第9話 夢の異世界生活⑤
――あの日、国の直ぐ近くに真っ赤なドラゴンが姿を現した。初めて見る巨大なファンタジー世界の生物。小さな魔法は日常で使えるものの、第六階位を超える強力な魔法を使う機会なんてそうそうない。俺は空を悠然と飛ぶその姿に心が躍った。ドラゴンが現れた場所は王国にほど近くの小高い丘の上。奴らにしてみればただ一休みするために立ち寄っただけなのだろう。だが、人間にしてみればいつ襲撃されるかもしれないという恐怖で国中が大騒ぎになった。倒すにせよ追い払うにせよ国を挙げての大挙兵だ。ある程度近づいて強力な魔法を放つ。これがこの世界の王道の戦術だ。しかし、この作戦には魔法の詠唱が終わるまで前線で敵を足止めする役目がいる。多くの兵や市民が壁となり時間を稼ぐのだ。当然それには大勢の人間を犠牲を伴う。集められた兵士や国民が不安と恐怖で騒然とする中、キャンバスとクリップの二人が声を上げた。
「皆、安心しろ! この国には歴代最強の魔法を使い、最強の剣技を極めた我らが自慢の弟、イレイザーがいる。彼は第九階位の魔道を極めた男。あの程度のドラゴンは一人でも叩き伏せられる。そう豪語した! お前たちはイレイザーの後方で待機するだけでいい」
俺は唖然とした。そんなことは言った覚えがない。しかし、国民の熱いまなざしを一身に受け、拒否することなんてできない状況に追い込まれていた。皆は俺が実際には存在しない第九階位の魔法が使えると思い込んでいる。皆に担ぎ上げられ、気が付くとたった一人で最前線に立っていた。生まれて初めての実践。目の前には国の第一級危険生物に指定されている巨大なインフェルノドラゴン。遠くから眺める姿とは違い、目の前に有るその巨大な獣の姿は畏怖そのものだった。そのおぞましい姿を目の前にしたあの時の恐怖は今でも脳裏に焼き付いている。あれから三年経った今でも、思い出すだけでも吐きそうになる。手が自然と震えだす。気が触れてしまいそうなほどの恐怖を感じたのはあの時が初めてだった。奴に比べたらライオンやトラなんて本当に子猫と変わらない。
確かに王国では剣技も魔法でも誰にも負けない自信があった。とは言えこの世界での剣術はあくまで自己防衛の手段でしかない。強力な敵との戦闘では、より強力な魔法の打ち合いとなり、よほどの能力を付加された武具を持っているのであれば話は別だが、ほとんどの場合、前衛で剣を持つというのはほぼ捨て駒を意味する。しっかりと対策を練り、多くの犠牲をいとわず後方から時間を掛けて最高位の魔法を放つことが出来たらドラゴンにも対抗できたかもしれない。でも、俺はすぐ目の前でただうずくまって寝ているだけのドラゴンにさえ恐怖で立ちすくむ事しかできなかった……。足がすくんで逃げることさえできない。怯えている僕に気が付いたドラゴンはホコリでも払うかのようにしっぽを振って俺を払い飛ばした。俺自身は正直何が起きたかわからなかった。
「あの時、皆は後方から見てたんでしょ? どんな気持ちだった? 憐れだったかい? それとも痛快だったかい?」
そう言って三人の顔を見る。誰一人俺を見ようとしない。気にせず話を続ける。
「――気が付くと僕はこの森に横たわっていた。身体を起こそうと思った瞬間、気が狂いそうなほどの激痛が全身を駆け巡った。何とか動く首を起こし下半身を見てみると全身の骨が粉々になり、腕や足の骨が皮膚を突き破っていた。自分の姿に卒倒しそうだったよ。でも、そんなぼろ雑巾のような状態でも手足がちぎれ飛んでいなかったことは奇跡だった。首が飛んでいた可能性だってあった。意識が戻るのがもう少し遅くても出血多量で死んでいただろうね」
あの魔導書を見つけられていなかったら終わりだった。今にして思えば本当に運が良かった。とはいえ、あの瞬間はこのまま死んでしまえば天国に行けるかな……そう考えた。でもすぐにエンマの顔が脳裏をよぎった。……いや、ダメだ。俺は危険を承知でドラゴンと対峙した。恥も外聞も捨てて逃げる選択肢もあっただろう。エンマの審判では恐らく自殺になる……。
「死ぬわけにはいかなかった。だからと言ってこの傷では普通の回復魔法では間に合わない。そう考えた瞬間、復元魔法を唱えた。これは僕が自分で作った初めて使う魔法だ。僕はこの魔法に”リバーシブル”という名前を付けていた。どうにも名前を付けるのが苦手だ」
また意味の解らない言葉に困惑する三人。無視して話を続けた。
「この魔法は通常の治癒力を加速させる水属性の治癒魔法とは逆に時間を逆行させて元の状態に復元するという魔法だ。傷を癒しているのではなく傷を受ける前まで時間を戻す。だから、骨が折れた瞬間や骨が皮膚を突き破った瞬間の痛みも逆再生で一気に襲い掛かってくる。想像を絶する痛み。麻酔なしで無理やり皮膚を引き裂く激痛。こんな思いをするくらいならあのまま死んだほうがマシだったと本気で後悔した。何で俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだって。いったい何が悪かったんだろうって……そして俺はそのまま再び気を失った」
そう言ってもう一度三人に顔を見渡した。三人とも先ほど同様、目を伏せて僕と目を合わそうとしない。その態度に、あの時の痛みと恐怖を思い出し少しイライラした。いったい誰のせいであれほどの苦痛を味わったと思っているんだ……。
「目を覚ました僕の身体は完全に元に戻っていた。だが、もう無いはずの痛みや恐怖は消えなかった。今でも時々悪夢を見るよ。傷が治って直ぐに城に戻ろうかと思ったけど、僕は兄さんたちのせいでこんな目に遭った。帰ったってまた邪魔な僕を殺そうとするかもしれない。ドラゴンに立ち向かって一撃で吹き飛ばされた僕を皆はどんな風に見るだろう。きっと笑うだろう。勇んで前線に向かった結果、しっぽの一振りで吹っ飛ばされたんだからね」
皆が俺を見る目を想像すると、怖くてとても帰る気になれなかった。
「だから僕はこのまま死んだことにしてこの森で暮らそうと考えた。そして、もっともっとたくさんの魔法を完成させようと。兄さんたちを見返すために。元々キャンプは得意だし、ログハウスを造ったこともある。魔法の力を使えば重機を使わずに一人でログハウスを造ることもできるんじゃないかってね。思った通りあの時に比べたら遥かに簡単だったよ。見て。僕の自慢の家を」
そう言って俺が造ったログハウスを指さして見せた。
「この家で僕と一緒に暮らしてきたんだよ、兄さん。お前らが殺したナイフと一緒に……」
そう言って三人を睨みつけた。
「ふ、ふざけるな! ヴェノムウルフと一緒に暮らせるわけないだろ! 特級危険生物だぞ。唾液に触れるだけで即死するほどの毒を持っている化け物だ! 見つければ即殲滅が定められている。この森での目撃情報があったから俺たちはその規則に従って命がけで奴を探し出し戦ったんだ! 讃えられこそすれ、責められる謂れはない! おかしいのは貴様だ。イレイザー!」
キャンバスは反論した。彼の意見はもっともだ。俺だってこの子と出会って一緒の時間を過ごしていなければ同じことをしたかもしれない。だが、俺はもう出会ってしまった。そして今日まで一緒に暮らしてきたんだ。
「ヴェノムウルフの唾液には毒はないよ。逆にコイツの唾液は毒を浄化する能力があるんだ。何も知らないくせに……。コイツらはね。その猛毒のせいで常に孤独なんだ。この世界において小さな身体で大して強い能力を持たず。穏やかな気性のコイツらにとってその猛毒は自分の身を守る為の唯一の武器なんだよ。毒をもつ生物なんて珍しくもないだろ? ただ、その毒はあまりにも強力すぎた。全ての生物が畏れて近寄らない。コイツの匂いを感じれば全ての生物が一目散に逃げだすんだよ。あのインフェルノドラゴンでさえね。本来肉食のコイツらは食べるものもなく、やせ細って繁殖さえままならない絶滅寸前の可哀そうな奴らなんだよ!」
そう言って三人に焼き殺されたナイフの身体を撫でる。 ヴェノムウルフの魔法耐性は非常に高い。そのせいで人間なら一瞬で消し炭になる第六階位の火炎魔法に長く苦しむ結果となった。長い時間炎に包まれたせいで血液が沸騰し、血管が裂け、酸素がなくなり窒息死した。強力な火炎で少しずつ焼かれていくのはどれほどの苦しみだっただろう……。
「そんなことはみんなが知っている! それほど危険だから絶滅させるべきなんだろうが! もしそいつ等が餌を求めて人里に出てきたらどうする!? たちまち俺たち人間は全滅するぞ!」
キャンバスは息を荒立てて俺の言葉に反論する。
「そんなことないよ。正しく理解して接すれば共存できる。とてもいい子たちなんだよ」
そう言って横たわるナイフの身体を抱き上げた。
「な、なんで!? お前なんでそんなもんに触れて生きてるんだよ……」
クリップが青ざめた表情で僕を見て言う。僕は三人に焼かれ、血が滴るナイフの身体を抱きながら三人に近づいた。インフェルノウルフの血は触れた瞬間死に至るほどの猛毒だ。
「う、うわぁ! 来るな、来るな! そんなもん持ってくるなよ!」
「そんなもん? 僕の友達にひどい言い方するね。クリップ兄さん。インフェルノウルフの毒はね、彼らの精神状態で大きく変化するんだ。穏やかな時、楽しい時は毒性はとても弱く鮮やかな赤い色になる。逆に緊張したり、恐怖したりすれば真っ黒な色の猛毒に変わる。そんなことも知らずにただ、インフェルノウルフであるというだけで畏れられ、嫌われて――」
俺の服は抱きかかえたナイフの血で黒く染まっていった。
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