第40話

パンッ、という何かがはじける音と共に無数のガラス片が降り注ぐ音がした。

いくら待っても剣の衝撃はやってこない。

私はそっと目を開けた。


「やあ、ご機嫌いかがです?」


天窓が割れ、軽薄な笑みを浮かべたユーリが私をかばうように屈みこんでいた。

頭上に回した片手で、男の長剣を軽々と受け止めている。

満身の力を込めているはずの男の剣は、しかしピクリとも動かない。


「だから私以外に扉を開けるなって言ったじゃないですか。危なっかしいですね」

「……お前、こうなるとわかってただろ」


ユーリはそれには答えず小さく首をかしげると、振り返りざまに男の剣を払った。

剣は男の手を離れ、入り口近くに座っていた別の男の肩をかすめる。


「貴様――!」


部屋の中にいたほかの男たちもすでに立ち上がりユーリとの間合いを図っていた。

国軍らしく、構えに隙がない。

さすがに訓練された軍人3人を同時に相手取るのは一介の近衛兵には分が悪い。


「おい、相手は三人もいる、ここは逃げることを優先した方がいいんじゃ……」


言いかけた唇にユーリの指があてがわれた。

黙らせるように、ユーリがほほ笑む。


「大丈夫ですよ。私、強いので」


薄闇の中で、ユーリの緑がかった瞳がすっと細められる。

こらえきれなくなったように先ほどの男が叫んだ。


「ユーリ・ヴォルフガング!」

「はい、何でしょう?」


男は咆哮すると、短剣を取り出しユーリに切りかかった。

ユーリはそれを紙一重でよけると、一瞬にして間合いを詰め、男の顔に拳を叩き込む。


「ぐはっ……!」


のけぞった男の後ろからすぐさま別の男が剣を突き出す。


旋――!


身体を旋回させたユーリの右足が剣を握った腕ごと男を打つ。

突き、蹴り、跳躍。

まるでユーリの身体は舞を踊るかのように次々と繰り出される攻撃を受け流す。

ほどかれた赤い長髪が、男たちの間を縫うようにたなびく。


気が付けば、男たちは全員、地面に倒れ伏していた。


「……お前、本当にただの近衛兵か?」

「言ったでしょう? 私は強いと」


ユーリは涼しい顔で言ってのけると、ギエラと名乗った男の元へ歩み寄った。

血と脂汗にまみれて転がる男に比して、ユーリの額には汗一つ浮かんでいない。

ユーリは足先で男の身体をゆすった。


「ぐ、う……」

「さて、あなたの雇い主を教えて頂きましょうか?」

「へっ…… 誰が言うかよ……」


男はゆがんだ顔で笑うと血の混じった唾を吐き捨てた。

ユーリは小さく息をつく。


「エマさん、すみませんが少し耳をふさいでいてもらえます?」

「……は?」


言うや否や、ユーリは思い切り男の傷口を踏みつけた。

鮮血が噴き出し、ユーリの靴を赤く染める。

断末魔の叫びが男の喉から絞り出された。


「誰に雇われたのですか?」


男はもうろうとした様子でユーリを見上げる。

焦点は合わず、口の端が引きつるように痙攣していた。


「薔薇……」


男の口からうわごとのような言葉が漏れる。

ユーリがはっとしたように男の胸ぐらをつかんだ。


「薔薇? 薔薇がなんだというのです!?」


ぼうっとしていた男がゆっくりとユーリの顔に焦点をあわせる。


「血濡れの薔薇に、万歳……」


男はそれだけ言うと突然身体をねじり激しく苦しみだした。

喉から鮮血が吐き出される。


「毒か……! 吐き出しなさい! 吐くのです!!」


急いで男の身体を揺さぶった時には、すでに男はこと切れていた。

ユーリは男の身体を離すと立ち上がった。

どさり、という重い音がして男の身体が地面に横たわる。


「……国軍軍曹、ギエラ・リーと名乗っていたぞ。知り合いか?」


私は両腕の縄をほどいてもらいながらユーリに声を掛けた。

ユーリは珍しく険しい顔をしている。


「命がけで聞き出してやったんだ、多少感謝されてもいいと思うんだが」


そう言ってやると、ユーリはふっとほほ笑んだ。

先ほどまでの険しさは消え、いつもの軽薄な表情に戻っている。


「どうやら王都に王権転覆を狙う連中が巣喰っているようでしてね。

 それが今や無視できない大きさに広がりつつある」

「それが血濡れの薔薇ってやつか?」

「そこまではまだ」


ユーリに手足の縄をほどいてもらった私は立ち上がった。

手ではたいて服の汚れを落とす。

一張羅だというのに、引きずられたせいでところどころ綻びができてしまっていた。

先を行くユーリに続いて、倉庫を後にする。


すっかりと日は暮れ、頭上には星明りが瞬いていた。

宿屋からそう遠くない港の倉庫だったようで、目の前には黒い海が広がっている。

私たちは宿屋に向かって歩き出した。


「そうだ、こちらも教えて頂きたいのですが」


先を歩いていたユーリが半身を振り返る。

私は顔をあげた。


「あなた、エルノヴァの魔女ですね?」

「……は?」


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