第35話 崩壊と後悔①

 そして、ルーンは先ほどより重々しい声で話を続けた


≪……一つだけ方法を思いついた。奴が厳重にロジックで防御していたとしてもそれが解かれ無防備になる瞬間がある≫


≪まさか!? いや、しかし、それでは主に気づかれる恐れがあります。あの中は主の体内も同然≫


≪わかっている。だからスピノを使う。あの者を船首に誘導し、『貝の口』に入った瞬間に攻撃を仕掛けさせる。そして、スピノには単独で主の命に反した罪を背負ってもらう。もうすでにスピノには伝えている≫


≪スピノ殿に!? スピノ殿はルーナ様の腹心の友ではありませんか!?≫


≪そうだ。私が最も信頼する友だ。それはここにいる全員が周知している。もちろん主でさえな。だからこそスピノが適任だ。その為に最初からあの者の監視をさせている≫


≪いくら何でもさすがにそれはダメです。『貝』に入れば奴の魔法の効力は消滅する。その瞬間であればスピノ殿でなくとも簡単に奴を殺せます。俺に殺やらせてください。部下が何人も死んだんだ! 俺に機会を与えてください!≫


≪ダメだ。奴は私の船に乗船している。他の種族の者がいては怪しまれる。それに、我々はこの世界を元の正しい世界に戻すために結んだ同盟関係ではあるが他種族。仮にも指揮を任せられている身として、他の種族の者、ましてやその長たる者に罪を負わせるわけにはいかない。今回の結果次第で、私たち一族は貴殿らと敵対する可能性もある。すでにヴェノムパピーの殲滅に失敗している上に、あの者を連れ帰ることを失敗したとなれば主の怒りは必至。これらは全て私の罪だ。私たち一族には後がない。それにスピノは貴殿たちに劣らぬほどの手練れ。私が最も信頼するスピノにあの者を確実に殺害させ、その罪を背負ったスピノの首を主に差し出すことで許しを請う。それで主の怒りが静まらなければ全面戦争だ。そうなった場合、あの者には確実に死んでいてもらわなければならない。この作戦にはそれだけの覚悟が必要なのだ≫


 こいつ等……味方の命と引き換えに俺を殺すつもりか!?


≪……一旦落ち着きましょう。我々も一度船に戻り他の案を――≫


≪無駄だ。思案を巡らせたがこれ以上の方法は思いつかなかった。それに、会議を重ねる程にあの者に悟られる可能性が高くなる。どんな方法を使ってくるかわからん以上、私たちの接触も最低限に抑えなければならない。貴殿らにも思うところはあるだろうが、あの者の処遇に関しては私に任せてもらいたい。今回はそれを伝える為に集まってもらった≫


≪……それほどまでの者なのでしょうか? あの小僧は?≫


≪わからん。だが、主はあの者を迎えに私たち全軍を遣わした。ヴェノムパピーの対処という名目があるにしてもこれは異常だ。同じ人間同士でわざわざ『貝』でまみえるとなれば思惑があると考えるのが必然。主がどうやってあれほどの時間を生き、あれほどの魔力を得たのかはわからんが、人間には私たちにはない特殊な力があるのかもしれない。ロジックの封印と引き換えにあの国に手を出すことを禁止されたが、今やその封印は解かれ、世界は危機に瀕している。私の祖父はひ弱な人間だから直ぐに寿命が来て元通りになるだろうと静観を選ばれた。しかし、今となっては『貝』が生まれなす術がない。こんな事になるのであれば、あの時に一族の命を懸けてでも滅しておくべきだったのだ。今こそどんな犠牲を払っても、私たちの手でこの世界から人間共を一人残らず排除する!≫


 こいつら!? 俺どころか主を含む全ての人類を皆殺しにする気なんだ! 俺達人類は、ずっと主という人物に守られていたんだ。


 七崇官の会話はそこで終わった。それ以降奴らの声は聞こえなかった。奴らは完全に思考を停止できるのか? 小舟ではルーナの心の声は聞こえたことを考えると俺を用心しての事だろうが、ここまで心を無にできるものだろうか? 他の理由も考えられるが、どちらにしても恐らくもう奴らから情報を得ることは出来ない。とりあえず奴らの会話から得た情報を整理しよう。


 奴らは俺を主に会わせたくない。その理由は俺という危険分子から主を護る為だと考えていたが、実際は俺と主が手を結ぶことを防ぐのが目的なようだ。何があったかは知らないが、奴らは人間を目の敵にしている。主を含めた人類を滅亡させるのが目的の様だ。その為には俺を殺す必要があるが、俺の力を測りかねている奴らは不用意に俺に攻撃を仕掛けられない。しかし、俺が唯一無防備になる瞬間があるようだ。奴らの言葉から推測すると、『貝』という場所に入った瞬間に魔法や奴らの力。それどころか闘争心をも封じる事が出来るようだ。確かにロジックであれば可能だろう。

 奴らは俺をその『貝』に誘導し、自分たちが闘争心を失う前に見張りの男に俺を殺させるつもりだ。そして、その大役を務めた男を、主の客人を殺した罪人として死罪を与え、俺を死なせてしまった事への大義名分を得ようというとんでもない作戦を実行しようとしている。つまり俺は奴らに殺されたと思わせて油断させ、奴らの闘争心が消失するのを待ちつつ、俺自身は魔法を所持したまま『貝』の中に入るというのが最も理想的だ。


 問題は『貝』の内部にどんな魔法がどれだけ施されているかわからない事。魔法が特定できればその魔法だけを無効化する魔法で対応できるが、想定以外の封印魔法が施されていれば、最悪の場合、魔法を完全に封印されてしまう。そうなれば、もう手の打ちようがない。ワニの巣穴に迷い込んだネズミの様に一瞬で殺されてしまう。あの中に入る前に全ての魔法を無効化できる”ナリファイ”を使えばあの中のに施されている魔法の効力は免れるだろう。だが、”ナリファイ”は俺自身の魔法も全て無効化されてしまい、結局のところ魔法が使えない。どちらにしても同じ結果になる。だが、他人に力を封じられることと、自ら力を封じる事では意味合いは全く違う。

 正体の解らない魔法を予想して無効化するという賭けはリスクが大きすぎる。『貝』に入る時は”ナリファイ”で全ての魔法を無効化し、内部で自由に魔法を使える方法を見つけるしかない。

 それから決行日までの数日間、奴らに俺の力や考えを悟られない様にふるまう必要がある。睡眠や瞑想中は”コピー”に身代わりさせ、トイレや食事をする時は俺自身が行動するしかない。だが、奴らは心拍数まで聞き取れる。俺の心が乱れない様に”リラックス”で心を保つ必要もある。到着まではおよそ九日間。相手に一切を悟らせないために針に糸を通すように細心の注意を払って行動し続けなければならない。作戦は決まった。

 

 俺は部屋の隅に作った”インソレーション”の空間で休息を取りながら、奴らに見張られながら最低限の生活をして気が遠くなるほどの長い時間をやり過ごした。その間に隙を見て何度か奴らを探ろうとしたが、どれだけ魔法を駆使してもやはりこれだけの見張りの中では行動に限界があり、結局は何の情報も得られないまま時間だけが過ぎていった。



――

 

 コンコン。ドアをノックする音が聞こえた。


「失礼いたします。間もなくダンカロアに到着いたします。船首にお越しください」


 そう言ってドアを開けたのは、ずっと俺の部屋の監視をしていたスピノだった。


「……ようやくですか。ずっと部屋に籠りっきりで気がおかしくなりそうだったんです。早く外の空気が吸いたい。……ですが、大丈夫なんですか? 私は狙われているのでは?」


「ダンカロアは『貝』と呼ばれる外殻に囲まれています。その中に入れるのは選ばれた一部の船舶のみ。さらに『貝』に入るには『貝の口』と呼ばれる入り口を一隻ずつ順番に通るしかありません。中に入ってさえしまえば主の魔法に守られる為、不穏分子も決して手を出せません。ですから、一番最初にこの船が『貝』に侵入いたします。船首に居てもらい真っ先に『貝』の中に入ってもらうのが一番安全だと考えております」


「なるほど。ではそうさせてもらいます。その『貝』に入るまでは油断しないようにしないといけませんね」


「御心配には及びません。 我ら一族が貴方をお守りいたします」


 そう言ってスピノは俺を通路に誘導した。彼には一切の動揺が見られない。それが逆に俺の心に不安を与える。これから俺を殺して自分も殺されるっていうのにあんなに平然としていられるものか? あの作戦は本当に実行されるのか? あの後、作戦が変更されていないのか? だが、もう今更考えるだけ無駄だ。悩めばその分行動に迷いが出る。

 俺は部屋を出た。目の前の通路は左右に分かれており、左の通路には先に進むための道が伸びている。そして反対側にはスピノと同じ顔の兵士が数人待機していた。


「では私が誘導いたします。こちらへ」


 そう言ってスピノは俺を先導して進んでいった。俺はその後に続く。その後を後ろを数人の兵士が続いてくる。俺の護衛を名目にして、最大限の監視しているのだろう。俺はその流れに身を委ねてスピノの後に続く。そのまま誘導に従い、階段を上がって甲板に出た。太陽の光が身体を照らし、視界がくらむ。光に慣れて周りを見渡すと甲板の淵に沿って隙間なく兵士たちが外側を向いて立っていた。まるで外敵から船を護るかのように。なんだこれ? こんな状況は奴らの会話の中になかった。やはり嵌められたのか? もし奴らがこのまま一斉に襲い掛かってきたら俺の作戦は破綻する。


「どうされました? こちらです。どうぞ」


 そう言って俺を船首に誘導する。もはや逃げ道はない。俺はスピノについて船首に向かう。船の淵にいる兵士たちは全員背中を向けているはずなのに何故か全員に見られているように感じる。


「あちらにどうぞ。ご覧ください。あれが『貝』です」


 スピノが指さす前方に目を向ける。そこには青空を分断するかのような巨大な岩の塊があった。こんなでかいものがこんな近くに見えているのに気づかなかったのか? あれが『貝』? なるほど。まさに『貝』だ。それは視界には到底収まらないほど大きなドーム状の岩山であり、少し先に中に入る為の穴が開いている。あそこからしか侵入が出来ないようだ。


「あれが『貝の口』……」


 あの中に入った瞬間、俺は魔法を使えなくなる。そして、事前に聞いた作戦通りであれば、スピノは俺を殺しに来る。だが、やはりこのスピノという奴に緊張や戸惑いの様子は感じられない。俺は”テレパシー”で心を探ってみる。ダメだ。やはり何も読み取れない。ここにいる全員が無心だ。俺はスピノの無言の圧に負けて船首の先に足を進めた。


 目前に『貝の口』が迫る。俺は真っ直ぐに『貝の口』を見据えたまま制止した。そして、『貝の口』の中に船首が侵入し、そのまま俺の身体をゆっくりと飲み込む。その瞬間俺の身体に掛けておいたあらゆる魔法が消滅した。それと同時にスピノは俺の身体を切り裂いた。その勢いで体は宙に舞い上がり、身体が反転し、俺の身体を切り裂いたスピノと目を遣った。感情が無いと思っていたスピノの顔が悔しそうに歪んだ表情をしていた。切り裂いたはずの身体が崩れていくのを見て気が付いたのだろう。だが、その表情のままスピノの首は胴から切り離され宙を舞った。そこで俺の意識は途絶えた。


 俺は目を開ける。そこは見慣れた船内の一室だった。俺は自分にあてがわれた部屋の片隅に作っていた”インソレーション”の空間の中で操っていた”コピー”の人形が崩れ去るのを感じた瞬間に本来の身体に意識が戻った。一息ついている時間はない。俺はすぐさま自分に”ナリファイ”を掛けた。同時に自分に掛けていたありとあらゆる魔法が効力を失った。


 よし。何とか作戦は成功した。そのまま船室の窓から『貝の口』に入ったのが見えた。船全体が完全に『貝』の中に入れば一先ず俺の勝ちだ。だが、魔法で無理やり落ち着かせていた俺の鼓動はどんどん大きく早くなる。そうだ。俺は相変わらず化け物の巣の中に居るのだ。


 コンコン。


「ど、どうぞ」


 ドアを開けて非常に穏やかな顔のルーンが入ってきた。その顔を見た瞬間、俺の心臓は跳ね上がる。


「すごい心音ですね。直ぐにこちらにいることが分かりました。しかし、何故こちらに? 先程スピノと共に船首に向かわれたと思ったのですが?」


「……いいえ。私はずっとここに居ました。先程船首に行ったのは私が作った複製人形です」


「……なるほど。そんなことまで。まんまとしてやられました。やはり貴方様は人の心も聞こえるのですね。ですが、この部屋の中からこれだけの人数中で私たちの会話だけを聞き分けたと?」


「いいえ。ちゃんとマーキュリーの船の傍から聞いていましたよ」


「……マーキュリーの名もご存じですか。この部屋にいたのは最初からずっと複製人形だったと?」


「まさか。この部屋で食事を頂き、用を足し、睡眠をとらせて頂いておりました。流石に十日近くも食事や水の無い生活は無理ですので」


「侮ったつもりはありませんが、この監視下の中で自由に動けるとは正直驚きました。匂いも気配も音も我々を欺くための演技だったと? それにしても私は最も信頼していた友をこの手で殺め、その命と引き換えに切り裂かれたはずのアナタはこうして無事ダンカロアに到着した。私たちは貴方に完敗したわけですね。本当なら憎しみや怒りが込み上げこの場の全てを破壊し、刺し違えても貴方様を殺したいはずなのですが、貴方様にも友ような感情を懐いてしまっている。主の魔法には本当に困ったものです。さぁ、間もなく到着します。甲板に参りましょう。主の許にご案内いたします」


 俺はルーナの後に付いて船室を出た。俺が今、身に纏っているのは魔法を無効化する”ナリファイ”のみ。奴らの咆哮だけでもショック死してしまいそうな程に無防備な状態だ。だが、先ほどまでの殺伐としていた空気感は無い。それどころか、通り過ぎる化け物たちは皆一様に親しみに溢れている。これが主の魔法。正体は解らないが見事だ。敵にさえ親愛の情を懐かせている。甲板に上がると想像していたのとは違う風景が眼窩に飛び込んで来た。大きな殻に覆われた巨大な『貝』の中は、暗いドーム状の洞窟の様な姿だと思っていたが、ぐるりと囲う岩山の上には太陽の光が照らし出す青空が一面に広がっていた。球場に似ているが広さは桁違いだ。そして、この殻の中奥に大地から空まで真っ直ぐに光り輝く柱が聳え立っている。まるで貝柱の様に。


「あの柱の中に主は有らせられます。途中まではお送り出来ますが我々もあの中に立ち入ることは許されておりませんので最後は貴方様だけで主に拝謁していただきます。こちらにどうぞ」


 船が停泊するとすぐ傍に巨大な翼の生えたドラゴンの姿が見えた。背中に箱を乗せている。それが合わせて七頭。色や種類はバラバラだが、全てのドラゴンの背中には箱が乗せられている。俺が船を降りるとほぼ同時に他の七崇官の五人も船を降りて来た。俺に殺意をむき出しだったサトゥルヌスでさえ、殺気を感じられない。それぞれが別の竜の箱に乗り込み貝柱に向かって飛び立った。地上を走る馬車に比べてずっと乗り心地がいい。多少上下に揺れるのを除けば。長く乗っていれば酔ってしまいそうだ。

 この中では魔法が使えない。有翼人でない限りこの方法以外では空を飛ぶのは不可能なのだろう。俺は窓から外を眺めていて気が付いた。この『貝』の中は俺の国にそっくりだ。両側の貝の淵は岩山の様に屹立し、港の辺りは町がある。そして俺の森があった辺りに貝柱がある。俺の国をそのまま縮小して作った様な姿だ。何か意味があるのか? そんな心配をよそにあっという間に地上に降りた。


「こちらでお降りください。ここからは貴方様だけで入柱して頂きます。私たちは立ち入ることは許されませんのでこちらでお待ちしております」


 そう言って七崇官の大小さまざまな体格の六人は規律のとれた一列に並んで俺に頭を下げる。いや、俺の後ろにある柱にいる主にだろう。船では主を敵視していたが、この中では実に忠実な僕を演じている。魔法のせいで心からそう行動をしている様子だ。その証拠に彼らの顔には一切の陰りがない。清々しささえ感じられる。俺は彼らに躊躇なく背を向け、柱に向かって歩き出した。

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