第29話 コングレスへの誘い①

 犬舎はもっとも食料が豊富なワニ村の近くにある。その傍まで来ると村人達はかなりの距離を取ってその小屋を見守っていた。犬達ですらその匂いに近寄りたがらないようで餌も与えられず困っているそうだ。俺は先にその変異体を見てみようと、自分に思いつく限りの毒耐性の魔法を掛け、犬舎に入った。しかし、入った瞬間、鼻がもげそうな異臭と眩暈で意識が朦朧とした。初めてナイフに出会った時よりも遥かに強い刺激臭が脳の警報を鳴らした。


「! 何だこれ? いくら何でも酷すぎる!」


 俺は思わず犬舎から飛び出した。建物の中だから余計に臭いが立ち込め、とてもじゃないが人が立ち入れる状態じゃない。


「”ビジブル”」


 俺は建物の中を透視した。すると、そこには一匹のヴェノムウルフがいた。今まで生まれたどの犬よりも黒く禍々しい姿の毛玉が丸くなって眠っている。どうする? このまま何もしなければ餓死させてしまう。餌をしっかり与えれば異臭は止まるだろうか? まずは、倒れた村人の話を聞くことにした。


「コピック。その倒れた村人の所に案内してくれ」


「はい。しかし、宜しいんですか? 声を出されておられますが?」


「ああ。キャンバスが王になった今、声も足も演技する必要ない」


「演技? ……ああ、そういうことですか。わかりました。ではこちらです」


 コピックの案内で村の中の家に入る。その中には瘴気で気を失った女性が横たわっていた。あれ? この女、この間犯した若妻だ。名前は知らないが……。


「気を失ってからどのくらい経つ?」


「昨晩に気を失ったそうですから既に半日以上は……」


「そうか……”ヒール”」


 俺が放った魔法は女性を優しく包み込む。だが、本来なら直ぐに回復するはずのこの魔法ですら、効果がなかなか現れない。


「その魔法は使える者が既に試したのですが、なぜか効果が現れません」


 先に言えよと口から出そうになる言葉を飲み込んで、若妻の胸元に手を置いて別の魔法に切り替えた。


「”リカバリー”」


 この魔法は自然治癒力を加速させる”ヒール”とは違い、元の状態に戻す意味合いが強い。その為どちらかというと”リバーシブル”に近いが、あくまで肉体が自然と回復できる範囲内に限られる。ちぎれた四肢を元通りにするほどの回復力はない上に時間が経過しすぎると間に合わない。ちなみに手を胸元に置く必要はない。ただ触りたかっただけだ。しばらく魔法を掛け続けると意識が回復した。


「あ、あれ? 殿下?」

 

 先ほどまで蒼白だった若妻の顔に赤みが差し、俺を虚ろに見つめる。


「大丈夫かい? 気分はどう?」


「で、殿下!? え? だ、大丈夫です。……あれ? 殿下、お声が」


「うん。僕はもうすっかり元気になったよ。それよりも何があったか聞かせてくれるかい?」


 まだ、朦朧としているせいか、俺の手が気になるせいか、妙に艶っぽい姿に欲情した俺は若妻の上半身を起こし、胸に手を当てたまま後ろから抱く様な姿勢になった。そのままぴったりと身体を重ねて魔法を掛けてながらモジモジする若妻の話を聞いた。若妻はまんざらでもない様子だ。

 話によると、ある雌犬が数匹の子どもを産んだ。その中の一匹が見たこともない真っ黒な姿で生まれて来たそうだ。暫くは母犬の乳を飲み元気に育っていたそうだが、母犬が与えた肉を食べる様になった頃から異臭を放つようになってきたそうだ。放っておくと他の犬や人間にも影響が出ると思い、犬舎に閉じ込めていたが、昨日、様子を見るため犬舎に入ろうとすると中からの臭いで瞬時に気を失ったそうだ。今の話が事実であれば空腹のストレスで悪臭を放っているわけではないのか? 犬達にとってこのファームの生活環境は決して悪くは無いはずだ。現に他の犬にそう言った兆候が見られない。突然変異という奴か? もしそうであればこのまま放っておくわけにはいかない。処分するか? しかし、犬とはいえ、殺せば罪になるのではないだろうか? とはいえ放っておけば確実に死人が出る。このまま犬舎ごと他の場所に移し、厳重に閉じ込めるのがいいだろう。


「……とりあえず、あの犬舎ごとこちらで引き取るよ。君たちには引き続き他の犬達の世話を頼む」


 今夜の獲物は再びこの若妻にしようと心に誓い、後ろ髪を引き寄せながら、村を後にして再び犬舎の前に来た。もう魔法を使えることを隠す必要がなくなった俺は観衆の前で「”トランスファー”」と唱え、犬舎ごと箱庭の最深部に移動した。ちなみに、”トランスファ”は単純に移動する”テレポート”と違い空間を別の場所と繋げる魔法だ。これであれば箱庭ごと移動できる。そして、空中に退避し、誰もいない箱庭で犬舎を壊し、真っ黒な犬を解き放った。


「はじめまして。思ったより元気そうでよかった。俺の言葉はわかるかい? ここは箱庭。俺と一緒に通路を通らない限り、外に出られないように”コンファイン”という魔法が掛けてある。寂しいかも知れないけど、お前はここで一匹で生きてくれ。大丈夫。まだネズミやワニ、サカナも生息しているから、ここでも生きていけるよ。花も咲いているし、外からは入って来れるからフグが迷い込んでくるかもしれない。……そうだ。何かの間違いで他の犬が迷い込んで子供ができたら困るから念のため避妊はさせてもらうよ。”コントラセプション”。よし。もし解決策が見つかったらまた皆の所に戻してあげるからね」


 俺が話しかけている間、その真っ黒なヴェノムウルフは一声も発せず、素直に俺の魔法を浴びた。随分おとなしい子だ。この匂いさえなければ他の子と同じように育ててあげられたのに。


「じゃあね」


 そう声を掛けてその場を後にした。真っ黒いヴェノムウルフは最後まで微動だにせず、俺を睨むように見続けていた。


 さっきのは何だったんだ? いわゆるメラニズムってやつか? アルビノの反対で全身が真っ黒になるっていう……。いや、だったらあの匂いの説明が付かない。ただ見た目が真っ黒なだけじゃない。面倒だけど一段落したら調べておいた方がいいか。 

 それにしてもこの世界の生物や植物は見たことの無いものばかりだ。よく似た姿をした生物でもその生態は全く違う。この世界の環境で生きる為にそれぞれ進化した結果なんだろう。……でも、だとしたらなぜ人間だけはどうしようもなく人間のままなんだろう? 確かに魔法は使える。でも、それだけだ。ただ、科学を魔法に持ち替えただけで、それ以外は全くと言っていいほど同じだ。今、下流区にいる枢軸院の連中は魔法も奪われ、科学文明を知らない地球の人間と何ら変わりはない。今まで疑問にさえ思わなかったがこれだけ違う環境で、これだけ同じ進化をするなんてことあるのだろうか? ただの神の悪戯? それとも何か別の意図がある? 


 考えたところで答えは出ないだろう。今はできる事をしよう。次は他の犬達の避妊だ。約一万匹……。どうする? さっさとしないと日を追う毎に数が増えてしまう。いったん全ての犬を集めて、まとめて避妊魔法を掛けるか? そうだな。そして、数が減少してきたら、あの黒い変異種の様な子が生まれない様に優秀な犬だけ避妊を解除し、必要な数だけ子を生むように徹底的に管理しよう。


 そんなことを考えていると、ほとんど同時に今まで聞いたことのない二種類の警報が鳴り響いた。


「今度は何だ!?」


 よく聞くとその警報は俺が仕掛けたものだった。だが、その警報は本来鳴るはずの無い、いや、鳴ってはいけないものだった。空と地中、高い魔力を持ったものが簡単に侵入できない様に張った結界だ。魔力が高い者ほど結界を通過すると忌避感を感じ引き返す”アヴォイダンス”という魔法でそれを三重に張り巡らせている。余程の事がない限りそれを通過してさらに進もうとは思わない。それが地中と空、同時になり出した。要は本当の緊急事態だ。


「何なんだよ! 次から次へと……。今日は厄日かよ!」


 そう言葉を発しながらもこの警報以外は今日起こったことではないことは理解していた。今まさに色々なことが重なって起こっているわけではない。俺が周りの人間を拒絶してきたがために今日たまたま、まとめて情報が飛び込んで来ただけだ。ずっと電池切れだったスマホに電源を入れた時のように。後回しにしてきたことのツケをまとめて支払う事態を招いた過去の俺を恨みながら、犬達の避妊は後回しにして城の自室に転移した。急いで部屋を飛び出し、空を飛んで辺りを見渡してみた。すると、城を取り囲むように羽の生えた人間が空を飛び、海には見渡す限りの船が城に向かって押し寄せてくるのが見えた。その船群の中でひときわ大きい船を”テレフォト”で確認する。すると、人間ではない種族の偉そうな人影がこちらを伺っているのが分かった。辺りの船も確認してみると明らかに人間ではない人影がそれぞれの船に乗っている。それらはファンタジーの映画でしか見ないような姿をしている。よくよく考えれば俺はこの世界に来て人間以外の人種に会うのは初めてだ。と、感動している場合ではない。この小さな国にこれだけの種族がこれだけの数で押し寄せるのはただ事じゃない。それどころか、これは明らかに戦意を向けられている。すると、塔の上から辺りを伺うステープラの姿を見つけた。俺は急いでステープラの許に飛んだ。


「ステープラ! これはどういうことだ!」


「イ、イレイザー!? 貴様、声が出るのか? 怪我は?」


「――そんなことはどうでもいい! 何でこんなことになっている!」


「し、知るか! こっちが聞きたいくらいだ! 急に聞いたことのない音が鳴り響いたと思ったら空一杯に有翼人がこちらに武器を構えているし、海には見渡す限りの船! 船!! 船!!! キャンバスがいない時に何で――」


 いつもはべったり腰ぎんちゃくの様に慕っているふりをしていたキャンバスを呼び捨てにしたステープラの真っ青な顔を尻目に、大きな船から小さな一艘の小舟がこちらに向かってくるのが見えた。その舟をよく見ると、首を繋がれ手枷をはめられたキャンバスの姿があった。あいつ! 何やってんだ!? 


「キャンバス!? なんで首枷や手枷を付けられているんだ? 捕まっているのか?」


「何? キャンバスが乗っているのか? 捕まっている!? 何で? アイツはコングレスに向かったんだぞ?」


「知るか! とにかく港に行く。お前も来い!」


「ふ、ふざけるな! あんな所に行って顔を覚えられたら何されるかわかったもんじゃない! 元々お前が第一王位継承者なんだからお前が行けよ! ”エフエルワイ”」


 そう言うとステープラは城から飛び降り、誰からも見つからない様に低く低く飛びながら北のファームに向かって飛び去っていった。なんて奴だ。仮にも国を任されていながら兄も妹たちも国民も見捨てて一人で逃げ出すなんて。クズなのは知っていたがここまで腐っているのか? もういい。二度と戻ってくるな。そう願いつつ俺は港に向かって飛んだ。


 一足先に港に着いた俺は船の到着を待った。そう言えば、なぜアイツらはわざわざ小舟で来る? 魔法で一緒に飛んでくればいいのではないか? あの帆の無い小舟はどうやら魔法の力で動いているようだが、なぜあんな回りくどいやり方を? こちらの様子を伺っているのか? 魔法が自由に使えるのであればわざわざ俺たちの力を探る必要は無いはずだ。キャンバスに魔法を掛け、全てを聞き出せば済むはず。

 ……そうか。もし既にそうしているのであれば全てを理解したうえで俺を警戒しているということだ。俺はキャンバスにも手の内を見せていない。キャンバスの口からは聞き出せないのだから警戒して当然だ。やろうと思えば船ごと空を飛んでくることもできるのだろう。本来ならその方が俺達に対して力を示すことができるはずだ。それを敢えてしてこないという事は、むしろこちらを警戒しているからなのだろう。

 逆にこちらには奴らの情報はまるでない。その気になればこちらの防御系の魔法を全てを無力化して国ごと破壊する魔法すら放ってくる可能性もある。……俺もステープラと一緒に逃げておくべきだったのかもしれない。


「ようこそいらっしゃいました。この度はどのようなご用件でございましょうか? そちらの者は何か大変な過ちを犯したのでしょうか?」


 遠くからゆっくりと近づいてくる小舟には真っ黒なローブを被った男と二人の獣の顔をした屈強な獣人が乗っていた。これだけゆっくりと近づかれると挨拶をするタイミングが計りずらい。


「初めまして。私は七崇官の一人にして全軍の指揮を仰せ付かっております。主より賜りし名はルーナ。以後お見知りおきを。貴方がイレイザー様ですか? この国の魔法の封印を解いたという。なるほど。翼も持たずに空を飛べるところを見ると本当にロジックが使えるようですね」


 翼を持たずに飛べる? ロジック? フライは比較的簡単な魔法だぞ? ……こいつらは翼がないとフライは出来ないと思っているのか? なめられているのか? それとも本気で言っているのか?


「……身に余るお言葉を賜り恐悦至極に存じます。ご明察の通り私はイレイザーと申します。お初にお目にかかります」


「そんなに畏まらなくて構いません。むしろ主は貴方様を賓客として丁重にもてなし、ご同行いただくようにとの勅命を仰せ付かっております。できれば敵対せず、我々の要求に従っていただきたい。そうすれば、この国の民とこの男には危害を加えないとお約束しましょう」


「……要求とは?」


「話が早くて助かります。単刀直入に申し上げると、まず貴方様には我々のコングレスへの招集に応じて主の許にお越しいただきたく存じます。それから、この国で繁殖させているヴェノムパピーを絶滅する許可を貴方様自身から頂きたい。もし、この二つの要求の一方でも拒むのであれば、敵対行為とみなし、この国を滅ぼすようにと主からの勅命を仰せ付かっております」


 ローブで覆われた顔から覗かせた笑顔はまるで爬虫類の様な口と目をしていて血の気が引いた。笑顔でそう言うルーナの獲物に狙いを定めた獣の様な目は一切笑っていない。空の上にいる数えきれないほどの有翼人や海で待機している見渡す限りの船が俺の返事次第で一斉に襲い掛かってくるのだろう。許可を頂きたいだと? どう考えても選択の余地なんてないじゃないか!


「その、ヴェノムパピーというのは?」


「おや? ご存じない? おかしいですね。この男が二百匹ほど連れてコングレスに現れたのですが。そもそもコングレスには国の代表が出向くしきたりなのにこの国を任せていた枢軸院の連中も国王も死に、自分が今の代表だと言っておりましてな。こちらとしては何も聞いていない上に、根絶を命じているヴェノムウルフを生み出す恐れのあるヴェノムパピーを繁殖させ、あまつさえ聖地に連れ込んでくる始末。貴国は我々に戦争でも仕掛けるおつもりだったのでしょうか? そして、聞くところによるとそれを発案、実行したのは貴方様だと言っていたのですがこの男の戯言でしたか? そうであればこの男は助けるわけにはいかなくなりますが……」


 二百匹!? この大馬鹿は、なんてことをしてくれたんだ! まさか戦争になった時に自衛の為の秘密兵器を自ら敵に披露し宣戦布告に行くなんて! それにしてもヴェノムパピー? 犬達はヴェノムウルフじゃないだと? 


「さて、ご返答を頂けますでしょうか?」


 ルーナは先ほどにも増して鋭い眼光をこちらに向ける。……ここで答えを間違えれば全面戦争。いや、ジェノサイドが始まる。

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