第10話 夢の異世界生活⑥

 ナイフを抱いた俺の身体はその血で少しずつ黒く染まっていく。


「……ヴェノムウルフの事は城の図書館で読んで知っていた。でも、その挿絵ではドーベルマンをもっと大きく凶悪にしたような感じだった。だから初めてコイツとあった日は全く分からなかったんだ」


 初めて出会った時の事を思い出し、事切れてたナイフの身体を優しくなでた。


「ある日の早朝、窓の外にグッタリと横たわっている子犬の姿が見えた。僕は慌ててドアを開けて飛び出した。その刹那に異臭を感じた。……気が付くとその場に倒れこんでいた。気を失っていたんだ。すでに太陽は真上にあった。辺りを見渡すと子犬の姿は無かった。不思議に思いながら部屋の中に戻ろうと身体を起こすと物凄い頭痛と吐き気、そして身体がしびれてうまく動けない。その時ようやく気が付いたんだ。もしかして、あれがヴェノムウルフなのかって」


 その子犬の姿は挿絵とは全然違った。でも特徴が合致していた。その匂いを嗅ぐだけで気を失い、気が付いた後もしびれや頭痛、吐き気を伴う。神経毒の一種だ。


「体を引きずりながら部屋に戻りもう一度的から外を覗いてみると離れた場所でじっと臥せながらこちらを見ているのがいる姿が確認できた。こちらが気になるものの身体を起こすのも辛いのだろう」


 ヴェノムウルフの毒に怯え、俺を刺激しない様に震えながら黙っている三人には目もくれず、ナイフを抱きしめながら話を続ける。


「どれだけ待ってもその場から離れようとしないナイフに業を煮やし、ドアの隙間から魔法で焼き殺してやろうかと考えた。けど、そのやせ細って弱った姿を見て思わず僕は残してあった肉を力いっぱい投げてやった。腹を満たせば離れてくれるかもしれないって。でもナイフは肉の前に移動するだけで、すぐに飛びつかなかった。今まで誰かに肉を与えられる経験なんてなかったんだろうね。警戒しているのか困惑しているのか、それからドアの隙間から覗く僕を見返すんだ。まるで『食べていいの?』って伺うように」


 ナイフとのたくさんの思い出が蘇って目が潤んでくる。


「特級危険生物とは思えないほど健気で弱々しいその姿は僕の心をギュッと掴んだ。『いいから早く食べろよ』そう言ってやると意味が分かったのかゆっくりと美味しそうに食べ始めた。当然食べ終わった後、その場を離れようとはしなかった。でも、決して小屋の方に近づくこともなかった。少し離れた場所に臥せってジッとこっちを見続けているんだ。ナイフは解っていたんだ。自分が近づけば相手を傷つけてしまうということを。だから決して自分から他人に近づこうとしなかったんだ」


 そう言ったと同時に自然と涙がこぼれた。


「次の日もその次の日も残っている肉を与えてやった。その度に僕の合図を待ってから美味しそうに食べるんだ。でも、数日後には家にあった保存食は底を突いた。いよいよ僕自身の命に危険が迫っていた。外には特級危険生物のヴェノムウルフ。お腹を満たせば離れてくれるんじゃないかと同情で餌を与えてしまったけど決してその場を離れない。このままだとコイツを殺さないと僕が死んでしまう」

 

 意を決してドアから外に出てみると、あの時感じた異臭はしなくなっていた。相変わらず遠くの方でこちらを見ているナイフは何がそんなに嬉しいのか、取れそうな勢いで大きくしっぽを振っていた。


「ナイフは落ち着かない様子でパンティングしながら、立ったり座ったりその場でうろうろしながらも決してこっちに近づいてはこなかった。近づけばまた気を失ってしまうだろうか? 頭とは裏腹に僕はその愛くるしい姿に吸い寄せられるように近づいて行っていた」

 

 目の前にまで来ると腹を見せて寝そべってきた。普通、野生動物がそんな行動をするなんて絶対にない。


「その可愛さに僕は思わずその腹を撫でていた。すると抵抗することなく気持ちよさそうに腹を撫でられ続けてくれた。異臭もない。気が付くと僕はこの子をギュッと抱きしめていた。ナイフは大人しく僕に抱かれながら頬をなめてくれた。僕はいつの間にか泣いていた。ナイフはこの世界に来てから二人目の、ノートが死んでから初めて僕を心から受け入れてくれた存在になった」


 僕の言葉を聞いても誰も何も言わない。 少し話題を変えてみた。


「そう言えばノート。……僕の母さんは病気で死んだ。発熱や下痢、頭痛……。風邪かと思って誰も回復を疑わなかった。でも、徐々に呼吸困難やけいれん、遂には意識障害……。徐々に症状は悪化していった。そんなある時つまずいてケガをした。でも、なぜか魔法をかけても傷を塞いでも出血が止まらない。元いた世界に同じような症状の病気がある。後天性免疫不全症候群。……エイズだ」


 と言っても前世の世界では正しい治療をすれば発症を抑えられる病気になっている。でもこの世界では名前もない魔法すら効かない未知の病気だ。ノートはエイズ、もしくはそれに似た病を罹ったんだと思った。だが感染経路は? 父上か? ……だが、王の体調が悪い様子はない。そもそもエイズであるとも限らない。だったら飛沫感染や空気感染もあり得る? いや、それもない。ノート以外に同じ症状を訴える者は一人としていなかった。そんなことより治療方法は? 


「王の命令で城内の人間が総出で存在する限りの回復魔法を試した。だが、一向に回復する兆しが現れなかった。いくら病気とはいえ、魔法で傷の回復すらできないほどの病気なんてあるのか? それとも……」


 俺は三人に問いかけるように話した。当然返答はない。     


「わからないことだらけで、何とかしたくて……。でも、当時の僕は八歳。まだようやく第五階位の魔法の勉強を始めたばかりの僕には何もできなかった。しかも、その時、母さんは二人目の子供をお腹に宿していた。何一つわからないまま、お腹の子供と共に母さんは死んでしまった。そして僕は本当に一人ぼっちになってしまった……」


 やはり三人は表情を変えない。惚けているのか、本当にわからないのか。体力が限界で俺の話が聞こえていないのか? 俺は確信の話を始める。


「母さんが死んでしばらく経ったある日、第六階位の書庫の中に隠し部屋を見つけたんだよ。そこには呪いや禁呪といったものばかりが保管されていた。多くの魔導書に目を通していると、その中に母さんが死んだ時と同じ症状でゆっくりと命を削る病気が記されていた。この禁書庫にあるのは全て禁忌に当たる魔法で、余程位の高い者でなければ閲覧することは許されないはずだ。隠された魔導書庫にそれを見つけた瞬間、僕はノートが誰かに呪いを掛けられたと確信した……」


 そう言って三人の顔を見回す。冷や汗をかいてぐったりしているものの焦る様子はない。やはりこの三人は違うか?


「この国で第六階位の魔法を使える者だけが入れる書庫にある隠し部屋。つまり、ノートの病気が魔法の効果であるのなら誰かがノートにこの魔法をかけたことになる。じゃあいったい誰が? 第六階位魔法を使える城内の人間だよ。そんなの数えられる程度しかいない。君たち三人と君たちの母さん。他には? ステープラとパレットとペンシル。それから枢軸院の年寄り達。そして、国王である父上だけだ。まぁあの時点で第六階位の魔法が使えなかったパレットとペンシルには無理だから除外だね」 


 三人の様子を見るとイーゼルがぐったりとして今にも倒れそうだった。


「大丈夫? 姉さん。もう本当に限界だね。そろそろ決めてもらわないと。今後、僕に忠誠を誓い従うか、それとも三人の内の誰かが自分の縄を切ってこの子に詫びるか――」


 俺はそう言って、また三人の真ん中に移動した。


「誰が貴様に忠誠など誓うか! 縄を切りたいなら貴様がやれ!」


 そう声を荒らげるキャンバスはどうしても僕を認める気がないようだ。当然だろう。長兄として生まれ、第七階位の魔導士という王になるべくして生まれた男だ。俺の様な異物さえ生まれてこなければ、本来誰に文句を言われることなくキャンバスが王になるはずだった。


「どっちにしても城に帰れば僕が第一王位継承者になる。そうすれば真意はどうであれ君たちは僕に従うことになるじゃないか。どちらにしても同じ従うなら、今、自らの意志で、その口で忠誠を誓ってくれる方が僕も安心できるんだよ。それに言ったでしょ? 僕は誰も殺さない。誰も殺さず清く正しく天寿を全うしてもう一度エンマに会いに行くんだ。どんな理由であれ人を殺せば僕はもうエンマに会えなくなってしまうからね。どうしても僕に忠誠を誓えないって言うんならさっきも言った通り、せめて誰か一人が自分の縄を自ら切ってナイフに謝罪してよ」


「清く正しくだと!? クズが! 必ずお前を殺してやる」


 キャンバスはそう僕に啖呵を切る。


「酷いなぁ。でも、早くしないと大切な妹が自ら首を吊って死んでしまうよ」


 そう言ってイーゼルの首の紐を引っ張る。


「くっ……。クリップ! 命令だ。俺とイーゼルの為に自分の縄を切れ!」


「なっ! 何で俺が!? もういいでしょ! イレイザーに忠誠を誓いましょうよ。奴の言う通り、城に帰れば再びアイツが第一王位継承者になる。俺たちの魔法じゃアイツには勝てないですよ。アイツに頭を下げれば皆で城に帰れますよ」


「――ふざけるな! これ以上恥辱を受けてたまるか! お前はイレイザーに従いたいんだろ! ならばお前が奴に忠誠を誓い、靴でも舐めて命乞いをしろ! 早くしろクリップ! これ以上はイーゼルの身体が持たん。次期王の命に従え!」


「――くっ ……わかりました……」


 クリップはそう言って身体を震わせながら下を向いた。


「……じゃあ自分の縄を切るのはクリップ兄さんで良いんだね。じゃあ魔法の封印を解くよ。自分の魔法で縄を切ってね」


 そう言って俺はクリップの後ろに移動し、魔法の封印を解いた。


「さあ、封印を解いたよ。いつでもどうぞ」


「……さようなら。兄上。良き王に――」


 そう言って呪文の詠唱を始めた。「――なりますので安心して死んで下さい」と言って魔法を放った。


「あ? お前何を言って――」キャンバスは呆気にとられた。


 クリップが放った魔法は真空の刃となり自らの目の前の縄の横を通り過ぎてキャンバスの目の前の縄を切り裂いた。それと同時にキャンバスの首は勢いよく上に引き上げられる。足をしっかりと縄で結ばれているキャンバスの身体は一瞬宙に浮き制止した。が、その刹那、首は胴体から力ずくで引きちぎられ天空に舞った。大量の血飛沫が辺りにまき散らされた。胴体はイーゼルの方に勢いよく倒れイーゼルの身体はキャンバスの血で真っ赤に染まった。

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