第22話 変革の狼煙⑤

 俺は馬車に座りながらその時を待った。……長い。いや、実際にはほんの数秒なんだろう。だが異様に長く感じる。暫くすると巨大な爆音が森に轟いた。そして、刹那に衝撃波が俺の乗っている馬車に伝わり揺れた。俺はそれを合図に馬車のドアを開けた。


「殿下! 今、箱庭の方から巨大な爆音が! 森が燃えております! 森の奥で何か起こったようです」


 違うな。森の奥で、ではない。この国で起こったのだ。大きな何かが……。俺は馬車から降り、森へ向かおうとする。


「いけません! 奥で何が起こっているのかわからないのです。このまま馬車でお待ちください」


 俺は首を横に振り馬車から降りようとする。


「……わかりました。それならば私の背にお乗りください。今度こそ私が殿下を背負ってお連れ致します」


 よし! やはりこの男は勘がいい。都合よく動いてくれる。これで俺は背負われながら移動するしかなくなった。到着までどんなに急いでも十分以上の時間が経過する。事態は一区切りしているはずだ。俺はお辞儀をして、コピックの背中に身を預けた。


「それでは参ります。しっかりお掴まり下さい」


 コピックはそう言って箱庭に向かって駆け出した。当然人を背負って走ってもその速度はたかがしれている。乗り心地は悪いがこのまま目的地まで移動してもらうとしよう。さて、あの後何が起こったのだろうか? この強烈は爆発は間違いなく魔法。それも第六階位の火炎魔法を数人が放った。もしくは数字の魔法の爆炎のどちらかだろう。では誰が、何の目的で? インフェルノドラゴン討伐時に匹敵するほどの火力。人間相手にはあり得ない。となると考えられるのは強大な敵に対して。つまりヴェノムウルフだ。あの場でそれを敵と認識していたのは枢軸会の連中に違いない。あの火力であればヴェノムウルフは焼き尽くされている可能性がある。だが、俺はイーゼルに”リターン”の魔法を繰り返し教授した。咄嗟でも味方を守れるように。星座の魔法は詠唱にかなりの時間を要する。詠唱を聞けば何をしようとしているのか相手には筒抜けなのだ。あの場で枢軸院の年寄り共がヴェノムウルフに対して炎の魔法を放つとなるとイーゼルは先に気付き”リターン”を掛けてくれているはずだ。リターンは魔法を放った相手にそのまま返す魔法だ。この炎に包まれているのは果たしてどちらか……。


 ちなみに俺はこの状況を城にいた時点で予見していた。犬の育成に難色を示した枢軸院の年寄り共が何日も密談していたのだから当然だ。そうなれば魔法を使えないことになっている俺にできることは犬を守る術を誰かに教える事。あの三人に魔法を教えた最大の理由はコレだ。イーゼルの性格を考えれば、俺がいない状況であの炎に焼かれる犬たちの苦しみを身体で理解している彼女は本能的に守ろうとする。その咄嗟の状況で出来ることは一つしかないだろう。それではなぜ俺が事前に対処しなかったのか? 枢軸院の悪だくみを盗聴することも犬たちに反射魔法を掛けることも簡単にできた。だが、知れば何か対処をしなければならなくなるし、対処しなければ罪になるかもしれない。そして、対処することで俺は殺人の罪を背負うことになるかもしれない。逆に知らずにいればただの予想でしかない。高い確率で事故が起こる場所があるとして、医者や警察は、その場所で事故に備えて待機していなければ罪に問われるだろうか? 俺は予想しながらも敢えて見過ごした。


「殿下。間もなく到着します。何が起こっているかわかりません。お気を付けください」


 コピックの背中に揺られながら到着した森の深部で確認できたのは、覚えたての水魔法で火災を沈下したキャンバスの姿と何が起こったのか理解できない様子で狼狽えている王と兵士たち。そして、犬達の前で膝を付き、涙を流しながら放心しているイーゼルの姿だった。これは、予想通り。いや、予想以上の結果だ。俺が先に犬達に魔法を使っていたら間違いなく大量殺人の罪を背負うことになっていた。奴らはそれほどまでに全力でヴェノムウルフの殲滅を図ったのだ。俺が教えた”リターン”はどんなに高威力の魔法でも相手にそのまま返っていく。第六階位の火炎魔法は確かに高威力ではあるが、これほど広範囲を焼き尽くすほどの威力はない。にもかかわらず枢軸院の年寄りとその家族や取り巻き、護衛の兵士までもが一掃されている。どれだけの人間が第六階位の魔法を放ったのだろう。


「こ、これはいったい……イーゼル様?」


 呆気に取られているコピックをキャンバスの許にうながし、念話で話しかけた。


≪もしもし、キャンバス兄さん。いったい何があったの?≫


「あ、ああ。イレイザー……。枢軸院の奴らが犬達を俺たちごと殺そうと魔法を放ってきやがった。だが、イーゼルが咄嗟にお前に教えてもらった魔法でそれを跳ね返して――」


 ヤバい。このままだと余計なことまでペラペラしゃべってしまいそうだ。一先ず皆を誘導して広場に戻って道中念話で話を聞くことにした。


≪兄さん。一旦広場に戻ろう。皆を誘導して。イーゼル姉さんも放心している。肩を貸してあげて≫


 キャンバスの号令で踵を返し、後ろを歩いていた者から広場に向かって歩き出した。王は近衛や側近が護衛し誘導した。イーゼルは、搬送しようとした側近を押しのけキャンバス自身が背負い歩き出した。俺はそのままコピックに背負われながらキャンバスのすぐ後ろをぴったり付いて歩いた。


≪もしもし、キャンバス兄さん。このまま念話で話できる?≫


≪あ、ああ。大丈夫だ≫


≪ここで起こったことを詳しく教えて。なぜ枢軸院が犬達を殺そうとしたの?≫


≪……。お前と別れた後、俺たちはお前にされたように犬達がいかに安全かを伝え、この箱庭がどういうものなのかを説明しながら歩いた。ほとんどイーゼルだがな。陛下にも子犬を抱いていただき、無害であることを無事伝える事が出来た≫


 それは見ていた。この計画は国を挙げてファームを実行するのがある意味最も健全な成功だといえる。あの時はもしかしたら枢軸会も計画を認めるかとも思った。


≪丁寧に説明をしていよいよインフェルノドラゴンと対面した。皆固まっていたよ。その後、年寄り共が集まり何やら話し合いを始めた。だが、王はその話し合いを待たずにファーム計画の実行を宣言した。だが、間髪入れずにエセルテが異を唱えた≫


 エセルテ。枢軸院の主柱であり、実質的なこの国の最高権力者だ。彼が話を始めた時、俺はこの場を去った。俺が知りたいのはここからだ。


――

「お待ちくだされ陛下。我々の話はまだ終わっておりません。勝手な発言は慎んで……」


「――黙れ! 貴様は王の命に背くのか!」


「陛下こそ軽はずみな発言は慎みくだされ。貴方は独裁者にでもなるおつもりか? この国の安寧の為に国民の代表たる我々が議論している。御覧なさい。インフェルノドラゴンのあの姿を。我々が国を挙げても討伐できないあの魔獣をこの小さな生物がたった数匹で殺したのですぞ? どれほどの脅威か。仮に殿下たちが言う通り我々に懐き、従い、その毒を無効化できるとしても、その保証は? 全てのヴェノムウルフが必ず人間に懐き、従うという根拠は? たった一人。それも瀕死で帰ってきたイレイザー王子の言葉だけでしょう? 喉を負傷している彼自身に直接聞いた? どうやって? 文字で書くにしてもあれだけの内容をそれほど簡単に相手に伝えることができるでしょうか? キャンバス王子達の虚偽の可能性もある――」


 その言葉を聞いた王は憤慨した。


「貴様! 我が息子たちを愚弄するか!」


「愚弄? 何を馬鹿な。陛下が一番御存じでしょう? キャンバス殿下とイレイザー殿下は相容れない存在であると。その二人がそれほど濃密に筆談を交えながら会話をするなど考えられません。たまたまヴェノムウルフと仲良くなったイレイザー様がしゃべれない事を良い事にキャンバス殿下がでっち上げたのでは? よしんば今の話がすべて真実であったとしてもその猛毒を無効化できるのはいつです? イレイザー殿下が行方不明となって約三年。無毒化に時間を要するとしたらその間に毒で死ぬものが多数現れる可能性もあるのです。陛下はその危険性をどのようにお考えか?」


「だからこそのファームであろうが! 安全な場所を開拓し、少しずつ数を増やしその安全性を調べればいい。何もせずにいれば何も変わらぬ。私たちは他国に生かされている。奴らがいつ協定を覆すとも限らんのだ! 我々は他国に対抗するためにより強い魔力の人間を求め子孫を繫栄させてきた。魔力の弱い者を犠牲にして。このファームが成功すれば、魔力を持たぬ多くの者にその恩恵を授けることが出来るのだ」


「――下手に出ていればつけ上がりおって。何も知らぬ者が利いた風な口をきくな! この国は我々枢軸院が連邦に統治を任されているのだ。王族は黙って我々の指示に従っておればいいものを……。このヴェノムウルフは連邦から殲滅を命じられている。それを……。減らすどころかこんなに増やすとは。どう弁明するつもりだ。もうよい。変え時だ。予備と頭を挿げ替えさせてもらう。王弟を呼び戻せ。この国は我々が正しく導いていく。貴様ら現王族は全員ヴェノムウルフによってここで殺されたのだ。イレイザーや城に残った者もすぐ後を追わせてやる。後の事は心配するな。お前たち準備はよいな」


――


≪そう言うとエセルテとその取り巻きや護衛を隠れ蓑に詠唱をしていた枢軸会の連中が同時に強力な魔法を俺達に向かって放った。咄嗟にイーゼルが犬達を庇うように前に出てお前に教えられた”リターン”を唱え俺達と犬達を護ったんだ……≫


 まさか、王族やその側近までもまとめて殺すつもりだったのか……。予想よりはるかに愚かな選択だ。枢軸会の連中にとっては王族すらも使い捨ての駒のひとつだったということだ。ただ、彼らには誤算があった。この国の人間は、魔法には長い詠唱が必要だと認識している。その固定概念が彼らに隙を与えた。王族の誰もが魔法を詠唱していなかったのだから、反撃は脳の片隅にも予想もしなかっただろう。しかし、イーゼルは俺が教えた数字の魔法を知っていた。たった一言口にすれば発現する詠唱のいらない魔法。威力や効果関係なくただ自分に向けられた魔法を返すだけのどうってことのない魔法だ。だが、相手のむき出しの殺意のおかげでイーゼルは予想よりも遥かに多くの人間を殺す結果となってしまった。


≪イーゼル姉さん。ごめん。まさかこんなことになるとは思っていなかったんだ。でも、姉さんのおかげで父上もキャンバス兄さんも僕たちを慕い力を貸してくれているみんなの事も救うことができた。姉さんがいなかったら枢軸院の奴らに皆殺されていた。それどころか城に残っているみんなもどうなっていたかわからない。姉さんは犬達だけじゃなく僕たちみんなの事も守ったんだよ。本当にありがとう≫


「……」


 イーゼルは俺の言葉に返事しなかった。ただ、静かに肩を震わせ泣いていた。心優しいイーゼルならこの子たちを必ず守ってくれると確信したから彼女に託した。だが予想をはるかに超える重荷を背負わせる結果となった。これほどの惨事になるのであれば多少リスクはあってもキャンバスにやらせるべきだったかもしれない。広場までの帰り道は誰一人、口を開くことがなかった。ただ、前を歩くものの雑踏と、俺を背負ってキャンバスのすぐ後ろを歩くコピックの荒い息遣いだけが耳に響いた。

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