第21話 変革の狼煙④

 魔法が使えない気が遠くなるほどの数日を何とかやり過ごし、ようやく遠征の日を迎えた。この遠征にはキャンバスとイーゼルも加わった。そして、インフェルノドラゴンの頭骨を持ち帰ったクリップは王宮の護衛と休養の為に城に残ることになった。重要な役割と賜ったと捉えるか、のけ者にされていると捉えるか。クリップの心中は如何ほどだろう。

 

 遠征が始まって箱庭に到着したのは七日目の昼前だった。王族や老人達が乗る馬車が山道でも出来るだけ振動を起こさない様にゆっくり移動したことと、毎晩のテントの設営に時間を要した結果だ。王侯貴族が朝目覚め、食事をしている間にテント解体。先行して歩く王侯貴族が昼食を摂っている間に追い抜かし、その日の宿泊予定地で再びテントを設営。それを繰り返しながらまるで牛車のようにゆっくりとした速度で進んだことで馬車で三日の距離を六泊七日を要して移動することとなった。

 それにしても馬車の乗り心地は正直最悪だ。狭い、暑い、息苦しい。そしてこれだけゆっくり移動しても森への道は舗装されておらず異常に揺れる。こんな悪路を普通の速度で進めば乗っている人間はとても無事では済まない。そんな最悪な箱に王族四人は二人ずつに分かれて乗車した。一応四人乗りではあるが狭く、膝がぶつかる為二人ずつ斜向かいになって座るしかない。キャンバスとイーゼル兄妹と王と俺に分かれてだ。最悪だ。こんな最悪の環境にまともに話したことがない父王と二人きりで閉じ込められるなんて……。キャンバスが王と乗ればいいのに! これなら徒歩で行った方が何倍もマシだ! ただ、この時だけは声が出ないことにした過去の自分を心から褒めた。会話をしなければならないなら尚さら息が詰まる。二人っきりの狭い空間でしばらく黙っていた王は不意に俺に話しかけてきた。


「よく帰った。もう死んでしまっているのかと……」


 王の言葉に俺は深く頭を下げた。


「私が今から話すことを黙って聞いておけ。決して口外してはならん。いや、声が出せなくなったお前にはいらぬ心配か……」


 余計な一言を言った王は一呼吸ついて話し始めた。


「お前がインフェルノドラゴンにやられたと報告を受けた時は驚いた。私が唯一本気で愛した女との息子だ。立場上、他の子と同じように接するしかなかったが一番愛おしく思っておった。お前が生まれ、第一王位継承権を与えたことでノートは正妻となり正室での生活を送らせることができた。第四夫人でありながら正室に置くことを陰では色々言っておったようだが、お前の魔力が異常に高いことで誰も文句を口には出さなかった。胸の内がどうであれな……しかし、お前は言葉を失い、ノートは正妻の座を奪われ再び辛い生活を送ることになった。あの時はお前を恨めしく思ったものだ――」


 王は俺に向かって真っ直ぐに話し続けた。思えば子供の頃から王と話をする機会はほとんどなかった。王の顔をこれほど近くではっきり見るの初めてだった。 それにしてもコイツは何を言っているんだ? 自分で何を言っているのかわかっているのか? 愛おしいと言ったり恨めしいと言ったり。結局、惚れた女の瘤くらいにしか思ってなかったと言っているのと同義であることが分かっていないのだろうか?


「だが、お前は自ら努力し、再び第一王位継承者に上り詰めた。出来る事ならお前を次期王にし、ノートには不自由なく誰からも咎められることなく王太后としての生活をさせてやりたかったが……まさか病死するとは。……方々手を尽くしたが魔法の力でもくすりの力でも治すことができなかった。病気では仕方がない。せめてノートの息子であるお前だけでも王にしてやりたいが、声が出せなくなったお前は魔法が使えない。それではこの国の王には出来ない。王といえど私個人の気持ちだけでお前を王に据えることは出来ん。だが、お前が森で作ったファームとやらを国の事業として成功させれば、その功績で次期王にすることも可能かもしれん」


 驚いた。まさか俺を第一王位継承者としたのは他でもない王自身なのか? しかもノートを王太后にするためという利己的な理由で俺を次期王にしたがっていたようだ。王は心からノートを愛し、その死を本当に悲しんでいるようだ。何より、この王と真っ直ぐ話してみてわかったが、思ったほど頭がいい人物ではないように思う。恐らくこの男はノートを殺していない。


「ヴェノムウルフが本当に人間に懐くのか……。正直なところ、とても信じられんが本当にイーゼルの説明通りであればこの国は大きく生まれ変わることができる。魔法以上の力だ。お前が王になることに反対する者もいなくなるかもしれん。必ずファームとやらを成功させるのだ」


 俺はもう一度深く頭を下げた。ノートが死んだ今も俺を王に据えようとしているようだ。だが、お生憎様。王が何をしようと俺は王になる気はない。王族には憧れていたが、いざ実際に王族になってみれば何とも不自由な生活だった。数字の魔法の事はまだあの三人以外は知らない。ある程度魔法に慣れてからキャンバスの手柄として報告するつもりだ。そうなれば魔法の使えない俺より長兄で第七階位の魔導書を開き、さらに数字の魔法を目覚めさせたキャンバスを王にせざるを得ないだろう。


「お前とはもっと早くこうして二人で話しておくべきだった。王としても父としても不甲斐ない限りだ。許せ」


 そう言って王はそれ以降口を開かなかった。こうして魔法を使えば一日で往復できる道のりを今まで碌に会話をしたことがない父親と針の筵に七日間座割り続ける羽目になった 。広場に到着し、後を追うめぼしい貴族連中が到着すると、昼食を摂る間もなく王が口を開いた。


「それでは早速案内してもらおうか」


「「はい。お任せください!」」とハキハキと返事したキャンバスとイーゼルはすがる様に俺を見る。


≪もしもしキャンバス兄さん。アナタが先頭に立って王を案内してください。あくまで静かに。あの子たちを刺激しないように大声を出さないでゆっくりと移動するようにみんなに伝えてください。姉さんは犬が近寄ってきたら大きな声で『待て!』と制止してください。犬たちはそれでお座りして待ちます。それから姉さん。僕は足を怪我していることになっている。僕の速度に合わせて皆を待たせるのは枢軸院の心証に良くない。僕をここに残して二人で皆を案内して。大丈夫。あの子たちは姉さんにすっかり心を許してる。僕がいなくてもちゃんという事を聞くはずだよ。それから、もしもの時はあの子たちをお願いね。いざって時は数字の魔法を使ってもいいから≫


 キャンバスとイーゼルは黙ってうなずいた。


「ここから先は道が狭く馬車は通れません。私とイーゼルが先頭に立ち誘導しますので後に着いてきてください。決して大声を出さずに慌てずにゆっくりと移動してください。イレイザーは足が悪く、まだ体力も回復していないのでここで休息をとってもらいます」


 父王は不服そうではあるが辛そうにしている俺を見て二人の意見を聞き入れた。二人はインビジブルで隠されたログハウスの横に、新たに作った細い下り坂を進む。その後を王と近衛が続き、枢軸院の年寄りとその取り巻き、その後を貴族連中が続く。浮かれ気分の王侯貴族とは違い、取り囲む近衛兵達には流石に緊張が見て取れた。特級危険生物の縄張りに入ろうというのだから当然だ。隊の半数以上は馬車や荷物を見張り、テントや食事の用意に広場に残った。俺の護衛をする役割もある。俺が乗る馬車を護衛する兵士に声を掛けようとすると、それは城門にいた衛兵だった。これは都合がいい。兵士の肩を叩き地面に字を書いた。


”偶然ですね。あの時は本当にありがとうございました”


「で、殿下! ご挨拶が遅れ、大変申し訳ございません。今回、この遠征でイレイザー殿下の護衛に志願し、殿下直属の近衛のお役を頂くことができました。コピックと申します。ここまでこの馬車の護衛の一人としてお供させていただいておりました」


”そうだったんですか。気づかずにすいません。城に帰るまで宜しくお願いします。疲れたから少し休みます。絶対に起こさないで下さい”


「畏まりました。ゆっくりお休みください」


 そうして 馬車に戻る振りをしながら『”インビジブル”』で身体を見えなくし、『”スリップスルー”』で馬車を抜け出し、飛行魔法の『”フライ”』で後を追った。ちなみに俺が多用しているヴェールにも姿を隠す効果があるが、今使ったインビジブルは一見同じようで全く効果が違う。インビジブルは文字通り姿を見えなくし、存在感を消す魔法。要は透明人間だ。だから血や泥などを被ると一瞬でバレてしまう上に魔法が解けても身体に付着したままになる。一方のヴェールは透明なマントの様に纏うことも覆っている中身を消すことも思いのままにできる。その上、高い防御力もあり、泥や血も肉体にかかることも防いでくれる上にヴェールさえ外せば元通りになる。俺は常に肌着代わりにこのヴェールを身に纏いその上から服を着ている。何もつけていないような感覚でありながら、ゴワゴワの服の肌触りから身を守り、防弾チョッキを遥かに超える防御力も備えている。俺が考えた魔法の中で最も気に入っている魔法だ。ちなみに見えてはいないが俺は常にヴェールのマントを服の上にも纏っている。それでもあえてインビジブルを使うのはヴェールという魔法の便利さを隠すためだ。俺はインビジブルで隠されているログハウスに、さらにヴェールの魔法を掛けた。これでこの先何か起こってもログハウスは護られる。


 上空から見下ろすと、先頭の二人がちょうど長い下り坂の最後の角を曲がり、広い空間に入ろうとするところだった。そして、次の瞬間ちりぢりになっていた犬たちが一斉に二人に向かって走り寄ってきた。その瞬間、イーゼルは数歩前に出て大きな声で「待て!」と言った。すると犬たちは急ブレーキをかけて止まり、ハッハ、ハッハと舌を出してしっぽを左右に大きく振ってその場に座った。イーゼルは以前俺がやって見せたように一人でさらに十歩ほど前に進み膝をついて両手を広げて「おいで」と言った。


 その瞬間、犬たちは一斉にイーゼルに飛び掛かった。俺たちを囲んでいた近衛兵達に緊張が走りイーゼルを助けようと前に出ようとすると、キャンバスがそれを制止した。


「大丈夫。見ていてください」


 慌てる様子もなくそれをじっと見ていた。暫くするとイーゼルは一匹の子犬を抱きかかえて立ち上がり、こちらに近づいて来た。


「ご覧ください。この通り何の心配もございません。どうか、この子を抱いてみてください」


 体毛と涎であられもない姿になりながらそう言って父王に子犬を差し出した。近衛が一歩前に出て武器を構えようとする。


「問題ない。下がっていなさい」


 王はそう言ってイーゼルに近づき恐る恐る子犬を受け取った。すると、子犬は嬉しそうにしっぽを振りながら王に向かって前足を伸ばしてまるで抱っこしてと言わんばかりの仕草をして見せた。グッジョブだ。その愛くるしい姿に心を奪われた王はイーゼルから子犬を受け取り我が子の様に抱きしめた。子犬は王の顔を舐めるが王はそれすら嬉しそうだ。王のあんなだらしない顔今まで見たことがない。


 近衛の後ろに隠れていた老人共はその様子を見て安堵したのか兵士たちをかき分けるように前に出て来た。やはりいざとなればコイツ等は王すら生贄にする……。そう感じた。


 それから二人は俺がしたようにファームを説明しながら先へ進んだ。なんというか、動物園のパンダを見る行列の様だ。イーゼルは順番にファームの説明をしながら進み、一番奥のインフェルノドラゴンの死骸がある広場に辿りついた。そこにはナイフを含む四匹の成犬がいた。二匹はインフェルノドラゴンの肉を喰らい、そして、ナイフともう一匹は交尾の真っ最中だった。コイツ等は心身ともに穏やかである時はよく交尾をする。中々子孫を残せないヴェノムウルフの本能がそうさせるのだろう。しかし、その姿に戸惑っていたのは俺たち三人だけでそれ以外の目線は今なお生々しい姿となって横たわるインフェルノドラゴンの巨大な死骸に向けられていた。視界に入ったら他の何も映らなくなるその圧倒的な存在感と、死してなお恐怖を与えるその禍々しさで多くの者は目線を外すことも身動きすら取ることもできずに制止している。インフェルノドラゴンと対峙した経験のある者であれば息をすることさえ忘れる。さらに奥には頭部の無い白骨化したインフェルノドラゴンの亡骸も横たわっている。


「父上。こちらの未だ新しい死骸は我らで討伐いたしました。ですが、あちらの白骨化した方は何とここにいるヴェノムウルフ四匹だけで殺したそうです。あの化け物をこの小さな四匹で。そんな特級危険生物であるヴェノムウルフはこうして我らにしっぽを振り懐いている。危険性についても先に説明した通り、安全で快適な環境を整え深く接していればご覧の通り毒は出しません。長く接していれば自然と免疫が付き、たとえ毒を放ったとしても効かなくなる。どうか、正式にヴェノムウルフの育成を前向きにご検討ください」


「キャンバス王子。ヴェノムウルフはここにいるので全部か?」


 ここまでずっと沈黙を守っていた、枢軸会の主柱エセルテは突然キャンバスに訪ねた。キャンバスとイーゼルは顔を見合わせて辺りを見渡し、犬達の数を数え始める。


「はい。これで全部です。イレイザーの話ではヴェノムウルフは穏やかな時はその匂いで仲間を呼び寄せるそうです。この辺り一帯にいるヴェノムウルフがここに集まってきて子を産み、これだけの数に増えたそうですので……」


「そうですか。イレイザー様が。兄弟で色々と話をされたようですな」


 それから王を除く八人の老人を中心とした枢軸院の年寄り達は集まり何やら議論を始めた。これこそがこの国の実態だ。王に意見を求めることはしない。ただ枢軸院で決定した意見を王の口から発言する。これがこの国の王の役割なのだ。だが、この時の王はいつもと違った。枢軸院の議論を無視して言葉を発した。


「皆の者よく聞け! 我々ステーショナリー王国は国を挙げてこのヴェノムウルフの育成のために全力を尽くす。これは国王としての命である――」


 その突然の発表にエセルテは異論を唱えた。


「お待ちくだされ国王。我々の話はまだ終わっておりません。勝手な発言は慎んで――」


「黙れ! 貴様は王の命に背くのか!」


「王こそ軽はずみな発言は慎みくだされ。貴方は独裁者にでもなるおつもりか? この国の安寧の為に国民の代表たる我々が議論している――」


 予想通り面白いことになってきた。このまま最後まで見ていたいところだが、この辺で俺はお暇しよう 。俺はそのまま広場に戻り、再び馬車の中に入って事の顛末を待った。さて、あの後どうなるだろうか? 王が意見を押し通すか、枢軸院の年寄りが王を黙らすか。恐らく後者だろう。王家に枢軸院のを黙らすほどの力はない。ではどうやって? 元々ヴェノムウルフは抹殺対象の生物。俺の予想通りになるならば、間もなく変革の狼煙が上がる。

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