第36話 崩壊と後悔②

 俺は黙って彼らを背中で見送り柱に足を進める。直ぐ傍まで来ているように思ったが入り口まではまだ結構距離がある。暫く歩みを進め、すぐ目の前まで来た。聳え立つ柱は近くで見ると恐ろしいほど巨大な壁の様だ。しかし、その中に入る為のドアはまるで勝手口のように小さなドアで、人間よりも小柄な地底人以外は入ることすら一苦労だろう。


 ドアを引いて中に入ると真っ白な空間が永遠にも思えるほどにどこまでも広がっている。いや、違う。これは通路だ。壁や床自体が光っているのか、照明らしきものはないが明るい。だがその光がむしろ認識を狂わせてどこまで続いているのか視認できない。恐る恐る壁を触ってみた。感触はブヨブヨと柔らかいがサラッとしていて、芯は非常に硬い。これが何で出来ているのか判別がつかない。床も同じような見た目だが、壁と違って弾力はない。道は一本。進むしかない。


 真っ白な通路はどれだけ進んでも同じ景色が続いていて、上がっているのか下がっているのか、進んでいるのか戻っているのかわからない錯覚に陥る。この中には何もない。ただ通路だけが延々と続いている。どこまで行けばいい? どれだけ歩けばいい? ここに入ってから何時間たった? 俺は『貝』に入ってから一度も”ナリファイ”を解いていない。そもそもこの魔法はちゃんと効力を発揮しているのか? 一度解いてみるか? ……いやダメだ。俺には、何かあればすべて破壊してこの場から逃げ出そうという闘争心がまだちゃんとある。この気持ちだけが俺の道しるべだった。


 ――どれくらいの時間が経ったのだろう。一時間? 二時間? 体の疲労を考えればそれ以上に歩いた気もする。もしや、俺は罠にはまったのか? 主は元々俺をはめるつもりでここに呼び寄せたんじゃ? 引き返すか? ……あれ? 俺はどっちから来た? こっちで合っているのか? 魔法を使ってみるか? いや駄目だ! ”ナリファイ”だけは解いちゃいけない。自分を信じろ。真っ白な景色に何度も自分を見失いそうになりながらも、その度に自分を鼓舞し、なんとか歩みを進める。魔法が使えない俺は、なんて無力なんだろう。進んでいるのか、戻っているのかすらわからない道をひたすら歩き続けると、見たことがあるような扉が目に飛び込んで来た。貝柱に入る時に見た勝手口の様な扉だ。


「なんだよ……。結局俺は逆走して来ていたのか」


 それでもこの空間から出られるという安堵から、俺は迷わずそのドアを開ける。するとそこは外の世界ではなく真っ白な空間のままだった。しかし、先ほどまでのただの通路ではない。広い空間だ。そして、壁から無数の管の様なものが真ん中の丸い物体に伸びている。俺は恐る恐るその物体に近づいてみる。それは真珠の様に丸く輝いて見えるが中は空洞で何やらリクライニングソファーの様な台の上に何かが横たわっている。それは、ひどくやつれた人間の老人だった。壁から伸びた無数の管がその老人の身体とつながりその中の一つは口元を覆うマスクの様になっていた。まるで人工呼吸器の様だ。


「お、おい。何だよこれ? 今にも干からびて死にそうな爺さんが寝てるだけ?」


 俺の声に気が付いたその老人はゆっくりと目を開け、俺の頭に直接話し掛ける。


≪よく来た。お前が来るのをずっと待っていた。ワシの名はサン……≫


 その声は今にも途絶えそうな程に弱々しかった。サン。という事はこいつが七崇官最後のひとり。この中には七崇官も入れない。主だけだという事はこのよぼよぼのジジイが主? 自分を含めた七人を七崇官と呼んでいたのか。


「アンタが俺を呼んだ主なのか? なんだよその姿は? あんな化け物共を服従させてるのに。今にも死にそうじゃないか!」


≪ああ。おぬしをここに呼んだのはワシだ。何とか間に合った……≫


「間に合ったってなんだよ! どういうことだ。俺はアンタに助けを求めに来たんだぞ!」


≪落ち着きなさい。先ずはワシの話を聞いてくれ。ずっとおぬしを待っていたのだ。ロジックの封印を解いたのだろう? 地球から来た者でなければ解けないはずの封印を≫


「やっぱり! アンタもそうなんだな! ロジックもあの暗号もアンタが作ったのか?」


≪ああ。ワシがロジックを作り、それを封じた。だが、なぜそうしたのか……。どうしても思い出せない≫


「思い出せない? どういうことだ? 自分でロジックを作っておいて、なぜ自分で封印したのか思い出せないっていうのか?」


≪ああ。どれだけ魔力優れていても肉体は人間。寿命は短い。だからワシはこの世界で何度も何度も身体を若返らせて今まで生きて来た。だが、ある時、昔の記憶が失われていることに気が付いた。肉体は何度でも若返らせることが出来る。だが、記憶はそのまま集積されていく。しかし脳の記憶容量には限界があったのだろう……。普通のに生きていても自然と忘れてしまうことはある。昔の記憶は改ざんされ、補填されいつの間にか間違った記憶として植え付けられてしまうこともある。だが、幾つになっても決して忘れる事のない思い出や記憶というものもあり、それは生涯存在する。しかし、いつの頃からかそういった記憶がごっそりと抜け落ちていた≫


「記憶容量の限界? つまり、魔法で若返っても記憶は失われてしまうってことか?」


≪ああ……。ワシはこの世界に来てからの幼いころの記憶と地球に居た頃の記憶がほとんどない。何の為にここに来て、何をしてしまったのか。ほとんど思い出せない。だから、ある時を境に若返るのを止めた。今から約八十年ほど前だ。ずっとこの中に籠り、自分の複製を操って老いをごまかしてきた。いよいよ体が動かなくなってしまった約五年前からはこの管に繋がれ時間の流れを緩やかにしながら延命を続けている。既に足はただの飾りだ。この管がなければもう呼吸をすることさえ出来ない。既に魔法はもう使えない……≫


「なぜだ!? なんのために? そこまでして何故生き続けている?」


≪言ったであろう? わからないのだと。だが、ロジックを封じる。その目的だけがハッキリとしていた。理由がわからなくてもワシの深層心理が強くそう訴えていた。その為だけに生き続けてきた。ワシにはその目的以外にはすがるものがない。だが、この管に繋がれていても、もうこの肉体は限界だ。延命すら難しい。そんな折、おぬしが現れた。おぬしにはワシの後を継いでロジックの封印をしてもらいたい≫


「は? ふざけんな! 苦労して封印を解き、せっかく手に入れたこんな便利な力を自分で封じるわけがないだろう。それにロジックがなければ外の連中にあっさり殺されてしまう」


≪はっきりとした理由はわからないが、何があってもロジックはこの世界から消し去らなければならない。失っていく記憶の中でそれだけがハッキリしている。世界中に広がってしまったロジックを消すだけならば簡単だ。だが、それではこの世界から魔法の力自体を消し去ってしまう。この世界から魔法を奪い去る訳にはいかない。君の国に広めた魔法を世界中に広げなければならなかった。これまでにほとんどの国は魔法の上書きは完了している。後はこの国にいる六大種族のみ。だが、あの異常な力を持った種族を同時に相手しながら魔法を書き換える程の力はもうワシにはない。ワシにはこの柱に籠って延命を続け、時間を稼ぐ事しか出来んかったのだ≫


「アンタが何をしたのかわからんが、俺には関係ない。アンタに助けてもらうためにここまで来たがそんな状況じゃ頼りにもならない。あの化け物共は俺達人間にとって脅威だ。だが、アンタのおかげで自分の国を護る方法はわかった。俺は国に戻って防衛に徹する事にする。アンタらとはもう関わることはない」


≪……だが、どうやってここから出る? おぬしのその反抗的な態度を見る限り魔法でワシの友好魔法”フレンドシップ”を防いでいるのだろう? 魔法の無効化と言ったところか? だが、その魔法を解かない限り魔法は使えんのだろう? そして、魔法を解けば”フレンドシップ”の効力で願いをワシの願いを叶えようと全力を尽くすことになる。魔法を使えなければここからも出られん≫


「くっ! やっぱり罠か……。俺を逃がさない気か?」


≪帰って構わんよ。ワシの後を継ぐ契約魔法さえ受け入れればな。そうすればワシの記憶と力を君に託す≫


「記憶? 目的も思い出せないのに何の記憶を託す気だ? そんな契約を結ぶと思うか? それに、アンタは解ってないな。俺はアンタの味方じゃない。アンタは身を護る為のこの中に籠っていると言った。つまり、この中からであればアンタに危害を加えることも出来るということだ。例えばその管を数本切ればどうなる?」


≪ワシを脅すか。だが、ワシが死ねば外の連中は力を取り戻す。一斉に襲い掛かってくるぞ≫


「袋のネズミだとでも言いたいのか? アンタが死ねば奴らの力が戻るという事は俺も魔法を自由に使えるという事。奴らが攻撃を仕掛ける前に結界を張るさ。それにアンタは放っておいてもくたばりそうだしな」


≪今魔法を封じなければ、必ず後悔するぞ。ワシが死んだ後、この忌まわしき世界に残されるのはおぬしだ。奴らは本物の化け物だぞ?≫


「生き抜いて見せるさ。瞬時にこの場から転移して国を結界で保護し、森の家で妻と子と犬達とゆっくりと天寿を全うするさ。何度も若返ったら記憶を失うこともわかったしな」


≪なるほど……。ならばおぬしが死んだ後に残る人間たちはどうする? 結界は失われおぬしの妻や子、その子供たちはどうする?≫


「それは……。ロジックを伝えて代々国を護らせるさ。いや、国民全員に強力なロジックを流布すればあの化け物共とだって十分に渡り合えるさ」


≪やめろ! これ以上ロジックを他人に広めるな! ノートの二の舞に……ああ。そうだ……。そうだった。ワシはなぜこんな大切なことを忘れていたんだ。ワシがロジックを作らなければ……。ノートにロジックを教えなければ……。頼む。ロジックを封じてくれ! ノートを救いださなければ――≫


「ノート!? アンタ今ノートって言ったか?」


≪ノートを知っているのか!?≫


「アンタが言っているノートと俺の知っているノートが同一人物なのかはわからんが俺の母親の名だ。この世界のな。と言ってもすでに死んでいるが――」


≪死んでいる? 死んだ? ノートが? おぬしが……ノートの息子? それはつまり……だからおぬしは――≫


 目の前の老人は既に自重にさえ耐えれれない体を無理やり起こし、息を荒げて俺に手を伸ばそうとした。その瞬間、彼を繋いでいた管がプツプツと切れ、真っ白な空間は音もたてずにフッと消え去り一瞬で外の景色に変わった。さっきまで目の前で管に繋がれていたはずの老人は突っ伏す様に地面に横たわっている。さっきの柱は幻影だったのか? 何時間も掛けて上がったり下がったりを繰り返し、随分歩いた気がしたが俺が立っていたのは入り口の近くの地面の上だった。すると、その直後に真っ青だった空は、真っ暗な岩の洞窟の様に変化し、闇に包まれた。そしてそれは直ぐに亀裂が入って崩れ落ち始めた。崩れた場所から太陽の光が差し込んで真っ暗だった世界に光を落とす。それを見上げていると今度は地面が揺れ始めたのを足で感じた。咄嗟に確認しようと下を向いた瞬間、地面から何かが噴き出し、何故か俺は再び空を見ていた。

 いや、違う。俺は宙に浮いているんだ。何かに下から首を突き上げられた様な衝撃で体が浮いてしまった。首の違和感を確認しようと下を向こうと思ったが何かが首につっかえて下を向けない。目線だけ下を向けると、見たことがある茶色い布とそこから飛び出る硬いとげの様な無数の針が見えた。これは? サトゥルヌスの体毛?


「喉を潰したぞ! もうロジックは使えまい!」


 その声を聞いたと同時に今度は両腕に違和感を感じ、無理やり下から浮きあげられていた身体はその腕に引っ張られ、今度は地面に上半身を叩きつけられた。視界の端に黄色と緑色の布が見えた。それが俺の腕に刃を押し付けていた。刹那に下半身に違和感を感じ下半身を地面に叩きつけられる。下は向けないが大きな青色と赤色の影が視界に入っている。改めて確認すると、両手をフレイアとトールが、両足をチュールとウォーディンが巨大な刃を押し付けている。


「主を殺してくれたこと。そして、この忌まわしきロジックから解放してくれたことに礼を言う」


 次の瞬間、俺をまたぐように黒い影が現れた。そこでようやく理解した。俺はこいつ等に攻撃されたのか? 魔法で結界を張ることを意識する暇もなくこいつ等は俺を殺しにかかってきた。だが、俺には一切の痛みはない。違和感だけが身体に伝わっている。


「”フリーズ””テレポート”」


 俺は七崇官をその場に固めて動けなくし、奴らの目の前に転移した。


「なっ!? 何故だ!? 俺は喉を確実に潰した! なぜ声が出せる!? なぜ無傷なんだ!?」


 俺を押さえつけた姿勢のまま動けない六人の目の前に無傷で立っている俺に全員が唖然としている。


「今のは危なかったよ……。もし、サトゥルヌスが俺の喉を潰しに来ないで首をはねるつもりで攻撃していたらヤバかった。いや、お前ら全員が俺を殺す気でいたら俺の負けだったよ」


 もし、俺が事前に”スケープゴート”をクリップ達に掛けていなかったら。もし、あの柱で”ナリファイ”を解いていたら。そう考えると恐怖で気が狂いそうになった。俺は”リラックス”を掛けて自分を落ち着かせ、クリップの事を思い浮かべた。城で喉を潰され、四肢を切り落とされ、床に叩きつけられてもがき苦しんでいるだろう。こいつ等は俺を殺すつもりがなかった。恐らくクリップは生きたまま苦しんでいる。……本当にありがとう。お前のおかげで助かった。今の俺にはお前に対して感謝の念しかない。こいつ等を始末したらすぐに戻って身体を元に戻し、苦しかった記憶を消してやるからな。


「確かに直ぐに殺さず苦しませようと謀ったが、全員の攻撃が全く効いてなかったのか!? 無傷なのはどういうことだ? 少なくとも俺はお前の足ごと大地を割るつもりで全力で攻撃した」


 真っ赤な顔で憤慨しているチュールは大声で俺に問いかける。


「俺には身代わりの魔法というものがある。それをとある人物に掛けていた。一人目は俺の兄でお前らが国に連れ戻してきたキャンバス。奴は俺にとある魔法を掛けたが、その身代わり魔法によって自らが犠牲となった。二人目はクリップ。こいつも俺の兄だ。今頃は城の中でお前らの攻撃を受けて喉を潰され、手足を失い、苦しんでいるだろう。もしかしたらもう死んでいるかもしれんが……」


「身代わりだと? それも実の兄を? なんという悍ましい魔法を――」


「お前らみたいな化け物相手に無策だとでも思ったか? それにな、キャンバスの死は自業自得だし消滅したからどうしようもないが、クリップは国に戻れば元に戻せる。たとえ死んでいてもな」


「死んだものまで生き返すのか? なるほど。主がロジックを封じさせた理由が何となくわかって来たわ。お前の様な者にロジックを利用されれば世界は崩壊する。そうとわかってこのまま逃がすと思うか?」


 俺を押さえつけた姿勢のまま目線だけをこちらに送る六人の殺気は”リラックス”を掛けていても卒倒しそうになる。

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