第11話 夢の異世界生活⑦
「あ……、ああああああ! お兄様ぁぁああああああ! いやぁーーーーーー」
キャンバスの頭部が地面に鈍い音を立てて落ちた。それと同時にイーゼルは意識を失い、首に掛けられた縄で首を吊る状態になった。
「危ない! イーゼル姉さん」
そう言ってすぐ傍にいた俺はイーゼルの身体を支えて首に掛けられた縄を切って地面に横たわらせた。この事態を予想していた俺はあらかじめ自分に”ヴェール”を掛けておいた。おかげでキャンバスの血が掛からなかった。
「なんてことを……クリップ兄さん。なんてことをするんだ!」
俺はキャンバスの縄を切ったクリップを非難した。
「うるさい! うるさい!! うるさい!!! 貴様がぁ、貴様が悪いんだー! 縄を切って自害しろっていったのは貴様だろうが!」
クリップは息を荒げて俺に責任転嫁しようとする。
「何を言っているの? 僕は三人の内の誰かに首の縄を切ってナイフに謝って欲しいって言っただけだよ? 死んで詫びろなんて一言も言ってないじゃないか!」
「な!? ふ、ふ、ふざけるな! 目の前の縄を切れば首が飛ぶと説明したじゃないか!」
「そうだよ! だから、危ないから切らないでねって言ったんだよ! それくらいしないとプライドが高い三人がナイフに頭を下げるなんてできないと思ったんだよ」
「クソが! クソが!! クソが!!! ぶっ殺してやる」
興奮したクリップは魔法の詠唱を始める。
「止めるんだ。クリップ兄さん。これは事故だよ。落ち着いて!」
魔法の詠唱を止めるように説得するがクリップは止めようとしなかった。俺は俺で長い詠唱を終えるのを説得するふりをしながら待った。頭に血が上っているクリップは俺が詠唱を止めも、封じもしないことを疑問に思うことは無かったようだ。詠唱を終えたクリップは躊躇することなく俺に向かって得意の第六位階位の風魔法を放った。魔法の刃が俺の身体に触れる寸前、先に自分に掛けておいた反射魔法”リターン”が発動する。ありとあらゆる魔法を術者に跳ね返す魔法だ。跳ね返ったその刃は魔法を放った本人に向かって戻って行った。次の瞬間クリップの胴体は真っ二つに切り裂かれた。腹から上は首から縄に吊るされ、腸の一部が零れ落ち、下半身は真っ直ぐに地面にバタンと倒れた。
「グッ……! ガッ……!」
首が締まって上手く声が出ない様子のクリップの顔は真っ赤になり、血管が浮き出ていた。身体が真っ二つなっているのに直ぐに絶命できない彼は首が締まり苦悶の表情を浮かべている。縛られていた腕は動くようになったものの、先ほど魔法で肘より先は切断されてしまってる。締め付ける縄を首から外そうともがいているが、上腕より先がないクリップは吹き出す血をただ顔に塗りつけるだけでどうすることもできないようだ。窒息によるものか、出血多量によるものか、暫くすると動かなくなり,暴れた反動でブラブラと揺れていた。
さて、この後はどうするか? 実は蘇生魔法はある。だが、俺は敢えてその魔法を習得しなかった。この魔法は死亡した相手を蘇らせる魔法だ。俺が死んでしまえは自分自身を蘇らせる方法はない。俺が誰かを救うことがあっても、俺が救われることがないのだ。だが、この魔法を習得してしまえばどれほど憎い相手であっても見殺しにした時点でエンマに殺人と言われかねない。だから敢えて覚えなかった。医大を卒業した者が、自らの意志で医師免許を取得しなかった場合、目の前で死にかけている人間の手術をしなかったとしたらそれは罪に問われるだろうか?
蘇生魔法が使えない今、俺が奴らにできる方法はただ一つ。俺自身が使った復元魔法”リバーシブル”だけだ。しかし、そもそも死者を蘇らせるという行為は果たして許されるのだろうか? 自然摂理に反する悪行、神への冒涜という罪に問われる可能性もある。だが、この世界には元々魔法が存在する。助ける方法があるのに何もしなければ罪になるのではないか? 逆に助ければ徳を積めるのではないか? この世界にはこの世界のルールがあり法律がある。だが、それとは別のルールに従ってエンマは審判を下す。彼女は戦争中の敵であっても人を殺せば罪になるといった。俺の知る限りエンマは死を最も嫌う。であればやるしかない。いや、やっても問題はない! 面白くなってきた。先ずはキャンバスだ。俺はキャンバスの髪の毛を掴み頭部を持ち上げた。そして、切り離された頭と胴体の傷口を出来るだけくっつけて数歩後退した。
そして、”リバーシブル”をキャンバスに掛けた。無理やり引きちぎられた首は逆再生するように骨、筋肉、神経、血管が繋がって最後に皮膚が再生した。
「っあぁぁぁ! ぐあああぁぁぁ――」
直ぐに意識を取り戻したキャンバスは叫び泣いた。俺にも経験があるからわかる。首を無理やり引きちぎられる刹那の痛み、それから意識が完全に無くなるまでの言い知れぬ恐怖。俺の場合はより綺麗に切断しやすいように細くて丈夫なケプラー糸を使ったから切断面は刃物で聞かれたように綺麗だった。しかし、キャンバスの場合は違う。その辺に生えている丈夫な蔓性植物を編んで縄にしたものだ。切断ではなく力ずくで引きちぎられたのだ。俺とは比べ物にならない衝撃と激痛があっただろう。離れようとする頭部を皮膚や筋肉、関節が抵抗する。それが証拠にキャンバスの首の傷は断面ではなく皮膚が剥がれズタズタに引きちぎられた状態だった。自分に向かって真空の刃が飛んでくる恐怖。無理やり身体を引きちぎられて殺されたキャンバスの心身のダメージは計り知れない。
「ああああああ! あああああああ――」
叫び続けるキャンバスの声が不快だった俺は消音魔法で彼の声を封じる。
「”クワイエット”。うるさいよ兄さん。 生き返らせてあげてるんだから我慢してよ」
「…………! …………――」
変わらず泣き叫んでもがき苦しんでいるがもう声は聞こえなかった。痛みで暴れる身体が地面を叩く鈍い音だけが響いている。
その姿を尻目に続いてクリップの身体を復元する。クリップはキャンバス以上の痛みと恐怖を味わった。胴体が切断されても直ぐには死ねず首が締まって苦しみ続ける。そして死の恐怖。考えただけでもゾクゾクする。クリップのぶら下がったままの上半身をロープから切り離して下半身と傷口をくっつけて魔法を掛ける。零れ落ちた腸が体の中に吸い込まれていき、切断された骨、筋肉、神経、血管、腸が再生される。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ーーー!」
クリップは身体が切断された時、長い時間はっきりと意識があった。傷の再生中も激痛だろう。しかも彼の場合は首が締まっていた時の窒息の苦しみもあるのだ。そして意識がなくなる寸前まで続いた死の恐怖も。キャンバスの苦しみとは桁違いの恐怖と痛みを感じているだろう。キャンバス以上の大声で呻き散らすクリップの声も封じ、静かな森に二人の身体を打ち付けて暴れ狂う鈍い音だけが響いた。これまでさんざん俺を苦しみ続けた二人が声を上げずにのたうち回る姿は、まるで苦しみを表すコンテンポラリーダンスを共演しているようで醜く滑稽だった。二人を放っておいてイーゼルの許に向かう。彼女は衰弱して意識を失っているだけなので回復魔法をかけてやった。
「イ、イレイザー。私は何を……は、お兄様、お兄様は?」
そう言って俺にすがりつくイーゼルの目線をのたうち回っているキャンバスの方に向ける。
「大丈夫です。兄さんに復元魔法を掛けましたのでもう心配ありません。ですが、あの復元魔法は傷の再生と共に痛みや恐怖も復元してしまう。今は苦しんでいますが直ぐに落ち着くでしょう」
そう言って安心させようとしたが凄まじい形相で苦しんでいるキャンバスの姿を見て逆にパニックを起こしてしまった。
「いやぁーーーーーー、お兄様! しっかりしてください。お兄様ぁ――」
イーゼルは俺の身体を払いのけキャンバスの許に駆け寄り大声で泣き叫ぶ。
「ちっ……。うるさいなぁ」
俺はイーゼルにも魔法を掛け、声が出せない様にした。
「静かにしてください。話ができません。まだ一番大切なことが残っているんです。兄さんたちに殺されたナイフも復元をしないと。でも、僕が出来る復元魔法は二人に掛けたものと同じく死んだ時の痛みを一瞬に凝縮して身体に与えます。ナイフはアナタたち三人の強力な魔法で死んでしまいました。その痛みは今のあなた方以上だったと思います。そんな辛い思いをもう二度とさせたくない。だから、この子が味わった痛みを兄さんたちの誰かに引き受けてもらおうと思いました。それを決める為に謝る人を決めてもらおうと思ったんですが……。でも、この際三人で引き受けてもらおうと思います。そうすれば苦しみは三等分されるはずです。それがあなた達の罪滅ぼしです」
俺の言葉を聞いているのは恐らくイーゼルだけだろう。何を言っているの? という表情で俺の顔を見上げている。他の二人はまだのたうち回ってとても聞ける状態じゃないようだ。まぁ聞いてようが、いまいがどっちでもいい。俺は話を続ける。
「僕が作った魔法は非常に特殊なものが多くてね。他人の肉体や精神に影響させるものが多いんです。今から掛ける魔法は対象者の痛みや苦しみ、死すらも他人に身代わりにさせる魔法なんです。僕はナイフを復元したいと思いました。でも、その時に生ずる痛みが可哀相でできなかった。でも、兄さんたちはナイフを殺し、あまつさえ僕まで殺そうとした。罰を受けるのは当然でしょう? 三人に身代わりになってもらえればナイフは苦しまずに再生できる。生き返らせてあげたんだからそれくらい我慢してくださいね」
そう言って傷だらけのナイフに”リバーシブル”を掛け、すかさず身代わり魔法”スケープゴート”を三人に掛ける。死後経過しているナイフの復元はほんのわずかな空白時間を経てから始まった。それと同時に身代わりになった三人は声を出せないまま先ほど以上の恐ろしい形相で叫んだ。急に三人の身体は業火に包まれその炎の中でもがき苦しんでいる。呼吸のできない苦しみ、体内では全身の血液が沸騰し血管は破裂している。長い時間炎に包まれ続けたナイフの苦しみはそのまま長い時間を掛けて彼らを襲った。形容しようがないような痛みが続くが、それとは逆に身体は徐々に修復されていく。その苦しみから逃れる死の祝福が彼らに訪れることは無い。
みるみる傷が復元されあっという間にナイフは元通りの元気な姿に戻って俺に駆け寄ってきた。どうやら身代わり魔法は成功したようで苦しまずに元に戻れたようだ。
感動の再開を邪魔するように後ろから三人がのたうち回る鈍い音が鳴り響いている。最初は三人が苦しんでいる姿を見ることに喜びを感じたが、あまりにも醜い表情で苦悶する三人を見ているうちに、気分が悪くなってきたので少し離れた場所でナイフと遊んで待つことにした。
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