満天の星空と波の狭間で
メイズ
第1章 満天の星空に夜明けを探す
第1話 アブダクション
何だろう‥‥とめどなく緩やかに揺れてる‥‥‥
眠気で頭がもやもやする‥‥‥胃がムカムカして気持ち悪い‥‥
思考回路が滞ってる。
まぶたが重くて半開きまでが精一杯。手足も石に変わってしまったように重い。
薄目に入ったのは床に立つ4本の人の足。
───ここはどこ? そこにいるのは誰?
ボクは‥‥‥冷たい床に横たわっている?
「あん? ボーヤ、やっとお目覚めかよ?」
ボクは頬をパチパチ叩かれる。
誰? 知らない男の声。怖いよ‥‥
逃げ出したいけれど、手足が重くて上手く動かせない。起き上がれない。
ボクはゴツい靴の爪先で腹をつつかれて仰向けに転がされても、されるがままだ。
「おいっ、やめとけよ! キャド。その子、まだ薬が効いてる」
「ちっ、俺に指図すんな! チャイミ。‥‥‥俺はキャップを呼んで来る。ちゃんと見張ってろよ!」
ドアがバタンッと、閉まる音。
半開きのボクの目に、日に焼けた肌の黒髪の男が映る。
‥‥あ‥‥精悍なイケメンだね。
「‥‥気の毒に」
その男はそう言った。チャイミと呼ばれていた、このイケメン。
キャドという男が去ると、ボクの脇にスッとしゃがみ、横たわるボクの髪を一回軽く撫でた。
そのグレーとグリーンが複雑に混じりあったその目に、
「‥‥運が悪かった。お前も、俺も‥‥‥」
ボクは必死で手を動かそうともがいても、その動作は死に際のあがきのような力の無さになって。
プルプル震える腕を、チャイミという男に伸ばす。
「お前、起きたいのか?」
返事をしようと声を出そうとしたら、自分の声とは思えないようなかすれた声が出た。
「‥‥ここ‥‥ウウウンッ‥‥ゴホッ、ここは‥‥どこですか?‥‥あなたは‥‥誰ですか?」
「ここは漁船の上。俺はチャイミ。18才。お前は?」
ボクの背中を支えて起こしながら、覗き込むようにボクの目を見た。
「ボ、ボクは‥‥ライムです。今は15才だけど‥‥夏になったら、あと2ヶ月で16です‥‥うっ、気持ち悪‥‥‥」
本当にここは船の上? じゃあ、ボクは今、海原上にいるってこと? 本当に?
さっきからのこの揺れは波に揺られているから? 何でボクが船に乗って???
ボクは仕事を探していて、お金を払って知り合いの知り合いのそのまた知り合いから紹介状を貰って、田舎町から都会へ向かった。
ボクが目指していたその都市には、世界中から集められたありとあらゆる品物が並んだ、露店や小さな店からなるプラヤーマーケット街があった。
そこは港町で、陸路と水路から珍しい宝飾品や雑貨、野菜に果物、水産物などが集まって来る活気に溢れた町だった。
ボクはそこのマーケットの元締めを訪ねる予定だった。住み込みの仕事を紹介して貰うために。
朝早く家を出発してバスと電車を乗り継ぎ、昼下がりにやっと着いたプラヤー駅で知らない男に声をかけられて‥‥‥えっと‥‥‥それから‥‥‥?
床に座ってバケツを抱え
うっ、食道を遡る酸っぱい液体が‥‥口の中に広がって来た。
「おえっ、ゲロゲロ‥‥ヒック‥‥」
はああ‥‥‥吐いたら急激に楽になった。
「15、6か。チッ、まだガキじゃんか。容赦ねーな。‥‥‥ライム、大丈夫か?」
チャイミさんはボクの背中を撫でながら、何かに毒づいている。
ボクより2つ年上のお兄さんか。でも、ボクがガキならチャイミさんだってガキの部類だと思うけど‥‥‥
「‥‥吐いたら大分良くなりました」
「ライムは細いし体力無さそう‥‥何でこんなガキまで‥‥‥」
ボクは、最早嫌な予感しかしない‥‥‥
扉の向こうからこちらへ近づいて来る複数の足音が聞こえて来た。
チャイミさんが扉の方を向いてからボクに、『とにかく絶対に逆らうな、いいか?』と耳打ちした。そして立ち上がると、ボクから離れて数歩下がった。
足音が止まり、ドアが開く。
さっきのキャドと呼ばれていた若い男が戻って来て、その後ろから、チャイミさんの2倍は日に焼けた、眉間とおでこのシワの深くて小柄で細い筋肉質の中年の男が現れた。
「立て! この人は俺たちのキャップだ」
赤いバンダナを帽子のように頭に巻いたキャドという茶髪の男が、ボクの腕を強引に上に引っ張る。
「そのままでいい、キャド」
中年男がそれを制して、床に座り込んでバケツを抱えてるボクの前に立った。
わけがわからなくて茫然と3人を見上げるボク。
すごく狭い部屋。
キャップの後ろ左右に、チャイミさんとキャドという人が足を少し広げ、手を後に組んで胸をそらせて並んで立ってる。
「お前はそのまま座っていていい。名前を言え」
チラリと中年男の後ろのチャイミさんを窺うと、ボクを見て眉間を一瞬すがめさせてから、目線を正面に戻した。きっと、逆らうなって合図だ。
「‥‥ボクは‥‥ライムと言います。あの、ここはどこですか? ボクはヤナナ村から来ました。あなたはどなたですか?」
「ふふん、田舎の村出身の坊やか。まあいい。ここでは陸での身分は関係ない。ライム、お前は売られてここに来た。俺は30万マニーでその体を買った。それはライム、お前自身の俺への借金だ。わかるだろ?」
「‥‥‥売られたって?」
ボクが? 衝撃で頭がクラクラする。心臓がバクバクし出す。
何でボクが売り物に?‥‥‥あの駅であった男は奴隷ハンターだったの?
子どもや若い男女を拐って売り飛ばす闇の組織があるのは噂で聞いたことはあったけれどまさか、ボクが?
酸っぱい臭いを放つバケツの中の汚物をじっと見つめながら、ボクはボヤけた記憶をたどろうと集中する。
そうだ! 駅についてどちらに行けばいいのか迷ってしまってキョロキョロしていたら、あの男が声をかけて来て、マーケットを案内してくれるって言うから───
都会の大きな駅で、大きな荷物を持って戸惑ってるボクは、ただいま田舎から出て来たって一目で丸わかりで、格好の餌食だったってわけだ。
仕事を探して朝早く出てここまで来たって話したら、少し休んだらって言われて。ボクもお昼ご飯を食べ損ねていてお腹が空いていた。安くて美味しい店があるって連れて行かれてオシャレなオープンカフェに入った。
男はカフェの店員とは顔馴染みらしくて、男とボクを見た途端、店員のお兄さんは笑顔になった。
男が店員にチップを渡すと、店の奥をサッと右腕を横に伸ばして指し示しながら、左手を胸に当て『お客様、どうぞ』って、エレガントなお辞儀した。
なんだか都会の匂いに触れた気がして、気分が高揚した。
ボクもこのマーケットのどこかでこんな風に仕事が出来るのかもって。これからの自分の生活を想像してドキドキしてたんだ‥‥‥
店の奥に、区切られた特別っぽい個室が用意されていて、そこでレモンスカッシュを飲んでベーグルサンドを食べて‥‥それから────
???
モヤモヤだ。それからの記憶が無い。ついでにボクの荷物も。
ボクの着ているベストの背中の隠しポケットに、一番の貴重品は入ってるはずだけど、今は確かめられない。
キャップは、しゃがんでボクと目線を合わせた。
「いいか? ライムはここで働くことで俺に借金を返す。給料から生活費は差し引くからな。お前なら3年も働けば、全額返済出来るだろう。そしたら自由だ」
───そんな! おかしいよ! 30万マニー返すのに3年って!
「待って下さい! ボク、何がなんだか。それにそれじゃ1年働いてたった10万マニーしか返済出来ないって。世間の相場では1ヶ月10万マニーが最低賃金なのに」
「生活費を差し引くって言っただろう? 嫌なら海に飛び込んで鮫のエサになれ」
冷酷な声が狭い室内に響く。
「今日はもう休んでいい。ライム、仕事は明日朝の4時からな」
キャップは、俺の髪を掴んで顔上げて、目を間近で合わせてにやっと嗤った。
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