第3話 銃と船長〈ライム〉
あの夜から、がむしゃらの日々が始まり、ひと月が経った。
見よう見まねでとにかく働く。
漁が終わった後も忙しい。デッキの掃除して、たくさんの大きなザルかごの後片付けもあるし、破れた網も干して縫って補修しなきゃなんない。そして次の漁の準備。餌の仕込み。
大漁の時はキツイ。獲れた魚の血抜き作業も大量だ。季節によっては2交代制で休みなく漁をすることもあるそうだ。
奴隷生活残り35/36ヵ月だ。遠い先を思うと辛い。
交わすことになった一方的な理不尽な契約書が恨めしい。
───ボクが乗せられた船は密漁船だった。
掲げる国旗はいくつかあって、行く場所によって付け替えている。
この漁船の格納庫の魚が一杯になると、どこからともなく大きな母船が現れて横付け連結して魚は積み替えられる。給油船も来て海上で燃料補給もされる。
密漁船だから、取り締まりがいる沿岸には、ほとんど近づかないんだ。
この船は年に1、2回しか、寄港しないそうだ。メンテナンスや、新たな雑貨や水や食材の補給の時。
聞くところに寄れば、この隙に逃げ出す人もいるらしいけど、自国の港に寄るとは限らないし、海を隔てた知らない外国の港に逃げたとしても行く当てもなく、見つかって捕まって見せしめの拷問が怖いから、ジャングルの奥に潜んで暮らすことになるらしい。パスポートも無くて、自分の国にも帰るのも厳しいらしい。
ベテランの乗組員からは、この船で捕った魚は缶詰めにされて外国に流れて行くって聞いた。密漁船が横行出来るのも、ブリーム王国の大物議員にその利益一部が流れているから取り締まりも緩く、忖度が働き処罰も軽く済ませられるからだとか。
僕たちがこんな目に遭う根本的原因は、そんな密漁の魚を買う、お金持ちの外国のせいだと思う。密漁の魚が買いあげられなければ、こんな仕事は存在しない。
奴隷乗組員はたぶん3、40人弱くらいで、ボクが最年少。中にはボクのお父さんより年上に見える人も見かけた。ボクたちブリーム人が一番多いけど他にもイクエーター人、キャムボット人もいて、全員男だ。
集団があればその中で上下関係が出来る。ここでは仕事の有能と、腕っぷしがモノを言うようで、格闘技をかじっていたというキャドさんはまだ19才だったけど、その点で年上からも一目置かれて上位にいるようだった。
チャイミさんは18才で、船員たちの中では年若いけれどリーダーシップがあり、誰にでも公平で船員たちには好かれていた。ケンカの仲裁も上手くて、双方の落とし所を探るカンの良さは、船上の人間関係を観察把握によるもののように思う。年上の扱いも上手い。政治力があると言うか、そんな感じ。
キャップはそれを利用して、チャイミさんを重用してる。
だからか、チャイミさんに
周りにはボクが、若手のナンバー1と2のチャイミさんとキャドさんの弟分になったように見えたようで、船員同士の中で仕事以外ではボクはそこまでの酷い扱いはされずに済んでる。
そういえば、あの夜そんなようなことチャイミさん言ってたかも。
《今夜俺とここで過ごせば、多分誰にも何もされない》って、確か。
ボクが幼く見えて、弟さんを思い出して同情したんだと思う。
ここに連れてこられて最初の夜を、一目置かれてるチャイミさんとキャドさんと過ごせたことが、ボクのここでの生活をマシにしてくれてたことは明らかだった。
この二人の側にいることは妬まれる要素があるようで、たまに嫌みを言われることがある。
そう、ボクにも苦手な人が、何人かいる。全ての人とうまくやるなんて出来っこないよ!
立ってると、不意に後ろからボクのおしりに指で浣腸とか、ふざけたまねをして嫌がらせたり、嫌味を言って来るヤーンという17歳の男がいて、ボクはこの人が一番苦手だ。
お父さんくらいの年の機関士や、舵を取れるおじさんたちはボクにはキツくはないけど、若い男の人の方が怖いんだよ。ちょっと作業がモタモタしちゃうと、怒鳴られるし、暴力もある。
美しい星空を見上げる度に、ボクは祈る。
ボクを早く家に帰して。
この満天の星空は世界中を包み込んで見下ろしてる。
きっと、この世の全てを知っているんだ。
ならば、このボクの理不尽を助けてくれたっていいのに‥‥‥‥
赤く腫れていたボクの肌もいつの間にか黒くなった。手のひらはガサガサの傷だらけだ。治る暇も無い。体もあちこち痛い。髪の毛もばっさばさになった。なので先頃、チャイミさんに短く刈って貰ったばかりだ。
本当はチャイミさんみたく結んでみたいけれど、同じにしても彼みたいにカッコ良くはならないと思ったから。それにスコールの時にしか洗えないし。
なんだがボクは、どんどん自分も知らない別人になって行くみたい。
最近、顎にポツポツ生えて来たヒゲ。キャドさんが、ここでは貴重なカミソリをボクに分けてくれて剃り方も教えてくれた。
ボクはここで大人になっていく。チャイミさんとキャドさんの後を追って。
チャイミさんは最初の夜に『ここでは誰にも仲間意識を持つな』ってボクに忠告したけれど、ボクは心の中ではこの二人のことは兄のように慕ってる。
***
その日、この船員の中で最年長のソムラータさんが、網の巻き上げのロープに足をとられて大怪我をした。
ボクが最初に目を覚ましたあの船室に運び込まれ、ボクとキャドさんで応急手当てをした。
部屋には他に、キャップとチャイミさんと、ソムラータさんと仲の良かったアーティムさんがいる。
チャイミさんはキャップに、ここから一番近くの港に戻って、ソムラータさんを病院に連れて行くことを淡々とした口調で進言したけど、即座に却下された。
「無理だ。俺が損する往復の燃料費と、ふいにする2日分の漁獲の保障は、誰がするんだ? その分の借金は誰が被る? ほら、少し考えたらわかるだろう。いいか、俺は優しいから他の船の乗組員よりか多くお前たちを休ませてるんだぞ? 1日18時間働くのが普通なのに」
この船で取れた魚は海上で母船に引き渡される。母船は集めた魚を積んで港に戻る。ならば、その時に母船に乗せて貰えばいいのに。どうして、皆はそうしようと言わないんだろう?
とてもじゃないけど、下っぱのボクが口出しする雰囲気では無くて聞けない。
キャップの返答に、アーティムさんが猛烈に抗議した。
その声を聞いたのか、キャドさんが心配して様子を見に入って来た。
ソムラータさんは、右足のふくらはぎの肉がえぐれていて動けないし、顔色も悪くてすごく辛そうだったけれど、『俺は大丈夫だから』とアーティムさんを宥めた。
チャイミさんもキャドさんも、興奮してるアーティムさんを落ち着かせようとしたけれど、出来なかった。
アーティムさんはこの時、ソムラータさんのケガがトリガーとなって、日々の奴隷労働のストレスが爆発したんだ。
泣きながら大声でキャップをなじった。
「あんたは悪魔だ! 俺たちを騙して奴隷にして、こんなこと許されると思ってるのか!! ケガが悪化して、ソムが死んでしまったらお前のせいだ!! あんた今まで一体、何十人殺したんだ!!!」
キャップが『はぁ‥‥』って大きなため息をついて、天を仰いだ。次の瞬間、
バン、バンッ‥‥‥
狭い船室に、煙と火薬の臭いが立ち込める。
「いっけねぇ‥‥俺はついついこんなところで短気をおこして。ふふふっ‥‥‥こんなボロ船、おかしな所に当たったら沈没してしまうというのに。俺としたことが。‥‥‥お前ら、片付けとけ」
目の前で人が死んだ。今の今まで涙を流して友人のために抗議していた人。
ボクはこの光景が信じられなくて体が硬直してしまった。きっと、ここにいるみんなそうに違いない。キャップ以外は。
気持ち悪い
キャップは呆然としているボクたちを面白そうに一周眺めてから、ニヤニヤしながら部屋を出て行った。
ボクたちは無力だ。
だって銃を目の前にして、その威力を目の当たりにして、何が出来る?
《俺の教えは一つ。ここでは誰にも仲間意識は持つな。他人を守ろうとする心はキャップに利用される。キャップの前では淡々と事務的に振る舞え。感情を見せるな。それが自分も周りも護ることになるから》
ボクは、最初の夜のチャイミさんの言葉の意味を理解することとなった。
───チャイミさんが言ってたのはこのことだったんだ。
「‥‥こんなことって嘘でしょう‥‥‥なんてこと‥‥アーティムさんっ!」
ボクは呼び掛けたけれど、腹と額を撃ち抜かれて生きてる訳がない。
アーティムさんの倒れた床に、音もなく赤い水溜まりが広がってゆく。
チャイミさんが首を横に振る。
キャドさんは何も感じたく無くて、心を無にしようとしているように見えた。焦点も定まらぬまま黙って壁を見つめてる。
「‥‥う‥‥う‥‥うううっ‥‥‥俺のせいで‥‥‥俺がケガさえしなければ‥‥‥‥アーティー、おお‥‥アーティー‥‥‥済まない‥‥‥」
ボクはソムラータさんと抱き合って泣いた。
なんて酷い‥‥‥
3年耐えれば何とかなると思っていたけれど、ボクは生きて出られるのかも不安になった。
ここでの生死はキャップの気分次第。
この部屋でアーティムさんの遺体に4人で祈りを捧げた後、その体は夜の海に流される。
───ねぇ? 誰か教えて。人の命って、なんなんだろう‥‥‥
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます