第30話 コングレスへの誘い②
今は奴らの言う通りに従うしかない。だが、俺が奴らについていくのはいいとして、犬達が皆殺しになるのは何とか阻止できないだろうか? 折角ここまで育てたんだ。くそ! キャンバスが余計な真似をしてくれたせいで。……このままでは俺がやってきた事全てが水の泡になる。俺は小声で”ヴェール”で姿を消したまま肩に乗っているナイフに「皆を護れ」と命令した。すると、肩がスッと軽くなった。どうやら俺の言葉に従ってファームに向かったようだ。何とか間に合ってくれ。
「私が主の招集に応じるのは寧ろ光栄至極に存じます。しかし、このヴェノムパピーの絶滅はいささかやり過ぎではないでしょうか? あの子たちは実に従順に人の命令に従い決して害をなさない。正しく育成すれば――」
「やれやれ、まんまと奴らの術中にはまってしまわれたようですね。ヴェノムパピーは非常に狡猾な生き物。繁殖力が高いくせに自分達では生育環境が整えられないあの生物は他人を利用して生き抜く。愛くるしい容姿に、どこまでも従順な姿勢、全ては奴らの生存本能。言ってしまえば奴らは寄生獣なのですよ」
「そ、そんな、まさか……」
「信じられませんか? 繁殖の環境が整えばいずれその中からヴェノムウルフが誕生する。ありとあらゆる魔法の効果を無効化し、魔法で防ぐことのできない猛毒で世界を滅亡に陥れる最強最悪の生物。主曰く、奴が生まれたら生育環境であるその国ごと消滅させて大地の底深くの溶岩に沈める以外に方法はないそうです。嘘か誠か、炎に異常な耐性を持つヴェノムウルフは溶岩すら泳ぐとさえ言われていますが、生物であることに変わりはない。水や酸素、餌がなければ死するようです」
「……そ、そのヴェノムウルフの特徴は?」
「黒い。闇すら飲み込んでしまいそうな黒い姿で生まれてくるという話です。とはいえご心配なく。匂いを発する前の哺乳期であれば刃で殺せるそうなので対処は出来ます。ただ、一度悪臭を放ち始めると、近づくことさえままならず、仮に近づけても人間程度の運動能力では決して太刀打ちできないそうですので、そうなれば国ごと破壊するほどの大穴を空け、落とすという方法が最善とのことです。昔、同じようにヴェノムウルフが現れた時はそのように対処し、それ以降は決して生まれさせぬようにヴェノムパピーと共に特級危険生物として滅亡させることが定められた。それなのに……」
俺は愕然とした。
「な、なるほど……。知らなかったとはいえ申し訳ございませんでした」
なんてことだ。つまり、箱庭に転送したあの黒い奴は正真正銘のヴェノムウルフってことか!? だが、待てよ? だったらなぜアイツを転送することができた? 魔法が効かないなら飛ばすことは出来ないはず……。そうか! 俺は地面ごと犬舎を移動させた。奴本人には魔法が効かなくても周りの干渉は与えられるということだ。確かに俺自身も魔法は直接向けられたものは防げる。だが、魔法の結果起こった事象は防げない。魔法の炎は防げるが、魔法の炎によって起こった火事は防げないんだ。という事は、奴を普通の檻で囲めば、檻ごと魔法で移動して海の底に沈めることは出来る。酸素がなければ生きていけない。今は箱庭に閉じ込めているし、後回しにしてもなんとか対処できるか?
「わかっていただけたのであれば結構です。それにしても……貴方様は本当にわかっておられるのでしょうか? 貴方様が行った行為は世界を滅亡させるほど危険な行為であるということを。申し訳ございませんでした? 謝れば許されるとでも? 全く、無知とは罪なことですね。本来ならこの国ごと消滅させるべき事案なのですが。……主の聖旨なので貴方様がこちらの要望に応じて頂ければこの国の人間には手を出しません。とりあえずヴェノムパピーの殲滅に同意いただけますね」
「……宜しくお願い致します」
クソ! 言いたい放題嫌がって! だが、どうする? あれだけの数が一斉に攻撃を仕掛ければ、ナイフが間に合ったとしても防ぎきることは出来ない。このままじゃ犬達が皆殺しにされてしまう。
「ありがとうございます。……ところでこの男の処遇はいかがなさいましょう? 私といたしましては今回の一件、全く罪をなかったことにすることは他の国にも示しがつきません。ですので、今回の責任を彼に取っていただければと思っておるのですが――」
今は考える時間が欲しい。とりあえず時間稼ぎだ。
「……そうですね。確かに彼には私も失望致しました。私の兄であるのだからもう少し利口だと思っていましたが、ここまで愚かだったとは。大した才能も、能力もないくせに甘やかされて育ったせいで、自分が特別だと思い込み、傲慢で強欲。欲しいものを手に入れる為なら平気で人を傷つける。そこに罪悪感なんて感情は生まれない」
項垂れていたキャンバスが頭を上げてこちらを睨みつける。構わず話を続けた。
「そんな男が、私が生まれてからは王位継承権も失い、全てにおいて私に劣る自分の無能に気づき今度は嫉妬に狂った。私の母を殺し、王位を手に入れようとした。私も最初は復讐を考えましたが、もがく姿が駄々を捏ねて泣き叫ぶ子供の様に思え、憐れで見ていられなかった。このまま放っておけばさらに誰かを傷つけるかもしれないと全てを許し、彼に全てを権利を譲ってあげたのに……。確かにヴェノムパピーの繁殖を始めたのは私です。ですが、これほど増やすつもりはなかった。あくまでペットとして自分で管理できるだけの数を育てようと。しかし彼は、実の父を殺し王権を手に入れ、民に箝口令を敷いて私に気付かれないように大量繁殖を命じていた。私欲の為に自らの父まで殺し、挙句の果てに連合の皆様にまで牙をむくとは……。こんな小物でも兄と大目に見ておりましたが……やりすぎましたね。貴方にはもう死んで償うくらいしかできないでしょう」
「――! ――!」
「なんです? 愚兄よ。言いたいことがありますか? ルーナ殿。彼の口枷を外してください。大丈夫です。コイツ程度では私に傷一つ付ける力はありません」
「……面白そうですね。いいでしょう。但し、余計なことはなさらぬように。二人で徒党を組めば何とかなるとお考えの様ならおやめなさい。上空や海上の兵士が一斉にこの国に攻撃を加えることになりますよ」
「いえいえ、ご心配には及びません。こんな小物が何人いようと何の役にも立たないことは私が一番理解しております。皆様に歯向かう気があれば足手纏いを味方にするより一人でやった方が遥かにマシです。悪戯が過ぎる子供を𠮟りつけるだけですよ」
「んーーー! んーーー!」
顔を真っ赤にして起こっているキャンバスはあの時以上に愉快な表情を俺に向けている。もっとだ! もっともっと怒れ! お前の全力を完膚なきまでに叩き潰してやる! 舟に同乗していた獣人はルーナの命でキャンバスの口枷を外した。
「い、イーレーイーザーーー!!!」
キャンバスが俺の名を叫ぶと俺の目の前に白い光が現れ俺を飲み込み始めた。何だこれ? 考える間も対処する間もなく俺は白い光に飲み込まれ、気が付くと目の前に居たはずのキャンバスの姿が消えていた。それと、事前に自分の身を守る為に幾重にも張り巡らせていた防御魔法や”ヴェール”さえも消え去っている。
いったい何が起こった? 今の光は魔法か? キャンバスの奴が魔法を放ったのか? しかし、今のは俺も知らない魔法だ。アイツは俺の名前を叫んだだけだ。”イレイザー”と。
……そうか! ”イレイザー”は直訳すると消しゴム。だけど、”イレイズ”から出来た言葉。消去するという意味になる。キャンバスは俺を消し去りたいと心底思っていたんだろう。そして、その強烈なイメージと言葉が偶然にも一致した。そして、俺が掛けていた防御魔法ごと俺を文字通り消去した。だが、俺はキャンバスに”スケープゴート”を掛けていた。この魔法は俺ではなくキャンバスに掛けられていた魔法だ。俺に掛けられた消去の魔法を、キャンバスが身代わりに喰らったんだ。
「な、何が起こったのです? あの男は?」
「……奴は私を恐れて私を殺そうとしました。昔から私を恐れて震え上がる小心者でしたので。さっきの魔法は瞬時に相手をこの世界から消し去る魔法。私は、彼の放った魔法をはね返した。彼は自分の放った魔法でこの世から消えて頂きました。それにしても、あの程度の魔法で私を消せるつもりだったとは」
「……そうですか。出来れば公開処刑をしたかったのですが。まあいいでしょう。ではこちらも急ぎましょう」
腑に落ちないといった表情を浮かべながら、手を上げ空に待機している有翼人に合図を送った。時間稼ぎをしながら全力でこの状況を阻止する方法を思案していたが一斉に降下を始める有翼人を止める術が思い浮かばない。いや、止めること自体は簡単だ。だがそれを平和的に解決する術を思い浮かばない。今、力ずくで奴らの進行を阻めば俺たちは完全に世界を敵にすることになる。だが何もしなければ犬達は皆殺しだ。結局何一つ対処方法が思いつかないまま先陣の有翼人が強力な魔法を放った。しかし次の瞬間、有翼人が放った魔法はそのまま有翼人に跳ね返り、周辺の人々を巻き込みながら上空で大爆発を起こした。
「な、今度は何事だ!」
次から次へと予想外の出来事が起こる。だが、俺以上に目の前のルーナという男は苛立ちを見せている。しばらくすると実行部隊の有翼人の一人が物凄いスピードでこちらに向かって飛んできた。
「報告いたします! 我々がヴェノムパピーに放った魔法がどういうわけかこちらに跳ね返ってきて多くの負傷者が出ています! 奴らには何故か我々の魔法が効きません!」
「魔法が跳ね返るだと!? 何を馬鹿な! ヴェノムパピーにそんな能力は……もしや! もうすでにヴェノムウルフが!?」
「いいえ。 ヴェノムウルフの特徴である黒い個体は確認できませんでした」
「ど、どうなっているのです? 魔法をはね返すとは……もしや貴方様が何かなさったのでは?」
ルーナはこちらを睨むように目線を移して問いかける。
「まさか。私はずっとここにいたのですよ。私には何もできません。それに、私も繁殖を始めてからヴェノムパピーに対して攻撃を仕掛けたことがないので何故そんなことが起こったのか……。もしや、ヴェノムウルフが生まれる前兆とかなのでしょうか?」
ナイフが間に合ってくれたのだろうか? それとも他の子か? 俺が傍にいない時、自分の身は自分たちで守れる様に最初の箱庭で育った犬達にはファームの建設前から”リターン”の魔法を掛けてあった。特級危険生物のあの子たちはいつ以前のように命を狙われるかわからないからだ。そして、元々子供を守ろうとする習性がある犬達は本能で子供達を護ろうとする。
「それから、我々が攻撃したことでヴェノムパピーが興奮し、毒を放っているようで魔法を喰らっていない兵士の数名が気を失い地上へ落下した模様です」
それを聞いたルーナは青ざめ大声で叫んだ。
「撤退だ! 一旦帰還し、主に聖旨を賜う。急げ! 申し訳ありませんが貴方様にはこのまま同行していただきます」
「お、お待ちください。私にも家族がおります。一度戻って説明を――」
「申し訳ありませんがそのような時間はありません。ヴェノムウルフが生まれる前に主の聖旨を賜り、再びヴェノムパピーの殲滅に戻って来なければいけません。急いでも船での往復には二十日以上掛かる。既にヴェノムウルフが誕生しているのであれば手が打てなくなります。お前たち急げ! 直ぐに出発する!」
そう言って俺を小舟に乗せてそそくさと陸から離れた。とりあえずの危機は去ったが時間の問題だ。再び攻撃される前に手を打たなければ。誰かにこのことを伝えなければいけない。誰に伝える? イーゼル? 今のアイツには無理だ。人を殺したことや子供が出来たこと。あの精神状態に今のこの国の危機を知れば心が壊れてしまうかもしれない。今の状況を伝えられるとしたら……クリップ。いや、奴は精神を病んでいると言っていたから無理だ。ステープラは論外。他の兄妹たちはまだ幼いし俺のいう事なんて聞くとは思えない。他には……あれ? 俺はこの国に信頼できる相手がいないことに気が付いた。他にこのことを伝えられるとしたら……コピック!? 俺は今になってようやく自分が本当に孤独であることに気が付いた。まさか、こんな危機的状況において俺を裏切って魔法で従わせているだけの一兵卒に国を委ねるしかないのか? その事実に落胆した。だが、四の五の言っている場合じゃない。俺は小舟からコピックに”テレパシー”で話しかけた。
≪コピック! 聞こえるか? 応答しろ!≫
≪はい。聞こえております。何が起こっているのですか? 上空に見渡す限りの有翼人が現れ、町の近くの方で攻撃を仕掛けてきたと思ったら大爆発を起こしてそのまま撤退していきました! 状況が把握できません≫
≪連合から攻撃を受けたが一旦退けることができた。だが恐らく二十日程度で再び攻撃を仕掛けてくるだろう。今回の騒ぎでキャンバスは死に、俺は連中と国を離れることになった。ステープラは当てにできない。現在この国には指導者がいない状況だ。だが、このことは内密にしろ。お前は出来る限り犬達を湖の近くの森に隠せ! 箱庭には絶対に近寄るな! それからイーゼルに何とか俺の無事を伝えてくれ。頼む≫
一方的に用件を伝え念話を切断した。もし奴らにも念話が使えるのであればこの内容も盗聴されている可能性がある。だが、聞かれていたとしても犬や箱庭の意味は奴らにはわからないはずだ。それにしても俺は今までいったい何をやっていたんだろう……。この世界に来て約二十年。他の人に疎まれながらも、誰よりにも真剣に魔法に打ち込み、この国を良い国に生まれ変わらせ、誰よりも精一杯生きてきたつもりだった。今の今までたった一人の友すらいないことに今まで気づきもしなかった……。
「どうしました。黙って立ち尽くしておられますが何やら考え事でしょうか? 危ないのでお座りくださいね」
「あ、いえ。申し訳ありません」
そう言って俺は小舟に座った。さて、俺も冷静にならないと。このまま、ただ流れに身を委ねているわけにはいかない。俺もコイツ等のことを知る必要がある。ルーナとかいう男の思考を盗聴するしかない。だが、俺は盗聴という行為を恐れている。初めて”テレパシー”を利用して周りの人間の思考を盗聴した時、俺は絶望に打ちひしがれ、それ以来、何かと理由を付けて他人の心を覗くことを止めた。
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