第2話 チャイミさんとキャドさん〈ライム〉
「‥‥何で? なんで‥‥ヒック‥‥ヒック‥‥ヒック‥‥」
ボクは涙が止まらない。
チャイミさんが一歩前に出てキャップに敬礼した。
「キャップ、今夜は俺が面倒みます。仕事の内容もしっかり叩き込んでおきますので任せて下さい」
「ふふっ‥‥ま、今回はいいだろう。チャイミはよくやっているしご褒美だ。ではこの坊やはチャイミにやろう。仕事についてもしっかり仕込んどけよ! ライムの身の回りの必要な品は物入れからキャドが見繕ってやれ」
「キャップ、了解です!」
二人揃って敬礼した。なんだか軍隊みたいなノリに身震いする。
気持ち悪いニヤニヤ嗤いをしながらキャップがボクを見てからチャイミさんの肩を叩いた。
キャップが出て行った後、チャイミさんが泣いているボクの背中を撫でながら言った。
「今は泣くのは仕方ない。だが、この状態ではどうしようもないのはわかるよな?」
ボクは涙で霞んだ目を擦りながら頷く。
「ライムが俺の意図を分かってくれて良かった。あそこで逆らえば殺されている可能性があったからな。俺はここに半年いるけど、俺が知ってるだけでも海に棄てられた数は片手分だ」
「そう言うことだぜ? ライム。キャップだけが銃を持っている。ここではヤツが掟だ」
ちょっと乱暴で怖いキャドさんが、声を潜めて憎々しげに言った。
ここは大変危険な場所なんだ。‥‥‥人の命さえ粗末にされるような。
チャイミさんがキャドさんの肩をポンと叩いた。
この二人は仲が悪いわけではないようだ。
「ライムの持っていた荷物は届いてる‥‥けど、金目の物は勿論ブローカーにパクられてるだろうな。残りは船員たちにいくらか抜かれているだろうけど、着替えくらいは残っているだろうよ。ちょっと取って来るわ。取り返せる物は取り返してやっけど、あんま期待すんなよ!」
キャドさんがボクにウインクして部屋を出て行った。
「キャドはちょっと乱暴な所があるけど、悪いヤツじゃない」
「ボクの荷物‥‥お金を払ってやっと手に入れたマーケットの元締めへの紹介状は‥‥‥?」
「金になるものは残ってはいないだろうな。残念だけど‥‥‥」
「そんな‥‥‥ボクは働いて家に仕送りをするはずだったのに。お父さんが出稼ぎに出て家に仕送りしてくれていたんです。でも半年前に途絶えてしまって。‥‥‥お父さんは行方不明になりました。探しても見つからないし、ボクたち家族は困窮してしまって。それでボクが代わりに働きに出ることになったんです」
「‥‥辛いな。だが今はここに早く慣れることだけを考えろ。死んだら元も子も無いだろ? ライム」
「‥‥はい。でも、ボクは家族の期待を背負って都会へ出たのに‥‥お母さんと弟妹たちが‥‥ううっ‥‥ううっ‥‥‥‥」
「‥‥人間ってな、割りと適応力高いんだって。状況に応じて誰もが変わって行く。ライムがいなくなりゃ、その下の兄弟が代わりをする。ライムが父親の代わりをしようとしたように」
チャイミさんは、泣いてるボクの背中をポンポン優しく叩いた。
「今は忘れろ。そして生きてここを出る事だけを考えろ。弱みを見せたらダメだ。ここのやつらはみんなささくれて尖ってる。毎日が地獄の強制労働だから」
「‥‥でも、チャイミさんは優しいです」
「俺にはライムみたいな弟がいたんだ。俺とは別のどこかに売られてると思う。必ず見つけ出そうと思ってる。だから俺はここでは死なないって決めてる。だからライムもがんばれ」
「チャイミさんも売られてここに‥‥‥」
なんだか絶望する。ここにいる人たちは皆、奴隷商人に拐われて売られて来たんだ‥‥‥
「ああ。中には借金のカタで強制的に乗せられたヤツもいるけどな。親に売られたとかも。だが大抵はそれだ。ここで余り他人を詮索するな。口は禍の元だぞ? 船上では恨みを買っても逃げ場は無い。気を付けろ」
「はい。ボク、すみませんでした‥‥」
扉がバーンと開いた。
バサッとボクのバッグが床に投げられた。
「ほら、これだろ? お前の大きなバッグ!」
「あ! ありがとうございます。キャドさん」
「ライム、このキャップいいよな? 俺にくれよ」
外国の人気野球チームの野球帽を指でくるくる回しながら、キャドさんがニヤニヤしてる。
「‥‥ったく、キャドは素直じゃないな。返せ!」
呆れた顔でチャイミさんがひったくってボクに被せた。
「ちっ、それ、ヤーンのヤツから取り返したの俺なんだけど?」
キャドさんは指をチッチと振って、ボクを見てさらにニヤニヤする。
最初からボクから奪う気なんて無かったんだ。
「あっ、ありがとうございます。キャドさん。これ、お父さんが出稼ぎ先から送ってくれた、ボクの宝物だったんです」
「ふうん。じゃ、早速俺はライムに貸しが出来たな」
片腕で抱えていた筒状の布地を、3つボクの前にバサッと投げた。
「ほら、お前と俺たちの寝袋だ。一番まともそうなの持って来た。今日はそれで寝る」
「は? キャドもここで寝んのかよ? めっちゃ狭くない?」
「いいじゃん。あの狭い3段押し入れの箱ん中ベッドよりここのがマシじゃん。ま、まさか、お前‥‥本当にライムとヤる気だったんじゃねーだろうな?」
「バッ、バカッ! んなわけないだろ!」
チャイミさんが鼻にシワを寄せて、キャドさんの胸にシャドウでパンチする。
一体何の話をしてるんだろう?
二人でじゃれ合ってるみたい。実は仲良し? 年も同じくらいに見えるし。
「なあ、ライム。外の世界の話を聞かせてくれよ。今どうなってんの?」
キャドさんがボクに人懐こい笑顔を見せた。何だかさっきまでと雰囲気が違う。
寝袋を3つ並べ、明かりを消した手狭な船室。真ん中はボク。
キャドさんは、今の流行りの歌はどんなだとか、人気のアイドルとか映画のこととか、バンタム級のチャンピオンは現在誰だとか、質問攻めにして来て、とにかく新しい情報に飢えているようだった。
ボクは余り流行のことは知らなかったけれど、わかる範囲のことは教えてあげた。
キャドさんの楽しそうな声は、反面してここでの生活の閉塞感をボクに感じさせる。
なんだかキャドさんが痛々しい気がするけど、これからはボクもそうなるんだ‥‥‥
話しながら
ずっと黙って聞いていたチャイミさんは、ボクの気持ちを察してくれたらしい。
「おいキャド。ライムはもう疲れてる」
「あ、わりぃ。色々教えてくれてサンキュー、ライム明日からがんばれよ! おやすみー、二人とも」
キャドさんはボクに背を向けた。
「おやすみなさい、キャドさん‥‥‥」
ボクの右横にいるチャイミさんが、
「ライムも、もう寝ろ」
なんて言うけれど、待って。ボクは仕事の説明をされてない。
「あの‥‥チャイミさんは今夜、ボクに仕事の内容を叩き込むはずなのでは?」
「‥‥ああ、あれはああ言っとかないと、ライムはいきなり大部屋に入れられてあいつらの餌食にされちまうから」
「どういうことですか?」
「知らない方がいい。今夜俺とここで過ごせば、多分誰にも何もされない」
「よくわかりませんけど‥‥」
「いいって。で、俺の教えは一つ。ここでは誰にも仲間意識は持つな。他人を守ろうとする心はキャップに利用される。キャップの前では淡々と事務的に振る舞え。感情を見せるな。それが自分も周りも護ることになるから」
「言っていることがよくわからないのですが‥‥‥」
「その内わかるさ。今夜はゆっくり休みな。仕事のやり方は、明日実践で教えるから大丈夫だ。ライム、おやすみ」
「あの‥‥‥」
チャイミさんもボクに背を向けた。
「おやすみなさい‥‥チャイミさん」
心が現実に追い付けなくて、思考が滑ってしまう。認め難いこの状況。
ボクの心は、ひとまず現実逃避を選択したようだ。
だからその夜、ボクは目を閉じた3秒後には意識を失っていた。
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