第38話
宿屋は質素だった。
一階は酒場になっていて、その上の階に船乗りや商人を泊めているらしかった。
酒場ではすでに何人かの男が酒を飲んでいて、酔っぱらいの間を店員とみられる若い娘が忙しそうに行き来していた。
主人の男は気のよさそうな太った男で、私たちが親子であるという多少無理のある説明を全く疑わなかった。
「ここは良いね。値段は安いし、港と市場にも近いと来てる。
繁盛してるんじゃないかい?」
ユーリが商人らしい口調で宿屋の主人に話しかける。
まったく器用な男である。
「そりゃ旦那、このあたりじゃどの商人もうちを使いますよ。
なんてったって飯までついてこの値段ですからね。おかげ様で、今夜も満室です」
主人は豪快に笑う。
港街の男らしく、良く日に焼けた顔をしていた。
ユーリは感心した風に大仰に頷くと続ける。
「そうだろうね! 実は私も他の街で商人仲間からこの宿の評判を聞いたんだ。
リヴィエラならここ勝る宿はないってね」
「へへへ、旦那のお友達はお目が高くていらっしゃる」
ユーリのおべんちゃらに主人の男はまんざらでもなさそうだ。
目じりがぐっと下がって相好が崩れる。
ユーリは男に調子を合わせながら続ける。
「そういえば、変わった木の実を売る商人を知らないかい? 舶来品なんだが、これがかなり珍しい代物でね。うちならうまくさばけると思ってね」
「変わった木の実? うーん、悪いが旦那、俺には分からんね。 商工会へ行ってみるといい。
ここで船の荷をやり取りするにはあそこの許可がいるんでね、たいていの商人は知ってるはずですよ」
「商工会か……。ありがとう、顔を出してみるよ」
酒場の男たちがちらちらとこちらを見ている気がする。
眼帯の子供と男の二人旅だ、珍しいのだろう。
私は視線を合わせないようにして男たちに背を向けた。
主人の男に案内されたのは二階の部屋の真ん中だった。
両隣の部屋はすでに埋まっており、最後の一部屋だったというので運が良い。
部屋にはベッドが二台とテーブルと椅子のセットが一つ、それでいっぱいだった。
「お前と同室とはな」
「仕方がないでしょう。部屋は一つしか空いていないのですし、親子が別々の部屋に寝るなんて不自然ですから」
ユーリはそう言うと、私に部屋の鍵を持たせた。
「私は少し外に出てきます。あなたはここに居てください。
私以外の人間が尋ねてきても決して扉を開けてはいけませんよ。物騒ですからね。」
「子ども扱いするな」
ユーリは答えずに肩をすくめると部屋を出ていった。
おおかた、コヨティロの出どころを調べに商工会へ向かったのだろう。
私は窓際のベッドに腰を下ろした。
すっかりと日が落ちて暗くなった窓に眼帯の子どもの顔が映る。
(この年になってカレッジとはな……)
窓の向こうの港町は、街頭や店舗の明かりが灯り始め、きらきらと光って見えた。
100年前にも同じ光景があったのか、或いはこの100年間に生まれた光景なのか、
長い間森に引きこもっていた私にはそれすら分からない。
私はトランクから本を一冊取り出した。
ジュールからもらった美しい装丁のおとぎ話だ。
そっと表紙を撫で、ページを開く。
見慣れた物語が、茶色いインクで描かれていた。
◆◆◆
これは今から1000と100年前
建国の王と豊穣の女神のお話
豊穣の女神は流れ星の瞳
建国の王は予言の嬰児
王と女神は、約束の地に星の運んだ種を蒔く
寿ぎの芽吹き、豊穣の実り
動物は肥え、水は美しく、永遠の春が訪れる
あるとき破滅の星夜は予言され春の祝福はその手を離す
王と女神は悪意の炎に焼かれ混乱と混頓が再び大地を駆ける
燃え尽きた灰から生まれしは
悪しき魔女と銀の盾
◆◆◆
かなり脚色されてロマンチックな内容になってはいるが、一応建国史に基づいているようだった。
終末を予言するような内容だが、これも建国史を扱うどの書籍とも同じ内容だ。
結果として魔女狩りを煽ることになった最後の一文までご丁寧に描かれている。
本を閉じると、表紙の男性の絵が目に留まる。
建国の王を描いたものなのだろう。
(そう言えば、ロベルトはどうしているだろうか)
王命ではないにしろ、まさかあの軽薄な赤髪が私財をなげうって私を入学させようとするわけもなし、褒賞であることには違いないのだろう。
私は無意識に表紙の絵を指でなぞった。
柔らかそうな金髪がロベルトに似ていないでもない。
(わ、私は何を……!)
突然気恥ずかしくなり、本ごとベッドに倒れ込んだ時だった。
ドアを軽くたたく音がして、私は身体を起こした。
忘れものだろうか、帰ってくるには少々早すぎる気もする。
「開いているぞ」
私は声を掛けながら扉に向かった。
所々塗装のはげたドアノブがゆっくりと回る。
「こんばんは、お嬢さん」
扉があいた瞬間、聞きなれない声と共に頭部に衝撃が走り、私の視界は暗転した。
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