第35話

「……ここで何をしている」


私は玄関に立ったまま目の前の男に湿った口調を投げつけた。

赤髪の男はリビングのテーブルにつき、こちらにひらひら手を振っている。

アンとジュールはこの男とお茶の時間を楽しんでいたらしく、すっかりと和んだ空気が流れていた。

外では降り始めた雨が木の葉を揺らしていた。


「おかえりなさいエマ! こちらユーリさん、王都からわざわざ来てくださったのよ。

 彼の話がもうおかしくって……」


アンがくすくすと笑いながら私に紹介する。

ユーリは相変わらず軽薄な笑みを浮かべたまま、いやあそれほどでも、と頭を掻いている。


「街への旅の話なんて傑作だったぞ! 砂漠の姫に空飛ぶドラゴン! くうう、浪漫だ……」


そんなわけがあるか、と言ってやりたかったがジュールが楽しそうなので黙っておく。

アンとジュールはすっかりこの優男に懐柔されてしまったようだった。

私はため息をつくとユーリに向き直った。


「もう一度聞くぞ、ここで何をしている」

「もう一つの目的、ってやつですよ」


ユーリはそう言うと胸元から一通の封筒を取り出した。

そのまま恭しい態度でこちらに向かって差し出す。

私は受け取った封筒の封を切ると、手紙を取り出した。


『エマ殿

 

 貴殿を特待生と認め、

 セント・エガリタス・カレッジへの入学をここに許可する。

 

                 校長 グレイシア・ベルリオーズ』


名前の部分は手書きの署名になっている。


「セント・エガリタスって、王国一の名門校じゃない!」


真っ先に声を上げたのはアンだった。

キラキラした瞳がこちらに向けられる。


「すごいわ! 殆ど限られた階級にしか入学を許されていないのに!」

「ちょ、ちょっと待て! 私はこんなの知らない! 何かの間違いだ!」


私は説明を求めるようにユーリに視線を向けた。

ユーリは肩をすくめると口を開いた。


「以前王太子殿下の捜索に協力してもらったお礼です。

 特待生枠だから学費は無料、生活に必要なものはすべてこちらがご用意しますし、悪い話じゃないでしょう?」


ユーリは軽く手を広げて見せる。


「な、でも、そんなこと急に言われても……!」

「王都には植物園や最新の研究資料、舶来品の交易市場なんかもありますよ。

 コヨティロほどではないにしても、珍しいものがたくさん見られるでしょうね」

「な……!」


そそのかすようなユーリのセリフに、私は思わず言葉に詰まる。

ジュールとアンはすっかり乗り気なようでそわそわと視線を交わしあっている。


「わ、私はこの森を出るつもりはない!」

「それを決めるのは、あなたではないのでは?」


そう言うと、ユーリは封筒の表を指し示した。

封筒には金の箔で双頭の鷹の紋章が捺されている。


「……王命、といいたいのか」


ユーリはそれには答えず、こちらにほほ笑みを返す。

私はユーリをにらみつけた。


「エマ」


気が付くとジュールが隣に立っていた。

優しいこげ茶色の瞳がこちらを見降ろしている。


「私は常々思っていたんだ。エマがこの森で一生を終えるのは惜しいと。

 王都には、まだエマの知らないことがたくさんあると思うよ。きっとエマの世界を広げてくれるはずだ。もちろん、離れて暮らすのは寂しいけどな」


ジュールに寄り添うように立ったアンが後を引き取った。


「きっと想像もしなかったような出会いがあなたを待っているわ。

 この世界にはあなたを愛してくれる人がもっとたくさんいる。あなたを助け、そばにいてくれるような人たちが」


アンはうっすらと目に涙をためている。


「アン……」


私はうつむいた。

100年前でさえも、森から出るなんて一度も考えたことがなかった。

ずっと、森の外には痛みしかないと思っていたから。

けれど――、と私は心の中でつぶやいた。

私は何も知らないままに恐れていただけかもしれない。

人々が私を恐れたように。


ふわり、とアンが私を抱きしめた。

柔らかな体温が私の小さな身体を包む。

耳元で、ユーリに聞こえないようにアンがささやく。


「でもね、本当に嫌だったら私たちがあなたのことを絶対に守るわ。エマはどうしたい?」


私は驚いてアンの顔を見つめた。

王命に逆らうことは反逆罪、つまり死罪を意味する。


私はそっと息をつくとアンから身体を離した。

赤髪の男の言いなりになるのは癪だ。

だが、王都という言葉は、心の、ずっと奥深くにある何かをくすぐるような気がした。


「行くよ、王都に。カレッジでも何でも行ってやる」


アンとジュールがほほ笑む。

ユーリは分かっていた、というふうに満足げにうなずくと立ち上がった。


「それでは、明日の朝お迎えに」

「随分と用意のいいことだな」


ユーリは答えずににこりと目を細める。

私はこの慇懃な男にできるだけ鋭い視線を投げつけてやった。



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