヤーンにそう思わせているだけじゃないかな? そしてライムと俺は、キミが思っているような恋仲じゃない」



 ───は? 恋仲って!?



 ボクはヤーンさんの真意がこの時初めて分かって、カーッと顔が熱くなった。


 まさか、チャイミさんとボクの間柄をそんな風に思っていたなんて! 確かにここではそういう人もいるらしいけど。女性がいないから。



「嘘だ! 俺は二人がこそこそしているのを何度も見てる! それにチャイミさんは、こいつがここに来た日に契ったんですよね? みんな噂してる」


 ヤーンさんの言ってることが一部意味不明だし、全然そんなんじゃないし、ボクは恥ずかしいし、恋仲なんて思われてたらチャイミさんに申し訳ない。


「ごっ、誤解だよ! それに契ったって何を?」


 ボクはチャイミさんの名誉のために黙っていられなくなった。



「うるさいっ! お前なんか、ここに来なければ良かったんだ! お前さえ来なきゃチャイミさんは!」


「はぁっ? ボクだって好きでこんなとこに来た訳じゃないよッ!!」



 ボクがカッとして言い返したせいで、ヤーンさんもカッとしたのがわかった。



「なら、出てけよ!!」


「ああ、行くさッ!!」


 チャイミさんにはそのための相談してたんだからねっ!



「なら、今すぐ消えろ!!」 



 興奮したヤーンさんが、ボクの両肩を突き飛ばした!


 同時にグラリと船全体が揺れた。



 それは不意に横波を受けて船が傾いたのと重なった。



 チャイミさんがよろけて船縁に体を打ち付け、ヤーンさんの全体重は、ボクの肩に乗っかった。



「ワッ!!」


「ああっ! ライム、危ないッ!!」



 ───ザッバーンッ‥‥‥



 一瞬で全身が違う世界に包まれた。海面がキラキラ上の方に見えた。



 ツーンとする鼻、ゴボゴボまとわりつく泡と、耳を覆う水の音。暗い世界。



 夜の海は恐ろしい。


 昼間の青い透き通る海とは違って、真っ黒な海には何が潜んでいるのかわからない不気味さがある。足が地につかないというのは、人にとってとても怖いことなんだったって思い出した。


 しかも見透せぬ底知れぬ足の下は、生身の人など太刀打ち出来ない恐ろしい生き物がわんさか住んでいるパンドラの箱。


 そして、海で死んだ人たちの脱け殻も。アーティムさんみたいな‥‥‥



 ───嫌だ! ボクを引き込まないで!!



 海底に住み着く亡霊たちに、今にも足に触れられそうな気がした。


 ボクは必死で海面に浮き上がる。塩水が目が染みる。



「ライムッ! これに捕まれッ!!」



 チャイミさんがボク目掛けてロープのついた救命浮き輪を投げた。それはボクの側に落ちた。だけど船は進んでる。無慈悲に浮き輪も一緒に離れてく。


 それでも浮き輪に掴まろうと、ボクはもがく。



「ソムラータさんッ! 戻ってくださいっ! ライムが落ちたッ!!」


 叫びながらチャイミさんが慌てて操舵室向かったのが遠目に見えた。



 そしてデッキには、ヤーンさん1人───



 待って、嘘だろっ!!



 彼は冷酷にも、浮き輪につながるロープをナイフで切って、海に捨てたんだ。



「ライム、サヨナラ‥‥」




 そして、船はそのまま小さくなって────







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